マンアトゥラの町で引ったくりにあう
この一連の話は脱線気味なので、まあ……レギの過去から、子供への優しさの理由が分かるという展開と、魔導を志す者は己の利益、不利益といった事柄だけに囚われない存在なのだ、という部分を見せるのには必要だったり。
マンアトゥラの町に辿り着いたのは夕方を少し回ったくらいだった。町に入る時に門番に呼び止められ、戦士ギルドの階級印章を見せると、むすっとした表情をして二十エナス払えと言い出す。
この国の通行料は知らないが、かなりぼったくっているのだろう。だが俺は文句を口にする代わりに相手の兵士の目をじっと見て、それからにやっと笑って銅貨を支払った。
その代わり、少しおもしろい手品をしてやったのだ。
門番が腰かけていた椅子の横にはもう一つ椅子があり、その上に小さな皮袋が乗っていたのだが、手を伸ばして兵士に銅貨を握らせる代わりに、影を伸ばしてその皮袋を失敬した。
皮袋を奪われた事に気づかなかった兵士を尻目に、町の中へと入って行く。
町はあまり景気が良いとは言えなさそうだ。町行く人々の様子には活気がない。冒険者らしい連中の姿もそこそこ見かけるが、もうこの国を出て母国へ帰ろうとでも相談していそうな雰囲気だ。
戦士ギルドを見つけると、受付に五本の階級印章を差し出し、北の荒れ地に棲んでいた蜥蜴戦士から回収した物だと説明する。受付嬢は「お疲れ様でした」と一応の気遣いを見せて印章を回収した。
そしてエッジャの町が魔物に襲われて全滅した事を伝えた。シン国にも伝えるよう促すと、受付嬢はすぐに上司に報告すると言って、別の受付嬢に事の重大さを告げて報告に行かせたのである。
次に蛇竜獅子の毒牙を出して報酬を受け取ったが、たった銀貨一枚だと言う。報酬一覧を見せてもらうと、全体的に他の国の討伐報酬より低く設定されているように感じる。もちろんアントワ国の物価が低いのならそれでもいいのだが……
「この国だめかも」
ギルドを出た俺は一人つぶやく。
最初からこの国は通過するだけのつもりでいたからいいのだが、なんとなくこの国のギルドで昇級試験は受けたくないと考えた。
昇級試験料をぼったくられた上に、試験の内容も手抜きだったり、やる気のない教官とかが出てきそうだ。
昇級するだけならそれでもいいだろうが、多少は昇級試験の思い出もほしいところだ。──そう考えるとシン国内で試験を受けた方が良かったかもしれない。
「まあいいさ、試験は逃げやしないからな」
俺は道を歩いて宿屋を探しながら、靴紐を結び直すふりをして、影の中からくすねた皮袋を取り出し、その中身を見てみる。
「……はっ、たったの銅貨十八枚か」
まあ、取られた分は取り返している。
そのとき後方から小さな足音がして、なにかと思って振り返ろうとした瞬間、手にしていた皮袋を小さな子供にひったくられた。
(どろぼ──!)
などと心の中で叫びつつ、俺は魔眼である事を試していたのだ。それは一瞬でできたので、俺はその子供のあとをゆっくりと歩いて追いかける。
子供の方はちらりとこちらを振り返っていたが、歩いているこちらの姿を見て安心したのか、口元に笑みを浮かべていた。
身なりからしても、貧民の子供であるのは間違いない。離れた場所から見ていたこの町の市民らしい男が、「追わなくていいのか」と言うみたいに子供を指さしている。
俺はその男に頷いてやり、落ち着いて子供の追跡を開始する。どうせ町の外までは行かないだろう、捕まえるのは時間の問題でしかない、魔眼による注視が追跡しているのだ。
例え壁の後ろに隠れようと、建物の中に逃げ込もうとも、決して逃れられない。魔法でその追跡効果を打ち消さない限り、数時間は自由にはならないだろう。
「おや、もう立ち止まっているぞ」
その事前の動きから察すると、子供はドアを開けて建物の中に入ったようだ。
その建物は路地裏にある小さな建物であるらしい。その近くまで来ると、そこには廃墟みたいに朽ちた二階建ての一軒家があった。
俺はドアを叩いたりせず、いきなり開けて建物の中に入って行く。
「あっ」子供が声を上げる。
狭い部屋に子供が三人あつまっていた。
皮袋をひったくって行った子供が皮袋を開けて、中身を二人の子供に見せているところだったのだ。
「よぉ」
俺は剣の柄に手を乗せて子供に声をかける。
盗みを働いた子供は青ざめ、他の子供たちも壁際に逃げて震え出した。
「あ──、別に怒っちゃいないよ。とはいえ黙ってかっぱらわれたまま、というのも気に入らん」
俺は近くにあったぼろい木製の椅子を引くと、ドアの前に置いてそれに腰かける。
おそらくこの部屋から別の部屋に続く通路には、二階へと上がる階段もあるだろう。だが子供たちはそちらへ逃げるつもりはないようだ。
「ほら、銅貨を返せ」
そう言って手を伸ばすと、子供は大人しく皮袋に入ったままの硬貨を俺の手に乗せた。重さからいっても中身は変わっていない。
「何故ひったくりを? 親はどうしている?」
汚れた顔の三人の子供たち、その様子を見れば答えは明らかだろうが──尋ねてみた。
「いないよ、ぼくらに親なんて」
その声はどうやら女の子のようだ。ひったくりをした子供は男物の服を着ていたが、それは少女であり、ここに居る子供は男の子が一人、女の子が二人の計三人。
「死んだのか」
「ぼくのはね、二人は捨てられた」
なるほどと俺は頷き、この町には孤児院はないのかと尋ねる。
「ないよ、あってもそんな場所、いかないさ」
男言葉を使う気の強そうな女の子は言う。
「それは君には結構だが、ひったくられる側としては、大人しく孤児院に入っていてほしいところだろうな」
俺は冷ややかにそう言って、自分の懐に入れている革財布から銀貨を三枚取り出すと、小さな皮袋と一緒に子供に差し出した。
「え……」
「いらないのか? いらないなら別に構わないが」
手を引っ込めようとすると、男みたいな女の子が「いる!」と言って、ひったくるみたいに俺の手から皮袋と銀貨を奪い取る。
「なんでお金をくれるの?」
壁際に逃げていた女の子がそう言いながら、ひったくりの子供に近づいて行く。
「さあな、自分で考えろ」
ま、考えたところで正解などない訳だが。
「ところでこの建物は、お前らのうちの誰かの家なのか?」
「ううん、ただの空き家。ぼくは別の場所からこの町に来たんだ」
ほか二人の子供は兄妹で、この町に母親と来たのだが、母親は行方をくらましてしまったらしい。
男みたいな女の子も「なんでお金をくれるのかわからない」と口にする。
「それについてはどうでもいい、それよりもお前らはこれからどうするつもりだ。このままひったくりで生きていくつもりか? そんなの町ですぐに評判になって、衛兵に捕まるに決まっている」
「わかってるよ! そんなの!」少女は大きな声を出す。
まあその現実を言われたって、子供の彼女らにはどうする事もできないのだ。
「は、気合いだけは充分だな。冒険者として生きていく方がいいんじゃないか」
「あんたは冒険者なのか?」
見ての通りだと態度で示したが、少女は首を横に振る。
「冒険者は盗っ人に金を恵んだりしない」
「なるほど、確かにそうかもしれん」
俺はなんとなく、この三人の子供たちにお節介を焼く事にした。
「俺はレギ。お前たちの名前は?」
すると男言葉を使う少女は「ミクラ」と名乗った。歳は十二歳だという。
男の子は「アレル」その妹の名前は「シオーナ」だと言った。この二人は十歳と九歳らしい。
「この町でなにか職を探した方がいいだろうな、年齢が年齢だけに難しいだろうが、戦士ギルドの雑用でも鍛冶屋の手伝いでも、なにかあるだろう」
俺がそう言うと、彼女らは「うん……」と下を向く。子供ながらにひったくりが犯罪だと理解しているのだろう、このままではいけないとは思っていたのだ。
しかしこうした問題とは、その領地の管理者である者がなんらかの対策を用意すべきであって、子供たちの努力や行動でどうにかなる問題ではないだろう。
「というか、なんで関係ない三人が連れ立っている? 兄妹の二人は分かるが、ミクラは一人でこの町に来たんだろ?」
他の町でひったくりをやって逃げてきたのか? そう聞くと少女は「うん……」と力なく答える。どうやらマンアトゥラの北西に位置する別の町から、荷車に乗ってやって来たらしい。以前の町で面が割れてしまい、ひったくりができなくなって町を出たのだ。
こちらの町に来たばかりで、空き家を捜し当てて入ったところ、そこでこの二人の兄妹に出会ったらしい。責任感の強いミクラは兄妹の分も金を手に入れ、食料を確保しようとしていた。
「う──ん」
彼女らに金を与えて、あとは自力でなんとかしろ、という事もできるし、別に彼女らになにかしてやる義理もないのだが、このまま放置するのもいかがなものか。俺はこの三人に同情する気持ちもあるし、なんとかしてやりたいとも思う。
「まずは……宿屋を確保しよう。それから服を買った方がいいな」
俺はそう言うと立ち上がり、三人を引き連れて宿屋を探しに大通りに向かうよう言った。
「服?」
「安心しろ、その分の金も出してやるから」
金なら重さで潰れるほどの宝物を持っているのだ、子供三人を養う事も不可能ではないが、そこまでしてやる義理はさすがにない。せめてこの町に居る間に、最低限の用意だけはしてやろうと考えた。
「なんでわたしたちに優しくしてくれるの?」
シオーナがまた尋ねる。
「それは……よくわからん」
行くぞと声をかけ、ドアを開けると三人は恐る恐るついて来た。
大通りに着くとすぐに二軒の宿屋があるのを見つけた。どちらでも大した違いはなさそうだ。適当に選んだ宿屋に入ると、寝台が二台ある部屋を二部屋かりる事にし、二階へと上がって行く。
「子供用の下着や服を置いてないか?」
優しそうな女将に話すと、裏手にある仕立て屋は自分の家族がやっている店だと紹介する。
「よし、そこから三人に衣服と下着を用意してくれ、下着を四枚、上着やズボン、スカートなども二つずつ頼む」
俺はそう言いながら女将に金貨を一枚手渡す。
女将は驚いた声をもらし「子供たちを店に連れて行ってもいいですか?」と言って、三人を見る。
「ああ、よろしく頼む」
呆然としている少年少女を女将が裏手のドアから連れて行き、三人の子供と共に消えた。
俺は二階の部屋に向かうと、そこに荷物を置いて椅子に腰かける。
なぜ子供たちに優しくするのか? それについて改めて考えると、自分の生まれ故郷での体験がそうさせるのだと思われた。
自分は寂れた領地を治める領主の子供だったが、それほど大した不自由はなく生活していただろう。──だが俺の周りの子供たちはそうではなかった、多くの子供が着る物にも困るような生活水準をしていたのだ。
そんな子供たちと馴染めず、浮いていた幼少期を過ごしていた俺には、友人と呼べる者が少ないのは当たり前だった。身分を気にした事のない子供だったとしても、身なりからして違うのである。どうしたってその違いを意識せざるを得ない。
その思いは国の中心都市──都会──に行った時にまざまざと感じたものだ。
自分がエインシュナーク魔導技術学校の学生になった時。──そうした「格差」をはっきりと理解し、自分たちの育った田舎での十数年というものが、世界のほんの一部に過ぎないのだと理解した瞬間の衝撃。
そうした経験から、子供の頃から変えようのない問題──環境──について、本来はどうあるべきかと考え始めたのだ。
同じ国の中でも格差があるというのは、実は弊害の方が多いのではないだろうか。生まれが原因でそれぞれの子供に一定の機会が与えられないとなれば、その中に置き去りにされた子供の中に居る、潜在的な努力家や勤勉な者を腐らせてしまう。
そうした子供が大人になって、国や領地に貢献する人材になるかもしれないのにである。
「せめてそうした機会に巡り会う可能性は誰にでも与えられるべきだ」
俺は常々そう思ってきたのである。
幸い金は余っている。
魔神ラウヴァレアシュからもらった古代の金貨に、宝石の付いた指輪、宝石がたくさん填められた黄金の首飾り──こうした物を売れば、俺一人が生きていく分には、充分な金が手に入るだろう。
「ぶっちゃけ、うちの故郷にある金の総量より多いんじゃないか?」
土地や物を含めない「お金」だけなら、充分あり得る事に思える。親友のクーゼは商家だが、金回りが良いとは言えない。エブラハ領の中では領主の次に金を持っていた──あるいは領主よりも金を蓄えていた──だろうが。
いずれにしても「子供の為に」とかいったお題目があるのではなく、俺個人の生き方。冷徹なまでの理性的判断で得た、「こうあるべき」という答えに導かれておこなう行為なのである。
不利益だとか、無意味だとか、そういう理屈を越えた場所で展開される「知性」と「理念」の問題だ。
「正しさ」とはいつだって利己的なものだが、「自己的理想」を他人にも求めるという、新たな価値基準を反映した行動なのだ。




