「緑」の書・第4話 枝分かれ
『五聖神』25話。バルトゥルは中学校の卒業後はどうしたらいいか考えていると、近所で火事が起こりそこの家の老夫婦の一人息子が亡くなる。だが老夫婦の娘は子供の頃から「弟のせいで私が苦しんだ」と言って老夫婦を引き取ろうとしない。そのため邪羅鬼が発生してしまう。
バルトゥルは今日も今日とて、邪羅鬼を倒した。学校の帰りにフィロス内の「バイオテクノロジーセンター」の職員達の魂を喰った邪羅鬼を倒した所であった。
ガゼルの邪羅鬼はセンター内の大ホールで大の字になって倒れ、白目と白い歯をむき出しにし、内側に反った頭角が一本欠け、体は砂塵となって消え、後には金色の粒子がセンター内に広がる。
「まーた道草しちゃったよ。急いで帰らねーと」
そう言ってバルトゥルは転化を解除し、緑の衣から普段着の麻の服に戻った。そして、は意味がかった白い床と柱とガラス張りのホールを抜け出して、何事もなかったかのように帰宅した。
バルトゥルがセンターの外を出ると、空は夕焼けで真っ赤になっていて、農夫たちが牛や馬をつないだ荷車を引いて自宅に帰る所であった。
バルトゥルは牧草地と巨大な平屋根に下が直角状の銀色の建物のある敷地から白い石の家々と畑がある住宅街へと入っていった。
バルトゥルの家はリンゴと柘榴の木を育てる果樹園で、果樹園には鳥よけの網が張られている。表にある白い四角い石造りの家の二階で、バルトゥルは明日の授業の準備をしていた。六畳間で新円に十字状の枠、壁は白く、床は木板、机やベッドなどの家具はオーク材でこげ茶色、カーテンや椅子のクッションは緑のギンガムで枕などの寝具はフォレストグリーン。バルトゥルは通学用の麻リュックの中身を入れ替える。
「世界史、エリスナ語、数学、化学、あとそれと……」
リュックから国語の教科書とノートを引っ張り出した時、その二つに挟まっていた連絡帳が落ちて、床に偶然、明日の予定を示したのだった。ノートの落ちた音でベッドの上にいた灰色の角兎カルクがびっくりし、昔話や図鑑の入った金毛の山猫ミグが尻尾と毛を逆立てる。
「ん? 明日の五時間目、進路指導……。そっか、五時間目の体育ないんだ」
バルトゥルは呟いた。リニアスでは中級学校生は四年生の後学期から五年生の卒業前に進路指導の授業を行う。中級学校を卒業した者は大概高校に進学することが多かった。
フィロスは農業・酪農にたけた町だ。田畑や果樹園、牧場の他にバイオテクノロジー研究や作物研究所といった大型施設もある。それはフィロスが農業学に優れた町を意味している。ちゃんと商店や郵便局や駐在もあるが。
「そーいや、父ちゃんたちは農園継ぐなり上の学校、どっちでもいい、って言ってたな……」
バルトゥルの両親、正しくいえば養父母は大学に入れてあげる余裕はないが高校や総合学校に入れてやれるくらいの財政はあった。故郷の村が戦火に巻き込まれて両親を亡くし、九年間山林生活を余儀なくされたバルトゥルは山の動物達と過ごしてきた。そして三ヶ月と少し前、今の父と出会い、サムウェルとマーニャの養子となって学校に通って友達を作り、果樹園を手伝ったりと過ごしてきた。この間は修学旅行にも行った。そして……中央大陸の五聖神、翠麒に代わって邪気から生まれた魔物、邪羅鬼と戦っている。
「自分の未来とか将来の夢なんて、考えてもいなかったなー……」
バルトゥルは呟く。生物と体育はすこぶる優秀だ。商学、数学、化学は苦手だ。国語や歴史とかの科目も今一つが多い。
「どーしたらいいんかなー……」
中央大陸の東半島国リニアスは一年中温暖だ。冬になっても雪や霜が発生しないからだ。その為、果実も野菜も穀物も木の実もキノコも年中実る。野生の獣も冬眠することなく、虫も越冬もせず飛んでいたり這っていたりする。
だが町では年暮れの最大行事、聖夜祭があるため星や天使やトナカイの飾りが町の広場を飾りつけている。
広く晴れ渡った青空と春夏と違って草や葉が薄くなった緑、子供たちは五色麻の服を着て幼稚園や学校に通う。髪も目も肌の色も違う町民は各々の場所で働き学ぶ。
八角形の建物、ここがバルトゥルの通うフィロス中級学校で二つある校舎の三階建ての最上階がバルトゥルたち五年生の教室である。
教室はみな台形状で上底が入り口、下底が黒板と教壇と明かり取りの窓、教机も上底に進むにつれて席が一つずつ減っている。学校内では五年生たちは自分達の進路について話し合っていた。
「私牛農家だから○○町の農学校に行って食品学勉強して乳製品工房やりたいわ」
「俺は親父の店を継ぎたいからフィロスから通える範囲の商業学校に行って、店を大きくしたいなあ」
などと話し合っていた。バルトゥルは同級生達の会話で一人だけ取り残されたみたいに感じた。
「バルトゥル」
名を呼ばれて顔を上げると前の席に座っていたトルスカ・フェビアンが椅子に座ったままバルトゥルに訊いてきた。
「トルスカはどっか行きたい学校あるのか?」
バルトゥルは机上にひじを立てて、親友の一人に訊く。
「うん。僕さぁ、バスキスの総合学校に編入しようと考えている。総合学校は一年から始められないけどね」
総合学校というのは初級学校卒業後のもう一つの進学コースであった。十歳から入学して七年間在学し、また生徒の希望科目によってコースを選べるのだ。
「バスキスかぁ……。修学旅行の特級に乗った駅のある都市だろ?」
バスキスはフィロスの隣町セルヴィスから電車で五分のカミール地方の都市だ。バスキスは古風な造りのビルやフィロスにはない店舗、広い公園や彩りの石畳のある都市だ。
それからしてHR開始の鐘が鳴り、授業を行い、昼休みに昼食を終えて一休みした後、バルトゥルのクラスの進路指導が始まった。進路指導は教室で行い、教師と生徒の一対一でやりとりし、他の生徒達は図書室で自習したり読書したりしていた。図書館は土足を抜いでサーモンピンクのカーペットに上がる方式で、教室二つ分の広さに黒檀の壁付け本棚には百科事典から文学までの本がずらりと並び、更に白い円卓と四つの椅子が一組になって七組ある。
生徒達は誕生日順に呼ばれ、五時間目と六時間目を使って一人五分の対談を受ける。
普段は運動ジャージの担任のアレッサンドロ・ターニ先生も綿シャツと生成りのセーターと灰色スラックスの姿である。黒髪の角刈りだけは変わらないが。
「ロザリンド・コロナ。お前の進路希望は?」
机は一番後ろの三席を使い、一つをロッカー側に置き、右が生徒、左がターニ先生という位置づけである。クラス委員で純白肌に黒髪ウェーブと菫色の眼のロザリンドは背筋を伸ばして両手をひざに置き、両足を床につけている。いつもの白いワンピースに薄藍色の五色麻のストールを羽織っている。
「はい。私は母が植物学者で植物研究センター長も務めていますから、母の事業を手伝いたいです。その為には園芸科のある高校、植物学科のある大学に進学したいです」
ロザリンドの家は植物の品種改良を行う研究所で、センター長の母と植物学を学んでいる大学生の兄がいる。
「植物学専攻……ね」
ターニ先生は進路考査表に書き込む。
「トルスカ・フェビアン。お前の進路は?」
トルスカは車椅子に乗ったまま対話する。
「僕は世界の情報を異国に伝える仕事に就きたいです。外交官か情報調査官、それかジャーナリストを」
トルスカはターニ先生に語る。
「国際関係ね……。君は体が虚弱な分、頭脳が優秀だからエリスナ語も陽明語もリーネ語も出来るだろう」
ターニ先生は進路考査表に書き込む。
「バルトゥル・リムド。お前の進路はどうしたいと思っている?」
バルトゥルは背筋を無理に伸ばしているため肩までまっすぐになり、両手を丸めた拳はひざに着き、足はつま先を立てて座っている。
「……まぁ、そんなに固くなるな。気を抜け。もう少し勉強したいとか、家の農園を継ごうとか、なりたい職業とかないか?」
青い目をまん丸くさせていたバルトゥルは垂れ目に変化させる。
「そういうの、考えていた事ないんです」
バルトゥルは気弱に答える。
「そんなに気難しくなるなって。お前の成績で入れる高校もあるし、総合学校だって……。試験は年明けの春だし、その時に決まっているだろう」
ターニ先生は気兼ねなく言ったが、バルトゥルは黙っていた。バルトゥルはわからない。学校にも通わなくちゃいけないし、養父の農園を手伝わなくちゃいけないし、世の悪、邪羅鬼と戦わなくちゃいけない。この三つがバルトゥルの全てである。
次の生徒と後退してバルトゥルは図書室の机に顔を乗せて座り込む。
「バルトゥル、何があったん?」
女子生徒の一人がバルトゥルに訊ねる。その時、自習していたトルスカとロザリンドがいつもは元気なバルトゥルが腑抜けになった様を見て声をかける。
「バルトゥル、先生に何かきつい一言を言われて落ち込んでいるの?」
「……」
「それともどこか痛い?」
「別に」
トルスカが聞いてきてもバルトゥルは返事するのも腑抜けている。
(……何か似ているなぁ。バルトゥルが転校してきた日と修学旅行のあった日、怪物が出てきて緑色の勇士が駆けつけてきて、その人がバルトゥルと似ているような気がして……)
ロザリンドはバルトゥルの顔を見つめ、緑の衣の戦士とオーバーラップしたかのように見えた。だが今はそんな事を考えている場合ではない、と打ち消してバルトゥルに言った。
「もしかしてフィロス以外の場所の学校に行くのが怖いんじゃないの? 知り合いがいなさそうな場所に行くのが不安ってやつ。一年も経っていないのに移り替わっていって、慣れたのにまた出ていかなきゃならない、ってのが。
私、去年転勤族って女の子の世話に当たってて……」
「それと俺の将来と何の関係があるの?」
バルトゥルは皮肉そうに答えた(実際皮肉ではないが)。
「しばらくほっといてくれない? 頭の中、ごちゃごちゃする……」
トルスカとロザリンドは頷き合って自習することにした。その間に全員の進路指導が終わって、掃除の時間になり、生徒達がクラブ活動しているさ中、バルトゥルは暗い顔をして家に帰っていった。
「はーあ」
家に帰ってからもバルトゥルは溜め息ばかりついていた。晩食のシチューも器の半分しか減っておらず、養父母のマーニャとサムエルが元気のないバルトゥルを見て気遣った。
「バルトゥル、お前がそんなにご飯を残すなんて……。一体何があった?」
サムエルが息子の様子を見て訊ねる。
「ああ。今日学校で進路指導があって、学校どうしようか迷っているんですって」
マーニャが横目づかいで息子を見る。
「バルトゥル、それでか。それでお前はどうしたいんだ?」
サムエルが問いだすとバルトゥルは呟く。
「……わからないよ」
「そりゃまたどうして」
「どうしたらいいかわからないから悩んでんだっ! 俺は学校行って果樹園で働いて、時々遊んでいていい、って思っていた。俺、山の中にいたから……常識とか法律とかそういうの知らないですごしてきたから……」
バルトゥルは一旦カッとなった後、うつむいた。マーニャとサムエルは顔を見合わせて困らせた。確かにその通りだった。人間としていつ終わるか分らぬ山中で過ごしてきたバルトゥルは人間の世界を知ってから迷いや悩み、ひがみや間違いなどといった多くの感情を知り、いくつものの学や知識や技術も得た。
「考える時間足りなくて焦っちゃっているのね。今日はもう寝なさい。体も心も疲れているだろうし……」
マーニャがなだめて言うとバルトゥルはこくりと頷く。そして席を立ち、台所を出ていくバルトゥルの後をミグとカルクがついていった。
「バルトゥルが五、六歳だったら私達もあの子も十年くらいは平気だったのかしら……」
マーニャは子供のいなかった自分達夫婦にいきなり野育ちの十四歳の息子を持ってしまったのは問題があったかのように溜め息をつく。
「いや、大切なのは取り返しのつかない悪人に育てさせない事だ。詰め込み式教育のせいで無差別に人を襲った子が都会に出たというし。そしたら親が後を継がせるために正しく育てた筈がああなった、というじゃないか。その上わしの……」
同級生が加害者の母親だった、とサムエルは呟いた。生活のために都会に働きに行った彼女は資産家と結婚して最初の子供が生まれた時、第二、三子の見本にさせるよう長男を厳しく躾けた結果の末、不幸になってしまったのだという。
「わしは学校の成績が悪かった故、進学をあきらめて親の農園を継いだがな」
「そうだったかしら? でもあなたは勉強をやりたがらなかった進学しなかったんじゃなかったっけ?」
マーニャが夫の生い立ちを聞いて、思い出して聞き返す。
「そうだったか?」
「せめて高校ぐらい入ってほしかったわね」
二人は笑い合った。
さて、その日の夜中、フィロスの北東の地区の一軒が炎に包まれ、群青色の空の中、緋色の炎がメラメラと音を立てて、その家の家主である老夫婦が息子の名前を叫び続けて燃え盛る家の中に入ろうとしていた。
「オーギュ、オ~ギュ~!!」
「奥さん、よして下さい!」
オレンジのヘルメットにダークグリーンの防護服を着た消防士が老女を押さえていた。炎は隣町と公共の消防隊によって消火されたが、家は黒い炭の山となり、その中から黒焦げになった老夫婦の息子の焼死体が出てきたのだった。周囲には被害は出なかったものの、老夫婦は家を失い、更に息子を亡くしてしまったのだった。
それから二日後、フィロスの教会で焼け死んだ老夫婦の息子の葬儀が行われた。屍は黒く炭化しており人には見せられない状態であるため棺桶に収められていた。灰色の曇天の下、教会の礼拝堂では皆、黒い喪服を着て、バルトゥル一家もロザリンド一家もトルスカ一家、同級生の一家も何組かも葬儀に参加した。参列席の一番前では被害者の両親、そして都会へ嫁いだという被害者の姉が座っていた。両親はハンカチで目頭を押さえて泣いているのに、姉の女性は黒い帽子と黒いベールをかぶっているため髪と目の色はわからなかったが、白粉を塗った肌と桃色の口紅の化粧をしており、顔を真っ直ぐ上げており唇を一文字にしている。
牧師さんの冥福の祈りの言葉が終わると、教会の隣の墓地に埋葬された。棺桶は土をかぶせられ、十字をかたどった白い墓石の下には青と白の花束が置かれた。バルトゥルはその様子を見て、幼き日に自身の母の亡骸を森の中に埋葬した事を思い出していた。
(……あの人も父ちゃんと母ちゃんと同じ空の国に行ったのかな)
それから確か家にある童話の一節に「優しく正直で親切なおばあさんは天国に行きました」というのを。バルトゥルはあの老夫婦とその子供に関わった事はないが悪人ではなさそうだと思っていた。ただ姉の方は美人だが冷たく意地悪そうに感じる。
「バルトゥル、帰るよ」
マーニャに言われてバルトゥルは両親と共に帰っていった。炎の中、命絶えた息子の老親の姿を振りむきながら。
「それで父さんと母さん、まさか私の処に転がり込んでくるんじゃないでしょうね?」
全ての喪客が帰った後の教会の裏にある牧師館の応接室で老夫婦の姉娘が二人に言った。お応接室は白いソファーが左右に置かれ、間を挟むように白木のローテーブルが置かれている。姉娘は左に、老夫婦は右に座っている。
「私は嫌よ。折角、猛勉強して都会の大学に入って就職して資産家と結婚して裕福な暮らしを手に入れて、子供を二人とも有名私立に入学させたってのに。夫の年末の仕事の手伝いだっていうのに弟が死ぬなんて……」
姉娘は足を組んで偉そうにし、ベールを外した顔を憎々しげに睨みつける。顔は美人の作りで鼻が高く目は鋭角で暗灰色、髪の毛は褐色の髪をアップにしていて背も高くて四〇歳前後である。だが性格は……。
「第一オーギュが自閉症なんか持って生まれてきたんだから、私と父さんと母さんが苦労してきたってんのに。ワガママで乱暴でキレやすくてバカだし。おかげで姉である私がオーギュのせいで同級生や上級生にいじめられてきたかオーギュはお構いなしだし」
姉娘は死人に口なしなのを言い放題に弟オーギュの悪口を老夫婦にぶちまける。
「でもな、ジエイラ……。わしらはその……」
「住む家がないから、財産も年金しかないから私の家に来るって言うんでしょ!? オーギュばかり手をかけていて私の事はほったらかしだったくせに!! 私の家と夫の財産に頼るんでしょ!? ふんっ、図々しい!!」
そう言ってジエイラは立ち上がってドシドシと足を鳴らしながら、扉を開ける。
「もうここには来ないわよ!! あんた達の面倒も見てやらないわ!!」
ジエイラは早口で怒鳴る口調で扉を強く閉めた。
「あの子はわしらが余生は教会の使用人として仕えるから心配いらない、って言おうとしただけなのに……。どうして決めつけるんだろうか……」
「ジエイラには私達の面倒をみる責任はない、って言おうとしただけなのに……」
老夫婦は身ぶるいを立てて涙をこぼした。老夫婦の息子オーギュは重度自閉症でこだわり意識が強く、親も姉もオーギュの奴隷として暮らしていたものである。決まりごとが守れないとオーギュは泣き騒いで両親と姉に暴力を振るってきた。食事に野菜や魚を入れない、舞ちゅう日曜日には都市の遊園地に連れていくなどといったオーギュの決まり事にジエイラは我慢の限界を感じて彼女は寮のある高校と大学に進学し、都市に就職と結婚をした後もフィロスの実家に帰る事は一切なかった。老夫婦もジエイラにかまってやれなかった事を後悔していた。……かのように見えた。
「一番ずるくて真っ先に逃げ出したのはジエイラですものね……」
「ああ。あいつはオーギュの支配から逃れるために一人で勝手に家を出ていきおった。
わしら二人で三〇過ぎたオーギュを養い苦しめたツケを払ってもらわなきゃな……」
老夫婦は病み上がりの顔に誰かが見たらゾッとするような笑みを浮かべた。
葬式のあった日の午後、バルトゥルは町広場へ行ってお菓子を買いに行っていた。町広場は建物は一階が店舗で二階が住居になっているのが多く、一階と二階の間に看板がかけられている。町広場は大きな時計台と噴水と紅白の石畳の地面で、お使いにやって来た子供や奥さん、店では店番をする子供や親の商店を手伝う子供が見られる。
バルトゥルは一軒の菓子屋から出ると、量り売りのチョコレートとキャンディを袋から一個ずつ取り出して口に放り込んでいた。葬儀の後、バルトゥルは帰宅後昼食を終え、両親と共に果樹園の作業をしているさ中、養父サムエルが亡くなったオーギュの姉についてこうもらしていた。
「あのご夫婦の娘さん、酷いよなぁ。弟が不慮の事故で亡くなったというのにかなしんでいるような感じじゃなかったね。不機嫌そうな顔をしていたよ」
「そうよね、弟さんの面倒を見たくないから、って両親と話し合わないで勝手に寮生学校、都市就職、結婚してからも今日までフィロスに帰る事はなかったそうよ。ジエイラさん、夫の両親の世話を見ているわけでもなさそうだったし……」
マーニャも柘榴に殺虫液を注入しながら呟く。木の実を籠の中に入れていたバルトゥルはジエイラの個人進路を聞いて二人に訊ねる。
「どうして? ジエイラって人は偉いと思うよ。中学卒業する前から早く進路を考えているなんて……」
「それは違うよ、バルトゥル。〈すでに進路を考えている〉と〈嫌なことから逃げるために家を出る〉ってのは全く違うんだから。バルトゥルに自閉症……いや知力の弱い弟がいる子には知らないが、家族と暮らしたくない人もいて、自立とは違うものでな」
サムエルはバルトゥルにわかりやすく説明する。
(自立と逃げるは違う、か……)
バルトゥルは畑や白い家の並ぶ道を歩いていた。空を見上げると曇り空は午前より濃くなっていて、雨がいつ降ってもおかしくない感じである。よく見ると外の洗濯物をしまうおばさんや残りの畑仕事を急ピッチで片づける農夫一家がいる。バルトゥルも急いで帰ろうとした時、服ポケットの中の機械、転化帳が激しく鳴った。この音は邪羅鬼が出現した時の音だ。バルトゥルは腰ポケットから掌大の緑色の機器、転化帳を取り出して開いた。画面のレーダーには北東にいる事を示し、生映像モードに切り替えると、ジエイラが自身の両親である老夫婦に襲われていた。父親が娘の首を絞め、母親が後ろからジエイラを羽交い絞めにしている。
「このおじいさんとおばあさん、邪羅鬼に取りつかれているのか……! 早く倒しに行かなきゃ!」
バルトゥルは引き返して、現場へと急行した。曇天がごろごろ鳴ろうとしている。
ジエイラは苦しんでいた。忘れ物を取りに牧師館に戻ってみたら、牧師とその夫人と二人の息子が倒れており、ジエイラの両親が彼女を襲って来たのだ。
「はが……が……」
老人とはいえ大人一人を押さえつける力があるうえ、二十年以上助けてくれなかったジエイラへの憎しみがこんなに強いのか、と彼女は思っていた。白い上壁とダークブラウンの下壁と廊下で、ジエイラは老父母に襲われていた。
その時、バタン! という音がして、玄関の扉が大きな音を出して破られた。そして赤い髪に緑の服の成長期半ばの少年が飛びこんできたのだ。
「やめろっ、邪羅鬼! おじいさんとおばあさんの心の弱さを利用して他の人を苦しめるのは!」
少年の声を聞いておじいさんはジエイラを絞めていた首を離し、おばあさんも娘の拘束をやめた。ジエイラはむせながら、誰が両親を止めてくれたのか顔を上げた。
(だれ……? 男の子……? あの姿は……?)
ジエイラが驚くのも無理はない。少年は前髪の二房が緑に染められ、頭部に角と長い緑の耳、腰に毛を生やした緑の尾を付けていたのだから。
「聖神闘者か。我々(・・)がこの夫婦に代わって一人だけ幸せになりあがった娘を殺してあげようとしたのに……」
おじいさんはかつてのか細いしゃがれ声とは違い、冷たく恐怖性のある男の声を出す。
「いいじゃない。この二人のおかげで我々の力も二倍なのだから」
おばあさんもカラカラする声ではなく、若くて冷徹な女の声を出す。そして二人の体から黒い影が出てきてそれが人形をかたどり、気味の悪い蟲人間の姿になった。男の方は体が黒く背に二枚の縮れた翅と赤い複眼と丸まった触覚を持ち、女の方は白い体に褐色の複眼で翅と触覚はない。二人とも古風な灰色の衣を着ている。雄と雌で姿の違う寄生昆虫ネジレバネの邪羅鬼である。ジエイラは二体の邪羅鬼を見て叫んで恐怖ですくんでしまった。
雌雄の邪羅鬼はバルトゥルに向かってきて、雄がトゲのついた拳手をバルトゥルにかましてきた。バルトゥルは敵の拳手を腰に下げてきた湾刀を抜いて受け止め、邪羅鬼が何度もトゲ付きのパンチを出してくるのでバルトゥルは苦戦を強いられる。壁に追い詰められた時、敵の拳が向かってくるのを殺気で感じ取り、真下へと頭を引っ込めた。
ドゴォン、と壁が砕けて煙を出し、空いた周りには亀裂がいくつも入っていた。
「うげ……、あれを受けたら一たまりも……」
バルトゥルが様子を見て驚いていると、雌の邪羅鬼がバルトゥルの首根っこをつかんできて、窓に放り投げた。窓はガッシャーンと音を立てて、バルトゥルはガラスの破片と共に雨降る裏庭に放り出された。
「あてて……」
体にはいくつものの細かい傷が付き、体を押さえて立ち上がると、邪羅鬼が二体同時にバルトゥルに攻撃してくる。トゲ付きパンチと大蹴りである。バルトゥルはまともに受けて、真後ろの菩提樹にぶつかった。
『大丈夫か、バルトゥル!?』
懐の転化帳から緑雲殿の翠麒が呼びかける。
「す、翠麒か……? 大丈夫じゃないよ。邪羅鬼二体と戦っているんだもん」
バルトゥルは弱気に答え、パンチとキックで攻めてくる邪羅鬼の動きをよけるばかり。
「あ~、もう、じれったい!! 石英針!!」
バルトゥルは湾刀を弧に描いて、結晶の針を邪羅鬼に飛ばす。しかし邪羅鬼は素手で石英針を受け止め、ぐしゃりと握り潰した。
「うげっ!! 効かない!?」
『効かないだと!? そいつらはどんな姿だ!?」
翠麒が訊いてきたので、バルトゥルは答える。
「ええと、蟲っぽいの。片方は翅を持ってて……」
『この邪羅鬼は木行だ! 土行の君では不利だ! 弱点をつかめ!』
「じゃ、弱点!? え、えーと……」
バルトゥルがうろたえていると、雨がどしゃ降りになり、更に空から稲妻が走ってきて教会の近くの木に当たって燃えて、発火した。木は黒く燃え、更に上下真っ二つに折れ、オレンジの炎を上げている。
「うおおっ」
その様子を見て邪羅鬼が恐れおののく。
「そうか、こいつら木行だから火に弱いんだ。だったら……」
バルトゥルは牧師館近くの原生林の中へ突入した。それを見て邪羅鬼も追う。原生林はブナやスギや楡などの木々が生え、地面は雨でドロドロになっている。
「うう、どこ行った。聖神闘者!?」
邪羅鬼が頭を左右にバルトゥルを探していると、どこからかバルトゥルの湾刀が回転しながら飛んできて邪羅鬼の足元に落ちた。
「これは……」
雄が拾うと空から稲妻が落ちてきて、二人に当たった。
「ぎゃあああああ!!」
雷に打たれた邪羅鬼は黒焦げになり、ぶすぶすと音を立てて倒れる。そしてどこからかバルトゥルが現れて、両手に土行の聖力を込めて大地から光の翠麒を出してきた。
「濁しき邪気よ、大地の豊かさに浄化され、体は無へと還れ。翠麒地裂‼」
光の翠麒は二体の邪羅鬼に突入して呑み込み、消滅し、砂利と砂ぼこりと牧師一家と思われる金色の粒子となった。
「俺の剣を避雷針にして敵に掴ませ、雷を落とす……。山の暮らしで雷が落ちて木が燃えたのを思い出したぜ」
そう言ってバルトゥルは無傷の剣を拾って、転化を解除する。バルトゥルは結晶に包まれると角と耳のない普段の麻の服の姿に戻る。
そして雨もやんで、空から日光が差し込んできた。
それから数日後。バルトゥルは毎日図書室で総合学校や高校の資料を読みまくって、自分に合う学校を探すようになった。
「バルトゥル、お前、どこの学校に行くんだ?」
同級生の男子がバルトゥルに訊ねた。
「俺、生物と地学を専攻したいからそういう学校に行ってみたい、って思うようになったんだ。やっぱり好きなの得意なのが向いているみたいでさ」
「ははは。そりゃ言えてる。バルトゥル、お前知っているか? オーギュって人の両親、都会に嫁いだ娘さんに引き取られたんだって。うちの母さんが井戸端会議で耳にしたんだって」
同級生の話によると、ジエイラはあの事件の後、両親に取りついていた邪羅鬼の恐怖に懲りて両親を弟に押し付けた報いだと思って、罪滅ぼしとして引きとったのだそうだ。
「にしてもジエイラさんの言っていた化け物ってなんだろうな。あの人、悪い夢でも見ていたのかなぁ」
同級生は腕を組んで考える。しかしバルトゥルは「そうなんだ……」としか言わなかった。
(だけど、俺はジエイラさんとは違う。嫌なことから逃げて、ってのは夢とはいえないもんなぁ。でも、おじいさんとおばあさんがジエイラさんと仲直り(?)できて良かった)
バルトゥルはあの日の、雨上がりの空のように迷いが晴れたような気がした。
(俺も今の父ちゃんと母ちゃんと仲良くしていたいな。いや、トルスカや学校のみんなと別れても仲良くしたい! そして新しい学校でも仲良くなれる人ができるといいな‼)
そして未来への一歩が始まる。




