幽鬼兵の獲得と死の魔導書
白い髪のラポラースが階段を降りるたびに、壁に架けられた角灯が自然と火を灯す。
数十段の階段を降り、左右に分かれた通路の一方に向かうと、その先にある物々しい雰囲気の扉を開けて、部屋の中に入って行く。
そこには大きな広間があり、儀式的な象徴に飾られた台座が広間の中心に鎮座していた。黒い石の台座に様々な紋様が彫られ、台座の下には気味の悪い悪魔の顔みたいなものが浮き彫られていた。
「ここは私とグラーシャが、幽鬼たちの魂魄を使って新たな力を生み出したりする場所。最近はほとんど使っていなかったけれど、特別にあなたに使わせてあげる」
彼女はそう言いながら台座の前まで来ると、手招きする。
黒い台座の上には金属か石か分からない光沢を放つ、禍々しい像が置かれていた。それがなにを表しているのか、まったく分からないのだが──そのごつごつとした物の中央部には、大きな髑髏のような形が浮き出ており、窪んだ眼窩や歯といったものが確認できた。
巨人の髑髏の周りに鉱石が固まってできた像、とでも言えばいいだろうか。もしこれが髑髏だとしたら──おそらくその身体は、体長五メートルは超えるだろう。
「この像に手を置いて、あなたを護衛する兵士を創り出しましょう」
「やり方が分からないんだが」
「大丈夫、私が手を貸してあげる」
ラポラースはそう言うと、俺を背後から抱きしめてきた。
「さ、像に手を」
仕方がない、言われるがままに手を気味の悪い像に当て、台座の向こう側にある空間を見つめていると、台座に置かれた像がまるで燃え上がるみたいに、ぼんやりと光を放ち出す。
「手は乗せたまま」
彼女は俺にしがみついたままでいる。
たぶんだが、彼女は幽鬼の魂魄を使って、呪術的な干渉をおこなっているのだ。台座の向こう側でも青い炎が噴き上がり、魔法陣のような図形を描き出す。
その円形の中に暗紫色や暗赤色の煙が集まり、ごわごわと、空気を振動させるような音を響かせながら、煙が凝固するみたいに結集しだした。
台座の向こう側に二人の兵士みたいな鎧姿をした存在が現れた。──人型ではあるが、その身体からは禍々しい暗い極光気が立ち上がっている。
武装した戦士の一方は、黒みを帯びた鈍い光を放つ全身鎧を身に着け、腰から長剣を下げ、背中には大きな幅広の大剣を背負っている。
金属鎧を纏う大柄な戦士とは違い──もう一方の戦士は小柄で、黒い革鎧や籠手などを身に着けている。
腰の革帯からは短剣や短刀が下げられ、足や腕にも黒っぽい包帯のような物を巻き付けていて、顔の上半分をその包帯が目隠ししている戦士だった。──こちらは女性であるらしい。
「よかった、強そうなのが出てきたじゃない」
ラポラースは俺から離れて二人の幽鬼の戦士を見ると、そう笑いかけてきた。
「もうすでにあなたの配下になっているから安心して」
見るからに危険そうな雰囲気を放つ兵士だが、物質的な体でもあるみたいだ。これなら現世でも呼び出せるだろう。
「現世で呼び出すには魔力を使うけれど、それなりに戦える奴であるはずよ。──まあ実際に戦わせてみないと分からないでしょうけど」
この不気味な幽鬼兵は、冥府の領域から召喚して呼び出すらしい。
そうした技術には本来、大きな代償や膨大な魔力を必要とするが、こうした冥府の神器(髑髏のような像の事)を使って生み出す事で、簡単に現世への召喚がおこなえるのだとラポラースは言った。
全身鎧の巨漢の戦士と、革鎧を着けた女戦士との盟約を結ぶと、二人の異なる型式の戦士を下げる。彼らは足下から噴き上がる青い炎に包まれると、この場から一瞬で消え去った。
「冥府の闇に還ったの。大丈夫、あなたの呼び出しに従って現世にも呼び出せるから」
どういった戦士たちなのか、それはあとで調べてみる必要がありそうだ。
「ありがとう、助かるよ」
なにしろ集団で襲われたばかりだ、できれば数の上で劣勢に立たされる機会を減らしたいと考えていたのだ。
「幽鬼は死者の魂から生み出される存在だけれど、こうやって創り出された幽鬼兵には人格はないからね。影のようなものよ」
戻りましょうかと言って、俺の腕に抱きつくラポラース。そうしていると彼女は一見ふつうの女の子に思えるのだが、永い時を冥府で過ごしてきた──強力な魔導師なのだ。
この冥府の上空に浮かぶ都市ソルムスを造り上げた事からも、その強大な力が分かるというもの。俺も同世代の魔術師と比べれば、相当な技量を持つと言えるだろうが、それでも己の魔術領域に、庭付きの建物を建てるのが精一杯だ。
「ところで今日もグラーシャは居ないのか?」
客間に戻りながら尋ねた俺に、少女は腕に抱きついたまま「そうね──、しばらく帰って来ないかも」と何故か楽しそうに言う。
冥府の事は分からないが、彼女たちにもそれなりに役割があるのだろうか。
「それじゃぁ、私の部屋に行きましょう」
そう言うと彼女は俺の腕を引いて、二階へ続く階段を上り始める。
二階も一階と同様に通路が左右に延び、いくつものドアが並んでいた。絨毯の敷かれた廊下を歩き、白い色のドアを開けて部屋へと入った。
そこは応接間のような広い部屋に、テーブルや椅子などが置かれ、戸棚や食器棚が壁際に設置されていた。──窓には硝子戸が付けられ、薄暗い城下街が一望できる。
「奥の部屋へ行きましょう」
そわそわとした感じで少女は俺の腕を放し、部屋の奥にあるドアに向かうと向こうの部屋へ行ってしまった。
この部屋にある調度品は、どこか貴族的な──貴婦人が好みそうな意匠の物が多い。立派な装飾が施された姿見などは、どういった職人の手による物なのだろうか……
そんな想像をしつつ、白い髪の少女が消えた部屋へと向かうと──そこは寝室のようだ。
「さあ、レギ。はじめましょう」
彼女はそう言って大きな寝台に腰かけ、両手を広げる。
「なにを?」
「やぁねぇ……決まっているでしょう?」
少女は今までとは違った妖艶な表情を見せる。
「はやく、はやく」
と少女はせがんでいる。あどけない仕草をしながらも、その表情はどこか淫靡で──外面と内面の隔たりがあると改めて感じた。
「まさかそんなお誘いがくるとは思わなかった」
だがまあ──美少女でもあり、強大な力を持つ彼女とのそうした行為には、二重の意味で心躍る誘いでもある。
「あら、私ではいや?」
「いやいや──もちろん大歓迎だ」
俺は寝台に近づきながら上着を脱ぎ始めた。
冥界神の双子と呼ばれる女の一人ラポラースは、その容姿は少女そのものだった。
灰色とも言える白い肌は柔らかく、人間の女のような温もりを感じる体ではなかったが、小柄なラポラースを抱きしめて繋がると、少女が与えてくれる快楽と魔力の循環に喜びを感じる。
始める前に房中術を使っていいかと尋ねた時に、彼女は「私からは魔法などは得られないけれど、それでもいい?」と言っていた。
彼女のその言葉は事実で、房中術を用いて魔力の循環はおこなえるが、彼女から魔法や技術などを獲得する事はできなかった。それらは法則的に不可能なのだと感じた。要するに俺と彼女の魔法技術や魔力総量の桁が違い、魔術的な壁を超えて彼女の深奥にある力に触れる事ができないのだ。
「だが……魔力が循環すると、こちらの魔力の器(魔力保有量)も大きなものになりそうだ」
「そう、私の力の影響で──魔力量が増えているのね、……よかった。少しは私も、役に立てそうね……」
少女は喘ぎながら耳元で囁く。
彼女を抱きしめ、激しく責め立てると──少女は背を大きく仰け反らせて、小さな体を甘美な喜びで痙攣させる。
ラポラースの愛らしい仕草と、彼女の柔らかい体に溺れながら時間を過ぎていった。美しい白い髪を撫で、柔肌の感触を愉しむ。
彼女との性交は快楽の為だけではない。魔力の補給と、その魔力を蓄えておく魔力の器を大きくする為もある。自身の魔力の器を房中術の力で大きな物とするのは、──本当に少しずつだった。
ラポラースの魔力の総量が多い所為だろう、魔力の器(魔晶石を純化させたものも)はすぐに満杯になった。
「はぁ……はぁ……」
何度目の行為だっただろう、少女は肩で息をしながらも──その口元には、淫らな喜びの笑みを浮かべている。
「思った以上に……あなたの力は増しているみたいね──、あなたが死導者の霊核を完全に自分のものとしたその時は、私から房中術で新たな力を手に入れられるでしょう」
「そうなのか、それは楽しみだ」
そう言いながら小さな膨らみに口をつける。
ラポラースの可愛い喘ぎ声を耳にしながら、彼女が房中術で俺に魔法を与えない理由について考えた。
魔女の技術についても熟知しているであろう彼女がそうしないのは、彼女が冥界神の娘と呼ばれる存在だから──というのもあるが、それ以上に彼女が死者だからだろう。
死者からなにかを与えられるのではなく、奪い取るくらいでなければ、死の領域でそうした行為を甘んじて受け入れてしまうのは、それ相応の危険があるのではないか。
よく言われる「死の世界で飲食した者は、生きて現世に戻る事ができない」と言われるように、冥府の理が適応される危険を孕んでいるのだ。本来は、死者の言葉に軽々しく応じないよう、未来の予言を聴く為に呼び出した死霊とは、魔法陣を隔てて結びつくくらいが精々のところだ。
魔法陣による支配関係、これを構築せずに死者と語らうのは危険だと警告している魔術書の、なんと多い事か。──その多くが眉唾物だったとしても、そこには一定の真実が隠されているものである。
気づけば俺はうとうとと眠りに就いていた。冥府の領域で睡眠するなどこれまた危険な話だが、俺はラポラースにもグラーシャにも絶大な信頼を置いている。何故なら彼女らの協力がなければ、俺はとっくの昔に死んでいるからだ。
死導者の霊核……これを早いところ我が物としたいところだが、完全にそれを支配するのは困難だった。かなり解析が進み、多くの力を利用できるまでになってきたが、その膨大な霊的器としての機能を取り込むとなると、相当な魔術的技量を持ち、制御するほかはない。
もしそれができるようになれば、俺は自らを「魔導師」と名乗ってもいいだろう。
命を落とす覚悟で手に入れたこの力、なんとしても自分の力として抑えておきたい。
寝台の隅に腰かけて周りを見回したが、ラポラースの姿がない。隣の応接間に行ったのだろうか。
俺は立ち上がり衣服を着込むと、部屋のドアが開いて白い髪のラポラースが入って来た。
「おはよう──と言っても、時間なんてほとんど経過していないでしょうけれど」
少女は妖艶な微笑みを浮かべ、手にしていた本を俺に差し出す。
「これは『死の魔導書』の写本、その一冊。これをあなたに貸してあげる」
「あの不死者の魔神ヴァルギルディムトが奪ったという本か」
「あれとは別のだけれどね」
彼女はそう言いながら俺に近づき、それを俺の胸に突き出す。
「ただし、危険な魔導書だというのを忘れないで、あくまであなたが死導者の霊核を制御できるようになる為の、その力を手に入れる示唆になるよう期待して貸すのだから」
禍々しい書物は、魔物の革を使用して作られたような革張りの装丁がされており、表紙には気味の悪い顔らしきものが浮かんでいる。率直に言って触っていたくない物だ。
──だが、その嫌悪感に飲まれてはいけない。それが恐怖を生み、その心の隙を突かれ、魔導書に支配されてしまうかもしれない。
魔導書に意識がある訳じゃない、だが力には人を変えてしまう力があるのだ。その危険を知らなければ、人はたやすく己を見失う。
俺は見た目以上にずしりと重い本を手に取り、感謝を口にした。儚げな美しさと、不穏な死の気配を滲ませた顔をした少女は、そっと近寄って来ると、俺の頬に優しい口づけをした。
次話は『死の魔導書』に関する話。
かなり厄介な話かな──?




