邪霊の侵蝕
秋分の日ということで(⁉)特別更新!
平穏な話かと思いきや、いきなり強襲を受けるレギ。
彼の善意(真意)が垣間見えるエピソードになったかな?
領主のウィチェフと話していると、子供を四人引き連れた初老の執事が現れた。子供たちはミクラやアレルよりも、みすぼらしい格好をした少年少女で、年齢は十代に満たない者ばかりだ。
執事に庭にある畑か花壇のような場所があるので、そこを手入れしたいんだがと言うと、建物の裏手にある物置小屋に農機具が入っていますと説明して、二階の窓から覗いている侍女に声をかけ、鍵束を投げてもらった。
「その小さな鉄の鍵が物置小屋の物です」
俺は執事に礼を言い、領主の手伝いをするようお願いして、領主邸へ帰ってもらう。
俺は一人で農作業をする事にした。
そうしながら無意識領域で魔術の研究を続ける為だ。
こうした肉体労働をしながら、こつこつと作業を続けていると、誰かが声をかけてきた。
「レギ──さん、もう暗くなりますよ」
子供の声。それはアレルのものだった。
「ん、ぉお、そうか」
周囲はすっかり暗くなっていた。無意識にとってはすでに特定の場所を耕す、という動作を決定した時点で、周囲が暗くなろうと霧に包まれようと、関係がないのだ。視覚情報以外の方法で一定の動作をおこなう事ができるのである。
日が沈み、孤児院となる建物の中に入ると、通路や二階のいくつかの部屋が掃除されたと侍女が言う。執事に連れられて来た子供たちは体を洗い、今日からここの二階で泊まるらしい。
食事は領主邸で作られた料理が運ばれて来て、子供たちは食事を始めた。侍女は俺の分も用意してくれ、若い侍女らと共に食事を取る事になった。
畑に植える馬鈴薯も用意してありますと侍女が玄関の方を指した、木箱に入った種芋があるらしい。食事を終えると、俺は庭に出てそれを埋める事にした。
するとアレルやミクラ、シオーナが駆け寄って来て、銀貨や銅貨の入った皮袋を返すと言ってきたのだ。
「いいや、それはお前たちが持っておけ、なにかあった時に正しく使えばいい」
そう彼らに告げたところへ侍女が角灯を手にして現れた。庭に作った畑に芋を植えに行く作業を手伝うとミクラたちも言い、畑にぞろぞろと向かう。
侍女が道の先にある井戸から水を汲んで来るというので、その間に子供たちと共に芋を植え、俺は子供たちに畑から出るように言って、アーブラゥムから与えられた「地気制操」を使い、馬鈴薯の生命力に力を与える。
「わわわっ」
角灯を持って畑を囲んでいたアレルたちから驚きの声が上がった。畝の中から凄い勢いで芽が出ていき、すぐに葉を茂らせたのである。
桶に水を汲んできた侍女も驚いていたが、芋に水をかけるよう言うと、子供たちは楽しそうに水を撒いた。
「申し訳ありません、実は一部屋しか掃除できなかったので、今日は宿屋に子供たちと泊まってもらえますか?」
領主様から宿代の方もお支払いすると言いつかっています、と侍女が言うので、俺は元から宿屋の二部屋を借りてあるので、アレルたちと共に宿屋へ向かう事になったのである。
「すごい魔法だったね、植物がしゅるるるるって伸びていって」
シオーナが兄に楽しげに話しかける。魔法も見た事がない彼女らには、その力がどういったものであるかなど理解できないだろう。「地気制操」の力とは、地中を流れる気脈を利用して植物を活性化させたり、成長させたりできるのだ。さらに魔力を込めれば強力な攻撃手段になり得るのは、アーブラゥムが使って見せた通りだ。
夜の町は静かだった、通りを歩く人も居るが、彼らは酒場などから出て、とぼとぼと家路の途中らしい。
俺たちも宿屋へ戻ると井戸のある洗い場に子供たちを行かせ、そこで体を洗うように言う。
「寒いよぉ……」
泣き言を口にするミクラ。
俺は大きな木桶に水を溜めると、それに「水質変換」をおこない、温かいお湯に変えてやった。
「ぉお……すごい!」
「体は石鹸で洗い、泡を流したら綿織物で体を拭いて、新しい下着や服に着替えるんだ」
そう言って洗い場から出ようとすると、ミクラが控えめに「ありがとう」と礼を言ったのが聞こえた。
二階の部屋に戻ると寝台に横になって明日の事を考える。南に向かう道は二つに分かれている。片方は小さな町に繋がる道だが、もう一方は比較的大きな街へと通じている。──しかし、大きな街のある方は、アントワの中心に向かうような道だ。
俺はアントワを抜けてルシュタールに向かいたいので、ここから南東に進む道を選びたいのだ。これからはずっとアントワの東側を移動する感じで南下を続け、ルシュタールとの国境を越えるのである。
魔術の門を開いてラゥディリアから手に入れた「死霊術」と「退霊術」を、ちゃんと自分のものとして扱えるように研究を重ねていると、部屋の中に誰かが入って来た。
そうだった、寝台が二つずつの部屋を借りたのだ。アレルがこちらの部屋で寝泊まりするのだろう。
「もうねちゃった?」
というミクラの声。
どうやら彼女は兄妹を一緒の部屋に泊めようと気を利かせたらしい。
「なんだ、こっちで寝るのか」
汚れを落とし新しい服に着替えたミクラは、最初に見た時とは違ってちゃんとした少女に見えた。まあ男物の服ではないから、それが一番の理由だろう。
線の細い体つき、多少は筋肉が付いているような腕や足なのは、彼女が農家などの手伝いをしていたからだろうと思われた。粗末な扱いを受け続け、両親が死んだのを機に、その環境を捨てて逃げ出した──そんなところだろう。
「いろいろありがとうね」
「ああ」
「……けど、本当になんで、見ず知らずのぼくたちに優しくしてくれるの?」
「またそれか」
……俺の考えを説明したところで理解はできないだろう、俺はこう考えているからだ。
なぜ他人に優しくするのか? それは決定的な瞬間には、俺は他人を犠牲にしてでも自らの保存を優先するだろうからだ。その瞬間に最も残酷な選択をする事になっても俺は後悔をしない。
その瞬間の決断を迷わない反面、それ以外の場面では他人にも優しく振る舞えるのだ。核心的な部分では他人を犠牲にするのに、常日頃から他人を犠牲にするのは気が引ける。その程度の意味と考えてもいい。
言い換えれば、どんな悪事もおこなえる意志がなければ、魔導の研究などできはしないのだ。
時には自らの命や魂すらも天秤にかける心構え、そうした覚悟がなければ到底その道を歩む事はできない険しい道。
それを説明する事などできはしない。
「そんな事より一人で寝られるか? 一緒に寝るか?」
俺が子供扱いすると、少女はむっとした表情になって「一人で寝られる!」とムキになって寝台に座り込んだ。
「……明日から、あの家で住めるんだよね?」
「孤児院を領主が作ると言っているんだ、あの男なら大丈夫だろう。子供が成長して国を支えるという事について認識しているからな」
勉強もできるかな? と尋ねてくる。
「ぉ、勉強をしたいと考えているのか、偉いぞ」
「あなたも勉強した?」
「もちろんだ。勉強して、魔法や魔術を教える学校を卒業しているんだぞ」
そう言うと少女は「へえ!」と感嘆の声を上げる。なかなか聞き上手な女の子だ。
それからしばらく少女の質問責めにあった。
ミクラは冒険者にも興味があるらしく、俺が冒険者としてどういった事をしてきたのか知りたがった。多くの冒険者の基本的な活動や戦士ギルドについて話してやり、獣や亜人などとの戦いで必要になる技術や覚悟について、真剣に話して聞かせる。
もしかすると彼女の将来は、冒険者という選択肢を選び取るかもしれないと感じていた。この女の子は活発で、大胆な行動力も持っている。こうした強い意志を持っている子供は冒険者や戦士に向いていると言えるだろう。
そんな話をしてやっていると、畑仕事の疲れも出てちょうど眠くなってきた俺は、そろそろ角灯の油がもったいないと理由を付けて眠る事にした。
角灯の明かりを消すと、少女は「おやすみなさい」と丁寧な口調で言う。男勝りな言葉遣いをする部分もあるが、少女らしい部分もある。もしかすると数年後にはそれなりにいい女になっているかもしれない。
そんな事を思いつつ、段々と眠気が意識を飲み込んできた。
* * *
奇妙な感覚。
魔術の門を開く前になにかが俺の意識を包み込むのを感じた──いや、これは結界だ。
意識下での事ではない、これは宿屋の部屋を異界の中に引き込んだ者が居るのだ!
俺は目覚めると、自分が岩場の陰で横になっているのを知った。地面は草が生え、灰色の小さな草がちくちくと手に刺さる。
「くそっ、いったい誰が……!」
魔神の手下か? それとも他の魔物か?
まさか町の宿屋を異界化するなんて──
周囲を警戒しながら立ち上がる。
武器はない。
きょろきょろと見回していると、声が聞こえてきた。
「だれ……だれかいるの?」
その声はミクラだ。
「ミクラ、こっちだ」
岩の向こう側に居たミクラが駆け寄って来る。
少女は怯えていたのだろう。俺に抱きついてぎゅっと腕に力を込める。
「落ち着け、他になにか見たか?」
「ううん、むこうにはだれもいなかったよ」
ここどこ? と少女は周囲を見ながら言う。
空は濃い青紫色に染まり、赤黒い雲が一部にかかっている。周囲の地形は草木のある広野で、丘や大きな岩なども転がっている。
乾いた地面が剥き出した場所は暗い色をして、俺たちの不安を煽る。
「どうやら異界の中に閉じ込められたみたいだな」
「イカイってなに?」
少女の問いに、ここは夢だ、と言い聞かせた。
あながち嘘ではない。
問題はここを形成している奴が何者かだ。それを倒せば元の場所に戻れるはずだ。
肉体を持ったまま取り込まれた異界。
ここは現世と近い幽世だ。
宿屋の中から開かれた入り口、この異界の分析を開始する。──どうやら想定した通り、あの部屋の中だけを幽世に誘引したらしい。
こんな真似をしたのは何者なのだろうか。
町中だからと油断していた、結界を張っておくべきだった。
するとそれは現れた。
周辺の景色が急に霧に包まれ始める。
灰色に近い色の霧。
俺とミクラを取り囲むみたいに集結し、渦を巻く。
不安そうに俺の腕に抱きつく少女。俺は心の中で呪文を唱えると「断罪の霊刃」を霧に向かって撃ち出す。
霧を大きく横に引き裂いた、しかし霧はなくならない。
傷口を塞ぐみたいに霧が元に戻される。
「こわいよ……」
ミクラが不安を口にする。どんどん俺たちの周囲を包囲し始める霧、その中に黒い影が蠢いていた。
魔眼がその影を捉え、それが霊的存在であると看破する。
「フォルアス、ディマルバ、昏き終末、時の終わりに光を翳せ、冷厳なる黄昏を告げる者『浄化の燐光』!」
手を翳して周辺に白い光の爆発を起こす。
一瞬で霧が吹き飛ばされ、暗い色に満ちた広野が現れた。
黒い影は消えていた。霧と共に消滅したのか……?
すると俺の腕を掴んでいた少女の手が、急に力を入れて俺の手を握る。
「いてっ──なん、……だ?」
ミクラの方を見ると少女は急に飛びつき、俺の首を両手で締め上げる。凄い力だ、少女の腕力ではない。
『くかかかかっ、さすがは魔神の下僕たる魔術師、危なかったわ。あのような魔法まで行使するとは』
霊体の力を弱め、退ける空間を作り出したはずだが、この霊は少女の体を乗っ取り、その影響を回避したようだ。
「ぐっ、ぐぅぅ……」
喉を押し潰され呼吸ができない。
『ははははは……! これで現世にも顕現できる。おお、まずはこの小娘から、お前の体に移ってやろう。くかかかか……』
そう言いながら俺を地面に叩きつける。少女の力だけでなく、霊的な力も奮えるらしい。ぎりぎりと首を絞める少女の胸元に手を添える。
『なんだ? 私を攻撃すれば、この小娘も死ぬぞ?』
俺は意識を集中させ、手から少女の体の中に──その力を流し込む。
(くらえっ!)
* * *
俺の上に馬乗りになって首を絞めていた少女が、弾けたように手を放し、がっくりと崩れ落ちる。
俺は首を絞められた事から少しむせてしまう。
周辺の異界も一瞬で消え去り、俺とミクラは寝台の上に戻っていた。
少女は俺の上に倒れ込んで、浅い呼吸を続けている。──眠っているのだ。
天井付近に黒い影が浮かんでいる。
『ばかな、ばかな──! 確かに小娘の肉体を奪ったはず』
俺はすぐ部屋の中に結界を張り、邪霊が逃げられないようにした。
「お前は少女の体に入り込んだだけだ。そこから俺の体を奪おうと焦ったな、『急いては事を仕損じる』まさに貴様に相応しい言葉だ、そう思わんか?」
俺は寝台に寝そべったまま、黒い影の塊に「断罪の霊刃」を撃ち出して、その霊体を真っ二つに切り裂く。
『ギビャアァァアァッ‼』
木霊のような絶叫が部屋の中に響き、邪霊は消滅した。
邪霊の中でも低級の奴だったのだろう。俺を「魔神の下僕」などと誤認していたところを見ると、邪神が送り込んだのだと思われた。
「うぅん……」
少女は今の絶叫を聞いて目が覚めたようだ。結界を張った為、外には聞こえていないだろう。
ミクラの体は軽かった、小さく柔らかい体の中に、固い骨張った感じもある。
「なっ、ななななっ、なんでわたしが、あんたの上に──⁉」
「お前が寝ぼけて俺の上に乗ってきたんだろうが、やっぱり一緒に寝たくなったのか?」
言葉遣いが変わっているぞ、そう指摘すると少女は「一人で生きていくには、男でいる方が安全だと思ったから」だと説明する。思ったよりも慎重な娘なのかもしれない、ひったくりをするのはどうかと思うが。
「一緒に寝るにしても、上に乗るのはやめてくれないか?」
すると少女は「べ、べつに一緒に寝たいわけじゃないし……」とか言いながら俺の毛布に潜り込んできた。
「寒いから」
そう言い訳して小さな体を寄り添わせる。
俺は邪霊を撃退したあと、少し警戒しながら目を閉じ、少女の小さな体をそっと抱いてやり──そのまま眠りに就いたのであった。




