夜に羽撃く巨大な影
野営中に起こる出来事。
巨大な影せまる。
魔術異界から戻ると、影の魔術に関する自動解析に変更を加え、霊獣に対する攻撃と、契約をおこなう技術について分析を開始させる。
そこで改めてあの魔術異界に存在する、霊獣などの体について考えてみる。あの次元に向かうにあたって俺自身も霊体と呼べる別の体を構築し、探索に赴いている訳だが──その時、魔力との接点をもった体を構成しているのであるが、霊獣たちも似たような構成を取っているのだと考えられる。
異端の魔導師ブレラが研究していた『秘術師の晩餐』の中で書かれていた「魔魂体」に似た、生命の性質を持つ、魔力で構成された体を有しているのだろう。だからこそ現世に呼び出す時に、その霊体の体を魔力で作ってやらなければならないのだ。
霊体に近い存在である一体の霊獣と契約する、複数の魔術師が居ても問題ないのは、上位存在などと契約し、その存在を呼び出すのと似ているだろう。
彼らの実体は別の次元にある為、それを呼び出すのは、実体の写しみたいなものなのだ。
霊獣を成長させるというのは実は、術者である魔術師との契約関係にある、その術式に保管された情報が更新されるという事なのかもしれない。
つまり複数の魔術師がある一つの霊獣と契約を結んだとしても、共通する能力を持っている訳ではなく、術者の技量と霊獣を操る力をどれだけ引き出せた(霊獣を成長させた)かが、術者と契約の中に記録されていく。つまり術者によって霊獣の性質は異なってくる訳だ。
実体である魔術異界に生存している個体が強くなる事もあるが、それはあまり当てにならない程度の成長にしかならないだろうが。
(霊獣の楽園で自然と成長した部分は、基礎能力として共通する)
そうこうしていると肉体側から戻って確認するよう訴えかけられた、なにか問題が起きたらしい。危険が迫っている訳ではないようだが、すぐに戻る事にした。
* * *
現世に意識を戻すと、獣除けの結界に触れた生き物が居たようだ。暗闇の中に目を向けると、岩場の陰に──なにか、大きな毛むくじゃらの生き物が地べたに座り込んでいた。──かなりの大きさだ、牛……だろうか? 茶色っぽい毛を持った牛が数頭、岩陰に身を寄せて眠りに就いている。
(危険はなさそうだが……あいつらを狙って、猛獣が集まって来たら面倒だな)
まだ日が昇る気配もない深夜だ、暗い夜の世界。月の光を遮る雲が空を流れていく、薄雲が青白く光を放ち、ぼんやりと夜空に浮かぶ。
星々がキラキラと明滅し、その空を大きな影が通り過ぎる。
「なんだっ……今のは⁉」
寝袋にくるまったまま空を見上げていたが、上半身を起こし、なにかが通り過ぎて行った方を見つめる。──なにか大きな生き物が翼を広げ羽撃いているのが見えた。
月明かりの下に、巨大な翼持つ生き物が飛翔する。
「竜──いや、鷲獅子か?」
その生き物は大きく旋回して、その身体を月明かりの中に浮かび上がらせた。
嘴を持った大きな影。
鷲獅子に違いない。
まさかここが人の入り込まない土地である理由の一つは、鷲獅子の所為もあるのかもしれないな。……そんな事を考えていたら、その巨大な鷲獅子は旋回を続け、こちらへ向かって降下を始めた。
「おいおいおい」
ぐんぐん迫って来る大きな影。
それは地面に向かって降下を続け、結界の外に居た牛を大きな鉤爪で捕らえると、大きな翼が羽撃く音を立てて飛び上がる。
巨大な翼が通り過ぎて行ったあとには、突風に似た風が空気を引きちぎる音が残され、牛たちは狂乱状態になって騒ぎ出す。
「ぐもモぉおォ──ん」
「ムぉモォぉ──」
風圧に叩き起こされた牛は、仲間の事などまったく気にもかけない様子で逃げ出し始めた。鷲獅子は一頭の牛を連れ去り、どこかへ飛び去って行ったようだ。
俺は寝袋から出て魔剣を掴んでいたが、どうやら結界の効果は鷲獅子にも、ちゃんと効いていたみたいである。
「脅かしやがる」
夜の闇に牛たちが逃げ去る足音が響き、遠退いて行く。
風の音も止み、巨大な影が迫って来た恐怖が心から拭い去られた頃には、辺りの闇は静まり返っていたのである。
夜間に活動する鷲獅子は珍しい。日中から日が沈む前あたりが奴らの行動時間だと思っていたが、例外は常にあるものだなと改めて思う。そもそも鷲獅子の存在自体が珍しいのであるが。しかもあれほどの大きさのものとなると、どこかに身を隠す住処があるのだろうと思われた。
山脈側から飛んで来たのかもしれないが、これからは上空にも注意して、この広野を抜けなければならない。すでに魔法の仕掛けられた領域からは出たが、魔獣や魔物などの外敵に襲われる危険はあるだろう。
(もう少し眠るか)
俺は寝袋に入りなおし、すぐに眠りに就く。
眠ったあとも剣士ディオダルキスの戦闘技術を取り入れた、全身鎧を纏った虚兵を作り、それを相手に模擬戦をおこなった。何度も何度も敗北し、圧倒的な技量を誇る変則的な戦闘定型を学び取る。
数々の剣術を使いこなす相手というのは、やはり行動を読みづらくなるものだ。技と技の連携がこちらの予想と違ったものになると、単純な攻撃すらも危険な一振りとなって襲いかかってくる、そんな感じだ──まったく気が抜けない。
だがこの戦闘訓練を繰り返す事で、いくつかの異なる流派の剣技を学び取り、攻撃の連携や反撃についても多くの発見を得た。今までの戦闘経験に重ねて新たに加えた攻撃や反撃の技術。
これでさらに俺の戦いの技は、磨きがかかるだろう。
つい新たに手に入れた技術の方にばかり気を取られてしまったが、剣の訓練をほどほどに切り上げ、次に死導者の霊核を調べ、霊核の力が安定してきて、俺にも使える分野が増えているのを確認できた。
死霊秘術などの技術も今までより、使用できるものが増えるだろう。厳密には一つ一つの技術をしっかりと習熟する必要があるだろうが。
天使の遺物、天使の羽根から得た情報──上位存在の躯である光体についても、引き続き研究を重ねる。残りの時間をそうした研究をする作業に費やした。
そうした作業に一区切りつけると、魔法で隠された街で見つけた歴史に関する本を読む事にした。──そこで気づいたが、影の倉庫に本を取り込んでおけば、その本の複製を魔術の庭で構成する事ができそうだ。
試しに本を複製した物を作ってみると、影の倉庫から取り出した本を複製する事ができた。
「おぉ、これを利用すれば簡単だな」
影の魔術の利用法はまだまだありそうだ。いままでは影の中に取り込んだ宝石を魔法で加工したり、魔法を封入したりするだけだったが、他の方法も検討するべきかもしれない。
ただそうした作業をするにしても、もっと錬金術などを学ぶ必要があるだろう。
「すべての学問は互いに結び付き合って、より多くの智、大いなる叡智に近づく事ができる」
『叡智の書』の一文。
古い時代の魔導師が記した書物だというが、それが実在していたかは定かではない。この書物の名と、その内容について書かれた書物『叡智の鍵束』は、何冊かの写本として残されているが、それは王宮の図書館などに蔵書があるくらいで、一般人が手に取る機会はない。
叡智の鍵束について書かれた魔術書があり、それを読んだ事があるに過ぎないが、ある宮廷魔導師が書いた魔術書は『鍵束』についての、詳細な内容が記されていた。
俺のような権力の中枢にない魔術師は、そうした魔導師たちの記した書物や写本から、知識を間接的に得る事が多いのである。──それゆえに共通する内容の書物を読み、互いの内容を積み重ねて真理に迫らなければならないのだ。
* * *
魔術の庭から離れて現実世界にある肉体へと戻る。
目を開いて寝袋の中から空を見上げていると、空の一部が白み、濃い青色に染まり始めてきた──もう朝だった。
寝袋を影の中にしまい、離れた場所にある小川で顔を洗おうと歩いて行く。
大地を照らし出す日の光が降り注ぎ、遠くの広野を暖めている。
早朝の広野の空気は冷たく乾いている。その空気の中には、わずかながら生命の息吹と、生物の死が匂っていた。その匂いは草葉の陰にひっそりと横たわる、生き物の死骸を連想させた。
風の流れてくる方を見ると、草むらのあるなだらかな丘が見えた日の光の届かない薄暗い場所で、青々とした小さな草が密集する丘。
岩や剥き出しの茶色い地面も見えている。──そこには地面に穴を掘って生息する、小さな生き物が潜んでいるようだ。
周囲を警戒したが生き物の姿はない、小さな鳥が草むらの中に隠れているくらいだろう。まだ暗い頭上を見上げながら小川まで来ると、手で水をすくって顔を洗う。
冷たい水に手を入れ、それで顔を洗うと、一気に目が覚めた。その小川の水は山脈の方から染み出す清浄な水だった。水の湧き出す場所であれば、水筒に入れて持って行くのだが。
遠くの空が青く色づいていく。
日の光は山脈を越えて広野を照らし出し、尖峰の先にある雲が光を受け、黄金色に輝く王冠を思わせた。
東の山脈は途切れ、その先に森らしき緑色が広がっている場所が見える。おそらくあの向こうがルシュタール国の領土に接する、アントワ国の町があるはず。
国境近くの町には、海路を使って派遣された兵士たちも居るらしいが……
段々と明るくなってきた広野を見ながら、一夜の拠点へ戻ろうと振り返る。ここからは岩場や草木が見えているが、そういえば昨日の牛たちは、どこへ逃げて行ったのだろう。
なんとなく奴らが身を寄せていた岩場に近づくと、地面には黒い斑点が落ちていた。鷲獅子の鉤爪によって傷つけられた牛の血か。
あれだけ大きな魔獣に連れ去られた牛は、爪に肉をえぐられて絶命しただろう。あの巨大な翼が羽撃いた時の凄まじい衝撃、そのせいか地面の一部には砂利や石が無くなっていた。翼の起こした風圧で吹き飛ばされたに違いない。
「移動中に出くわしたくないものだ」
魔法を使ってこない魔獣ならそれほど脅威にはならないはずだが、あれだけ大きなものになると、嘴や爪による一撃の重さが半端ないだろう。
朝日が昇り、広野を日の光で照らし出す。
遠くに草原や岩山のある場所があり、そこに黒い毛をした牛の集団があった。昨日の牛たちもあれに合流したのだろうか?
牛たちも生きるのに必死だが、こちらも早めに広野を抜ける事に必死なのだ。つけ狙う者が居る間は慎重に行動しなければ……
野営した場所に戻ると、背嚢からパンと乾酪と燻製肉を取り出し、それらを口にする。小袋に入れた豆をかじりながら水を飲んでいると、草むらに小鳥たちが降り立った。
「チチチチチッ」
緑色の羽を持った小鳥が地面を掘り返したり、朝露を飲んだりしながら、仲間同士で相談を始めていた。──山脈あるいは森へ行こう──そんな話し合いをしているみたいに聞こえる。
「チチッ、チチチッ、チュチュッ」
そんな鳴き声が聞こえてくる、小鳥たちは忙しなく話し合いをしていたが、向かうべき場所を決めたのだろう。一羽が先陣を切って飛び立つと、残りの十数羽が空へと飛び立ち、北東にある山脈に向かって飛び去って行った。




