筋肉少女がフフンと笑うよ
時刻は夜。三日月が昇っている。
俺たちは今、ドワーフの町に来ている。
ドワーフの町は、石造りの家が並んでいる。家の壁は白く、屋根は三角錐の形になっている。例えるなら、イタリア南部の、アルベロベッロのトゥルッリのような街並みだ。おとぎ話に出て来るような、素敵な町だ。
大きな通りの街路には魔光石の街灯が一定間隔で立っており、夜でも歩くことに困らない程度には明るい。酒場で深夜まで飲んでから家に帰ることも難しくないだろう。さすがドワーフの町だ。
一方で、裏通りや小さな通りには街灯が立っていないので、非常に暗い。何とか歩くことは出来るが、かなり近くまで接近しないと人の顔を確認できない。
必然的に、ジジは、裏通りや地元の人しか知らないような小道を通ることになる。時々、人とすれ違うが、ジジが手に持っている酒瓶を確認すると、通行人は直ぐにジジから興味をなくす。
顔は見えずとも、手に持つ酒瓶は確認できるドワーフは、やはりイメージ通りのドワーフなのだと安心する。
ドワーフの夜の町で忍ぶには、このように酔っ払いに扮するのが最適だろう。
すれ違う人は、酔っ払いなのだから。
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目的地の近くまで来るのは簡単だった。
だが、目的地の家に侵入するのは難しそうだ。
その家は周囲の家と比べると、五倍くらいの大きさがある。他の家は民家なのにこの家だけお屋敷といった雰囲気で、浮いている感じがする。
家には門があり、門番の男が二人、槍を持って立っている。
そして、腰に剣を携えた男が二人、睨みながら家の周りを歩いている。恐らく巡回だろう。
なんというか……
怪しいな。
他の家では門番は見かけなかった。
この家だけ、警備が厳しすぎる。
金持ちだから泥棒に入られないようにセキュリティを高めているという理由は考えられるが、誰かに狙われるような疾しいことをやっていると宣言しているように、俺には見えるのだが……
『正面から入るのは難しそうだな』
門番を倒したとしても、他の警備の人員がやってくる可能性が高そうだ。
「この家の屋根、大きいね」
確かに、大きな屋根だ。それに頑丈そうだ。
屋根から侵入するのか。悪くはないが……
『どうやって屋根に登るんだ?』
周りの家から距離がある。それに、登るのにもたつくと警備に見つかる。
「跳ぶわ」
ジジが事もなげに言った。
『≪ 炎装・靴 ≫か。着地音と炎の光さえどうにかできれば、何とかなるかもな』
ジジが炎装・靴でジャンプすれば、屋根の上にいけるだろう。
だが夜は、音が響く。警備に気づかれる可能性は高い。
それに炎は目立つ。家に炎が迫れば、騒ぎになるだろう。
「注意を逸らすわ。別の騒ぎを起こしてね」
ニヤリと悪そうな笑みを浮かべるジジ。
ジジの手には、酒瓶が二本握られている。
一本は酒が入っているが、もう一本は……
『ゴブリンの血か。それを、どうするんだ?』
ゴブリンを解体した際、ジジはその血を瓶に溜めていた。理由を尋ねても、フフンと笑うばかりで何も答えなかったのだが、それを今、使うのか。
そして、今度もフフンと悪戯っぽく笑うジジ。やっぱり答える気はないのか。
何をするつもりだろう。
ジジは二本の瓶の蓋を取る。
道の真ん中にゴブリンの血と酒をチョロチョロと垂らしながら、ゆっくりと歩き出す。
この家の近くは、人通りが少ない。警備の人がいるぐらいだ。だから家の周囲を歩かなければ、警備の人に気づかれることはないだろう。
それから20分程、瓶の中身をゆっくりと垂らしながら、ジジは歩いた。
「そろそろいいわね」
首を左右に振り、ジジは周囲の様子を伺う。
『そろそろ説明して欲しいのだが……』
フフンと笑うジジ。またこの表情か。
「燃やすのよ」
『燃やす?』
ゴブリンの血と酒を燃やすと、どうなるんだ。
「ゴブリンの血と酒を混ぜたものを燃やすとね――臭いのよ」
ドヤ顔だ。
お手本のようなドヤ顔だ。
『陽動としては、いい手なんじゃないか?』
どれぐらい臭いのかは分からないが、警備の人の注意を引き付けることはできるだろう。
だが――
『民家が燃えるのは、いただけないな』
中で寝ている人もいるだろう。寝ていなかったとしても、逃げ遅れる人もいるだろう。誰も家の中にいなかったとしても、財産が焼ける。ジジにそんなことをやらせる訳にはいかない。
「ドワーフの職人を舐めてもらっちゃ困るわ。火事になるような柔な家なんて建てないわよ」
ドワーフ凄すぎだろ。
俺の実家もドワーフに劇●ビフォーア●ターして欲しい。
と、冗談はさておき。
家に押し入ると決めた時から、ジジは作戦を立てていたんだろうな。
『なら、もう何も言わない。ジジ――状況開始だ』
コクンと頷いたジジは、再度、周囲に誰もいないことを確認する。
「≪ 炎装・靴 ≫」
ジジの踝から下が、真っ赤な炎に纏われる。
「着火」
この真っ赤な炎は、不思議な性質をしている。
燃やす意志がなければ、燃えない炎なのだ。
ボッ
その炎が、ゴブリンの血と酒が混ざった液体に引火する。
タンッ
ジジは跳び上がる。
スタッ
ジジは民家の屋根に着地した。
ジジが潜入しようとしている家はかなり大きいので、跳び乗ろうと思うとかなり力を込めてジャンプしなければならない。だからその分、大きな音が鳴るだろう。だが普通の民家だと、今のジジにとっては無理のないジャンプで跳び乗れるので、音を殺しながら着地する余裕があった。
「解除」
ジジは炎装・靴を解いた。
息をひそめ、様子を伺う。
ビュウ
風が吹いた。
それに伴い、夜の静寂とは不釣合いな、プーンともツーンとも言えない、苦いような酸っぱいような酷い匂いが鼻腔を刺激してきた。鼻腔ないけど。
この腕輪、嗅覚まであるのか。
鼻を塞ぎたいのに、鼻がないので塞ぎようがない。
臭い。臭すぎる。
ふと下を見る。
小さく細長い真っ赤な炎が、道の真ん中でメラメラと揺れていた。
その炎は道に沿って、長く長く続いていく。
まるで細長い炎の通路のようだ。
美しい光景だ。
臭いさえ酷くなければね。
ん?
「なんだこの酷い臭いは」
「くっせー。何? 何?」
「道が燃えている!? 大丈夫なの!?」
人のざわめきが聞こえてきた。