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悪意の伏在

 最初に見かけたのは2週間前のことだった。朝食を取り終えて立ち上がった時、ふと窓の外を見ると家の前の道を5人程の男女の一団が走っていった。その日は特段気にも留めず、出勤する頃には彼らのことなどすっかり忘れていた。

 次の日、リビングのカーテンを開けたときに走る一団のことを思い出した。なんとなく彼らのことが気になった私は朝食を早めに済ませ、コーヒーを飲みながら窓の外を眺めて待った。

 彼らは今日も走ってくるのだろうか。それとも昨日はたまたまこの家の前を通過しただけだったのだろうか。そもそも何の集まりだったのだろう。早朝ランニングの会か何かだろうか。時間の経過とともに彼らに対する興味は膨れ上がっていった。

 私の期待を裏切ることなく彼らは走ってきた。昨日と同じ時間だ。家の前を通過する間の短い時間ではあったがある程度観察できた。

 男が3人、女が2人。年齢層はまばらで、その中でも目を惹いたのは私と同じ40代くらいの男。気になったのは彼の服装だった。スーツ姿で走っていたのである。私もいわゆるサラリーマンだが、出勤前にランニングをするとしてもスーツ姿で走ろうなどとはとても思わない。

 彼らは運動目的で走っているのではないのだろうか。だとすると、こんな朝早くからどこへ? 開店数時間前から並ばないとありつけないような人気商品を売る店でもできたのだろうか。しかしあったとしても一丸となって走って行く理由はなんだろう。

 家を出てからもいろいろ考えてみたが納得のいく答えは見つからず、出勤してからも時折彼らのことが頭をよぎり、そのたびに仕事の手を止めて思案に耽ってしまうのだった。どういうわけか、彼らのことを考え出すと止まらなくなる。気になって仕方がない。そこまで興味を惹かれるようなことじゃないだろうと自分を戒めてみても、気が付くとまた彼らのことを考えている自分がいる。

 これはよくない。私は努めて彼らのことを忘れることにした。人様のことを詮索するのはよくないと自分に言い聞かせ、次の日からは朝食後に窓の外を見ることもなくなった。仕事が忙しくなったことも幸いしたのか、3日経つ頃には彼らの事を思い出すことはなくなっていた。


 しかし今日、また彼らを見てしまったのである。

 完全に忘れたことが逆にまずかった。朝、換気をしようと窓を開けたときに心地よい風が吹いたので、そのまましばらく窓辺で外を眺めていたのだ。彼らがやってくる時間だというのに。

 彼らの姿が視界に入った時、私は自分のうかつさを呪った。せっかく忘れる事が出来たのに。また彼らのことで頭を悩ませる日々が続くのかと。

 だが後悔の念は瞬く間に消え失せ、驚愕と疑問とが私の頭の中を満たした。

 

 増えているのである。

 

 確か彼らは5人だったはずだ。男3人に女2人。それが今日は8人になっていた。前に見た時にスーツ姿で走っていた彼(今日は運動に適した軽装だった)がいたから、恐らく違う集団ということはないだろう。

メンバーが増えるということは勧誘なり募集なりをしているということだし、正体不明の集団にこの2週間で3人もメンバーが加入するとは思えないから、やはり彼らが走るのには何か明確な目的があるのだ。


 前にも増して彼らの事が頭から離れなくなった。一応出勤はしたものの、仕事は全く手につかなかった。会社にいても仕方がない。体調不良を訴えて会社を早退し、大事を取って翌日も休む旨を伝えた。明日直接彼らに聞こう。何が目的で走っているのか、一体どこが目的地なのか。

 一睡もできぬまま朝を迎えた。寝不足はつらいがそれももう少しの我慢だ。あと10分程で彼らがこの家の前を通過する時間になる。そしたら彼らに一体何の集まりなのかをたずねて、疑問を氷解させた後安心して寝床につこう。

 秋風に身を晒しながら玄関先で佇む私の耳に、多人数の足音が聞こえてきた。彼らだ! 私が道に飛び出すと彼らはすぐそこまで来ていた。できるだけ大声を出して引き留めようとした。だが、彼らは少しもペースを緩めることなく、私の横を通り過ぎて行ってしまった。

 私は唖然として、しばらくその場に立ち尽くした。彼らには私の声が聞こえなかったのだろうか。そんなはずはない。道の真ん中に立って、大声を張り上げている人間に気づかないなどありえない。しかし彼らは一瞥もくれず、私を避けるようにして行ってしまった。立ち止まる余裕などないということだろうか。そんな余裕のない状態で、いったいどこへ・・・?

 追いかけるという考えが浮かんだ時には、もう彼らの姿は見えなくなっていた。


 次の日、病院に行ってから出勤する旨を会社に伝えて遅刻の許可を貰った。当然病院になど行くつもりはない。私の病を癒すのは病院ではなく彼らなのだ。用が終わったらすぐに出勤できるよう、私はスーツを着て彼らを待った。

 定刻になって彼らが現れた。昨日と同じように道に躍り出て彼らを引き留めようと叫ぶ。しかし彼らも昨日と同様、私を無視して通り過ぎた。当然これでは終われない。すぐに振り返って彼らの後を追いかけた。彼らが何も答えてくれない以上、これが彼らの目的と目的地を知るための一番の方法だった。

 しかし私は40半ばのサラリーマン。そのうえ、大学を出てからはまともに運動をしたことがない。彼らを追いかけて10分と経たないうちに体力が限界を迎え、その場に座り込んでしまった。遠ざかる彼らにもう一度声をかけようとするも、声すら出ない有様だった。


 土日は私の仕事は休みだが、同様に彼らも活動しないらしい。ネットや町内会の掲示板などに彼らのメンバー募集の広告が出てはしないかと探してみたが、どこにも見当たらなかった。

 月曜、また会社に無理を言って遅刻の許可を貰った。今度は自転車で彼らを追いかけることにした。これなら体力の心配もいらない。そう考えていた私が甘かった。途中で急こう配の登り坂に差し掛かり、かえって自転車はペースダウンの要因になった。坂道を登り切った時には彼らとは大きく距離をあけられ、体力も尽きてしまった。

 火曜、適当な言い訳で会社を休んだ。昨日リタイアした坂道の上まで先回りして彼らを待った。なんだかズルい気がしたがこれ以上会社を休むことはできない。

 律儀に彼らはやってきた。私は自転車で後に続いた。しばらくは容易についていくことができたのだが、驚くほど狭い路地を通りだした。人一人通るのがやっとで、自転車ではハンドルやペダルがつっかえてしまい、結局断念せざるをえなかった。

 水曜、会社に休む旨を連絡すると電話越しに怒鳴られた。寝不足と彼らのことで気が立っていた私は怒鳴り返し、そのまま退職を申し出た。

 取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。いや、これで彼らを追いかけることに専念できる。そう思うと少し気持ちが楽になった。自転車を使うのもやめてしまおう。以前から運動不足を改善したかったし、今日からは初心に戻って家の前から走って彼らを追いかけよう。

 その日、彼らの後について走ったが相変わらず10分ともたなかった。私はその場で少し休憩した後、もう一度走り出した。彼らの姿はとっくに見えなくなっていたがそれでも走った。今まで仕事に捧げていた時間を体力づくりに充てて、1日でも早く彼らの目的地に到達したかった。


 1週間が経った。運動の成果か、体が軽くなった気がする。少しではあるが彼らにも以前より長い距離ついていけるようになった。

 私はいつも彼らの一団の最後尾を走ることになるのだが、その日、私の後ろに新顔が加わった。二十歳そこそこのまだ若い男だった。

 彼は「私達」の目的地を知っているのだろうか。

 

 私はまだ、目的地を知らない。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 先が気になるような物語の展開で、結末を期待して読み進めました。起承転結が出来ていて、なるほどと思わされる文章でした。 [気になる点] 登場人物と他人が会話をしている描写がありながら、実際の…
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