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五聖神黙示録  作者: 浅葱沼 氷雨乃
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「緑」の書・第8話 失踪

『五聖神』第41話。超邪羅鬼に襲われるも、邪羅鬼が休眠状態に入り翠麒に助けられたバルトゥル。久しぶりにフィロスの町に帰ってくると、見知らぬ青年がいた。父の甥であるイザークが来てから、バルトゥルの心に変化が訪れる……。


「ここはどこだ……? 光も終わりも見えない……。もしかして、〈あの世〉ってところか……」

 バルトゥルは真っ暗な空間の中にいて、眠っていた。ところが、次第にバラの花のようなかぐわしい匂いがして、その香りが彼を包んでいった。

「天国に来ちゃったのかな。だけど、みんなにお別れ言ってねー」

 バルトゥルが意識を動かすと、暗闇は消えてバルトゥルは小ぶりな浴槽の中にいたのだった。浴室は湯気が白く漂い、バルトゥルは透明なバラ色の暖かい液体の中に浸っており、これがかぐわしき匂いの正体だとわかった。目をこすらせると、床も壁も天井も明るい緑色である。

「ここは……翠麒のいる神殿!?」

 バルトゥルは湯船から出て、あることに気づいた。

「あれ? 右足が……」

 邪羅鬼のトゲで貫かれた筈の右足首が治っているのだ。かすかに痕はあるけれど、痛みも傷もなくなっていた。

 すると、壁の一ヶ所が横に開いて、中にバルトゥルの服を持った四匹の黒兎が現れたのだった。

「ああ、やっぱり翠麒の神殿だった。でもいつの間に……? あとあいつはどうなったんだ?」

 バルトゥルは黒兎が持っていたバルトゥルの服と一緒にあったタオルを持って水気を拭い、服を着た。そして黒兎の案内で明緑の廊下を歩き、翠麒のいる大広間へやってきたのだった。

「バルトゥル、目が覚めたか。君が紫誠玉で強化された超邪羅鬼の攻撃を受けて傷ついていたから、僕が君を緑雲殿に送って、〈再生の薬湯〉に入れたんだ。君は完治したろう?」

「え? ああ。だからか。あっ、そういえば邪羅鬼はどうしたんだ!? 悪いことしてるんなら、俺を奴のいる所へ送ってくれ!!」

「いや、奴なら問題ない。紫誠玉の欠片を取り込み、超邪羅鬼へと進化したあの邪羅鬼は強化の反動で、休眠に入った。

 今はまだ、被害は出ていないから安心してくれ」

 自分を打ち負かした超邪羅鬼の休眠を聞いてバルトゥルは納得した。邪羅鬼でも休む事はあるんだ、と。

「しかし、超邪羅鬼はいつ目覚めるかわからない。注意しておけ……。それと、転化帳と紫誠玉の欠片だ。これは流石に無事だった」

 翠麒はバルトゥルに転化帳と四つの欠片が合わさった紫誠玉を受け取る。

「ありがとな、翠麒! 俺、家に帰りたいんだけど……」

「ああ、僕の力を使って君をフィロスに送るよ。傷が完治するまで三日もかかったからな」

「三日!? 俺、そんなに緑雲殿にいたのか!?」

 バルトゥルは自分の眠っていた期間を聞いて驚く。

「君をフィロスに送る。それまででな」

 翠麒はそう言うと、自分の力を使ってバルトゥルをフィロスに送った。バルトゥルは緑色の光に包まれ、緑雲殿から跡形なく消えていった。


 気がつくとバルトゥルはフィロス中等学校の裏庭にいた。空は明るい橙に染まっており、火が赤くなって沈んでいこうとしていた。花壇の花も学校の庭木も三日前と変わらずで、少し冷たさの混じった風がバルトゥルを吹きつけた。

「本当に帰ってきた……けれど、みんなどうしているんだろう」

 バルトゥルはとぼとぼと誰もいなくなった学校を出て、農作業を終えて牛や馬を獣舎に入れたり、農業機器を倉庫に入れたりする大人たちの姿や公園や友達の家から帰ってきた幼い子供たちにまぎれながら、帰路を歩いていた。様々な看板が掲げられた商店街に入ると、見慣れた男の人と女の人の姿を見つけた。二人は振り向くと、バルトゥルを見つけて叫んだ。

「バルトゥル!! お前、どこに行っていたんだ!?」

 サムエルが顔を鬼のようにし、バルトゥルの方へ歩み寄った。

「とっ、父ちゃ……」

「このバカがっ! 三日間もどこに行っていたんだ!? わしらは三日もお前を町の近くや周りに行って探しに行っていたんだぞ!」

 サムエルはバルトゥルの頭を拳骨で叩き、叱った。そしてマーニャも泣きそうな顔をして、バルトゥルを抱きしめた。

「私たちに心配かけさせて! 学校のみんなもあんたを探していたのよ!」

 バルトゥルは理由を言いたくても、言えない状態であった。言ったって、ふざけているようにしか見えないからだ。それから山での友達、ミグとカルクもバルトゥルによってすりすりしてきた。

「ミグ、カルク……」

 本当にみんなに多大な迷惑をかけて、泣かせてしまったな、とバルトゥルは思った。

 そしてバルトゥルは両親に連れられ、リンゴと柘榴の木がある果樹園へ帰っていった。三日ぶりの家に帰ってきたバルトゥルは台所兼居間に入ると、一人の青年が夕食の準備をしていた。

「あ、お帰りなさい。伯父さん伯母さん」

 その青年は長身で細身、褐色の縮れた髪にまん丸い水色の瞳、ベージュのパンツに紫色のボタン付きカットソーの上から黒いエプロンを着けている。

「今帰ったぞ、イザーク」

 サムエルが青年に言った。バルトゥルは見慣れぬ青年がどうして自分の家にいるのか疑問に思う。

「この子が伯父さんが養子にした子? 初めてして、俺はイザーク」

 青年はバルトゥルに自己紹介をした。




 青年の名はイザーク・アルヴィス。サムエルの妹夫婦の一人息子で、フィロスよりはるか南下にある湾岸都市パッフルに住んでいた。

 しかし、大学を卒業する間近、両親が列車事故で亡くなり、彼は独りになってしまう。大学を卒業する時にパッフル市内の証券取引会社に就職するも、わずか一年半で不況によるリストラで失業し、その後は両親の遺産で暮らしをつなぎながらも再就職を目指すものの見つからず、半年で残金が二〇ファルになってしまい、伯父夫婦を頼って一日半前にフィロスにやってきたのだ。

 自分がいない間に父母の甥が家に来ていたなんてバルトゥルは思ってもいなかった。台所の調理暖炉からは大鍋が置かれており、湯気が出ている。

「要するにお前のいとこだ、バルトゥル。ここに置いてやってほしい」

「うん……」

 三人は食卓の席に着き、イザークが作った夕食を目にする。イザークが作ったのは三時間前から牛すね肉と牛尾肉で漬け込んだ出汁のビーフシチューで、アスパラガスやブロッコリーも入っている。後は籠から取るライ麦パンとサラダである。

「いただきます」

 四人が席に着いてイザークの作ったシチューを一口すする。

「何これ? 旨い!!」

 バルトゥルが初めて会ったいとこの料理を口にして一言はなった。肉汁がしっかり野菜やデミグラスソースにしっかりとしみこみ、固いすね肉や牛尾肉も裂けるような噛みごたえである。

「お前、料理がうまかったのか!? 今日初めて作ったのに」

 サムエルがイザークに訊ねると、イザークは素で笑って答える。

「いやぁ、三ヶ月前にたまたま本屋の料理本を見て作り方を覚えて、今日実行したんすよ。初めてでおいしいなんて言ってくれて」

「ええ、全く。どうせなら経済大学じゃなくって、調理師学校に行って料理人になればよかったのに……」

 マーニャが呟くと、イザークは首を振った。

「伯母さん、俺みたいのが料理人になったって長続きする訳じゃありませんし」

 イザークの台詞でバルトゥルは不愉快に感じた。悪気がないのはわかるけど、見下しているような言い方だった。

「あ、そうだ。バルトゥル。良かったら俺が勉強見てやるよ。俺の教え方、わかりやすいからさ」

 イザークはバルトゥルに言った。

(何かこいつ、好きになれない……)

かといって嫌いでもない気持ちにバルトゥルはもやもやしていた。


 バルトゥルが翌朝、学校に来ると、クラスのみんながバルトゥルを心配して駆け寄ってきた。みんなも土曜日にバルトゥルが行方不明になったと聞いた時は、大騒ぎになった。

「お前、どこに行ってたんだよ!」

「家出かと思ったんだよ!」

 バルトゥルと仲良しのトルスカも、バルトゥルに仄かな思いを持つロザリンドも心配していた。

「お……俺は大丈夫だよ。ただちょっと……急用で帰れなくなっちゃって……」

 それからみんなの気持ちを落ち着かせるために、いとこのイザークの話をした。

「あのおじさんの甥っ子がフィロスに来ているの? 出稼ぎ?」

「でも経済大学出身で、勉強が出来て、料理も上手でおいしいの?」

 みんなバルトゥルへの心配からイザークへの興味に変わると、先生が入ってきていつもとかわらぬ日々が始まった。

 バルトゥルは学校で授業を受け、気の合う男子たちとランチをして昼休みに遊び、放課後はトルスカと一緒に下校した。フィロスの空は澄み切った青で白い雲が浮かび、太陽が輝き、南風が吹いて木の枝や草を揺らしていた。

 町の広場や公園では幼い子供たちが遊び、街道では牛や馬やロバが荷車を引き、田畑では大人たちが草むしりや水汲みをしていた。

(ああ、相変わらずフィロスは平和だ。この世界に邪羅鬼がいるなんてありえない……)

 バルトゥルがそう思っていると、四角い石の家々が並ぶ通りに来ると、何十羽のニワトリを飼っている養鶏場で灰色の作業着に着替えて逃げたニワトリを捕まえているイザークを見つけたのだ。養鶏場は周りを金網で囲まれ、木製の鶏舎でニワトリを飼育している場所である。

「よぉ、バルトゥル。下校か?」

 イザークが金網越しにバルトゥルに訊ねる。

「って、何やってんだよ? 家にいるんじゃなかったのか?」

「この人がイザークさん? 初めまして。僕バルトゥルの友達のトルスカ・フェビアンです」

 トルスカはうやうやしく車椅子に乗ったまま、頭を下げる。

「初めまして。イザーク・アルヴィスだ。バルトゥルとはいとこの関係にあたって――」

「それはいいから、養鶏場で何してんの?」

 バルトゥルがイザークに訊ねる。

「え? ああ。ここの養鶏場で働いてんだよ。わかるだろう?」

 その時、養鶏場の主である赤毛にのっぽの男がイザークに言った。

「やあ、イザークくん。君が来てくれたおかげで今日の卵が全部出荷できたよ。こんなに手際よく仕事ができるのなら、うちで働けばいいのに」

 養鶏場の主がイザークに言うと、イザークはこう言った。

「いやぁ、俺みたいなのが養鶏場勤めになったって、上手くいくとは限りませんよ」

 イザークの放った悪気のない嫌味でバルトゥルの中に不快の種が生まれた。そしてトルスカの乗っている車椅子を押して去っていった

「行こう、トルスカ」

「ちょっ、どうしたんだバルトゥル?」

 バルトゥルは何も言わずにトルスカを家に送り届けて、自分は不快心最大でシャロン農園に帰り、自室のベッドに寝転がったのである。

(何だろう、この気持ち。今まで感じたことのない……)


 

 イザークがフィロスに来てから五日が経った。バルトゥルはいつものように学校に通い、イザークはフィロスの各家で日雇いの仕事に励んでいた。

 一時間目の休み時間に同級生の女子の一人がバルトゥルに言ってきた。

「バルトゥル、あなたのいとこのお兄さんが私の家の畑仕事を手伝って、お父さんが『あんなに丁寧に手早く作業をやってくれるなんて見たことがない』って言ってたよ」

「ふ、ふーん。それで、あの後どうしたんだよ?」

「お父さんが『うちで働かないか』って言ってきたけど断ったって。何でも、『俺みたいなのが農業やれたら上手くいくとは限らない』ってさ。それでアルバイト代だけ受け取っただけだった」

 すると今度は炭工房の息子であるジェハンが言ってきた。

「俺んちにも来ていたよ。手早く薪を割って、炭も程良い固さにしてさ。父さんが働いてほしい、と言ってきたけど断ったって」

「私の家の仕立屋でもシャツを上手く縫いあげて……」

「僕の家の左官店でも丁寧に壁や塀を直してくれて……」

と、次々に同級生たちがイザークの評判を語った。料理だけでなく、鶏卵の出荷も畑仕事も炭焼きも仕立ても佐官工事も何もかもやりこなせてしかも完璧という評価を聞いて、バルトゥルは非常にむしゃくしゃした。

 自分より八歳年上とはいえ、都会の大学に行って卒業し、都会で一年半で証券会社を退職させられてフィロスの伯父一家の所へ来てみたらフィロスでの様々な仕事を上手くこなしたにもかかわらず、雇用を次々蹴るイザークが腹ただしく思った。自分は体育と生物が得意で科学と技術と商学が苦手でテストの点数が悪くて他者からバカにされても怒らなかったのに、イザークのことはどうしても我慢できなかった。

 バルトゥルは授業を終えると、トルスカと一緒に帰ることになった。学校ではクラブ活動に残る者、家に帰って手伝いや自宅学習する者に分かれ、バルトゥルはトルスカが乗る車椅子を押しながら帰路を歩いていた。

 空は白い雲が青空を漂い、雨が降りそうだった。

「トルスカ、話、聞いてくれる?」

「何? バルトゥル、良かったら聞いてあげるよ」

 トルスカは優しく笑ってバルトゥルに言った。

「うん、実はイザークのことで言いたいことがあるんだけど……」

「君のいとこのお兄さん? その人がどうかしたの?」

 バルトゥルはイザークのことをトルスカに話した。両親が亡くなって一人になって、お金が少なくなったのでフィロスの伯父一家であるサムエルを頼ってきたこと、今日みんなが言った作業の出来の他、シャロン農園でも果樹園での仕事や料理や掃除や洗濯、裁縫もミグとカルクのブラッシングも優れていて、バルトゥルは自分が置いてかれたように感じることを。

「それは〈嫉妬〉だよ。バルトゥル」

「嫉妬?」

 トルスカがバルトゥルの今の心境を聞いて、返答した。

「人間ってさ、自分より立場や身分が恵まれていたり自分より優れている力を持っている相手を妬んだりひがんだり疎んだりするんだよ。嫉妬は悪い感情だけど、人間だれでも持っているんだよ。長いこと野育ちだったバルトゥルでも、イザークさんの出現によって嫉妬が生まれたんだよ」

 トルスカがすらすらと人間としての嫉妬の感情をバルトゥルに教えた。だけどバルトゥルは否だった。

「じゃあ俺の中の嫌なもやもやはイザークへの嫉妬だったのか? だから腹ただしく思ったり、我慢できなかったりしていたのか!?」

「バルトゥル……」

 バルトゥルは恐れていた。自分の中に生まれた〈嫉妬〉という感情を。もしかしたら邪羅鬼が自分の嫉妬を利用されたら……恐れおののいていた。


 それからしてバルトゥルは養父母と客間兼客用寝室をねぐらにしているイザークが眠っている晩、自分が山奥にいる時から持っているぼろぼろのトランクに自身の宝物である両親と幼い自分が映っている写真が入った手帳、クリスマスのプレゼント交換で手に入れた図鑑、修学旅行での記念写真、他にも川原で拾った大小の色石、何かを入れる時の空きビン二本、五色麻の肩かけ、〈移転の衣〉、首に自分の生年月日と血液型が刻まれた銀色のプレートネックレスをかけ、懐に巾着に入れた紫誠玉、そしてミグとカルクも連れて、自分がかつて住んでいた山へ戻ろうとしたのだった。

 そしてノートを一枚破って、インクペンで手紙を書いたのだった。

『父ちゃんと母ちゃんへ

 おれは自分が住んでいた山へかえります。父ちゃんと母ちゃんのおいっ子のイザークがやって来て、かじゅえんやおうちのお手伝いをやってくれるのなら、おれはもういりません。さがさないで下さい。

 みじかい間だったけど、ありがとう。あったかいふとんにおいしいごはん、トルスカや学校のみんなと友だちになれて、うれしかった。たのしかった。

 おれにはミグとカルクがいるから、さびしくないよ。さようなら


バルトゥル』


 普段でも書きなぐったような字の書き置きを残して、バルトゥルはトランクとミグとカルクを抱えて、転化帳でレデス村からそう遠くない山奥へワープしたのだった。


 着いた所は夜の山奥で、木々が影絵のように、山の上では紫に見える夜空が背景になっている。夜風が冷たく吹きつけて、枝や草木を揺らした。

「また、ここで暮らすんだ。父ちゃんと出会う前見たく……」

 転化帳さえあれば、いつだってどこだって邪羅鬼退治に行ける。だけど、イザークのいる家には戻りたくなかった。自分が自分でなくなるような気がして。

 トルスカや学校や近所のみんなにお別れするのは出来なかったけど、テレビやおもちゃや本もないけれど、自分の居場所はフィロスではない、とバルトゥルは思った。

 やがてバルトゥルは一本の大きな柏の木を見つけ、その木に大きなウロがあったので、そこを寝床にした。ミグとカルクもバルトゥルと共に一夜を共にした。


 


 それからどれ位が経っただろうか。バルトゥルは五ヶ月ぶりに野生児の生活に戻り、野を駆け、鳥の卵や川の魚やクルミや野イチゴなどの木の実を食し、木のうろで眠る暮らしをしていた。木のうろの内側には先の尖った石で彫った何日いたかの数えが刻まれていた。横棒七つ刻んで一週間と数え、それが三つに彫られていた。

 バルトゥルの着ていた服は所々擦り切れていたが、気にせずに着続けていた。フィロスを去ってからは翠麒が転化帳越しに説得したが、バルトゥルは「絶対帰らない」と頑なに意地を張っていた。バルトゥルが去ってからは養父母もトルスカ一家も誰もかれもがバルトゥルを探していた。けれど、どこの森や山や近隣の町村にもバルトゥルはいなかった。

『みんな心配しているのに。本当にそれでいいのか?』

 翠麒はバルトゥルに悟したが、それでも山に留まるとバルトゥルは意地を張っていた。

「俺がいなくても、イザークがいるじゃないか。フィロスに戻ったって、俺のことはどうでもいいみたいなんだから」

 ある日の夕方、バルトゥルは転化帳越しに翠麒にそう言った。近くにはミグとカルクが寝ている。

『どうでもいい人間なんて、誰も思っていないと思うけど』

 翠麒はバルトゥルに優しく言った。

『イザークはイザークだけの能力を持っているし、バルトゥルも邪羅鬼と戦う以外の能力をいつか見いだせるよ。今はイザークが目立っているだけで』

「自分だけの……」

 バルトゥルは呟くと、フィロスでの家族や友人、近所の人たちの顔を思い浮かべた。だけど三週間もフィロスを離れていたと考えると、動揺した。

「水、飲みに行こう……」

 バルトゥルは立ち上がって柏の木から出て、朱い空の見える森から少し下った川辺へと進んでいった。

 川辺は大小の砂利と色んな野草の生えた場所で、透明な川の水がさらさらと流れている。

 バルトゥルは手で水をすくい、ほんのわずかな甘味のする天然の水を飲んでいると、はっと気配を感じた。

「邪羅鬼!?」

 バルトゥルは立ち上がったが、棲みかに転化帳を置いてきたことを思い出す。三週間山の中にいたとはいえ、超邪羅鬼も他の邪羅鬼も出てくることはなかった。ガサガサッ、と草の茂みから出てきたのは……。

「馬!?」

 それは小さな馬だった。脚は長くてたてがみも尾も毛づやが良く、白地に灰色のまだらの子供の馬だった。

「お前、どうしてこんな所にいるんだ? 母ちゃんか飼い主はいないのか?」

 しかし仔馬は黒い眼でバルトゥルを見つめ、小刻みに震えていた。

「おいで」

 バルトゥルは仔馬に呼び掛ける。すると仔馬はバルトゥルの方へ寄ってきたのだ。仔馬はバルトゥルの元に来ると、鼻をかいた。

「お前も母ちゃんがいないのか? 俺と一緒だな」

 バルトゥルは仔馬の金茶色のたてがみをなでた。

「ついてくるか?」

 バルトゥルが仔馬に訊ねると、仔馬がバルトゥルについてきた。川辺から森に入ると、柏の木のうろからミグとカルクが出てきて、転化帳をバルトゥルに差し出した。

「あっ!!」

 バルトゥルは転化帳の画面を見て叫んだ。何と、ヤマアラシの超邪羅鬼が現れて、フィロスの町広場を襲っていたのだ。背中のトゲを乱射して建物に孔を空け、丸まって回転して畑や道を荒らし、人々は逃げまどっている。

『休眠から目覚めて、手始めにフィロスを狙ってきたようだな。バルトゥル、これでもフィロスを放っておくのか?』

 翠麒がバルトゥルに訊ね、バルトゥルはフィロスの人みんなが傷つき恐れる様子を見て、決心した。イザークに対する嫉妬も、自分はどうでもいいという意地張る気持ちはなかった。

「止めなきゃ……。超邪羅鬼!!」

 バルトゥルは転化して、翠麒の耳と尾と角を持つ緑衣の聖神闘者となり、荷物を持って、ミグとカルク、そして川辺で出会った仔馬と共に、フィロスへワープして緑色の光に包まれて消えていった。




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