「黒」の書・第1話 超常現象チェイサー
『五聖神』第7話はリシェールの日常と邪羅鬼との戦いを描く。リシェールは普段はペルヴェド市内の基礎学校の7年生。リシェールと同じ学年の男子、エクシリオは超常現象研究会の部長を勤めていた。そんなエクシリオが邪羅鬼に狙われる。
プレゼオの冬は早い。節季はまだ十月の下旬だが、すでに空気は冷たく、吐息が白く浮かび、夕暮れが午後四時半という寒くももって厳しい。山間国はとてつもなく生活が大変だ。暖房器具を使ったり暖炉を使う家は電気代、薪代がかかり、水道の水も凍るように冷たく、年末年始の行事もあるため、ことごとく経済がかかる。
プレゼオの中枢部、ペルヴェド市のスラドフ通りは石畳の道と屋根付きの正方形の建物が何十軒も並び、美しい型の外灯が何十本も並ぶこの町で、リシェール・グラコウスは古本屋で棚一面に埋められた本の背タイトルを眺めていた。古本はどれもタイトルが破けていたり、日に焼けていたり、古臭い匂いがしていたが、リシェールは月に四、五回はこの本屋に足を運んで来ている。時折、読みたかった本や忘れられない本がここに入ってくることがあるのだ。
「あった、あった」
リシェールは二つの古い革装の本を棚から抜き出した。
「ハウヌンゼン童話の三巻目とブルガー童話集の上巻、欲しかったのよね~。もうちょっとだ、ベラニッチェ社の世界名作全集が揃うのは」
ベラニッチェ社の名作童話集――北大陸の南方国、ルディアーネの出版社から刊行されている名作童話全集で、リシェールはこの全集の挿絵が好きだった。初版本は一九七五年と作られたが、一九九〇年に復刻版が出たのだ。何年か前に親戚の家で見つけたものがどうしても欲しくなって、インターネットのオークションや大きな町の古書店に足を運んだりしたが、手に入らず。偶然夏休みにスラドフ通りを歩いていて、少し涼みに入ろうとした時に――この古本屋に置いてあったのだ。諦めかけていた時に見つかり、リシェールはその時の所持金で置いてあった全集を十冊買ったのだ。そして現在は一、二冊ずつ買っている。
リシェールは本を持つと、レジ台に行き、本屋の店主である老女に声をかけた。老女は丸メガネに長い灰色の髪をアップにし、藤色のワンピースに生成りのカーディガンを着ている。
「あいよ、二冊で四ラウンね」
老女はしゃがれ声を出しながら、二つの本をリシェールに渡す。リシェールは辛子色のコートのポケットからピンクのリボンが付いた黒いエナメル製の財布を出し、小銭入れからラウン銀貨四枚出した。
「どうも。しかし、あんたがこの店に来るようになってから少しだけど本の売れ行きがよくなったよ。古本なんて若い人は読まないからねぇ。まぁ、最も売れる本なんて今はないからねぇ」
そう言いながら老女は溜め息をつきながら、リシェールに言う。
「……ですよね。でもわたしは今のコミカルな挿絵より、何十年か前の優しくてなごみのある絵が好きだけど」
リシェールは老女に言った。
「おやまあ、まだ若いのにいいセンス持っているねぇ! 珍しいよ。今時の若い子ときたら、アニメだのゲームだの、そういうのが好きな子ばっかりと思っていたけど」
老女と話を弾ませているうちに、リシェールは老女の後ろの山積みにされた古本の一つに目をやった。その真ん中の一番上の。
その本は珍しい表紙の本だった。大きさはリシェールが買った童話全集の大きさのB5より少し小さめのA5版ぐらいで、ただしくは縦の部分が短いA5変型である。装丁は絹でできた黒地に金糸の刺繍が施されており、上に亀らしき動物、左に虎っぽい獣、右にドラゴンのような生物、下に尾の長い鳥、中心には四本足の角を生やした動物のシルエットである。リシェールはその本が見たくなって、老女に訊ねた。
「あの……その本は? えっと、五匹の動物の表紙の……」
「あー、コレかい? 誰から買い取ったのか覚えていなくてねぇ。もう年だもの。いつから放っておかれるかすらも……。良かったら買うかい? これ新品みたいにピッカピカだけど、十ラウンのところをまけて、あんたの餞別として二ラウン八ドルテにしてあげるよ」
「えっ! こんなに安く!? じゃ、じゃあ買います」
リシェールは残りのお金を差し出して、その本を買った。所持金はドルテ銅貨七枚になってしまい、おやつの一つも買えなくなってしまった。けれどリシェールは意気揚々と店を出て、夕方のスラドフ通りを歩いていった。夕方のスラドフ通りは薄暗くなる手前で、買い物しに来た主婦や一人暮らしの若者が買い物に来ていて賑やかで、肉や野菜や魚を買っていた。
スラドフ通りから住宅街のフロイチェク通り。買い出しに来た人がいっぱいでにぎやかなスラドフ通りと違って、外にいる人は少なくて静かで平穏な場所である。どの家も庭と庭木があり、家によって生け垣だったり柵だったりと境が違う。リシェールの家は小さな庭と白樺の木、ベージュの壁に茶色の寄せ棟屋根の家である。
リシェールが玄関に入ると、黒いウェーブヘアの大型犬、オラフがやって来た。
「ただいま、オラフ」
リシェールはオラフの頭をなで、洗面所で手洗いとうがいをし、二階の自室へと入る。
リシェールの部屋はパッチワークカーテンやぬいぐるみなどの女の子らしい持ち物いっぱいの六畳間である。本棚にベラニッチェの童話全集を並べる。
「よう、お帰り」
部屋の中で男の声がしたが人間ではない。一匹の黒い蛇がいたのだ。
「クアンガイ、ただいま……」
「おう、遅かったな。その本を買いに行ってたのか」
「うん。すっごい綺麗な絵だからね。ずっと置いておきたいんだ」
そう言いながらリシェールはデイパックを机に置き、からし色のコートを脱ぐ。コートの下は白いネルシャツと茶色のカットソー、金ボタン付きのデニムキュロットである。足には黒いハイソックスで寒さから守り、かぶっていたニット帽を脱いで、ミディアムショートの桃金髪が現れる。
リシェールはベッドに座り、もう一冊の本、五聖神と思われる動物の表紙の本を読んでみる。――が。
「何これ、読めない。これ、外国の字?」
開いてみると中は何と、絵文字の様な文字で書きつられており、プレゼオの言語ではなさそうだった。
「だって? ちょっと俺に見せてみろや、その本。これでも全ての国の言葉を理解しているんでね」
クアンガイはリシェールにそう言い、リシェールは本をクアンガイに渡す。クアンガイは実は北大陸を守る五聖神の一体、玄武に仕える執事蛇で、邪羅鬼という怪物から善悪の均衡を守るために玄武に選ばれて聖神闘者となったリシェールのサポートを務めている。
「んじゃ、読むぞ」
クアンガイが本を床に置いて読む。書物の内容はこうだった。
この世界には五つの大陸と四つの海、外海がある。北大陸、南大陸、東大陸、西大陸、乾海と艮海と巽海と坤海に囲まれた中央大陸。
その各々の大陸に一柱の五聖神が世界を守る。
北の玄き大亀、玄武。
南の紅き鳥、朱雀。
東の蒼き龍、蒼龍。
西の白き虎、白虎。
中央に有角の四足獣、麒麟。なお、麒は雄、麟は雌。麒麟は五〇年ごとに雌の黄麟、雄の翠麒に生まれ変わる。
五聖神の務め、世界の均衡を守る。善と悪、正と負、全てが半々なり。
だが五〇年前後ごとに世界の悪負がはみ出した時、悪魔が出現する。その悪魔、感情森性もなく破壊と破滅の能しかあらず。人間の魂を糧とし、悪負を多くすることで世界は悪魔に埋め尽くされる。
その時、五聖神は善意の強き人間を悪魔を倒す闘者に変える。
闘者の力、悪を滅し、恐れを清める。水で冷たさを流し、火で凶さを燃やし、金で暗さを砕き、木で荒みを吸い、土で濁りをこす。
本当なら五聖神が悪魔を滅ぼし、世界を保つ。しかし五聖神は神宮から出られず、そこで善意の強き者に魔を払う力を与える。
水は安楽、火は愛情、金は勇志、木は理智、土は純心。
その意を持つ者、聖神闘者となる。
「――玄武が言っていたことと同じだ」
リシェールはその本の内容を読んで関心する。
「ああ。これは過去七〇〇年分の聖神闘者と邪羅鬼の激戦記録を保存した黙示録書だな。世界に五つしかないんだ。これは古代ニルング文字で書かれているけど、他の大陸ではどんな文字で書かれているか知らないけれど」
古代ニルング――ニルング人種しか使わなかった文字で、主にレーゲン、エリスナ、パーシアン、ゼミニアといった北大陸の西部で使われていたようだ。因みにリシェールの様なプレゼオ人はトラヴァ系種族というそうだ。
「これは〈世界の異変〉の章だ。次は〈聖神闘者が使う転化の具〉についてだ。
善意の強い人間が悪魔と対応できるようになるには転化、即ち変身が必要。転化するには五聖神から渡される転化の具で転化する。
尚、この転化の具はその時代の人間の必需品と同じ形で与えられる――」
リシェールの時代では携帯電話や電子手帳、携帯音楽機などの電子製品が必需品である。
「ほら、これが昔の転化の具だぞ」
クアンガイがリシェールに転化の具の挿絵を見せる。懐中時計、腕時計、ペンダントなどと時代によって違う。
「へ~、凄いね」
「ほら、他にもこんなのがあるぞ」
クアンガイは邪羅鬼の絵を見せる。獣もいれば鳥も魚も両棲生物や虫といったおぞましい邪羅鬼の絵がある。それから邪羅鬼は元となった生物と同じ能力ももつとの説明が書かれている。
「あそうだ。わたしや今他の大陸で活躍している聖神闘者の記録とかない?」
リシェールは気になってクアンガイに訊く。今どこの大陸でどんな人物か知りたいのだ。
「ん、ああ。でも、すっごい過去の人物の記録しかないぞ。一三〇五年初代の玄武の聖神闘者、カルナ・ルック、一三五〇年二代目のフリードリッヒ・ツヴァイリース、三代目のエレナ・パドンスキー……、ええとありゃ! 二十世紀以降の聖神闘者のページが破れている! ああ、リシェールが今何十代目かもわかんねぇ」
「ええーっ」
リシェールが覗き込んで見ると、確かにそのページは破れている。何で破れているかもわからない。
「あーあ、せっかく過去の記録を参考にして、邪羅鬼と戦おうと思ったのにな―」
リシェールはがっかりして呟く。
「そんなこと言っていると……おっ、残りの三分の一のページが真っ白だ。何も書かれていない!」
クアンガイがリシェールに黙示録書の白紙ページを見せた。まるで買いたてのスケッチブックのように。
「んー……。何で書くのやめたのかな。折角二ラウン八ドルテも払ったのに」
「さあな。もしかしたら特殊な本かもしれないぞ」
リシェールとクアンガイは顔を見合わせた。
ペルヴェド市立基礎学校。スラドフ通りを抜けて造られた三階建ての学校。リシェールはここの生徒である。
十月もあと七日で終わる秋の真っ盛り、校庭や裏庭の楓やプラナタス、ツゲやカラタチの木は赤や黄色の暖色系の葉をつけてその葉が秋風に吹かれて飛ばされていく。空は鉛色の曇天だったけど、雨が降る心配はなさそうだった。
昼休みの現在、生徒達は校庭でサッカーや縄跳びをしたり、ジャングルジムなどの遊具で遊んだり、仲良しのグループと戯れたりとしている。リシェールは図書室で期限が今日までの本を返しに来たのだ。学校の図書室は二階にあり、教室一個半の広さで壁全体に棚が備え付けてあり、部屋の内側は八人が座れる机四つと椅子が三十二脚ある。図書館の入り口には本を受け取るカウンターがあり、図書委員が交代で管理している。
「これ、返しに来ました」
リシェールは図書委員の生徒に本を渡し、図書委員は貸出カードに確認印を押す。図書室は十人ほどの生徒しか来ておらず、みんな席に座って本を読んでいる。一~三年生は絵本、四~六年生は挿絵つきの児童文学、七~九年生は文字だけの小説を呼んでいるのが特徴だ。
(新しい本、何か借りよう)
リシェールは本棚をそって歩く。ふと目にした本棚の一ヶ所に目を止める。それは娯楽読本で、いわゆるサブカルチャーである。そのサブカルチャーの本は外国の歴史や民俗学の本もあれば、超能力の本もある。その一冊を取ってみると、『世界の神』百科であった。
(おお~、凄いマニアック。フレイア、マルドーク、ポセイドン、アヌビス……。世界中の神様の絵が描かれているぅ。
あっ、朱雀、白虎、蒼龍、麒麟、玄武……。五聖神もある……)
『世界の神』百科の五聖神は世界共通の神として扱われており、国によって神話内容や呼び名、伝説が異なっている。リシェールはこれを借りることにして、図書室を出た。フンフフーンと鼻歌を奏でながら廊下を歩いていると、校内掲示板に何かの貼り紙を貼っている男子生徒がいた。
(あっ、あの人は……)
リシェールがその男子を見ると、同じ七年生でA組のエクシリオ・プレッツァーだというのに気付く。エクシリオは外はねの灰茶の髪にメロン色の瞳、成長期最中の背丈が特徴の男子である。今日は白と青のツートンのプルオーバーとカーキグリーンのズボンと革靴の服装である。
校内にいるイケメン男子に入るが、ある性格のせいで女子にはもてない。
「こんにちは、何しているの?」
リシェールは気さくにエクシリオに訊ねる。
「あっ、君は……。B組のグラコウスさん? 奇遇だね」
エクシリオはちょうど変声期だという声を出し、リシェールに挨拶する。
「あー、まだやってたんだ。アレ……」
リシェールの言うアレとは、超常現象研究会、略して超研であった。
「そ。まだ廃部する訳にはいかないからね。超研は」
エクシリオは超研の部長で、校内にはいるイケメンの一人であり、校内に入る変わり者の一人でもあった。
エクシリオの所属する超研はUFOや幽霊、未確認生物や超能力、魔法や呪いなどの現実にはあり得ないものを研究するクラブである。しかし部員はエクシリオを含め、五人だけである。
エクシリオのモットー、『未知なるものは必ずいる』。
「僕はこれを一生の課題として追い続ける。じーちゃんや父さんみたいなごくごく普通の科学者になるなんてつまらないっ」
「……」
エクシリオの家系は科学者の家系であるが、本人はロケット工学やロボット開発などといった従来の科学を追及する科学者にはさらさない。
「宇宙人や魔女が本やテレビだけの存在なんてしている奴は夢がない! 実際にいることを証明すれば、僕は超常現象研究者の最強になってやるんだ!」
エクシリオはリシェールに自身の夢をとくとくと語る。
(超常現象の研究者か……。まあ、流石にエクシリオくんも邪羅鬼や五聖神、ましてやわたしが玄武の聖神闘者なんて言ったら……やっぱ信じてくれないだろうな)
リシェールは肩をすくめる。誰も知らない影の戦い。邪羅鬼と聖神闘者の戦いの歴史は恐らく明るみに出ることはないだろう。
(でも邪羅鬼に対する思い出が少ないのはいいことだろうな)
リシェールは考え直した。大衆に知られなかったからこそ、今の平和があると。その時、超研メンバーらしき二人の男子がやってきて、エクシリオに声をかけた。
「部長、生徒会の人が呼んでましたよ。部活動の予算についての」
「えっ、まいったなぁ。また削減かなぁ。何とかして今の状態にしてもらわないと」
そう言うとエクシリオは部員達と共に生徒会室へと向かった。
(本当にクラブかきついんだ……)
リシェールには超研への同情心が沸いたが、今の自分には関係ないと言いきかす。
「リシェール、どうしたの?」
自分を呼ぶ声がしたので、振り返ると赤茶色のセミロングに切れ長の農灰色の瞳のリシェールより背の高い少女がいた。
「ヴァジーラ」
リシェールの友人、ヴァジーラ・オストチルだった。ヴァジーラはリシェールに何を話していたのか訊いた。
「超研、何か大変らしいよ。継続が」
「超研ねぇ~。何か怪しげなものを研究している部なんでしょ? 二十一世紀の科学文明がある現在で、幽霊とか魔法とか信じている奴は幼稚すぎよぉ。そりゃあまあ、何百年も前は不吉なことは悪魔や魔女のせいにして、疫病があったのは呪いとか何とか言っていたけど。どうしてあんなうさんくさいのにこだわってんのか」
ヴァジーラは超研をけなすような言い方をする。ヴァジーラは決して悪い子ではないけれど、口が悪いのが玉にきずである。
「超研だって一生懸命だと思うよ」
リシェールは手に持っていた『世界の神』百科をヴァジーラに見つからないように背中の方に隠した。こんな本を読んでいたら、ヴァジーラにおかしなことを言われなくなかったのだ。
リシェールはパレットや筆や絵の具が入った画材道具の木材鞄を持ち、からし色のコートを身につけた姿で美術室を出た。今日はクラブ活動のある日で、ペルヴェド基礎学校の四年以上の生徒達は各々のクラブに入って活動を行う。廊下で何人かの生徒たちとすれ違い、一階へ降りる階段のところに来た時、ピピピピという音がした。
(転化帳がなっている! 邪羅鬼が出たんだ)
リシェールはだれにも見つからないように懐に入れてあった転化帳を取り出した。黒光りの電子手帳、転化帳は掌大の横長方形の道具で、真上に玄武の紋が付いており、それをそっと開く。開くと画面とタッチパネルが付いていて、パネルで転化帳の機能が変えられる。画面を見て、リシェールは息をのんだ。
(超研のみんな……!)
エクシリオ達超研メンバーが邪羅鬼に追われていた。背景は古い井戸と暗い茂み。
「あそこだ。学校の真裏にある雑木林」
リシェールは転化帳をしまい、別のクラブから帰って来たヴァジーラに一緒に下校の理を入れた。
「リシェール待った? 一緒に……」
「ごめん、ヴァジーラ! 悪いけど一人で先に帰ってて!」
そう言うなり、リシェールは学校を飛び出して学校の真裏にある雑木林へと向かい走る。
雑木林のほとんどの木が枝の葉がなくなっており、茶色い枯葉が黒い地面に自然のカーテンを敷いていた。
「確かこの辺り……」
リシェールは奥に進み、中枢部にある井戸を見つけた。この井戸は三〇〇年前に井戸に落とされて死んだ魔女がこの井戸に近づいてきた人間を引きずりこむという噂があって封鎖されたもので今でも心霊スポットになっており、超研はここの調査に来たのだった。
(みんなが……)
リシェールは井戸の周りに超研のメンバーが横たわっているのを目にし、その一人エクシリオの体を触ってみた。まだ温かい。その時、気配を感じて振り向くと、そこに邪羅鬼――全身丸みを帯びて体中に棘を生やした魚、ハリセンボンを模している。
「玄武水転化‼」
リシェールは邪羅鬼を見つけると、転化帳を取り出して聖神闘者に転化した。流水がリシェールを包み、姿を変えたリシェールが出てくる。頭部に三対の黒い角、前髪の二房は黒く染まり、黒い筒型の衣、筒型衣の下の灰色の上衣とキュロット、両腕は黒いリストカバー、足元は灰色のレッグカバーと黒い靴、胸元を飾るスカーフと帯は白く、腰に灰色の亀の尾、腰帯に黒い三節棍がささっている。
「出てきたな、聖神闘者。お前がいると魂が味わえない」
それを聞いてリシェールは眉をひそめる。
「超研のみんなを襲ったのは、お前だったか! お前を倒してみんなをもとに戻す!」
そう言うか早く、リシェールは腰帯に差した三節棍を抜き、一本の棒に繋げてかまえる。邪羅鬼は大きく息を吸い込み、体を膨らませると二回りも大きくなり溜めた空気を一気に吐き出す。同時に体中の棘がリシェールに向かって飛んできて、リシェールは三節棍を振りまわして弾く。棒で落とした針がバラバラと地に落ちる。ハリセンボン邪羅鬼の体からあたらしい棘が生えてくる。
(結構厄介な奴だ)
リシェールがそう思っていると、邪羅鬼はさっきより空気を大きく吸い込み、空気を吸う前の約五倍の大きさになり、プハァッと大きくなったところで息を吐き出し広範囲に棘を飛ばしてきた。棘が千人分の弓矢のように発射され、木や地面に刺さり、リシェールの衣服にも刺さり地面に張りつけされた。昆虫採集の標本ならぬ生きた人間標本にされてしまったリシェールは身動きができない。邪羅鬼が身動きがとれなくなったリシェールに近づいてくる。だがリシェールは一つのかけに出た。右手の先で棍棒を持ち直し、技を発動させる。
「水流弾」
すると棍棒がL字型の銃になり、銃口から水の弾丸が出てきて邪羅鬼の顔に水をかけて目くらませた。そして水流弾を撃った時の反動で棘が振動で外れて動きを取り戻したのだ。そして棒を持ち直して、邪羅鬼の腹をついた。邪羅鬼は「魔女の井戸」にぶつかる。
「冷たき邪気よ、清流の清しさに浄められ、体は無に魂は浄化されよ。玄武乱舞‼」
リシェールは水行をこめた両手から水の玄武を出して、水の玄武は邪羅鬼の体を貫き消滅させた。邪羅鬼に食われた五つの金色の光玉――魂が超研メンバーの体に入っていく。
「う……」
エクシリオの体が動き、目を開けて起き上がる。
(良かった、助かった)
リシェールは超研のみんなが元に戻ったのを見て、一安心する。目覚めたエクシリオは目の前に黒い異風の衣を着た少女に気づく。
「君は……誰だ?」
(あっ、そうか。みんな邪羅鬼に襲われたことを忘れているんだった。わたしが助けたと言っても……)
リシェールがそう思った時、エクシリオは転化姿のリシェールをじろじろ見る。
「君は……、もしかして……」
(ええっ!? ま、まさか、バレた!?)
リシェールは驚き焦った。一般人に正体を知られたら、肩身が狭くなる。リシェールはヒーロー、ヒロインの立場を知っている。
「君は……女神ワルキューレだね!」
「えっ!?」
リシェールはエクシリオの台詞で目が点になった。それから次々と超研メンバーが起き上がって、エクシリオはメンバーに転化姿のリシェールを見せた。
「おーい、みんな! 女神ワルキューレだぞ! 見てよ、このしなやかな体つきに凛々しい顔、かっこいい衣装。こりゃあ、本物のワルキューレだぞ! 研究題材の一つ、『神様は実在した』の記録書が書けるぞ。キャッホ~イ」
(えええええ――!?)
驚いたのはリシェールだった。北陣神話に出てくるワルキューレじゃなくって、玄武だっつーに……。いや、ここで超研メンバーに押されたら厄介になる。リシェールは超研メンバーに絡まれる前にとんずらした。ダッシュで林を抜けだし、入り口で転化を解いて、からしのコートにボア付きのベージュのブーツ姿に戻った。
(うわっ、こんなに遅くなっちゃった)
空を見ると、もう西日が朱色になっており、空が薄紫色になっている。リシェールは急いで家に帰っていき、明日言うヴァジーラへの言い訳も考えておかないとという理由でフロイチェク通りに向かった。
「ふっふ、今度会ったらたーっぷりつきまとわせてもらうぞ……」
エクシリオは転化したリシェールをワルキューレと思いこみながらも、超研の研究題として捕まえようと企んでいた。