コランドァの町からココテ村へ、その前にソルムスへ
マンアトゥラの町を少し見て回ったあとで、俺は馬車に乗って南へと向かう事となった。馬車の停留所で南の町コランドァに行く馬車を拾えたのだ。
間もなく出発するというので、俺は小走りに駆け寄り、御者に金を払いながらコランドァより南東へは行かないのかと尋ねた。
「東? 南へ向かう馬車ならあるだろうが、東へ行く馬車なんてあるもんか。壁のように聳えるマハラ山脈に近づくなんて、金を積まれてもごめんだね」
なるほど、改めて地図を確認すると確かに北から東には山脈があると書かれている。しかもその山脈の西側は「未踏の地」となっていた、相当に危険な場所なのであろう。
では南へ向かい、そこから東へ行かないとルシュタールには行けないのか。そう言うと御者は頷く。
「それが一番だね。ただ──コランドァからさらに南にある街アタンゴゥラの東には、荷車もなかなか通らないんじゃないか? 街道は野盗が出るし、それ以外の場所だって魔物や亜人が多く出ると評判さ」
どうやらルシュタールとの国境を守るアントワ軍はいないらしい。小競り合いになって領土を奪われる心配はないのだろうか?
気になってアントワとルシュタールの国境はどうなっているのかと尋ねると、御者は「海路だ」と言った。
「国境近くの町に行きたければ海を使って行くのがいいだろう。というか、アントワ国民なら東へ向かうのに陸路は使わんさ。マハラ山脈の南西に広がる広野の多くは空白地だ、なにが出るかわからんぞ」
御者はそんな脅し文句を口にすると「さあ時間だ、とっとと乗ってくれ」と言って手綱を手にする。
この国にも不明瞭な禁忌の土地があるらしい。あるいはそうした噂話が独り歩きしている結果かもしれないが。
国境にはアントワの兵士がちゃんと詰めているのかもしれない。その兵士は海路で運ばれるのだろう、──御者の言う事が正しければ。
俺は馬車に乗り込むと、数少ない乗客と共にマンアトゥラの町を出て、南へと向かったのである。
護衛を数名つれた馬車はがたがたと揺れながら街道を進み続けた。かなりの距離を移動し、森の近くに差しかかった時に、犬頭悪鬼の集団に襲われた。
数は向こうの方が多く、はじめの頃は苦戦していたが、徐々に敵の数を減らしていく護衛。守りの堅さに自信がある連中なのだろう、盾を手にした者が多い。というか、一人が弓矢を使って攻撃し、それ以外の者は全員が盾を手にしていた。
時間はかかったが、安定した戦いで犬頭悪鬼を倒す護衛たち。
その後は魔物と戦う場面もなく、前方からやって来た馬車とすれ違うくらいの事が起きただけだった。
遠くに見える山脈を眺めながら移動を続けていると、あの視線を感じ始めた。──そして耳鳴りみたいに鈴の音が聞こえ始める。
(くそっ……! こんな時に天使の視線かよ。どんな攻撃を仕掛けてくるつもりだ……?)
俺はここから転移する訳にもいかず、相手の攻撃をどう退けるかに集中して、即座に行動に移せるよう準備をして身構える。
──ところが鈴の音は遠くへ去って行き、忌ま忌ましい視線も感じなくなった。
どういう事だ……警戒を解かずに考えていると、御者がそろそろ町が見えてきますよと声をかけてくる。
コランドァの町、その白い壁が見えて来た。
この馬車はこの町から西に向かって移動を続けるので、俺はこの町から南にあるアタンゴゥラの街に向かう馬車か、荷車を探さなければならないのだ。もしくはここから東に向かって歩いて行き、人が滅多に踏み込まない土地を横断しなければならない。──そしてそこは、なにやら危険な領域であるらしいのだ。
先ほどの視線──どうやら天使は、俺の周囲に人が居る状況では攻撃を仕掛けてはこないらしい。ならば敢えて一人で行動し、危険を承知で天使を排除するべきか。
馬車の中では覚悟が決まらない。
本当に天使の居る領域へ転移したとして、確実に勝てるかどうかなど分からない。だが、確実な勝利などないのも事実。
戦闘に絶対などあり得ない。
問題は覚悟、そして命を拾う為に逃げる事も考えておかなければ。それは最終手段であり、戦いの最中に勝利か逃亡かを選択する瞬間がある。その瞬間すら与えられずに死亡する者も多いだろうが。
停留所に馬車が停まると俺は馬車を降りてコランドァの町に降り立つ。
白い石材の町だ。ほとんどの建物の壁は白い石を削った物で建てられている。古い建物は一部が黒く汚れたり、灰色に変色していたが、色の所為か綺麗な町並みに見えた。
この町には戦士ギルドは無いようなので、酒場に入って情報を得る事にする。
まだ昼前だが店は開いていた。昼食の仕込みをしているところであったらしい。
「お客さん、うちはまだ開店してないよ」
頷きつつ少し話を聞かせてほしいと、銀貨をカウンターの上に置く。
「ところでなにを作っているのか」
「ダゥチッカ、香辛料に漬け込んだ羊肉の料理だ」
昼食に良さそうだと、それをパンに挟み紙に包んでくれと言いながら銅貨を追加する。
「まいど」
それでなにを聞きたいのか、と店主は言いながら肉を焼き始める。
「ここから東に村や町はないのか? 東の広野には危険があると聞いたが、具体的にはなにがある?」
鉄鍋で肉を焼きながら大柄な男はぼそぼそとしゃべり出す。
「東の広野──マハラ山脈の南西側は不吉だと言われている、具体的な事はわかっちゃいないが、ちょくちょく広野に狩りに出かけたまま帰らない狩人が出るんだよ。それであそこにはなにかが居るんじゃないか、って言われている訳さ」
野盗も多いという噂もあるが、一応ココテ村というのが東にあって、小さな岩山のそばには湖と森があり、そこに村が作られたのだという。
「変わり者が多く住む村らしいが、噂じゃ野盗の村だとか、あるいは犯罪を犯した者たちが隠れ住む村だとか。……そんな噂話のネタしか聞いた事はないね」
人が寄りつかない村という訳か、そう言うと男は黙って頷く。ただココテ村から月に二度か三度ほど荷車がやって来て、木材や薬草を売りに来るらしい。質の良い薬草を持って来るので薬師からは重宝されているのだとか。
「まあココテ村の東には行かない方が身の為だよ。あっちの広野にはココテ村の狩人も近づかないらしい、マハラ山脈の南西を横断した人が居る、なんていう話も聞いた事がない」
それほど悪名が広まっているのに、原因となるものが分からないままとは……この国の連中が迷信深いのは、その宗教観からも分かる事だが。
ダゥチッカという料理ができると、しばらく皿の上で冷ましてから、店主は粗末な紙に包んでくれた。俺はそれを受け取ると布で包み、背嚢の中にしまう。
貴重な情報が得られたと感謝し酒場を出ると、ココテ村に向かう荷車などは出てないかと確認したが、数日前にココテ村から薬草などを売りに来た荷車が来たから、しばらくは来ないだろうと言われたのだった。
「なら歩きだな」
南にあるというアタンゴゥラの街へは行かず、ここから東に向かって歩き、ココテ村に行く事にした。
俺は現在、三つの勢力から狙われている。
そうした問題をさっさと片づけてしまおうと考えているのだ。もちろん危険な相手だが、いつまでも一方的に狙われ続けるなど面倒くさい。戦う準備をして一気に蹴散らしてやろう、それくらいの意気込みで迎え撃つつもりだ。
あの手練れの剣士──アーブラゥムは「逃げた」と言っていた、虚兵と同じ姿をした全身鎧の剣士。あの強敵がまた送り込まれて来るかもしれない。
あの冴え渡る剣技の持ち主を迎え撃つのは恐ろしくもある。しかも剣だけではなく魔法まで使ってくるのだ、ある意味では自分と同じような剣と魔法の使い手だが、剣を使った戦闘ではおそらく勝てないだろう。練度が違うと感じている。
相手は多くの戦場を生き抜いてきた本物の戦士。実戦経験の数は比べものにならないのではないか。この難敵を破るにはそれ相応の対策を準備しておかないと──命を落としかねない。
魔法や魔術ではこちらの方が上であるはずだ。至近距離から不意打ち的に攻撃魔法を撃ち出してきたが、次に戦う時にはその魔法を反射させて反撃してやろうと考えている。
一瞬の判断が必要になるが、できない事はないはず。相手の動作をよく観察し、一瞬の行動の先を読み取って先手を打つ。
相手は回避においても卓越した感覚で攻撃を躱してくるはずだ。回避の動作を取ったら連続して攻撃し、反撃の隙を与えてはならない。
言葉で言うのは簡単だが──魔法と剣、さらには体術を使ってでも相手に損害を与える攻撃を繰り出し、仕留めるのだ。一つ一つの動作や判断で、状況はまったく違ったものになるだろう。達人との戦いは──一つの動き、一つの判断の誤りで、一気に危険な状態に持ち込まれる。
あの剣士との戦いは──ほんの数分の事だったが、それを嫌というほど痛感した。
シグンとの闘いで得た力がなければ俺はいま、生きてはいないだろう。
コランドァの町からココテ村へ向かう道を確認すると、俺はかすかな轍のある場所を歩いて東へと向かい始める。
魔術の門を開き、剣技の修業や魔法の研究をする前に、魔女王ディナカペラから受け取った物を双子に渡そうと思い立った。
「しまった、忘れていたぞ」
なにやかやと忙しかったので、先延ばしにしていた。……まあ、永遠を生きる彼女らにとって、こちらの数時間や数日など、ちょっとした休憩時間よりも短いものであるかもしれないが。
境界の間に入り水鏡の前に立つと、俺は鐘を鳴らしてから鏡の中へ入って行った。好きな時に来て構わないと言われてはいるが──
「ん? こちらには鳴り響かないのか?」
あの呼び鈴は向こうがわ限定のものなのかもしれない、半物質なので音という概念情報も物質界の理とは異なるものであるのだろう。
俺は部屋を出ると通路を進み、いつも双子と会っていた部屋の前に来てドアを叩く。──返事はない。
ドアを開けて中を覗いたが、誰も居なかった。
「さて、困ったぞ」
双子に用事があるというのに、彼女らがどこに居るかなど自分には分からないのだ。
「もしも──し、誰か居ませんか──」
侍女に聞こえれば姿を現すだろうと期待して声を出したのだが、反応がない。
薄暗い廊下、長い長い通路の向こうのドアが少し開かれ、明かりが漏れた。
「お、誰か居るじゃないか」
侍女が開けたのだろうか?
俺はそちらへ歩いて行く。
すると、ドアの隙間から白い女性の物らしい手が伸びて、手招きをしているではないか。
……俺は警戒した、どうにもおかしい。
(なぜドアを開けて出て来ない?)
俺は足の運びを緩め、ゆっくりと近づいて行ったが、かなり離れた位置まで来たところで、ドアは音も立てずに閉まってしまう。
「なんだったんだ」
すると廊下の先にある横へ向かう通路から、侍女姿の女が現れた。ラゥディリアではない別の侍女だ。彼女と同じ黒い色の侍女服を着ているが背は低く、どちらかというと幼い感じをした榛色の大きな瞳を持った少女だ。
「あなたは──」
侍女は警戒した動きを見せる。
「ああ、すまない。勝手に入って来てしまって。俺はレギというんだが──」
そう名乗ると、彼女はすぐに警戒を解いてお辞儀する。
「失礼いたしました、主からお名前は伺っております。本日はどのようなご用件でしょうか」
「ああ、双子──グラーシャとラポラースに会いに来たんだが、どこに居るのかな?」
すると彼女は「こちらへ」と言って通路を進む。
先ほど開いていたドアの前に差しかかる時に、このドアの向こうに居る人は誰なのかと尋ねた。すると侍女は立ち止まって振り向くと、冷たい声でこう告げた。
「この部屋のドアが開いても、決して中に入ってはいけません」
無表情のまま少女は警告し、くるりと振り返ると先へと進んで行く。
……なるほど、この建物の中であっても、不用意に動き回らない方が良さそうだな。ドアの前を通り過ぎながら、そそくさと侍女のあとを追いかけた。
マハラ山脈の南や西に広がる広野には誰も近寄らない……そんなお話。




