レファルタ教会での失笑
次に捜したのは孤児院だ。この街に無かったら、宿屋にでも泊めてから別の街で捜せばいいや、くらいの気持ちでいたが、──孤児院はちゃんと存在していた。
そこは「レファルタ教教会」が孤児院を兼ねている所で、敷地はそれなりに広いが──だいぶくたびれた感じのする、石造りの建物が建っていた。
選りに選ってレファルタ教かと心の中で嘆息する。この宗教は各地に大勢信者が居るが、所によってはあまりに熱心な信者が、他の宗教や信仰対象を排撃する事でも知られていた。──魔神に対しては敢えて言うまでもないだろう。
敷地内に入ると建物の陰から子供たちの声が聞こえる、どうやら表で遊んでいるようだ。そちらに少女と共に向かいながら、しまったと思った、少女の名前を聞いていなかった。
顔を近づけ小声で君の名前は? と尋ねながら俺はレギだと名乗っておく。少女も失念していた事に気づき、耳打ちすると小さな声で「イエナ」と告げる。
子供たちの前に姿を現すと五人ほど居た少年や少女が、こちらを見て固まった、来客が珍しい為だろうか。彼らは、わっ声を上げて俺たちから離れて行き、修道服に身を包んだ若い女の陰に隠れてしまった。
「こらこらどうしたの」
その修道女は白いシーツを物干し竿に取り付けながら、こちらを振り向いた。眼鏡を掛けた平凡な顔立ちの女は俺の方に向き直ると、ぺこりと頭を下げて「何かご用でしょうか」と警戒心を露にしつつ、そう言った。
修道女と教会の中で話す事にし、少年少女にイエナと共に庭で遊ぶよう言いつける修道女。彼女は子供たちに慕われているのが見て取れた。俺たちは互いに名乗ると、教会に置かれた長椅子に腰掛け用件を話す事になったのだ。
「あの娘を孤児院で預かって欲しいのだが」
俺の娘ではないのだがと断りを入れ、少女の大体の素性について話しておく。彼女は少女に同情しているようだったが、預かる事は難しい状況だと口にした。
「この教会には神父様が居らしたのですが、二週間ほど前の夜に噂の魔物に殺害されてしまったのです」
そのため教会の資金繰りは悪化しそうなのだと言う。……いや、待ってくれ。噂の魔物とはなんだと尋ねると、彼女は沈痛な面持ちになる。
「数ヶ月前から夜になると人が襲われるようになりました。とても残忍なその犯人は、人に紛れている魔物だという噂が広まり始めました。街の外からの侵入を真っ先に疑った衛兵の皆さんが、夜を徹して警戒に当たられたのに、侵入者は無く殺人が起きたのです」
何故それが魔物だと分かるのかと問うと、一人の男がその魔物に襲われてわずかながら生き残り、その時に男が話した言葉が「人間だと思っていた相手が、急激に灰色の皮膚を持つ化け物に変わり、そいつに襲われた」といった言葉を残して絶命したそうだ。
相手が男か女かどうかも分からなかったという。
その殺人は主に歓楽街で多発している。神父も夜の歓楽街を警戒をする手伝いをしていた最中に襲われたらしい、死体は腹を引き裂かれて内臓の一部が無くなっていた。
その話を聞くと──どうもその犯人だという魔物は、ガーフィドだと思われる。しかし、日の光が苦手なはずのガーフィドが、人間に化けて生活しているなど聞いた事がない。
それとも昼間は暗い場所に隠れて息を潜めているのだろうか、内臓を喰う灰色で人型の魔物だと、ガーフィド以外に心当たりはない。
俺も、この世界すべての魔物について知っている訳ではないが。……どちらにしても相当賢く、警戒心が強い奴なのだろう。繰り返し殺人を犯しておきながら、尻尾すら掴ませていないのだから。
その「噂の魔物」の正体も気になるが、どうやら夜の歓楽街を歩く時は注意が必要になりそうだ。今日は歓楽街で好みの娼婦を見つけて一夜のお愉しみを、と考えていたのに、まさか連続殺人が起きているとは……まあ、ガーフィド(「夜に徘徊する者」と呼ばれる邪神の手先、あるいは邪教徒の成れの果てなどと言われている、薄気味悪い不死者に似た見た目の化け物)程度なら問題はない。
俺はこほんと咳払いすると、神父の死を慰める言葉を口にし(何と言ったかもう忘れた)修道女に切り出した。
「なるほど、この教会の状況は分かりました。では俺からいくらかの寄付をさせてください。それでイエナを保護していただけないでしょうか」
「まあ、そんな。申し訳ないですわ。私はそのようなつもりで、イエナちゃんをお預かりできないと申したわけではありませんのよ」
「いえ、お気になさらず。実はこの前ちょっとした商売が上手くいきましてね、纏まった金を手に入れられたのは良かったのですが、ご覧の通り各地を旅して回る冒険者の身、重い荷物は少し遠慮したいところなのですよ」
冒険者が商売と口にするのも躊躇われたが、今はそんな事はどうでも良かった。イエナを売春宿から解放したついでに、少女から俺を解放するのに金が掛かると言うだけの話だ。元々魔神から手に入れた泡銭。半分失っても痛くも痒くもない。
俺は荷袋から銀貨のたっぷりと入った皮袋を取り出した。成人女性一人と子供六人程なら、節約すれば一年はこれだけで過ごせるだろう。
「どうぞ、お納めください」
そう言って見ただけで重い中身だと分かる皮袋を、修道女の前に差し出した。彼女は驚きながら、その皮袋の口を縛っている革紐を解いて中身を確認する。
「銀貨ではありませんか! こんなに沢山の!」
修道女は驚いた表情の後に大きな声を上げる。銅貨だとばかり思っていたようだ、俺は努めて、こんなものは大した事ではない。とでも言うみたいな表情をして、彼女の動揺を鎮める。
しばらく修道女と話し合い、彼女はイエナやその他の子供たちの為に、なるべく早く外部の教会に応援を寄越して貰えるよう取り計らう事を約束し、俺は教会を立ち去る。
「これほどの寄付を頂けるなんて……あなたに秩序と法の神レスターの加護のあらんことを……」
と祈られてしまい、俺は失笑を堪えるのに精一杯になった。まさか寄付した金の出所が、魔神の一柱からの贈り物だとは思いも寄らないだろう。そして魔神ラウヴァレアシュも、選りに選って与えた財宝の一部が、敵対する神の信者たちに対するお布施になるとは考えもしまい。──こんな事が知られたら俺は、神からも魔神からも敵意を向けられるのではないかと一抹の不安を抱く。
この寂れた教会に、神が目を向けているとは思えないが──長居するものでもない。俺は教会を出ると少女イエナに別れの挨拶をしに行く。
「どこかいっちゃうの?」
「ああ、明日には馬車で別の街に向かう予定だ。君とはここでお別れだな」
しゃがんでいた俺にイエナは抱き着いてくると耳元で「ありがとう」と礼を言ってきた。
彼女の小さな体をそっと抱き、少女の背中を軽く叩いてやると、少女に別れの言葉を告げて教会を後にした。