ココテ村から東へ、危険な魔法領域
ココテ村への道中は特になにも起こらなかった。獣に襲われる事もなければ、上位存在の視線を感じる事もなく──平穏無事に小さな村へと辿り着いたのである。
そこは木の柵に囲まれた小さな小さな集落だった。六軒くらいの木造の小さな建物があり、家に隣接した小さな畑が各家で作られているようだ。
人が住んでいる様子は感じなかったが、大きな厩舎のある場所から馬が鼻を鳴らす声が聞こえてきた。
村の中に入ると村のすぐ近くに林があり、そこも柵に囲まれているのを知った。林の中には空き地があり、そこを畑のようにして植物を育てているらしい。
村を横切ろうとしていると、林の中から一人の村人が鍬を担いで現れた。
その中年から初老の男はこちらをじろりと見ると、不機嫌な感じで近づいて来る。
「おい、この村になんの用だ」
かなり警戒した声色で彼は話しかけてきた。
「いえ、実はこれから東へ向けて広野を抜けようと思っているので、村の人に話を聞ければと思いまして」
すると男は「東に?」と目を見開く。
「ばかを言うな、やめておけ。この村の東には行くなとコランドァの町で言われなかったのか」
「確かに言われましたが……危険な場所らしいですね?」
男は頷き「そうだ、今もこの村の男が一人、行方不明になっている」と言うので、俺はその男は狩人か? と尋ねた。
「ああ、三人で狩りに出ていたのだが、一人だけ戻って来なかったのだ」
「ここに来る途中、衰弱死したような男の遺体を見かけました。弓矢を持っていたので、その人かもしれませんね」
男は仲間の死を覚悟していた様子で「そうか……」とだけ呟き、どこで見たのかを聞いてきた。この村へ来る道の途中で見た事を告げると、男は黙って頷く。
「まあそういう訳だ、東や北へ行くのはやめておけ、南への狩りに行っても、こうして迷う奴が出るくらいだ。東の広野に足を踏み入れれば帰っては来られないぞ」
東には具体的になにがあるのかと尋ねても、彼からはたいした事は聞けなかった。
「それは誰にもわからんね。──ただ昔から、東に向かった者は誰も帰って来なくなる、という事だけが言い伝えられているのだ」
要領を得ないが、ずいぶん前から言われている事だというのは間違いないらしい。噂で言われているのは、砂漠みたいに方向感覚が分からなくなるらしいのだ。遠くに山脈が見えているはずなのに、方向が分からなくなるというのはおかしな話だ。──そう思ったが口には出さなかった。
「分かりました、注意します」
そう言ったが彼は肩を竦め「まあ好きにしろ」と切り捨てたのだった。
彼の手に握られた麻袋にはたぶん薬草が入っているのだろう、どうやら村のそばにある林に囲まれた畑で栽培しているらしい。そこで育てた薬草がコランドァの町で高く買い取られる、上質な薬草になるのだろうか。
この村にもなにやら秘密がありそうだ、それを暴いてやろうとは思わないが。
わざわざこんな辺鄙な場所で栽培される薬草だ、それなりの理由があるのだろう。だがそんな事にかかずらっている暇はない。
俺は危険を承知で東の広野を抜ける道なき道を進んで、ルシュタールとの国境近くにある町へ向かうと決めたのだ。最短距離で行くには南にあるアタンゴゥラの街へ向かうよりも、その手前にある町から東へ向かい、ココテ村から南東に向かって、山脈とあるていど距離を取りながら進んで行く。そうして広野を抜ける予定だ。
本来なら南にある街から東へ向かう街道を通るのがいいはずだが──敢えて一人旅を続け、わずらわしい問題に決着をつけようと考えている。
上位存在の敵意。
それを打ち払う戦い。
この広野への旅路は、脅威と面と向かって打ち勝つという命懸けの冒険。
ここで負ければ命はない。
天上の存在や邪神や魔神といった存在が寄越す危険な刺客。
それらをここで打ち倒す。
破滅を司る神々の力に抵抗し、人の業がどこまで通じるか、それは分からない。だが今の俺なら──勝てるはずだ、いや、勝たなければならない。
覚悟は決めている。
なのに迷いも生じるのは何故だ。
「死を踏破する覚悟で人生を歩め」
ピアネスの文豪がその書物の中で書いた言葉。
人生は生と向き合う長い道、それは節目ごとに訪れる死と向き合う活動だという。自らに降りかかる直接の死だけではない、家族や隣人の死を通して死と対決し、死を愛するのだという。
決して生と切り離す事のできない死を見つめる事で、自身の生を、人生を見つめ直すというのである。
迷いが意識に上ってくるのは、理想とするところに届かないから──という部分もあるのだろうが、今回の場合は相手が上位存在だという事が大きい。
(覚悟を決めろ、死を前に怯む必要はない。死を克服した俺には冥界神の娘がくれた加護もあるのだ)
その加護がどれほどのものかは知らないが、彼女らの導きがあれば、死もそれほど恐れるものではあるまい。
死んだあとは彼女らの元に運ばれると思えば、死とは思っていたほど悪いものではない。生きていた時の自由は失われるだろうが。
死を想うのはここまでにしよう、今は迫り来る危機に敢然と立ち向かい、勝利する事のみを意識して挑戦するのだ。その覚悟はある。今回の戦いの為に様々な準備をしてきた。
相手が邪神であろうと魔神であろうと、その強大な力を退けて活路を切り開く為に、俺は力の限りを尽くして戦う。必要なら自らの命も賭けよう、その事に躊躇いを感じたりはしない。
幸いな事に古代魔術言語の影響を受けて、俺の中にある死導者の霊核から、多くの力を引き出す事に成功した。
これからはますます卓越した勢いで強さを手に入れる事ができるだろう。
魔神の送り込む危険な剣士、あの恐るべき刺客を倒せれば──さらなる力を獲得できるはずだ。
エッジャの町に居た時に現れた魔物、ああした存在も送り込まれてくるかもしれないが。
「準備は整っている、いつでもこい」
俺は南東へ向かって広々とした広野を進み続ける。この周辺には猛獣の気配もない。固い地面を踏みしめて進む、冷たい風の中に枯れた草や森から放たれる匂いを感じながら、道なき道を黙々と進み続けたのである。
異変はかなり歩いた先で訪れた。
ある領域に踏み込んだ時、その感覚は襲ってきたのだ。
意識に干渉する不可解な力。
「! 結界か⁉」
そう思ったが──なにも起きない。
気のせいだったようだ。──そんな風に頭の中に安堵が浮かんでくる。
(いや待て、おかしい……)
拭えない違和を感じる。
まるでそうするよう押しつけられたみたいに浮かび上がってきた安堵の感情に、はっきりと──違和感を覚えたのだ。
俺は立ち止まったまま周囲を魔眼で探る、──すると見えてきた。
「これは……!」
この辺り一帯に結界に似た魔法が掛けられていたのだ。その魔法の領域に足を踏み入れた人間は、自分の方向感覚や認識を狂わされ、下手をすると同じ場所をぐるぐると回るはめになる魔法。
「なんだこれは……」
古い魔法だ。魔眼がなければ見抜けなかったかもしれない。
そこにあった魔法は範囲は狭かったが、周囲を見回してみると、いくつもの場所に魔法の反応がある。
「足を踏み入れると迷う広野か」
マハラ山脈の南西に広がる広野にはなにがあるというのか、この認識を狂わせる魔法が辺りに点在しているからには、その中心にはなんらかの隠しておきたい秘密が存在しているのではないだろうか。
遠くを見ても、近くに設置されている魔法の領域しか見えてこない。離れていると認識できないのだろう。
中心がどこにあるのか分からないが、周囲に張られている魔法の領域を避けながら進む方がよさそうだ。
「しかし……この広野の秘密を探っている場合でもないのだが」
とは言っても、この魔法が展開されている異様な場所を越えるには、どうしたって魔眼を使用して先へと進まなければならない。
南東へ向かおうとした時、自分が見ている景色が南東ではなく、北東に向かっている事に気がついた。魔法の領域に足を踏み入れた事で、そうした状況にも気づかなかったのだ。
危うくまったく違う方向へと歩き出しているところだ、どうやら魔法の効果を受けると、自身の認識に狂いが生じた事を突き止めない限り、魔法の効果が頭の中に残って、方向感覚を狂ったままにしてしまうらしい。
山の位置などを見てもはっと気がつかなければ、おかしいと感じずに歩き続けていただろう。自分の認識が狂わされているなどと普通は思わないだろうから、狩人や一般人がこの地に足を踏み入れると、何日も歩き続けてからやっと異変に気づくのではないだろうか。勘が良ければ違和感を覚えてすぐ山の位置などを確認して、先に進むよりは戻る事を選択するだろう。
ココテ村に続く道の途中で見つけた狩人の遺体は、まさに広野に張られた魔法によって迷わされた挙げ句、なんとか西側に抜けて来て、そこで力尽きた者の末路だったのだ。
「気づいた時には体力も食料も失っていたのだろうな」
例え自分の認識の狂いを自覚したとしても、西に戻る途中でまた魔法の領域に足を踏み入れれば、再び強く意識しない限り、ぐるぐると迷い続けてしまうだろう。
「地味に恐ろしい魔法だな」
いったい誰がなんの為に、そんな魔法をこれだけの範囲に仕掛けたのだろうか? いま居る場所から周囲を見回すだけで、数ヶ所に魔法の領域があるのが見えている。
人を惑わす為に設置された魔法を永続させる事も驚異だが、広野に張り巡らせたその規模に驚く。
やれやれという思いが湧いてくる。これから俺をつけ狙ってくる危険な連中を迎え撃ってやろうと身構えている時に、不安な要素が進む先に仕掛けられているかもしれないのである。
「戦いになれば戦闘に集中するから、認識阻害についてはそのあとで対処するよう、無意識内に設定しておこう」
もしまた異界化をして俺を捕らえてくるとしたら、ここにある魔法には引っかかる事はないだろうが。
広野を南東へ向かう旅を続けながら周辺の探索もおこなう、この広野に隠された中心地があるのなら、どこかで引っかかると思ったのだ。なんの意味もなくあちこちに魔法を仕掛ける者は居ない、この土地には隠されたなにかがあるのは間違いない。
魔眼を要所要所で使いながら東へ、南へと移動する。大きな魔法の領域を避け東へ向かっていると、その先に今までの力とは違ったものが見え始めた。
そこは外部からの認識を狂わせ、中の物を見えなくする障壁のようなものが張られているようだ。かなり範囲の大きなものだったので、一部しか確認できない。
「なにか隠されているのか……?」
俺は南東に向かう前に、東側にある隠されたなにかを探ろうとその場所に近づいて行く。
大きな障壁に近づくと魔眼の視覚に、ぼんやりと光を放つ薄布のような垂れ幕が見えてきた。それは広大な領域を覆い隠す魔法の帳。
その領域に近づいて魔法の障壁を越えると、いきなり目の前に廃墟が現れた。
つい手前まではなにも無く、広々とした広野が見えていただけだったが、そこには確かに大きな街の廃墟があった。風雨にさらされながらもしっかりとした石の壁や建物が残っている。
街を囲む壁はいくつかの場所が崩れていたが、元々がそれほど高い壁ではなく、街自体もそんなに大きな建物はなさそうだ。
街を覆っていた障壁はかなり大きなものだったが、北から東に渡って延びる山脈の麓に広がる広野の、ほんの一部にその街はあった。
東にあるマハラ山脈に近いが、それでも数十キロは離れた場所にある街は、石畳の隙間から雑草が生えたり、庭に植えられた樹木が生長して壁を浮き上がらせ、壁を崩している。
繁栄していた街だったのだろう、道には石畳が敷かれ、建物のほとんどは石造りであった。屋根は崩落し、崩れ落ちている物がほとんどだが、中には石の屋根がついている箇所もある。──いや正確には石材に似た粘土で作られた壁や屋根だ。
かなりしっかりとした屋根に守られた建物もある、壁の状態などを見ると数百年前の廃墟という感じだ。ここいらの歴史は知らないが、広野の中に魔法で隠された街があるなんて……
「明らかに異常だ」
魔法使いの都だったのだろうか? 数々の認識阻害の魔法によって隠された中心地にある廃墟。ここがその核心部に間違いないだろう。
ここにはなにか魔法に関する知識が隠されているのではないか、そんな期待を胸に抱いて、崩れた壁を乗り越えて大きな建物へと向かう。
人を迷わせる魔法の領域(結界とは微妙に違う)が点在して配置されている場所。
レギは好奇心に導かれて、そのの中心地へ……そこで発見した廃墟には──




