「赤」の書・第1話 二つの願望
『五聖神』第9話。サユの学校の同級生は政治家の娘でありながらファッションデザイナーを目指すレイラがいた。しかしレイラは親にデザイン画を破かれてしまい、とんでもないことを口走ってしまう。
南大陸の最北端国、ロプスにあるジャングルシティの一つ、ランゴ。ランゴは「巨人のゆりかご」と呼ばれる大木、バン・ダルーイの林で、住民はバン・ダルーイの空洞を家にしている。
そして今日は熟れた実の収穫である。
バン・ダルーイは大きな三日月形の葉で日光を遮っており、重ねた葉々の隙間から日光の木漏れ日が地面を照らしている。
町の住人は地域の人間全員でバン・ダルーイの熟れた実をもいでいる。
バン・ダルーイの実は人間の赤ん坊の頭ほどの大きさで、ピスタチオのような形をしているがつるりとしていて赤く、外側はヤシの実のような堅さであるが中身は桃のような柔らかさである。実は薬のように苦く食用どころか薬用にも向いていないが、油っ気が多いので乗り物の燃料に向いている。
実を大地に植えると、大木になるまでに三〇、四〇年かかるが、生存力は強くどんな土地にでも根をつけ、若木でも風雨に強い特性を持つ。
サユもツドイ家の人たちと共にツドイ家に生った五つのバン・ダルーイを集めていた。集めたバン・ダルーイは荒れ地や砂地を森林化させるために出荷される。
ロプスは南国で一七度以下の気温になったり、雪が降ることはない。ただ、乾季と雨季の二つに分かれていて今は乾季の始まりで暑くてムシムシしている。
サユの通うランゴ中等学校は木のない土地に白い石造りの建物を建てた学校である。生徒達は襟と袖口がモスグリーンのカーキのシャツと赤いネクタイ、男子はモスグリーンの半ズボン、女子はモスグリーンのひだスカートの制服を着ている。サユは現在中等五年生。教室は長椅子と長机に五人が座って授業を受けるという具合である。
昼休みの学校の庭園の花壇、サユは花に水をやっていた。長い茶髪、浅黒い肌、黒い目にすらりとした背丈と手足、学校のブリキのじょうろで白や赤のくす玉のようなスカビオサや三弁一組の赤紫が寄せ集まったディサや紫の粒が集まったラベンダーの花に水をやっていた。花壇の水やりは学級の花係の仕事である。学校には遮る木が少ないので、太陽が人間や地を照りつけて乾かす。サユの体も汗がほんのり出ている。花壇の土がほぼ水に浸ると、水やりを終わらせた。
「こう暑いんじゃ、花が枯れたりしないかしら」
サユは花を見て呟く。空っぽになったじょうろを外の用具入れに戻そうと行く途中、学校の敷地内にある外の憩い場で一人の少女が堅木のベンチに座っているのを見かけた。外の憩い場はL字型の屋根にテーブル一つとベンチ二つが一組で三つある。そのLを右回しにしたテーブルのところで、その子はいた。
(あっ、あの子、同じクラスのレイラちゃんだ。いつも一人でいるから話したことないから、話してみよう)
長い赤混じりの髪に南方人種にしては少し白い肌で細身に背はサユより少し低め、優しオウな顔立ちはレイラ・ロッカだとサユは気づいた。サユはレイラが驚かないようにレイラの脇に来た。
「レイラちゃん」
サユが呼びかけたので、レイラはサユのいる方向に目を向けた。
「サ……サユちゃん……」
レイラは震える声でサユに言った。高いかか細い声である。
「こんなところで何をしてて……」
サユはテーブルの上に置いてあるA4大のスケッチブックに目をやった。スケッチブックにはドレスの絵が描かれており、ワンショルダーと二段スカートの水色のドレスだということがわかる。スケッチブックの他には筒型容器の三十六色色鉛筆と消しゴムなどの筆記用具。
「レイラちゃん、これは何? 上手いねー」
サユが褒めると、レイラはしどろもどろに答える。
「ウ……ウェディングドレスのデザイン画……。そんなに上手くない……」
「ううん、上手いよ。凄いなぁ。他にもあるんでしょう? 見せて見せて」
「そんなに言うのなら……」
レイラはサユにスケッチブックを渡す。サユはスケッチブックをめくり、ピンクやレモンイエロー、ラベンダーやミントグリーンや銀色のウェディングドレスのデザイン画を見た。パフスリーブだったり長袖だったり肩出しだったりフレアスリーブだったり、下には絹やメリンス等の素材が表記されている。
「かわいー❤ レイラちゃんにこんな特技があったんだねぇ」
「う……うん……」
レイラはふさぎこんだ。それからブツブツ言いだした。
「私の家、医者や教師や弁護士や学者の家系なんだけど……私はそんな仕事よりもウェディングドレスのデザイナーになりたいの……。でも両親は許してくれないし……、家の後継ぎは私しかいなくて、成績悪いと怒るし……」
「レイラちゃん?」
サユは普段見せないレイラの姿を見て、不思議に思った。レイラは学年でいつも七番以内に入っている優等生で性格も控えめで敬まれているのだが、去年から成績が下がり気味になっていて、そのせいか少し暗い雰囲気である。
その時、昼休み終了の鐘が鳴って、サユはレイラに言った。
「レイラちゃん、ほら。教室に戻ろう、ね……」
レイラはスケッチブックと道具を持って立ち上がり、サユと共に校舎の中に入っていった。
昼休み後の授業は数学だった。先週の小テストの結果が返ってきて、ある者はホッとしある者は肩を落としていた。サユの答案には「65」と書かれている。
(うーん、まあまあかな……)
サユは答案を見て口を結び、隣にいたイロナがサユの答案を覗き見していた。黒いおかっぱ髪に黒目に少し色白の少女、イロナ・ツドイは児童保護局の娘で美人でスタイル良し社交的だが、成績は中の下である。
「サユ、結構いい点じゃない。あたしなんか、五十五点だよ。平均が六十二点でしょ。小テストだったから追試はないけれど、定期だったら……」
「あの……テストの結果よりも普段の勉強や授業の方が……」
サユが言いかけたところで、数学のセイナン先生がレイラの名を呼んで、答案を渡したところで声が耳に入った。
「レイラ・ロッカ、六十三点。どうしたんだ、五年になってから成績下がりぎみじゃないか。何があったんだ」
黒い角刈りに浅黒い肌に険しい顔つきのセイナン先生がレイラに言った。
「まあ、今はまだ大丈夫な方だが、将来は親御さんと同じ職業に就くんだろう? 気をつけろよ」
「はい……」
レイラは席に戻る時、自分の答案を握りしめていた。その姿を見て、サユは彼女を気の毒に感じた。
(レイラちゃん……)
次の日、サユとイロナが学校に来ると一番後ろの席にいるレイラを見つけて、声をかけた。
「おはよー、レイラちゃん」
サユに声をかけられてレイラは体をびくつかせ、サユの顔を見た。
「お、おはよ……」
レイラは顔をひくつかせて挨拶をする。
「レイラ、サユから話聞いたんだけど、ウェディングドレスのデザイン描いているって? あたしにも見せてよ」
サユは昨日学校から帰る途中、イロナにレイラの特技を話し、イロナもレイラの描いたデザイン画を見たくなったのだ。
「え……。でも、あれは……」
「ちょっとでいいから。ね?」
「きょ、今日は見せられない。ごめんなさい……」
そう言うとレイラは顔を反らした。
(レイラちゃん、何があったの……?)
サユが疑問を感じていると、そのまま鐘が鳴って全員着席した。
そしてそのまま時間が過ぎてゆき、掃除の時間になった。サユの学校では班ごとに掃除場所が毎週変わる。サユとイロナは教室の掃除で、他の六人の生徒と掃除している。机や椅子を後ろに下げて床を磨いたり、ほこりをはいたり、前が終わると机を動かし次は後ろの掃除という具合に。サユとイロナが一番後ろの机を運んでいると、ばさりとスケッチブックが落ちた。赤い表紙のスケッチブック――レイラのものであった。
「あー。落ちちゃった」
サユがスケッチブックを拾うと、異様な薄さを感じた。
「……?」
サユがスケッチブックを開いて見ると、デザイン画がビリビリに破かれていた。
「!? どういうこと!? 何で破れていて……」
イロナがスケッチブックの中身を見て驚く。
「そんな……! 一体誰が……」
サユが呆然としていると、美術室の掃除に行っていたレイラが戻ってきた。
「サユちゃん……」
その声でサユとイロナが振り向いた。レイラは蒼い顔をしている。
「レイラちゃん、どういうこと……?」
サユがレイラに破れたスケッチブックを見せて尋ねてきた。
サユとイロナは外の憩い場でレイラの話を聞いた。話によるとレイラのデザイン画を破いたのは彼女の両親だった。レイラが四年の後半から成績が上がらなくなったようになり、昨日返ってきた小テストの点数が悪かったことで叱られ、そしてウェディングのデザイン画のことも知られ、「こんなものにとらわれているからだ」とレイラの前で破いたのだという。
「酷いよ。いくら家が厳しいからってこんなの……」
イロナはその話を聞いて顔をしかめた。
「それで今日はあんなに元気なくて……。かわいそうに」
サユはレイラに慰めの言葉をかけた。
「私勉強なんかより、デザイン画を描いて服を作りたいのに、お父さんもお母さんも赦してくれないんだもの……」
レイラは拳を丸めて、良からぬことを口走った。
「あんな両親……死んでしまえばいい……。私の夢を認めてくれない両親なんか……いなくなってしまえばいい……」
「死」という言葉を聞いて、サユはレイラに制した。
「だ……ダメっ……! 『死んでしまえばいい』なんて、そんなこと……ッ! デザイン画破かれたことや夢を許してくれないのはわかるけど、『死ね』なんて、絶対ダメ……!」
サユは幼くして父を亡くし、母は最近に殺された。そして「死」というものは残された生者にとって辛苦なものか知っている。しかしレイラはサユの言葉を聞くとかえって辛くなってしまい、ムキになって叫んだ。
「両親のいないサユちゃんに何て、私の気持ちなんかわかる訳ない! 私は学才も家を継ぐ意思もないのに無理やり好きでもない勉強をやらされて……。あんな冷たい親、いなくなっちゃえばいいんだ!」
そう言ってレイラは立ち上がって肩下げバッグを持って、泣きながら飛び出して行ってしまった。
「うわ~ん‼」
「レイラちゃん……」
サユは追いかけようとしたが、イロナが制した。
「そっとしておこうよ……。サユが『死ねなんて言うな』って言ったのもわかるけど……。これからどうするかはレイラが決めることだよ。サユも落ち着きな」
「う、うん」
「それにしてもサユ、あんたさっきの言い方、何かきついというか怖かったよ。レイラがつい口走ったとはいえ、あんたのちょっと異常だったよ?」
「そ、それは、その……」
サユは口ごもった。父親は病死だが、母親は非人道的な者――邪羅鬼という世界の善悪の均衡が乱れた時に生まれる生命体に殺され、しかも自身がその邪羅鬼を倒す存在だとは、イロナやその家族、知人友人には言えなかった。南大陸を守る五聖神の一体――朱雀によって選ばれたサユは人間を滅ぼそうとする邪羅鬼の人間殺しを止めるのと邪羅鬼退治が役目である。
そしてそのハゲワシの邪羅鬼がサユの母を殺した張本人で、サユは怒りと私怨に来るってしまうものの、邪羅鬼を倒しても母が戻らないことを悟り、憎しみを弱めた。危うくイロナに邪羅鬼のことをこぼしてしまいそうだった――。
(言えないよ、イロナやおじさんたちや他のみんなに邪羅鬼のことを話したり、お母さんの死因を語っても……)
「いくら両親が酷いとはいえ、いなくなったら困るのはレイラちゃんだよ。一人になった方が余程危ないのに……」
サユが言うとイロナも同感した。
「確かにね……。スパルタより虐待の方が酷いけどさぁ」
しかしサユはレイラの走っていった方向を見て感じた。
(でも私が今気にしているのは、レイラちゃんの今の気持よりも、これから何か悪いことが起きそうなする……)
聖神闘者になったからか、サユの悪感の察知は以前よりも増していた。しかし、邪羅鬼は転化帳の邪羅鬼レーダー機能で見つけられるのだが、今は無反応だった。
レイラは泣きながらバン・ダルーイ林を走っていた。
(サユちゃんにわかるもんか! あんな親がいる私の気持ちなんて……!)
レイラの住む地域は学校の真南側のバン・ダルーイ林で南隣国サマハドとの国境の近めである。今は夕方の四時であるが、バン・ダルーイの大きな葉で遮光されている。その一本のバン・ダルーイがレイラの家であった。レイラの父親は枢密顧問官で母親は義務教育生の評論家であった。道理で厳しい家庭である。
レイラが二階にある玄関を上って中に入ると、家は凪のように静まり返っている。
「ただいま……。……?」
この時間は父も母も帰宅しているのに、非常に静かだ。レイラが玄関と一つになっている今の灯りのランプをつけると、椅子が転がり父母が倒れているではないか!
「お父さん……、お母さん……!?」
触ってみると、温かさはあるものの呼吸もなく心臓も動いていない。
「死んでる……」
レイラは立ち上がると、気が違ったように笑い出した。
「は……はははは! 鬼親父と鬼母が亡くなったわ! 私の願いがかなったんだ! これで自由よ!」
レイラはこの後は甲高く笑い続けていた。しかし家の周りが異常に静寂なのに気付き、この時間帯は子供の声や怒鳴る大人の声が聞こえている筈なのに、犬や猫や鳥の鳴き声しか聞こえない。しかも不安そうに怯えたように鳴いている。
「……!?」
レイラは居間の窓が開いていることに今気づいた。しかも外から破られている。
「い、一体誰が……!?」
レイラは気になって外に飛び出した。そしてどの家も二階や三階の窓が外から破られているのだ。
「な……誰がこんな事を……」
その時、気配を感じた。後ろを振り向くと、そこに化け物が立っていた。背中に翼、頭部と手と足首が鳩のようで、しかも地味な灰色で腕脚と胴体が人間の女性と同じで、古代連極人が着るような衣をまとっている。鳩の邪羅鬼である。鳩の邪羅鬼はレイラを見ると、喉笛を鳴らしてニヤリと笑う。
「クルル……。まだ食べていない魂あった」
レイラは怖くなり、後ずさりした。
「ま、まさか、あなたが私の両親と町の人たちを……」
「クルゥ……。お前の両親の魂、欲にまみれていて不味い。でもお前は旨そう……」
そう言うなり邪羅鬼はレイラに襲いかかってきた。
「ひぃっ……いやぁー‼」
レイラが叫びを上げた時、天から火の玉が二つ急降下してきて邪羅鬼に当たったのだ。
「ピギャアー‼」
邪羅鬼はもだえ苦しみ、レイラの前に謎の人物が降り立っていた。頭部と背中に紅い翼、茶色の髪を古代紫のリボンで一つに束ね、上下に分かれた紅い衣、古代紫のインナーとレギンス、紅いグローブと靴、空色のスカーフと胸元に付け、右手に鳥の嘴を思わせる穂先のついた槍を持っている。
(誰……この人……)
レイラが呆然としていると、その人物は振り向く。前髪の二束が赤く染まり、黒い大きな瞳を持っている。それは邪羅鬼を察知し転化したサユであった。
「だ、大丈夫?」
サユはレイラに言った。
「ありがと……。あなたは……?」
「ここは私に任せて!」
サユは槍を持ち直し、邪羅鬼に穂先を向けた。
「おのれぇ、聖神闘者ぁ‼」
邪羅鬼はサユに向かって鳩の蹴爪手でサユをとっつかもうとしてきた。しかしサユは槍の石突きで邪羅鬼の腹を突き地面に叩きつけた。邪羅鬼は足の蹴爪をサユに向けて右腿を蹴った。サユはよろけ、起き上がった邪羅鬼はサユの首を掴み、空いた左手でサユの胸を貫こうとしたが、サユは足蹴と槍の持ち手で邪羅鬼を押し返した。
「熱烈刃」
サユは炎をまとった槍を振り上げて、邪羅鬼を斬りつけた。
「ぐわぁっ‼」
邪羅鬼はその場に倒れ、サユは火行を両手に込めて、両の親指と人差し指を合わせる。
「凶しき邪気よ、烈火の激しさに浄化され、体は無へと還れ。朱雀突破!!」
炎の朱雀がサユの手から出てきて、邪羅鬼の体を貫き燃やし、体は炭化して崩れ、そこから金色の光の玉粒、喰われた人たちの魂が元の体に戻っていった。
「これでここの人たちは助かったわ」
サユが様子を見て呟く。その時、レイラが起き上がって転化したサユに訊く。(レイラは自分を救ってくれたのがサユなんて思っていない)
「あの……私の両親も助かるの?」
「そうよ、後で息を吹き返して……邪羅鬼のことは忘れているけど助かったから」
サユはにっこり笑ってVサインをする。
「……私の両親、あのままで良かったのに。助ける必要なんて……」
「ダメよ、そんなこと言っちゃ」
サユがピシリと言った。
「そんなに服のデザイナーになりたかったら、勇気を持って両親に言うのよ。たとえ許してくれなくても、自分の力と意志で夢を貫くのよ!」
サユはウィンクし、そして翼を羽ばたかせてレイラの住む町を去っていった。
残されたレイラは転化したサユの言葉を繰り返し呟く。
「自分の力と意志……」
夕暮れ空を駆けながらサユはレイラが強くなってほしいと思っていた。
それから二日後の学校で、レイラはサユとイロナに新しく描いたデザイン画を見せた。薄オレンジの布地に赤いガーベラをつけたドレスである。
「ふわーっ、綺麗だねーっ」
イロナはデザイン画を見て褒める。
「お父さんとお母さんを説得したんだね、レイラちゃん」
サユがそう訊くとレイラは笑う。
「うん。お父さんもお母さんも『押し付け過ぎた』って考え直してくれて、ウェディングドレスのデザイナーになるのを許してくれたの!
今度ウェディングのコンクールに実際に作って出そうと思っているんだ」
「へーっ、凄いねー。そうだっ、モデルはあたしにやらせてよ! ねえっ、ねえっ!」
「イロナ~、衣服のコンクールにモデルはいらないんだよ」
サユがそう言うと、イロナは「えっ、そうなの?」と言い、三人はドッと笑いあった。
一まずレイラの夢はこれから大きくなっていく。