「青」の書・第4話 家出エヴァンス
『五聖神」23話。ケンドリオンの元に弟エヴァンズがやって来た。何でも失態を起こして自分の家にいられなくなって父と兄を訪ねてきたのだ。ほんのわずかでも弟と暮らせることを喜ぶケンドリオン。だけど、弟にケンドリオンの秘密は知られてはいけない……。
それは六日間だけの楽しい日々であった――。
露草色の屋根の邸、草笛荘。グラスフィールドの有名な屋号の邸の一つ。二〇〇坪の敷地には邸の他、庭と芝を刈った車庫がある。
十一月の終わりの夜、外は真っ暗でこの日の夜は空は雲に覆われ、空気も凍るように冷たい。草笛荘の家主の息子、ケンドリオンは弟、エヴァンスと共にキッチンで通いつけのヘルパーさんが作ってくれたベーコンポテトソテーとシーザーサラダ、コンソメスープと黒パンの晩ご飯を食していた。
「まあ、その何だ。ティファニーのほとぼりが冷めたら帰ればいいだけだし」
ケンドリオンはテーブルの向かいに座るエヴァンスに言った。エヴァンスはもそもそと黒パンをかじっている。
「お前がうちに来たなんて、思ってもなんだ……」
ケンドリオンは弟に言う。事の始まりは二時間前。ケンドリオンがオレンジバレーの学校から帰ってくると、家の玄関前でエヴァンスが座っていたのだ。エヴァンスの親権はピアニストに復帰した母親、エイミー・ポーリーンの筈だ。エヴァンスはダウンジャケットに無理に荷物を詰めたリュックサックを背負ってきたエヴァンスを見てびっくりした。
「え、エヴァンス……!? お前、どうしてうちに……?」
ケンドリオンは眼鏡の下の銀の双眸をまん丸くさせて弟に訊ねた。
「逃げてきた」
「はぁ……!?」
エヴァンスのその一言で、その日々は始まった。
エヴァンスの話によると、エヴァンスは姉ティファニーの音楽学校で使う歌唱テスト用の楽譜を誤って汚してしまい、ティファニーにこっぴどく叱られるのが怖くてグラスフィールドの兄と父を頼ってきたのだった。
「こりゃー、母さんとティファニーに言わないとなー……」
ケンドリオンはハハハ、と弟の家出話を聞いて小笑いした。でも追い返しはせず、家に置いてあげた。エヴァンスをかつて彼が使っていた部屋に連れていき、休ませた。自分の携帯電話に母エイミーにメールを送った。母のメールアドレスは以前のリサイタルで教えてもらったものだ。
『母さん、エヴァンスがグラスフィールドの僕の家に転がり込んできました。ティファニーのほとぼりが冷めたら帰します。父さんにも何とか言っておきます』
〈送信〉ボタンを押して、ケンドリオンはオールドブルーの制服から私服の灰色のトレーナーと黒いハイネックシャツとカーキグリーンのパンツに着替えた。
夕食を食べ終わった後はエヴァンスはリビングでテレビアニメを見ていた。ケンドリオンは食器を片づけ、流し台の金属だらいの中に入れた。台所はケンドリオンの幼少期に石タイルの流し台とストーブ型のコンロから食器洗い機能付きのシステムキッチンに買い替えられた。食器洗い機はパーティーなどの行事で食器が多く出された時に使うと決められていた。
食器を磨き終わったケンドリオンの服ポケットから携帯電話の着信音が鳴って、携帯電話を開いた。父親からだった。父親にもエヴァンスが家出してきたというメールを送ったのだった。
『エヴァンスが家出してうちに来た? 仕方がない。帰りたくなるまでうちに住まわせてやるか』
ケンドリオンはすぐさま、送信メールを送り、二十分後に父のバーリーが帰ってきたのだった。
「いいか、エヴァンス。僕はこれから学校に行く。お前は流石にドーンレイクの学校からかようにのは無理っぽいから、僕が帰ってくるまで家にいろよ。
昼間は通いつけの近所のおばさんがホームヘルパーになって来るから、おばさんの言う事をちゃんと聞くんだぞ。困らせたりするなよな」
次の日の朝、ケンドリオンは学校に行く時、弟に言った。エヴァンスが台所のテーブルでフレンチトーストとサラダを食べながら頷いている。
「あと、どうしてもヘルパーさんに頼れない事があったら兄ちゃんの携帯電話にメールでも電話でもしてくれ。ちゃんと帰ってくるから」
「うん、わかった」
エヴァンスはそう言って制服姿の兄を見る。ケンドリオンはオールドブルーの制服の上からコートを羽織り、鞄を持って家を出た。
「行ってらっしゃい」
エヴァンスは無邪気に兄を見送った。父はすでに勤務先の都市に行った。グラスフィールドの朝は空が桃色と青が混ざり、冬の空気が冷たい。人々も学校に行く子供や出勤する大人達の姿が見られた。木材とレンガでできた家々からも声がする。ケンドリオンはバス停に行き、丸みを帯びたバスに乗ってオレンジバレーの学校へと登校する。
オレンジバレーハイスクールでケンドリオンは教室で友人のジェイミーに弟の家出を話した。
「そりゃあ……、災難だったね。エヴァンスが転がり込むなんて……」
ジェイミーは学校机に鞄をかけて、軽く笑いながらケンドリオンに言った。教室では同級生達が仲良しグループで話し合ったり、机に座って宿題を終わらせようとしていたりする様子が見られた。
「昨日だって夜受験勉強をしている時にさ、『何か面白い話をして』って入ってきたんだよ。こっちは法学大学の神学受験がかかってきてんだ」
ケンドリオンは眼鏡を外して制服の胸ポケットの眼鏡ふきでレンズを磨く。弟の事を憎らしく言いながらもその表情が楽しそうであった。
「でもさ、エヴァンスがさ、ケンドリオンを頼ってきたってことはさ、そんだけケンドリオンが好きだってことなんじゃないの?」
ジェイミーが一時間目の授業のノートを出しながら言う。
「そうかもしれないけれど……。かといってあいつは学校を替えてからまだ三ヶ月しか経ってないから、友達に頼るのもってもなあ……。ついでに言うとじいちゃんとばあちゃんや叔父さんのとこにも……」
その時、授業開始のチャイムが流れ、生徒達は着席した。
この日はクラブの日でケンドリオンも自身の所属先の鉄道研究部の活動先の一年C組の教室へ教室へ行って、楽しい時間を過ごした。ケンドリオンは授業が終わる度に携帯電話のメールをチェックした。どうやらエヴァンスは大丈夫らしい。ヘルパーとして雇っている近所の主婦が必ず報告メールを送ってくれており、エヴァンスが熱を出したりなどのトラブルは出ていないようだった。ケンドリオンはほっとした。
「……以上で来週の日曜日には野外活動として、サウスジャックの鉄道博物館行きが決定しました。部員は希望参加ですが、当日病気やケガなどの理由で来れなくなった人は部長か顧問の先生に連絡の電話をしてください」
鉄道部副部長が黒板に部長と顧問のアルフレッド先生の携帯ナンバーとメールアドレスをかいている。鉄道部の部長は三年C組のグスターブ・ドナーでケンドリオンと同じ背丈に黒いざんぎり頭と緑の目に四角い顔の白色系の青年で成績は真ん中の平凡な雰囲気だが、鉄道好きで大学を出たら駅長になりたいという夢を持っていた。副部長のジャネット・フィクトンは南大陸系の血を引く赤毛のソバージュと浅黒い肌と大きな黒い眼の小柄な三年B組の女子で、喋り方にカイキス語に近い訛りがある。
(……まあ日曜日は父さんがいてくれるから、僕は楽しんでもいいよね。エヴァンスも父さんがいれば……)
ケンドリオンは日曜の参加を希望したのだった。このまま日曜日さえ何もなければそれでよし。父や学校のみんなや近所の者や牧師さんにはケンドリオンが東大陸を治める五聖神の蒼龍に頼まれて邪羅鬼と戦っている事は黙秘している。学校とクラブと受験勉強と教会活動もあるのに、影の英雄として生きている。だからこそ表の歴史や伝説に聖神闘者は載らない。
学校が終わると、ケンドリオンは草原の町を行きかうバスに乗って、グラスフィールドに帰宅する。
「お兄ちゃん、お帰り」
エヴァンスが玄関先で兄を出迎える。弟が迎えに切れくれた時、ケンドリオンの心に温かさが沸いた。
「ただいま、エヴァンス。大人しくしてくれたかい? モニカおばさんに迷惑をかけなかったかい?」
モニカおばさんというのはケンドリオンの家の五軒向かい右にある家の主婦で、夫は町医者で三人の子供がいるが、その子供達も大学生や高校生になって手がかからなくなってパートヘルパーになったのだ。
「モニカおばさんがピーチタルトを作ってくれたんだ。お兄ちゃんと一緒に食べるって決めたんだ!」
「ああ、ありがと、エヴァンス……」
エヴァンスがケンドリオンの手を引っ張り、家の中にまね入れた。
(弟がいる家っていいんだな……)
ケンドリオンは小さな笑みをこぼした。
それから三、四日と流れ十二月に入り、土曜日の昼、学校から帰宅途中のケンドリオンはオレンジバレーの川べりで、黒地の体と赤い斑点のついたゴミ虫邪羅鬼を倒した。ケンドリオンはオールドブルーの制服から鮮青の聖神闘者の衣になり、龍頭の二丁拳銃を使いこなして邪羅鬼を倒したのだった。横たわって体中から緑色の血を流している邪羅鬼は体が枯れ葉となって消滅した。
「今日も何とか倒せたか……」
そう呟くとケンドリオンは転化を解き、龍角と龍尾のないオールドブルーの制服姿に戻る。空は青々と染まり、太陽は真上をさし、赤レンガのアーチ型の橋が見える枯れ草の土手と大小の石ころが転がる川沿いはさらさらと音を立てて流れている。ケンドリオンは鞄を持ち、急いでエヴァンスの待つ家へと帰っていった。
土曜日は十二時十五分にいつもなら帰宅できるのだが、今日は邪羅鬼退治のため、四十五分も遅れた。
「お兄ちゃん、やっと帰ってきた。どうして? メールには十二時十五分に着くってあったのに」
エヴァンスは玄関先で帰宅したケンドリオンに詰めよってきた。エヴァンスは携帯電話を持っていないので、草笛荘のコンピューターでメールを受け取っていた。ケンドリオンは急いできたので口からハアハア息を吐き、顔はサウナに入ったように真っ赤、顔には汗も浮かんでいる。
「え? ああ……。その、ちょっとした事件に巻き込まれて……」
ケンドリオンは言い訳してみたが、慌てていたので頭が回らない。
「お兄ちゃん、モニカおばさんが昼ご飯を作ってくれたけど、いる?」
「ああ、待ってろ。着替えてくるわ……」
そう言ってケンドリオンは自室へと向かって制服を脱ぎすて、黒いハイネックセーターとベージュのパンツを引っ張り出して着替えた。
『弟にも黙っているのか? 聖神闘者の事は』
制服をハンガーにかけてクローゼットにしまおうとした時、ブレザーのポケットからクールな男の声の蒼龍の声がしてきた。ケンドリオンは制服のポケットから青い掌大の機械、転化帳を開いて返答した。画面に黄色い瞳に青い鱗のドラゴン、蒼龍の顔が映った。
「ああ、僕が人間では倒せない怪物退治してるなんて、冗談と思われるから言わない。エヴァンスだって八歳だけど、そうホイホイ信じないよ」
ケンドリオンがいらいらしながら言う。弟を予定より長く待たせてしまった上に走って帰ってきたから、いつもより余計に腹が減っている。
『ケンドリオン、話があるのだが……』
蒼龍がそう言いかけた時、ケンドリオンが転化帳を閉じて、強制シャットダウンさせてしまった。
「悪いけど、先に食べさせてくれ」
そう言って転化帳を机上に置いて、台所に行ったのだった。
台所のテーブルでケンドリオンはモニカおばさんが作ってくれた昼食のマトンシチューを食べた。羊肉を二時間煮込んでキャベツやニンジンやジャガイモやタマネギも固まりで入っており、塩コショウで味付けした塩味が広がる。添えにチーズと黒パンもある。
「やっとこれで腹が治まる。そうだ、エヴァンス。兄ちゃん、明日のクラブ活動でサウスジャックに行くことになったから、父さんと留守番しててな」
ケンドリオンはシチューを口にしながらエヴァンスに言った。それを聞くとエヴァンスは少し落ち込んだ。
「エヴァンス、兄ちゃんだってやりたいことがあるんだ。一日くらい我慢してくれよ。な?」
ケンドリオンはどうしてもクラブ活動に行きたくてどうしようもなかった。ところがその日の晩、帰ってきた父の一言で――。
「えっ、父さん明日おらんの!?」
ケンドリオンは夕食後に食器を洗いながら父の日曜出勤を耳にした。
「ああ、細胞草食装置にトラブルがあったもんでな、もしかしたら泊まりになって、帰るのが明後日かし明後日になってしまう……。エヴァンスをどうしても一人にしたりモニカさんに見てもらうってのも……」
父はケンドリオンに申し訳なさそうに言った。ケンドリオンはがっかりしたが……。その時、胸ポケットに入れていた携帯電話が鳴った。ケンドリオンは蛇口の栓を閉め、食器棚に備え付けた鉤にかかっているタオルで手を拭いた。携帯電話を胸から取り出し、メールを見てみる。送り主は母であった。
『ケンドリオン、ティファニーはもう楽譜の事は怒っていなくて、エヴァンスが帰ってきてほしいと言っているの。明日サウスジャックでコンサートをやる事になったから、ケンドリオンがサウスジャックに行くのなら、エヴァンスを連れてきてサウスジャックの駅で夕方五時に受け渡したいと思っています。
出来ますか?』
ケンドリオンは母からのメールを見て、歓喜する。もし、これが本当なら今直ぐでもやりたい。ケンドリオンは早速エヴァンスのいる部屋に向かっていった。
「……ということなんではい、はい。母が迎えに来るまで一人にしていけない、って事でいいですか? 先生、ありがとうございます」
翌朝、ケンドリオンは顧問のアルフレッド先生にエヴァンスを母の元に帰すまで共に行動しても良いか許可の電話をし、受話器を置いた。
「これで行く事になれて良かった」
ケンドリオンは安堵し、後ろで待っているエヴァンスを連れて草笛荘を出た。空は白い雲に覆われていおるけど、雨の心配はなさそうだった。空気は流石に冷たく、コートや手袋の他、マフラーや帽子も必要な寒さである。エヴァンスは夕べ兄から母親の帰ってきてほしいというメールを見せられて、戸惑いながらも頷いた。
「ママがそう言っているのなら……」
ケンドリオンは制服ではなく、私服の紺のタータンチェックのネルシャツと水色のインナーとアイボリーの厚手パンツと白いボア付きのマリンブルーのダウンジャケットを着て、駅に行くバス停まで向かった。エヴァンスも家出した時と同じオレンジのダウンジャケットと紅いリュックを身につけて、ケンドリオンについてきた。
駅までバスに乗って、電車に乗ってサウスジャックに着くまで三十分。朝十時の集合時間に間に合うように二人は朝七時に起きて、出発したのだ。
サウスジャックは市内循環鉄道が走る地方都市で、中心に都市の象徴サウスジャックタワーという円柱状のビルと周りに屋根付き建造物、木々もたくさんあり、第一駅がケンドリオンの住む町の鉄道とつながっていて、他の列車に乗り換えるには駅構内で乗り換える。
第一駅では白い柱と赤茶の床の構内にガラス張りの待ち合い室やカラフルなベンチのある休憩場、弁当屋やキオスクなどの店舗があり、オレンジバレー高校鉄道部は九本なる柱の中心の下で集まっていて、アルフレッド先生がみんなに活動の規則を出していた。
「という訳で、これから第一駅内から歩いて十分の鉄道博物館に行きます。他の人に迷惑をかけたり、学校同様校則違反はしないように! あと、ケンドリオン君が弟を連れてきているけど、お母さんが迎えに来るまでの事で、変な気を持たないように」
「はいっ」
鉄道部員達は返事をする。鉄道部のみんなも私服で、ジーンズやロングスカートなどの粗相のない服装だ。アルフレッド先生もハイネックセーターとジーンズで、教師というより休日のお父さんのようだ。
鉄道博物館は深緑の機関車風の建物で、通常機関車の六倍はありそうな感じだった。建物内も年代や国ごとに展示された汽車や列車、貨物車や客車などの車両、ガラスケースに入れられた運転手や売り子の制服、車両に至っては中に入れることも可能で操縦席や客席に座れる事も出来る。みんな写真を撮ったり、情報をレポート用紙に書き込んだりと必死である。ケンドリオンも夢中になって汽車の展示品やら駅弁模型のチェックに夢中になっていた。この日は休日で、家族サービスや暇つぶしやデートで来た客などがいて、人ごみにぶつかったり、はぐれそうになった部員もいた。
十二時になって一同は館内二階の中心にある大ホールで昼食を採る事になった。大ホールはたくさんの白い五人がけスツールが三十も並び、オレンジバレー高校鉄道部の他にも家族連れやカップルなどの客が他の店で買った弁当を食べている。
「あれっ、ケンドリオン君がいないぞ? どうした?」
アルフレッド先生が生徒確認の時に気づき、みんなに訊ねる。
「どうしたんだろ?」
「あの人、ちゃんとルールは守る筈なのに」
鉄道部員はざわめく。
「あっ、まさかアーベル先輩、弟が迷子になったから探しに行ったんじゃ……」
「ええ!?」
クリステルがみんなに言った。
「みんな、静かに! みんなはここで待っていて、先生が二人を探しに行ってくる!」
アルフレッド先生は生徒たちにそう言い、ケンドリオンとエヴァンスを探しに行った。
その頃、エヴァンスは地下鉄展示室にいた。地下鉄ホームと地下鉄駅構内を再現した子の階は蛍光色電灯と一階の明るさと対比していて静かで少し寒く感じる。それにあんまり人も来ない。キオスクも待ち合い室も誰かいる筈なのに出てくる気配はない。エヴァンスは人ごみにまぎれてここに来てしまったのだ。
「兄ちゃんどうしているかな……。どこに行ったのかな……」
エヴァンスは泣きべそを出しそうになりながらも一階の出入り口を探した。しかし、ダイブ離れてしまったためホーム展示場に来てしまった。地下鉄乗り場を再現したこのスペースは、地下鉄の一駅としても扱われており、地下の入り口にもなっている。
「ああっ!!」
エヴァンスは叫んだ。何と地下ホームで倒れている人々が駅員も男も女も子供も倒れているのを目にしたのだ。エヴァンスは自動改札機をくぐり抜け、駅員の一人に呼び掛けた。
「ねえ、何があったの!? ねえ、ねえ……」
しかし反応がない。別の場所でドサッという音がして、エヴァンスはホームを襲った犯人を目にしたのだった。
「何てうかつだったんだ、僕は!」
ケンドリオンは転化帳を片手にエヴァンスと邪羅鬼を探しながら博物館内を走り回っていた。器用に通行人とすれ違いながらも、ケンドリオンは加速装置を作動させたかのように言った。左手に持っている転化帳は邪羅鬼レーダーに作動させており、目的地の地下展示場に向かっている。
「二日蓮即、邪羅鬼が出るなんて思ってもなんだ……。まさかアレが関係していてオレンジバレーとこのサウスジャックに邪羅鬼が出てきたってことに……」
ケンドリオンの言うアレとは、サウスジャックの南下二キロ先にある都市メインジャックで半月前に起きたテロ事件である。テロ首謀者は南大陸が主の宗教、朱雀教徒による東大陸人大量殺傷の事件で、朱雀教神父がサンセリア在住の南大陸人差別問題の解決を政府がさっさと片付けてくれなかった怒りが募って、朱雀教徒四十五人を率いて、街中で発砲を引き、政府要人と無関係の老若男女を合わせて十六人を死亡させ、三十九人が傷を負ったすさまじい事件であった。
「その死者の無念とテロリスト達の憎悪から邪羅鬼が出てきたのか……」
ケンドリオンは邪羅鬼誕生の理由を想定して地下への階段を見つけた。しかし、これから地下階に入る人々がやって来るだろう。ケンドリオンは賢いため、多くの人間が邪羅鬼との戦いに巻き込まれないようの工夫を考えていた。ケンドリオンは背負っていたリュックから大小の水筒を出し、大きな水筒からドライアイスを床にばら撒いて、小さな水筒から普通の水を出してドライアイスにぶっかけた。水をかぶったドライアイスは白い気体を発生させた。
「毒ガスだー!!」
ケンドリオンは叫んで、人々を館内から出すように仕向けた。それを聞いた人々は血相を変えて悲鳴を上げながら博物館の外へと飛び出していった。ケンドリオンはそのまま地下鉄展示場の階段を下っていき、転化帳の「変身パネル」を叩く。
「聖神木転化!!」
ケンドリオンは青い旋風に包まれ、龍角と青い龍尾、青い衣と腰に二丁拳銃をぶら下げた姿に転身する。
エヴァンスはその場で腰を抜かして後ずさりしながら、地下展示場の奇襲犯を目に映していた。麦穂のような尾と鋭い爪のついた四肢、古代連極人が着るような紫の簡易衣、三角形の耳と鋭角な目の怪人――金毛狐の女邪羅鬼である。邪羅鬼はひたひたとエヴァンスの方に近づいてくる。地下鉄展示場にいた人間達を襲い、魂を抜いて食べたのもこいつの仕業である。
「魂おくれ……」
邪羅鬼は舌舐めずりしながら恐怖におののくエヴァンスに言う。エヴァンスがもうダメだと思ったその時だった。銃撃音が鳴り響き、邪羅鬼の胸に衝撃が来た。
「ぐわぁっ」
エヴァンスが何があったのか首を捻ると後ろに青い衣の龍頭の銃を持った青い服の青年が立っていて、邪羅鬼の銃を向けてきたのだ。
「お前にこれ以上人間は襲わせない!」
ケンドリオンは邪羅鬼にそう言い、エヴァンスを抱きかかえる。エヴァンスは状況を見て、頭がちんぷんかんぷんになっていた。ケンドリオンはこの状況を実弟に見られてはならぬと判断し、手刀でエヴァンスのうなじを叩いて気絶させた。弟を柱にかけ、邪羅鬼に銃口を向けて風の気で生み出した青い光弾を撃ち放つ。
ところが邪羅鬼は手で印を結ぶと空中から六枚の丸い鏡を出してきて、ケンドリオンが撃ち放った光弾を吸収してしまったのだ。
「何!?」
ケンドリオンは驚き、足元が一瞬光ったかと思って見てみると、真鍮のような輝きの串がいくつも出てきて、ケンドリオンを押し出したのだ。ケンドリオンは勢いよく飛ばされ、地に叩きつけられそうになったが、銃口を地に向けて引き金を引き、風の弾丸の風圧で落下衝撃を防いで地に着く。
「あの邪羅鬼は昨日倒した奴とは一味違う。母さんのリサイタルの時に出てきたヘラジカっぽいものともかなり……」
ケンドリオンが呟いた時、今度は床だけでなく柱や壁からも串が出てきてケンドリオンを貫こうとしてきた。ケンドリオンは次々と出てくる串を避けまくったが、右脇腹が斬りつけられた。
「うっ……あああ!!」
深くはなかったものの衣が破けて白い地肌から赤い血が流れた。ケンドリオンは急いで自販機の後ろに隠れ、脇腹の傷をこらえながら転化帳を開いて蒼龍に訊ねた。
『ケンドリオン、どうした?』
「昨日倒した蟲みたいな奴とは違う邪羅鬼に苦戦している。狐みたいのだ」
『狐? では肉食獣の姿は金行の力を持っている。木行の君では及ばないぞ』
「ええ!?」
ケンドリオンは苦手タイプの邪羅鬼と出会うなんて思ってもいなかった。邪羅鬼の属性とその対応はずっと前に学んでいるが、傷の熱さと迫りくる恐怖で頭が回らない。
「くそっ……」
ケンドリオンは呟いた。何とかしなければ自分も危うい。その時、ちょうどま正面に館内の地図が目に入った。館内の、一階の中心は中庭で一階にいた時、邪羅鬼の弱点になりそうなものがあった事を思い出した。
「そうだ……。あれだ!」
ケンドリオンはそう思い立つと、立ちあがってかけ出し、左手で脇腹の傷を押さえ、右手で銃をぶっ放して邪羅鬼をおびき寄せた。邪羅鬼は光弾と銃撃音に気づくと、ケンドリオンを追いかけた。その途中ケンドリオンが立ち止まって、大きく跳躍した。
「逃げる前に仕留めてやる」
狐邪羅鬼は印を結び、床から無数の真鍮色の串を出し、ケンドリオンに飛ばしてきた。だが、ケンドリオンは風の力を集めて青い風を全身に包ませる。
「風防盾!!」
ケンドリオンは風の盾で敵の攻撃を回避し、邪羅鬼の串は天井に打ち込まれ、天井は砕かれ、一階の中庭にいた人々は逃げだし、そして中庭に展示されていた貨車も粉砕され、その一つの貨物車から無数の石炭が霰のように降ってきて、邪羅鬼を埋めてしまった。そして邪羅鬼の出した金属串が石炭とぶつかり合って、摩擦爆発を起こした。爆風と爆熱が一階と地下に広まった。
石炭に埋もれた邪羅鬼は首だけ出た状態となり、身動きが取れなくなってしまった。そして風の盾を解いたケンドリオンが木行を込めた掌を邪羅鬼に向けてきた。
「荒みし邪気よ、草木の逞しさに浄化され、体は無へと還れ。蒼龍剛風!!」
空気で出来た蒼龍が邪羅鬼に向け放たれ、邪羅鬼は断末魔を上げながら、砂利と土になった。邪羅鬼に食べられた魂も金の霧散となって解放され、ケンドリオン地に着くと、青い旋風に包まれ、転化を解除。普段着に戻ると、そのまま気を失って倒れた。
ケンドリオンは目を覚ますと、白い寝具のベッドの上に寝かされていて、白い患者服を着せられていた。
「ここは……!?」
もうろうとした意識で見回すと、父や先生、クラブの部長と副部長がケンドリオンを心配そうな眼差しで見つめていた。
「父さん……、先生……、みんな……? ここは……?」
ケンドリオンがみんなに訊ねると、ここはサウスジャックの総合病院であった。
「ケンドリオンくん、君は鉄道博の地下展示場で倒れていて、傷を負っていたから病院に運ばれたんだ。他にも地下階にいた人たちも運ばれたんだ」
アルフレッド先生が説明する。
「きず?」
起き上がろうとした時、右脇腹が痛く感じた。その痛みでケンドリオンは全て思い出した。
「父さん、エヴァンスは?」
ケンドリオンは弟を心配して父に訊く。
「エヴァンスは無事だよ。さっき……ティファニーに連れられてね」
「母さんは?」
「エヴァンスがテロ事件に巻きこまれたと聞いて寝込んでしまった。エヴァンスは泣いてたよ。『兄ちゃんに何も言わないまま帰るのはヤダ』とね」
「そうか……エヴァンスは無事か……」
ケンドリオンは安堵した。しかし楽しくなる筈の、エヴァンスを母に帰して気持ちよく終わる筈の今日が邪羅鬼のせいで滅茶苦茶になり、エヴァンスを怖い目にあわせてしまったと考えていた。
エヴァンスと過ごした最後の日は、鉄道博に疑似テロが起き、多くの客と地下鉄乗客に多大な迷惑が出てしまった。これは一部の犠牲か多大なものか。それはわからない。
病院の入院室でケンドリオンは色彩のネオン煌めく夜の街を見つめながら、そしてエヴァンスが母とティファニーと一緒に仲良く暮らしている様子を想像しながら過ごしたのだった。




