ラポラースの警告と「呪(まじな)い」
侍女に案内されたのは建物の二階──あるいは三階にある庭園だった。美しい水路や花壇、手洗い場の役割も持った小さな噴水などがあり、そうした庭園の中央に屋根つきの小さな四阿があった。
石畳の通路を進むと、芝生や草花に囲まれた四阿に案内された俺。しかしそこには双子の姿はない。
「ここでしばらくお待ちください」
侍女はそう言うと、来た道とは別の方向へ歩いて行き、屋敷と繋がった別の入り口へと姿を消した。
それにしてもこの館は相当な大きさだ。
「ほとんど城だな」
四阿に置かれた椅子に腰かけると、なにも置かれていない白いテーブルの上に、魂の結晶体を取り出す。
この中にあるものを調べたが、それは邪神と呼ばれる存在の霊核であると思われた。これほどの結晶体ならかなりの魔力の器としても使えるだろう。
周囲を見回すと遠くの荒野──冥界の不毛の大地にある山脈が目に入った。空を埋め尽くす噴煙のごとき雲の隙間から、荒れ果てた大地が見える。
「空に大地が見えるというのは、やっぱり奇妙な感じだな」
そんな独り言を言っているところへ、急にテーブルの上に置かれた飲み物を見つけた。
「ぉわっ⁉ いつの間に⁉」
音もなく置かれた硝子の器に入った果実水と、氷の入った金属容器、その中に葡萄酒の瓶が一本入っている。
俺は慌てて周囲を見回したが、誰の姿もない。
「幽霊かな……」
どうもこの領域は不可思議なものが多い。奇怪な現象が起こったとしてもなんの不思議もない場所なのだ。
物質界ではなく冥界なのだから当然と言えば当然である。
四阿から離れて手すりのある場所に向かうと、視線の先には薄暗い町並みが見えた。建物から離れた場所にある密集した建物。それらは不規則に建てられ、段差や曲がり角の多そうな町を形成しているようだ。
「迷いそうだな」
複雑に入り組んだ町並みはちょっとした冒険心をくすぐるものだった、いかにも魔術師や占い師などが住んでいそうな雰囲気がある。
いくつかの窓から光が漏れ、そこには人が──死者が住んでいるのかと思うと、やや複雑な想いも湧いてきた。何故ならそこには時代を超えた多くの霊が存在しているのだから。
「なにかおもしろいものでもあった?」
四阿の方から声がした。振り返るといつの間にか白い髪のラポラースが椅子に座っていて、彼女はくすくすと笑いながら手招きする。
「ところでこれは? 邪神の魂を結晶化した物らしいけれど」
「それは魔女王ディナカペラから二人にと言われて持って来た物だ、アーシェンをよろしく頼む、という意味合いの品だそうだ」
そう言いながら彼女の方に近づいて行く。
「あら」
少女はおかしそうに笑う。
「別に魔神の配下からお願いをされるような事はなにもないのだけれど……けどそうね、せっかくだからいただいておきましょうか」
彼女はそう言ったが、その贈り物にはほとんど興味がないらしい。
少女は硝子杯に果実水を注ぎながら二人分用意する。
「ごめんなさい、グラーシャは所用で今日は来られないの。──けれど、私たちが仲良くなる絶好の機会だと思わない?」
などと妖艶な笑みを浮かべる。──少女が見せる表情としては、かなり邪悪な笑みだと言わざるを得ない。
曖昧な笑みを浮かべながら椅子に腰かけると、建物から侍女が姿を現したのが見えた。──ラゥディリアだ。
「あの娘と寝たんでしょう?」
ひそひそと耳打ちするようにラポラースは言う。
「さあ……どうだったかなぁ」
俺はすっとぼけたが、少女は脛を蹴り上げてきた。肉体ではないので苦痛はない。──だが、ひんやりとした冷気のようなものを感じた気がした。
ラゥディリアが持って来たのは、果物を煮詰めたものを使ったお菓子だ。深皿状の焼き菓子の中に、たっぷりと真っ赤なものが詰められている。
彼女はやっぱり目を閉じたままで、軽く会釈をして去って行ってしまう。
「まあいいでしょう、いただきましょうか」
ラポラースは果実水とお菓子を口にして、俺にも食べるよう声をかける。
半物質の肉体では匂いや味の感覚が薄く、食べる物の味はぼんやりとしたものになってしまう。この焼き菓子も同じだった、かすかに甘味や酸味を感じるが、果物の風味などはほとんどない。
肉体と肉体の共感は悪くない感じだった。魔女の房中術があったのも理由だろうが、現実とは違った感覚を味わえると知った。精神体を持つ侍女などは感覚の共有化ができるので、肉体的な接触でもそれなりの反応が得られるのだと思われる。
ここにある植物などは、現世の記憶から形作られた物なのだろう。現世に生きる自分にはここの食べ物や飲み物は、感覚として受け取れないのだ。ここの食べ物が死者にとって、風味を感じられる食べ物なのかは定かではないが。
「それにしても」とラポラースはしゃべり始める。
「あなたはなにか、よからぬ者に目をつけられているようね。死の予感につきまとわれている感じよ。あなたに警告する──レギ、危険を感じたなら逃げなさい。できればあなたにはまだ冥府に来てほしくはないの」
少女の姿をした冥界神の娘が言う。彼女とその姉妹は俺の魂を欲してはいるが、今すぐにではないらしい。現世で多くの記憶や経験を得たあとで冥府に来い、という事なのだろうか? 彼女らの想いがどのようなものなのか自分には分からない。
「もちろん簡単に死ぬつもりはないし、逃げられるなら逃走もする。しかし場合によっては戦いを避けられない事もあるだろう。その時は死に物狂いで戦うさ」
白く長い髪を触ったかと思うと、彼女は数本の髪の毛を手にして、俺に手を出すように言った。
「いいから、平気よ。お守りみたいなもの」
少女に促され俺が手を差し出すと、彼女は俺の指にその髪の毛をくるくると巻き付け、両手でその指先を握りしめる。──少女が手を放すと髪の毛は姿を消していた。
「いまのは?」
「ただのおまじないよ。あなたが現世での死を回避できますように、というね」
俺はそうかと納得し、彼女に礼を言う。
「それよりもこのあと時間はあるんでしょ? たまには私に──」
ラポラースが再び妖艶な表情をして見せた時、肉体から呼び出しがかかった。敵意を感じ取ったのだ。
「すまない、現世に戻らなくては。危険が迫っているらしい」
そう言って立ち上がると少女が不満そうな顔をする。
「わかった、仕方がない……また今度ね」
俺は少女に別れを言い、庭園から早足で水鏡のある部屋へ戻ろうと急ぐ。
通路を歩いていると、その先に籠を持った侍女が歩いていた。ラポラースと変わらないような外見年齢の侍女は、よろよろと重そうに大きな籠を運んで一つの部屋に入って行く。
俺は水鏡の部屋に入ると、すぐに鏡を通過して自身の領域へと戻った。
意識を肉体へと戻すと、すでに戦闘が始まるところだ。
周囲を囲むのは凶暴そうな野犬が二頭。
それとは別の一頭はすでに倒されており、地面に転がっていた。身体が反撃し魔剣で斬り裂いたのだ。
唸り声を上げて威嚇する犬に素早く近づくと、魔剣で頭を横から薙ぎ払う。
前に出た事でもう一匹が飛びかかって来たが、一匹を斬った勢いを止めて軸足の向きを変える。
重心を落とした構えから斜め上に斬り上げる一撃。
野犬の胴体を叩き斬ると、犬は声を上げる事もできずに地面に内臓をぶちまける。
痩せ細った体の野犬たちを片づけると、道の先を見る。──道というか、轍が付けられた場所と言うべきか。
それは大岩の横を通り、丘を避けてまだまだ先に続いている。かなり離れた場所に森や林があり、それを避けるようにして荷車は移動しているらしい。
なにもないだだっ広い土地を進む轍は、ほとんどまっすぐに進んでいるが、ときおり岩や隆起した地面を避けて曲がっている。
生命探知で周辺を探ってみたが、野犬などは見当たらない。
空も晴れ、遠くの空に薄い雲がかかっているくらいだ。青空には白や青い羽を持った鳥の群れや、高い場所を旋回する猛禽類の姿が見える。
しばらくは警戒せずに済みそうだ。
俺は再び魔術の庭で魔法の研究や、宝石に攻撃魔法を封入したりする作業に没頭し、かなりの時間をそうした事に使っていた。
するとまた肉体からなにかを訴えてきた。だがそれは敵対的な存在が居るというものではなく、不可解なものを見つけたので確認するように、というような内容だった。──肉体へ意識を戻してみると、それは轍が消えかかった曲がり道にある岩陰にあった。
……人間の死体である。
まず死体に近づく前に周辺を調べてみたがなにも居ない。
死体を調べてみたが冒険者ではなさそうだ。防寒具の外套を羽織った死体のそばには、弓と矢筒が置かれている。
「狩人か?」
遺体が荒らされた感じはない──外傷もなく、のたれ死にしたと思われた。
その体は痩せており、歩く力も失って、轍のあるこの場所で誰かが通るのを待っていたのだろう。残念ながら彼はそのまま息絶えてしまったのだ。
不幸な狩人はそのままにして、俺はココテ村へ向けて歩みを再開する。
それにしても狩人が遭難してのたれ死ぬものなのか? 狩人は地形の記憶や方向感覚、移動距離の把握が優れている者が多いと聞いていたが。
まあ全員がそうした能力を持っているとは限らないし、もしかすると狩人になったばかりだったのかもしれない。経験を積む前に死んでしまう者も中には居るだろう。
狩人の先輩となる者がついていなかったのだろうか? ココテ村の狩人だと仮定して、村から人が居なくなれば問題になっていてもおかしくはない。
そんな事を考えつつ、天使の解析などに集中していると、小川の上に架かる小さな石橋の前に来た。本当に小さな橋だ。小さな小川は大きく跨げば越えられる程度の川幅しかない。荷車の為に作られた物だろう。
ちょうど昼を回った頃になったので、そこで昼食を食べる事にした。
岩に腰を下ろして、酒場で購入したダゥチッカを背嚢から取り出し、それを食べていると──離れた場所にある岩陰から、茶色いなにかがもそもそと現れた。……それは小さな兎だ。
黒い目をした兎は後ろ足で立ち上がり、鼻をひくひくと動かして周囲の警戒をおこなっていた。人間が近くに居るのに気づくと──ぴたりと動きを止めて、じっとこちらを見ていたが、俺がそっぽを向いてダゥチッカを頬張ると、兎はぴょこぴょこと岩陰へと消えて行く。
北から吹きつける風は冷たいが、身震いするほどではない。
雄大な自然が広がる景色、そこには生命が隠れ息づいている。丘の陰や林の中には草を食べながら移動する鹿や馬の群れ、小さな木の上には木の実を食べる小動物や鳥の姿がある。
この雄大な景観の中に、狩人を迷わせるなにかがあるとは思えないが……
俺は昼食を食べ終えると地図を確認して、ココテ村へ向かうだいたいの方向を確認し、轍を辿って歩き続ける事にした。
ラポラースの呪いがあとあとレギを守ってくれるのか、それともただの「のろい」だったり……
次話からまた奇妙な場所を冒険する事になるレギ。
脱線ぎみだけどお付き合いいただければ~




