「緑」の書・第3話 修学旅行と水辺の邪羅鬼
『五聖神』第20話。初めての修学旅行でバルトゥルは海へやって来た。山の中の町と違って何もかもが新鮮に思えた。だが、宿泊先のホテルで怪事件が起きる!!
鮮明な青い空に綿のような白い雲とその下半分は紺色の海。吹きゆく風は少し冷たく、しょっぱい匂いが混じっている。切り立った岩場を埋め立てた港町は、漁師や漁商人、町人たちが行き交いしている。小さな煙突のついた漁船の生け簀には魚が泳いでいる。
「すっげーな、海って」
バルトゥルは空と同じ色の眼で、初めての海に感激していた。バルトゥルの他、トルスカやロザリンドをはじめとする五年四組の生徒や教師たちがこの港町、ゲルセディアに来ていた。
十一月の半ば。三日間の修学旅行の行事であった。フィロス中級学校の五年生たちは、山に近いフィロスから五十キロ以上離れた東隣州セミウォスの南部の港町にやってきていたのだ。
セミウォスに足を入れるまでの間、バルトゥルに初めての体験が転がり込んできたのだ。まず学校に集合してフィロスの隣町の駅の電車で都市まで行った。その都市の駅でローカル線よりもカッコいい隼のような形の赤い特急に乗った。その特急の窓から移りゆく町や草原や畑などの景色を目にした。学校を出てローカル線で四十五分、特急二時間半でゲルセディアに到着した。
ただゲルセディアのような海に近い町は少し寒くて、みんなジャケットや薄手のコートを着ていた。バルトゥルもいつもの五色麻の服の上から深緑のコットンコートを着ていた。港町には船や漁師の他、レンガで造られた家々と倉庫や店、大きな花時計がある広場や、岬の近くに造られた公園もあった。一日目の今日は漁船内の見学や魚市場や港町内を見て歩き回った。漁船内で見た生け簀には赤いタイや青いサバや小さいがトゲのあるアジ、平べったいカレイが泳いでおり、バルトゥルはいつも食べているアユやサケやコイのような川魚とは違う海魚を間近で見た。
「海って、おもしれー魚やタコみたいに足がいっぱいあるやつがいるのかぁ」
バルトゥルはらんらんと魚を見つめ、魚市場にいたっては木樽や木箱に詰められたイワシやエビや貝、カニやイカなどの海産物特有の匂いが流れ、漁師たちが大きなカツオやマグロを細かく切る解体ショーを目にしたのだった。
夕方になると、みんなは宿泊先のシーサードホテルに移動した。シーサイドホテルは十階建ての白いホテルで、屋根は白波貝を思わせ、更には温水プールや遊技場などの娯楽施設、お土産屋などもある綺麗なホテルであった。
ホテル内では違う班の男子同士、女子同士と決まっていた。バルトゥルは同じ班の男児同士がどうして寝る時は別々なのかと疑問に思ったが、同級生のゼティオから注意された。
「女の子の着替えなんか見たら、スケベと思われるだろ」
男子の副委員長のゼティオは二人の姉がいるので、一人っ子のバルトゥルにはわからん事だという風に言った。
「それに男同士の方が話は合うだろ」
と、付け加えた。バルトゥルはトルスカ、ロザリンド、クロエ、ジュリアーにとは同じ班だが、寝所は一班のゼティオとライアンと同室である。
ホテルの一室は小ぎれいでベッド三つとソファベッド一つ、ベランダ近くに籐の椅子四脚と机、そしてトイレとシャワーが完備されている。ベランダから見える景色は美しく、三階でも見晴らしがよく、夕焼け空の海辺が見えた。空は桜色、海は鉄紺、海の表面が白い波を立て、ザンザンと音を立てている。
「おい、バルトゥル。お前、ソファベッドで寝てくれないか?」
ベランダの景色を眺めているバルトゥルにゼティオが訊いてきた。ゼティオ・マルティンは短く刈った茶髪に浅黒い肌と藍色の眼とがっしりした体格で、ラグビー部のキャプテンを務めていた。背も一七〇センチ近く、ソファベッドでは寝られない。
「うん、いいよ」
その後は夕方六時の晩御飯までレポートを書いたり、トランプや男子に人気のカードゲーム『ロボットウォーズ』のカードゲームで遊んだりと、時間は過ぎていった。
晩御飯の時間では同じ班の女子と食べる規則となっており、団体客ホールで一斉に食べた。六人一組の丸椅子と丸卓で一班となり、レストランのコックが作ってくれた晩御飯を食べた。エビフライにタイのマリネサラダ、キノコポタージュとハンバーグデミソースと黒パン二切れである。どれもおいしく、バルトゥルは十分で完食し、まだ食べ足りなかった。ロザリンドは「多すぎるから」とバルトゥルにエビフライとハンバーグの三分の一をあげた。夕食後は班ごとに決められた時間でホテルの大浴場で今日の疲れと汚れを洗い流した。ホテルの浴場は家の風呂場よりも広く、教室二個分の広さのスペースに水色と白のタイルの床と壁、浴槽も一度に十人が入る大きさが三つあり、一つは普通、一つは人工岩から流れる滝風呂、三つ目は湯船から泡の出るやつで、バルトゥルは泡風呂に浸り、滝風呂でこの間テレビで見た荒行のまねをした。
その後は部屋に戻り、点呼と就寝。明日の朝七時に起床する。だが中には男子が女子の部屋に入ってきて一緒にトランプをしたり、こっそり持ってきたお菓子やジュースを飲食してバカ騒ぎを起こして見回りに来た先生に怒られる生徒もいた。バルトゥルやトルスカ、ロザリンドは興奮していたため、夜になるとスイッチが入ったかのように寝入ったのだった。
次の日にみんなが起きた時、窓を見てみると雨が降っていたのだ。ざあざあと音を立て雨が海の表面に滴ると、二重や三重の円をいくつも作った。海の気候は変わりやすく、また津波や暴風による被害もあるそうだ。
朝食は夕食と同様、団体客ホールでみんな集まって食べた。夕食はみんな同じメニューであったが、朝食はバイキングであった。何十種類もののおかずやデザートを自分で選べるようになっている。丸パンや黒パンやバターロールとそれに塗るバター&ジャム類、サラダの具もツナやゆで卵やエビやプロセスチーズと豊富で、おかずにいたってはウィンナーや厚切りベーコンにマッシュポテトやスクランブルエッグや目玉焼き、デザートもプレーンヨーグルトやイチゴやブルーベリーやメロンなどの盛り合わせ、飲み物もオレンジやリンゴジュース、コーヒー、紅茶、ココア、ミルクと盛りだくさんである。バルトゥルはこのメニューに大喜びして、ベーコンやハムソテー、マッシュポテトと丸パンとバターロールとラズベリージャム、ツナと玉子サラダ、目玉焼きやフルーツを入れたヨーグルトをよそって、バクバク食べた。
「バルトゥル、嬉しそう」
「珍しいものには目がないからね」
ロザリンドやトルスカがバイキングメニューに喜ぶバルトゥルを見て微笑ましく思った。朝食が終わると、今日の午前の行き先であるシーサイドホテルからそう遠くない水族館へと向かった。水族館もこれまた綺麗で、ドーム型のガラス張りの屋根に、アシカやイルカやマンボウの看板が掲げられていた。水槽ごとに地域に生息する魚や水生物が分けられ、大きな水槽にはサメやエイなどの大きな生物が泳ぎ、目が飛び出たのや鼻の尖ったのもいた。暗闇の部屋には体が光る深海魚の姿も見られた。深海魚は明るい所にいる魚と違って体の色は暗く、目も大きく、口も裂けたように大きく、中には目が飛び出したやつや体が発光するやつもいた。雨の日でも楽しめるのが水族館のメリットである。水族館最大の見せ場が海獣ショーであった。半円・階段状の客席に巨大なプール、その奥には舞台があるのだ。班の中には見ていく班もあれば見ない班もある。バルトゥルたちはショー入口の最後部に立って、大ジャンプするシャチやボールに乗るアシカを見て楽しんだ。
水族館での活動が終わると、再びホテルに戻り、団体客ホールでコックたちが作ってくれたランチを食べた。晴れていたらホテル内の敷地のバーベキューガーデンでバーベキューを食べる予定であったが、ホテル屋内でシーフードピラフとコンソメスープとシーザーサラダと紙パックのオレンジジュースを食べた。ピラフは当然ゲルセディアの港町でとれたイカやアサリや小エビを使い、バルトゥルは原産地シーフードのおいしさに舌鼓を打った。中には魚介類が苦手な人やエビや貝のアレルギーを持った人もいるため、バルトゥルが魚介類を食べれない人のために食べてくれたのである。
その後は修学旅行最大の楽しみ、ホテル内のプールを貸し切りした遊泳である。ホテルのプールは地下にあり雨の日でも泳げ、更に種類も豊富だった。普通の二十五メートルプールもあれば、リング状の流れるプールや高いところから滑り台で流れてプールにダイブするウォータースライダーや子供用の浅いプールもあった。みんな水着に着替え、素朴な紺色のスクール水着を着る人もいれば、競泳用のタンキニ水着や極彩色のビキニ、ハイレグを着る女の子もいた。男子はバミューダが多く、学校用の紺色スクール水着やアニマル柄や迷彩柄、中にはビキニパンツもいた。
バルトゥルもエメラルドグリーンの地に白い麒麟のプリントが左脚に入った水着を着、プールに入る時、黒いバミューダをはいたゼティオが一言注意をかける。
「プールに入る時、準備体操しろよ。でないと足がつるから」
「わかった」
バルトゥルは見よう見まねでゼティオの準備体操を見習って、屈伸や背伸びや手足ブラ運動をし、二十五メートルプールに入って他の生徒と水泳競走をしたり、ウォータースライダーを楽しんだ。プールで犬かきしている時、バルトゥルは背もたたれ角度が変えられるサイドチェアに座ったトルスカを見た。
「トルスカ、泳ぐのもダメなのか?」
体の弱いトルスカは寂しそうに笑いながら頷く。
「うん。でも、僕は平気。他にもプールは入れない子たちと一緒に遊んでいるから」
トルスカの近くにいる数人の女の子たちがプールサイドにいたが、バルトゥルはこの女の子たちが病気やケガや体に障害がある訳でもないのにプールに入れないのか皆無だった。その時、バルトゥルと仲良くしている男子が呼びかけてきた。
「バルトゥル、素潜り勝負しようぜ」
「あっ、今行く。そんじゃあな」
バルトゥルはトルスカに言うと、二十五メートルプールの端っこに行って、素潜り勝負を始めた。プールを楽しむ生徒たちの中、トルスカは同級生たちの様子を観察していた。
バルトゥルは素潜り。ゼティオはクロール、ロザリンドはブルネットが絡まないようにナイロンのシュシュで一つにくくっており、ブルネットは対照的な胸リボン付きの白いワンピース水着を着て女の子たちと流れるプールでウォーキングしていた。
楽しい二時間の遊泳が終わり、みんなはそれぞれの部屋へ帰っていった。ロザリンドはバルトゥルたちの部屋の向かい側の右隣の一室で、ゼティオと同じ班の女の子たちと一緒に過ごしていた。
「ロザリンド、ゲルセディアの願掛けスポットに行こうよ。夕方まで時間あるし」
同室の女の子たちに誘われ、白い水着から白いジャンパースカートと黒いハイネックシャツに着替えたロザリンドはOKした。
ゲルセディアでは漁業の他にも願掛けスポットの教会が有名である。そこの教会にあるアロマペーパーに燭台の火であぶると焦げ目で運命の相手の顔が浮かび上がるという情報があるのだ。ロザリンドは同じ部屋の女の子たちと一緒に折りたたみ傘を持って、例の教会へ行く準備をした。
ロザリンドたちが階段を下りて一階のロビーにつくと、ホテルの従業員や他の宿泊客がざわざわとひそめきあっていた。ロココ調デザインの自動ドアがある入り口からピーポーという音がした。白い車体に赤いランプの救急車が走り去っていった。従業員が宿泊客から電気風呂で客の一人が気絶して湯船で溺れかけているのを見つけて救急車を呼んだというのだ。電気風呂というのは、大浴場とは別の小さなスペースの浴場で弱い電流が流れており血行を良くするための風呂である。小さな子供や持病のある人や身体障害の人は原則的には葉行ってはいけないのだが、入った客が重病人や障害がある訳でもないのに悲鳴を上げるほどの感電して意識不明の重体になって病院に運ばれたのだ。
ホテルの支配人が従業員に当分の間の電気風呂の使用禁止を命じた。
「怖いわねー。電気風呂が壊れて感電で重体なんて……」
ロリ服好きのクロエがロザリンドに言った、クロエは普段のロリ服とは違って修学旅行では無地のシャツワンピースを着ていた。
「う、うん……。本当に……」
ロザリンドはゾッとした恐怖を感じながら返答する。ロザリンドにはこれが人為的事故でも機械的な事故ではないと察していた。もっと別の怖さである。いつか学校の帰りに怪物に襲われたようなあの感覚である。
「いつまでもここにいたら邪魔になるから早く行こう」
ロザリンドはクロエ達に言い、目標の教会へと向かっていった。
外は雨がまだ降っていたが、今朝ほどの激しさではなかった。教会はホテルより高い場所の岬近くにあり、ブナの木が生い茂る山道を上ってすぐの高台にあった。見晴らしも良く、白い大理石の敷石に色つきの敷石の門前は巨大な方角図で、教会は白い壁に灰色の屋根の小ぶりな建物で鐘台と十字架もある。晴れの日の夕方にこの教会から見た空と海はとてつもなく美しいだろう。
ロザリンドたちは教会に入り、教会の購買コーナーではロザリオアクセサリーやアロマキャンドル、クッキーやロールケーキが販売されており、例のアロマペーパーも売ってあった。桃色や藤色、萌黄や水色や黄色の縦十五センチ横九センチの紙を礼拝堂の燭台の火に当てると運命の人の顔が出てくるのがこの教会の人気商品だった。五人とも違う色の紙を買い、売り子のシスターに一リモス払った。そして礼拝堂に行き、黒檀の長椅子と教壇、その下に白いテーブルクロスがかけられた台の上に例の燭台と果物などの供物と寄付金を入れる箱があった。みんな一人ずつ順に燭台の火にアロマペーパーを当て、運命の人の顔が浮かび上がってくるのを楽しんだ。アロマペーパーは色によって花の香りや果物の香りや若葉の香りがして、鼻孔をくすぐった。最後にロザリンドが水色のアロマペーパーを火に当てた。するとバニラの甘い香りと同時に茶色の焦げ目がそれはだんだん、人の形をしてきた。
(えっ!?)
ロザリンドは浮かび上がってきた絵を見て驚いた。それはいつか自分が怪物に襲われた時、助けてくれた人であった。
(これが私の運命の人……?)
ロザリンドは驚きのあまり動けないでいたが、クロエが呼びかけたのでハッとして思わず、アロマペーパーにロウソクの火が移ってしまった。
「わあっ!」
幸いロザリンドは火傷をしなかったものの、アロマペーパーが燃えてしまい、残ったのは黒い燃えカスと顔の部分だけが床に舞った。
「ロザリンド、大丈夫!? 燃えちゃったじゃないの……」
クロエが燃えカスを見て言う。
「うん、大丈夫……」
そう言ってロザリンドは残った紙を拾い上げた。
その頃ホテルでは、三階と四階の宿泊室に泊まっていた生徒たちが一階の騒ぎを聞きつけて、二、三十人の男子が感電事故の現場に来ていた。バルトゥルはプールの時間に泳ぎまくって疲れてソファベッドで昼寝。トルスカがバルトゥルのお目付け役をしていた。その時、サイレンの音が外から鳴り響いてきてバルトゥルは目覚めた。
「ん……、何だ……」
バルトゥルはぼーっとしながら半身を起こし、隣のベッドで小説『二一五号室の悪夢』を呼んでいるトルスカに訊いた。
「あー……、よく寝た……。何でこんなに騒がしいんだ……?」
バルトゥルが寝ぼけマナコをこすっていると、トルスカが答えてくれた。
「さっき電気風呂に入った人が感電して意識不明の重体になって運ばれて、レスキュー隊の人が来たんだよ。今機械の故障かどうか調べているんだけど……」
「電気って、痺れるんだろ? 電気ウナギとか入ってんのか?」
「電気ウナギが浴槽にいたら、確実に死ぬでしょ……」
やがて生徒全員がホテルに戻ってきて、団体客ホールでの食事の時間、食前に先生たちが生徒たちに今日の風呂場での事故を話した。
「えー、みなさん。本日、このホテルで電気風呂に入った他の宿泊客が感電して病院に運ばれるという事件が起きました。電気風呂での浴場には絶対に入らないように。先程点検が終わりましたが、機械の故障ではありませんでした。しかし機会異常の恐れがあるため、絶対使わないように」
注意事項が終わると、みんなは夕食にありついた。クラムチャウダーとパスタサラダ、ロールパンとソテーベーコンの夕食を食べた。夕食後はフリータイムで、点呼の九時四十五分まではお土産屋でみんなお土産を買ったり、他の班のいる部屋に行っておしゃべりやトランプをしたりとしていた。外の雨も暗くなった頃にはすっかりやんだ。空には山村ではあまり見られぬ星座やいつもより一層美しい月が輝いていた。夜の海はどこか怖く、ザンザンと音を立て、ホテルからすぐ近い灯台が薄橙の光を直線状に伸ばしている。
バルトゥルはトルスカやクロエやロザリンドと一緒に両親と友達の山猫と角兎(ミグ カルク)、近所の人たちに渡すお土産を選んでいた。他にもお土産を選んでいる生徒たちがいて、お菓子やアクセサリーや絵ハガキなどを熱心に選んでいた。
山積みされた海洋生物型クッキーやマドレーヌ、棚には仕分けされた港町や浜辺などの写真入り絵ハガキ、網目のフックスタンドにかけられた貝型やヒトデ型のペンダントやキーホルダー、他にも真空パックされた海魚の干物やカニ缶、掌サイズのイルカやアザラシやサメのぬいぐるみがあり、女子にとって一番人気の商品が〈星の砂〉である。小さな瓶に星の形をした砂粒が入っており、いつも持っていると願い事を叶えることができるそうだ。
バルトゥルはトルスカやロザリンドのアドバイスを受けて、近所の人には干し魚、両親にはクッキー、ミグとカルクには海亀とシャチのぬいぐるみを買ってあげた。
バルトゥルたちは気づいていなかったが、他のクラスの男子グループがビニールバッグを見ってプールに向かっていった。修学旅行のしおりには決められた時間以外の入浴と夜間のプール入水とゲームセンターの利用と夜間の外出は禁止と書かれているにもかかわらず、この連中はナイトプールを楽しもうと思っていたのだ。
「へへっ、誰もいないぜぇ」
「ラッキー、俺たちの貸し切りだよ」
「やっぱ三時間だけじゃ足りねぇよな」
そう言って三人は先生や他の生徒たちの目を盗んで、プールがある地下一階に行き、昼間のプールではいた水着を絞ってまたはいた。飛びこむ音が昼よりも一層音を立てた。プールには誰もなく、夜中に清掃員が水を抜いて掃除しにくるのだが――。
三人がはしゃいでいると、一番チビが声を上げた。
「うわっ」
「どうしたんだ」
デカブツとノッポがチビに言った。
「い、今、誰かに足を引っ張られた……」
「何!? 今は俺たちしかいない筈だぜ。そんなの、って……」
デカブツが目を向けると、そこには何と化け物がいたのだ。海藻のような髪にマネキンのような冷たい顔、透けるような衣に背中にはクラゲの笠と触手。これはクラゲの邪羅鬼であった。邪羅鬼が背中から伸ばしてきた触手の一本がチビの足を引っ張ったのだ。
「うっ、うわああああ!!」
三人の声がプールに木霊した。
自分の部屋に向かっている途中、バルトゥルは立ち止まった。
「どうしたの?」
隣で車椅子をこいでいたトルスカが訊ねた。
「今誰かの叫び声がしたんだけれど……」
「テレビドラマの音声じゃないの? 早く手に持っているお土産を部屋に置いて帰ろう」
と、トルスカが車椅子をこぎ出した時、バルトゥルのジャケットの内ポケットに入れていた転化帳が鳴った。
「な、何!?」
トルスカは転化帳の音を聞いて驚いたが、バルトゥルはお土産の袋を投げ捨てて、階段の所へ走っていった。
「バルトゥル!?」
トルスカがバルトゥルを追おうとしたが、車椅子を転換させるのに戸惑った。その時、近くの部屋の扉が開いて、ロザリンドが出てきた。
「どうしたの?」
「あっ、バルトゥルが急に走り出して……。その前に何か持っていて……」
「?」
バルトゥルは階段を降りながら、地下一階のプールへと走っていった。転化帳で邪羅鬼の現在地を把握し、ライブ映像を見た時、プールの上に三人の生徒が浮いていて、そこに邪羅鬼がいるのを。
「邪羅鬼、ここにも出てきたんだ……。早くやっつけないと、ホテルの人みんなが危ない目に遭う!」
そしてバルトゥルはプールの入り口に足を入れると、三人の生徒が二十五メートルプールの上に浮いており、その中心に見慣れぬ邪羅鬼がいるのを目にした。今まで倒してきた獣が他の邪羅鬼ではない。海の生き物を模した邪羅鬼である。
「こいつらの魂を喰ったのか……。お前を倒す!」
そう言うかバルトゥルはジャケットのポケットから転化帳を出し、緑の結晶がバルトゥルを包み、結晶がはじけ散ると、緑の衣をまとい麒麟の角と尾と耳を持った聖神闘者の姿に転化した。
「いっくぞーっ、うらああっ!!」
バルトゥルはクラゲ邪羅鬼に目がけて走って大ジャンプし、ドロップキックを仕掛けてきた。だが邪羅鬼の体はゼリーのように弾力性のある柔らかい体で、キックの衝撃を防ぎ、背中の触手二本でバルトゥルを強く弾き飛ばした。バルトゥルは壁に叩きつけられ、壁にひびが入った。
「くっ、強ええ……」
バルトゥルが背中を押さえて動けずにいると邪羅鬼の触手が伸びてきて、バルトゥルはひしっと触手を両腕でつかんだ。だが邪羅鬼が電流を出してきて、バルトゥルは感電した。
「ぐおおお!!」
邪羅鬼の電気ショックを受けたバルトゥルはその場で動かなくなり、体中にパチパチと電気が走っていた。聖神闘者の時は体力や感覚は強化され、普通の人間なら感電死する電力も電撃にも耐えられるように強化されるが、聖神闘者も感電には流石にきつかった。
「あでででで……」
バルトゥルは痺れた体で肘と膝で立とうとした時、邪羅鬼が触手でさっき襲ったチビをつかんで持ち上げ、壁もしくは床に叩きつけようとした時、バルトゥルは痺れの残る肉体から精一杯の力を出し、叫び跳んだ。
「やめろぉぉぉ!!」
バルトゥルは触手から魂のない人質の肉体をひったくり、プールに落ち衝撃を防いだ。
「こいつらはカンケーないのに……っ!」
バルトゥルは他の二人を見て、三人の体をプールサイドに移して邪羅鬼との戦いに集中した。バルトゥルはプールサイドを走り、跳躍して腰に差してある太刀を抜いて邪羅鬼を刺そうとした。パンチやキックが効かないのなら刺すのが有効だと思ったからだ。だが、邪羅鬼は体を液状化させプールの中に消えた。
「何っ!?」
バルトゥルはそのままプールにダイブし、ますますずぶ濡れになった。
「うう……。どこだ?」
バルトゥルは塩素剤入りの水でひりひりする眼をこすりながら、邪羅鬼を探した。すると邪羅鬼は競泳用プールの外側にある流れるプールから出てきて、バルトゥルに無数の触手を伸ばして叩きのめした。
「くそっ、いつの間に……」
叩かれた拍子で口に入った水を吐きながら、バルトゥルは悔しがる。接近戦が無理ならばと、太刀を振るい結晶の針、石英針を邪羅鬼に飛ばした。だが邪羅鬼は体をまた液状化させて、流れるプールから消え、今度はプールの片隅にある子供用プールから出てきて、触手を伸ばしてきたり、電気の弾を飛ばしてきてバルトゥルを攻撃しまくった。実は昼間の電気風呂事故も邪羅鬼の仕業で、その時邪羅鬼は海と繋がっている水道から入り、客を感電させて魂を喰らおうとしたが邪魔が入った為、排水溝から逃げたのだった。
二人は気づいていなかったが、プール入り口付近にバルトゥルを追って探しに来たトルスカとロザリンドがやって来ていて、ロザリンドはトルスカを背負ってここまで来たのだ。バルトゥルと邪羅鬼の戦いを見て、トルスカとロザリンドは言葉を失った。
(あの人が押されている)
(あの男の子、いつか僕を怪物から助けてくれた……)
バルトゥルの苦戦する様子を見て、バルトゥル(二人はバルトゥルとは気づいていない)を助けてやらねばと思った。
「でもどうやって……」
ロザリンドが困っていると、トルスカは更衣室近くのプール管理室があることを思い出した。
「プール管理室の中に入るんだ。このプールは管理室のコンピューターを操作することで水が抜けるそうだ。水を失くせばいい」
「うっ、うん……」
ロザリンドは頷き、二人はプール管理室へと向かった。
バルトゥルは水中瞬間移動する邪羅鬼に四苦八苦し、電気弾を受ける度に感電して麻痺する。体中汗と塩素の水と血で汚れ、ダメージをだいぶ追っているのがわかる。
「これで終わりだ、聖神闘者よ」
邪羅鬼の触手がバルトゥルに近づいてきた時、ゴゴゴゴ……という音がした。
「何だ!?」
邪羅鬼が自分のいる競泳プールの水が流れていくのを目にし、自分も引きずり込まれそうにっていくのを察し、邪羅鬼は慌ててウォータースライダーのチューブに触手を伸ばしてつかまった。プール管理室に入ったロザリンドとトルスカがコンピューターを操作してプール獣の水を全部抜いたのだ。競泳用プールも幼児用プールも流れるプールもウォータースライダーの着地プールも全て水がなくなり、バルトゥルの形勢逆転となった。
「何だか知らないけど、ラッキー! いっくぜーっ、石英針!!」
バルトゥルが太刀を振るうと結晶の針の群れがウォータースライダーにぶら下がる邪羅鬼の体に突き刺した。
「うおおっ」
邪羅鬼はプールサイドに落下し、寒天のような体に孔が空いた。バルトゥルは両手に土行を込めて、両手を三角に合わせた。
「濁しき邪気よ、大地の豊かさに浄化され、体は無へと還れ。翠麒地裂‼」
バルトゥルは床に手を当て、床から緑色の光の麒麟が現れて突進し、邪羅鬼の体を貫き、邪羅鬼は消滅した。邪羅鬼のいた所から金色の光の玉三つが動いて、三人の生徒の中に入っていった。
ロザリンドとトルスカがプールサイドに入ってくると、ロザリンドは横たわっている三人を見て先生を呼びに行った。トルスカは更衣室近くに置いてあった車椅子に座り、プールサイドに出た。そしてプールから出ようとするバルトゥルと目が合って、問いかける。
「君はこの前、僕を助けてくれたんだよね? あの怪物は何? 君は何者?」
バルトゥルは何も言わず、そのまま走って去っていった。
ロザリンドが先生を呼んできた時、プールに入った三人の生徒は救急病院に運ばれ、トルスカとロザリンドはプールの水を勝手に抜いたことで先生に注意されたものの、三人の生徒が意識を失っているのを見つけたので許された。バルトゥルについては先生の一人が3階の部屋に帰っていくのを見たと言った。
「でも、プールに向かっていくのを……」
トルスカが言うと、先生たちはそこを見ていないといった。
「もうすぐ就寝ですよ。あなた方も自分の部屋に戻りなさい」
そう言われて二人はそれぞれの部屋へと帰っていった。トルスカが部屋に入ると、バルトゥルは学校指定のジャージと体操着に着替えてソファベッドで寝ていた。
「トルスカ、遅かったじゃねぇか。バルトゥルは部屋に入ってすぐ寝ちまったぞ」
同室の男子たちが言い、トルスカも大の字で口を開けて寝ているバルトゥルに近づき、さっきの聖神闘者と同じく髪が濡れているのに気づいて不思議に思った。
(何で、六時半に入浴したのに、濡れているんだ……? それにこの匂い……)
塩素水の匂いであった。バルトゥルはあの時プールにはいなかった。なのに……という疑問がトルスカの頭をよぎった。
そして次の日の朝、海が晴れた空と太陽を映し、生徒たちは朝食を食べたのち、行きと同じルートでフィロスに帰っていった。
帰りの特急の中で、トルスカはバルトゥルに夕べのことを訊こうとしたが、やっぱり眠っていたため最後まで聞けなかった。
しかしバルトゥルにとっての初めての修学旅行は驚きや喜び、珍しいモノや新しい事の発見の連続、そして邪羅鬼との戦いで疲れてしまったのだ。
そして後ろの座席のロザリンドも教会で燃えてしまったが、運命の人のあぶり絵の破片を見て、また聖神闘者のバルトゥルに会えるんじゃないかと思って、旅行鞄にしまった。