「赤」の書・第3話 サユの夢、アーメッドの努力
『五聖神』第19話。WUPのアーメッドは上層部に邪羅鬼の存在を発表するが、信じてくれず一人で邪羅鬼の調査をすることになった。サユは同級生のギオンの家庭が大変になっている事を知って、お助けする。
ロプス某所にある巨大な要塞風の建物、国際同盟警察ロプス支部。その建物は政府が廃墟の古城を増改築し、WUPの活動場所として造ったものである。その内部にある第三会議室で、先月起こった『女性連続失踪事件』の報告会議が行われていた。
「――以上であるからにして、この事件は解決された」
会議室は二十畳の広さで、中央が穴空いた小判型の大白テーブルに、青いカーペット、壁は白く、窓には映像を見るため外光が差し込まないための暗幕、そして壁の一つが巨大なスクリーンである。
「アーメッド・シモンくん、御苦労であった」
テーブルの窓際中央に座るWUPロプス支部長が言った。支部長は灰色の髪に口ひげ、丸眼鏡に恰幅の良い六十近い男で、WUPの軍服型制服を着ている。尚、他のWUP隊員も紺色の制服を着ており、アーメッドも紺色の制服を着ている。
「あと、それと現在このロプス国内でこのような人物がいたという私の報告もあります」
アーメッドはスクリーンに一つの映像を映した。アーメッドが女性失踪事件の捜査に来た時、自身が目撃した怪人である。ニワトリと人間の合成生物、邪羅鬼である。
「おいおい、何のふざけだね、シモン君」
ガタイのある黒い短髪に口ひげ、浅黒い肌の幹部が邪羅鬼の映像を見て言った。
「君はヒーロー映画を見せに来たのかい? 飛び級とスピード出世した君がこんなものを我々に見せるとは……」
ガタイの幹部が言ったので、他の者もクスクス笑う。
「いいえ、これは番組の映像ではありません。更にこのような者もいました」
アーメッドは馬鹿にされながらも、今度は紅い衣と翼の少女を見せた。
「この少女は先程紹介いたしました怪物と戦っており、炎を操ってこの怪物を倒しました。この怪物を少女は<ジャラキ>と呼んでおりました」
アーメッドは邪羅鬼と紅衣の少女についての報告を上司に述べたが、
「ハッハッハッハッハッ、君は本気でこんなことを言えるんだねぇ。どこの世界のことを言っているんだね?」
「こういうのはテレビ局だろう? 視聴率アップするぞ」
上層部の者たちはアーメッドの報告をげらげら笑いで返した。
どうして信じてくれないのか、とアーメッドはムラムラしてきて上司達に言った。
「この怪人と少女は、私一人が調査します! 信じるか信じないかは、どうぞご自由に!」
そう言って会議室を出て行き、広く長い廊下を早歩きし、自販機売場の前に出て、コーヒーを買い、グイッと飲んだ。
(僕は見たんだ。この眼で。あれは幻でも特撮でもなかった……。いつか、いつか絶対本物だ、って教えてやる……)
アーメッドはコーヒーを飲み干すと、缶を近くのゴミ箱に投げた。
太陽を遮る巨木バン・ダルーイの林から南下した丘の上にある白い石造りの建物、ランゴ中級学校。その教室は生徒が五人座れる横長の椅子と机が五つ並び、前方に黒板、後方にロッカーが備え付けられている。五年C組の教室で授業が行われていた。
「いいか、今度この公式がテストに出るからな。ちゃんと覚えておくように」
数学の男性教師が黒板の公式を叩いて、生徒たちに言う。生徒たちは必死にノートに公式を書き写していた。そして授業終了の鐘が鳴り、十分の休憩が与えられた。
「次は国語かぁ。あと二時限で今日の授業は終わるのか……」
イロナが机上に頭を乗せて呟いた。隣にいたサユは国語の教科書とノートを出す。
「うん、でもテスト終わったら、またいつもの授業に終わるから」
「サユはテストの間はアルバイト休んでくれてるから一緒に勉強できるのはいいんだけどさー……。テストの点数下回ったら、小遣い減らされちゃうんだもん。そしたらサユみたいにアルバイトしようかなぁ」
イロナは父親が児童保護局長で母が絶滅危惧生物学者で、家が裕福だった。両親のいないサユはイロナの父のおかげで、親友と同じ屋根の下(?)で暮らしている。サユは鳥獣園で清掃などのアルバイトをして、ツドイ家を出るための資金を稼いでいたが、現在はテスト期間の為、アルバイトを休んでいる。本当ならテストは十月の終わりにやる筈だったが、連続女性失踪事件のせいで、学級閉鎖され、スケジュールが伸びてしまったのだった。他の生徒たちも水飲み場やトイレに行ったり、教科書を開いたりしていた。その一番後ろの右端の席に座っている少年に目をやった。クラス一のふざけ屋ギオンが壁の時計を見たり、貧乏ゆすりしていたりとソワソワしている。いつもなら休み時間には仲の良い男子とおしゃべりしていたり、趣味のことで言い合ったり、女子の鞄の中におもちゃのクモや蛇を入れて驚くのを見て笑うようにしているのに。
(一体、彼に何があったんだろう……)
ギオン・クヴァイは短く刈った黒髪に浅黒い肌と中肉中背、そして根アカな性格に切れ長の目に高い鼻と大きめの口といったロプス人の特徴をほとんど備えており、サユがギオンのことで知っているのは体育と美術が得意で理科と社会と数学が苦手なのと、カレーコロッケ好きなのとふざけで笑いをとらせるぐらいだった。授業が終わり、校内清掃も終わると、急いで教室を出て行ってしまったのだった。そしてギオンのせかした行為は次の日も、その次の日も続き、サユがギオンの行動を観察してから八日目のテストの日にも続いたのだった。
サユの学校のテストでは前学期に中間と期末、後学期には学年末も行い、中間は五、六科目、期末には九~十一科目もある。今年の五年生の前学期中間テストは、国語・数学・社会・理科・エリスナ語を行うことになっている。
試験当日、みんな一斉にテスト用紙とにらみ合い、十日間の試験勉強の末、何とかやり終えたのだった。
「はーっ、終わったー」
「自信あるぅ?」
「うーん、どうかなぁ」
と、みんな顔を寄せ合い、語り合う。そして下校時間、モスグリーンとベージュの制服を着た生徒たちが校舎を出て帰宅する。
「イロナ、先帰ってて。私、バイトに行くから」
「うん」
イロナはジャングルシティ内のバン・ダルーイ住居区に、サユは学校と住居区の間にあるマルゼル動物園に向かった。サユのアルバイト先、マルゼル動物園は災害や乱獲で親を失ったり、ケガをした動物を保護する場所で、サユは作業着に着替えて子カバ・ベラルダの世話をする。
「久しぶりね、ベラルダ」
サユはベラルダの頭をなでる。洪水で親とはぐれたベラルダは世話係のサユを慕っていた。ベラルダの住処は鉄柵に囲まれ、敷地の半分が池、半分が陸地になっていた。サユはえさをやり、体の洗浄、フンの処理をせっせとこなし、空が紫と橙に染まり西に日が沈むころ、アルバイトは終わった。
サユは一人でイロナのいる家屋のバン・ダルーイへと足を運ぶ。夜のジャングルは薄暗く大きな木の葉が風でふいて揺れる度にざわざわと音を立て、それが不気味さを増させた。それでもサユはバン・ダルーイ林に向かって走っていく。その途中、暗いジャングルの中で、明るく彩ったものを見つけた。花ではない。よく見てみると、一本の山サンゴの木に布が引っ掛かっていたのだ。山サンゴは低木の一種で海にあるサンゴのように根元が一本にまとまり、更に曲がりくねった枝を伸ばしていた。山サンゴに引っ掛かっていたそれを拾ってみてみると、それは赤紫に染められた麻布だった。
「風で飛ばされちゃったのかな? それにしても綺麗な布だな」
サユが布を眺めていると、竹のカンテラを持ったギオンが向こうからやって来たのだ。ギオンは学校にいる時とは違って藍染のTシャツに麻のモスグリーンのひざ丈パンツと麻サンダルのラフな服装であった。
「あら、ギオン。どうしたの?」
「ああ、お前が持っていたのかよ。この布、風で飛ばされちゃって、追いかけているうちに暗くなっちまって……」
「そうだったの。はい、どうぞ」
サユはギオンに布を渡した。
「ありがとよ。早く帰ってチビ達に飯、作ってやんないと」
布を受け取ったギオンはきびすを返した時、サユに止められた。
「お母さん、いないの?」
サユが訊くと、ギオンはこう答えた」
「俺んち染物屋なんだけど、親父は半月前からやっかいな病気で入院して、おまけにお袋はじいちゃんがぎっくり腰になっちまって実家に帰ったんだ。で、俺が親父とお袋に代わって稼業と妹の世話をしてんだけど、思ったより大変なんだよ……」
ギオンはため息をついた。ギオンの顔を見るてみると、いつもとは違う疲れ切った顔だった。
「――手伝ってあげようか?」
サユがそう言ったので、ギオンは目をぱちくりさせた。
「えっ!? で、でも、お前アルバイトしてるんじゃ……」
「アルバイトのない日、ギオンのおうちの手伝いをしてあげるよ。一人より二人の方がはかどるでしょ?」
「……」
サユの懐の広さにギオンは「悪いな」と言うと、サユと別れて家に帰っていった。
「それで、ギオンのうちの手伝いを引き受けたの?」
サユは友人一家が待っている家に帰ってくると、親友のイロナにギオンの家の手伝いをするということを話した。
「サユもアルバイトをしているっていうのに、わざわざ体に負担をかけさせるようなことをして……」
イロナはガラスの爪やすりで爪を磨きながら、サユに言う。二人がいるのはイロナの部屋で、質素なサユの部屋と違って、イロナの部屋の家具は豪勢なのが多い。ピンクのリボンがついた白レースのカーテン、枕と布団カバーはシルク素材でピンクのフリルと黒いリボン付きで、机の椅子クッションもシルク素材でフリルとレース付き、窓のない方の壁には人気歌手や俳優の切り抜きや写真、サユの兄の部屋と違って壁は白く塗られ、床には桜色のビロード絨毯、机のランプシェードもピンクと白である。
「ギオンの家、両親が入院と帰省していて、妹が三人もいて、まだ稼業も手伝えなくて幼いし……」
サユはイロナに言った。その時、イロナは少し考えてから言った。
「サユ一人じゃ大変そうだから、あたしも手伝うよ。一人より二人、二人より三人だよ」
「ありがとう、イロナ!」
サユはイロナの手をとって礼を言った。
その次の日、サユとイロナはギオンの家にやってきて、彼の家の手伝いをすることになった。ギオンの家は学校から北西にあるバン・ダルーイ林の一株で、四階と地下一階の構造である。一階が店舗、その地下室が染物の倉庫や工房となっている。ギオンの他にも大人の従業員が三人いて、三人とも黒や紺のエプロンをつけていたが、うっすらと青や赤のシミがついていた。
「いやあ、サユだけでなく、イロナまで来てくれるなんて。手が助かるよ」
ギオンは学校の制服から、普段着の黒いTシャツと青いデニムのハーフパンツと布靴に着替えていた。店の中は、綺麗に染められた布が巻かれてはしごのような荷棚にかけられ、マーブル模様やドットに染められた白地のTシャツやハンカチや靴下が棚に置かれていた。店員がお客の注文に応じて布や衣類を染め、また染められた布を切って売るという商売である。全体染められた布他にも二色以上の染料を使って染めた布もあった。
「そいでよ、二人には妹の世話と家事をやってほしいんだよ」
ギオンがサユとイロナに言うと二人は頷く。
「わかった」
「OK」
サユとイロナは一階の店舗を出て。二階へ行く外階段を上り、かまぼこ型ののぞき窓付きのドアを開けると、二人は目を丸くした。
「うっわ、何これ!?」
イロナが驚くのも無理はない。玄関から入ってすぐの居間は、埃が溜まり、籐の長椅子には洗っていない服が無造作にばらまかれ、ローテーブルは机上が汁や脂で汚れ、テレビがある大の上には妹が見たらしきDVDの箱が出しっぱなし、奥の台所兼居間は木桶の流しには食器が汚れたまま、食卓もお皿が出しっぱなし、風呂場も入浴後の水が木製の風呂桶に入ったままなうえ、髪の毛が浮いていた。その上の部屋の妹たちの部屋はおもちゃや服が散乱されていた。
ギオンの妹は上から十二歳のマリア、十歳のテレサ、六歳のウルスラといって、一番上のマリアは家事が苦手で、テレサやウルスラも店や家事は手伝えない。マリアはまだ学校から帰ってきておらず、テレサとウルスラが家にいた。
「こんにちは、テレサちゃん、ウルスラちゃん。今日はお姉さんたちがお留守番しているお父さんとお母さん、おみせを切り盛りしているお兄ちゃんに代わって、お手伝いしてあげるね」
サユはテレサとウルスラに言った。テレサとウルスラはギオンを幼くしたような女の子で、テレサはウェーブのセミロング、ウルスラはストレートの髪をピンクのマドラス柄のシュシュで髪を分けていた。
「そんじゃ、どこを片づける?」
イロナが訊いてきたので、サユはまず妹たちに部屋の片づけから教わった。ウルスラの部屋に入ると、サユは車輪付きの木箱に積み木やままごとセットや母親が作ったらしい布製の人形を丁寧におもちゃ箱に入れた。イロナもテレサの部屋の絵本や童話集を棚に入れたり、台所の食器を洗ったりとてきぱきやった。居間もほうきではいたり、食卓やテーブルを拭いたり、風呂水でたまった衣類を洗濯して、それを木の上の物干し場にかけたりと大忙しだった。ギオンの家ではバン・ダルーイの木の枝に縄を引っ掛けて、衣類やタオルを吊るしている。
「お姉ちゃん、あたしと遊んで」
「宿題教えて」
ウルスラとテレサがサユとイロナに駄々をこねてきた。
「はいはい、食器拭いたらね」
「床磨いたらね」
イロナは手拭いで洗った皿やコップの水けを取り、サユは雑巾で居間の床を拭いていた。そしてやっと、物で散乱し、埃や汚れだらけだった居間や台所や風呂場が綺麗になり、物もタンスや棚に収められ、すっきりとしたのだった。その後イロナはウルスラの遊び相手となり、サユはテレサの宿題を手伝ってやった。その頃には、長女のマリアも帰ってきて、マリアは片づけられた家の中を見て驚いた。
「あっ、お帰りなさい」
サユがテレサとウルスラに作ってあげたチーズ蒸しパンをお皿に盛りながら帰って来たマリアに声をかけた。マリアは兄やサユと同じ学校の一年生でベージュとモスグリーンの制服にストレートセミの髪に黒いサテンのカチューシャをつけていた。
「マリアちゃん、私お兄さんと同じクラスのサユ・コーザ。ギオンが両親に代わって家事と店の両立は難しい、って言うから手伝いに来たの」
サユはマリアにどうしてクヴァイ家にいるのかの説明をした。
「あ……。そうなんですか……」
マリアは苦笑いしながらサユに言う。その時、上の階からイロナとテレサとウルスラが下りてきて、妹たちはサユの作った蒸しパンにかぶりついてきた。
「サユの作る蒸しパンはおいしいかんね」
イロナが言ったので、マリアも「じゃあ、いただきます」と言って、サユの作った蒸しパンを食べた。
その頃、一階の店舗では、ギオンが今日の染物作業と売買を終え、店員たちも帰っていった。
「ふーっ、サユとイロナが家事と妹の面倒見てくれたおかげで、売り上げがいつもと同じのなったくれたぜぇ。あーっ」
大きく伸びをすると、近くに置いてあった電話がプルプルプルと鳴った。コード付きの白いプッシュ式である。
「はい、もしもし。クヴァイ染物店です。えっ、母ちゃん? ああ、じいちゃんが良くなったから明日帰ってくるって? 妹たちは元気だよ。うん、わかった。待ってるよ」
そう会話を終えて受話器を下すと、また音が鳴った。今度は病院からだった。
「あっ、はいはい。あっ、はい。わかりました」
受話器を置くと、サユとイロナが二階から下りてきた。
「ギオン、あたしたち帰るね。もう終わったし」
「うん。また次の時に来るよ」
サユがそう言うと、ギオンは首を振った。
「いや、それはいいよ。明日の昼にお袋が帰ってきて、あさってには親父が退院するから」
それを聞くと、サユとイロナは顔を見合わせて喜んだ。
「えーっ、良かったじゃん!」
「ほんとだよ。良かったねぇ」
二人が口々に言うと、ギオンは苦笑する。
「いや、タイミング良かっただけだよ。今日はほんとにありがとな! 助かったよ」
そう言ってギオンはお礼として、二人に染物のショールを渡した。サユは桃色と赤、イロナには青と水色のショールを渡した。
それから四日後、サユとイロナが学校から帰ってくると、イロナの家に見知らぬ男の人と女の人が居間のソファに座っていて、イロナの母であるツドイ夫人が二人にお茶とお茶菓子のマンゴープリンを出していた。
「お帰りなさい、二人とも。サユ、クヴァイさんがお話したい、って……」
娘と同じ色白の肌にアップにした褐色の髪に白いノースリーブチュニックと黒いサブ里奈パンツを身に付けた長身のツドイ夫人がサユに言った。
「は、はい……」
サユはツドイ夫人に言われて、クヴァイ夫妻の向かいのソファに座り、イロナはそそくさと上の階の自室に向かうふりをして、階段からサユとお客さんの盗み聞きをする。
クヴァイ夫妻は夫はのっぽでやせたギオンと同じ面影を持つ男性で、反対に夫人は象のように太っており、丸々とした体と顔、ボンレスハムのような腕に象のような足と長い天然パーマを後ろで曲げにしており、赤地に蛇と星が合わさった模様の服を着ていた。
「えっと、あの……」
サユは二人に話しかけ、しどろもどろになる。一方、二人は愛想よくサユに言った。
「ああ、この間はうちの息子のギオンを助けてくれてありがとう」
クヴァイ氏はロバのような声を出しながらサユに言った。
「は、はい……。わざわざ、お礼をしに来てくれたんですね……」
「ああ。私が酒の飲みすぎで痛風になって入院して妻が自分の父を介護しに実家に戻っていて、ギオンに家も店も全部やらしちゃって、あいつ困っていたようだから、君が助けてくれたんだろう? 家に帰ってきたら、部屋中ピカピカで洗濯物も洗われていて、娘たちの面倒も見てくれて……。本当に助かって、ありがとう」
「ご両親を早くに亡くして、自立のためにアルバイトしてるんですって? 偉いわねぇ、この若さで」
クヴァイ夫人が野太い声を出しながらサユに言った。
「え、はい。いつまでも、ツドイさんのお世話になってもらうのも悪いので……」
サユが言うと、クヴァイ夫人が言った。
「そこでなんだけど、中級学校卒業したらね、うちに来てほしいのよ」
「え?」
それを聞いてサユと上の階から盗み聞きしていたイロナはきょとんとした。
「あの、それって……。クヴァイさんの家政婦、もしくはお店の従業員としてということですか?」
サユが夫妻に訊くと、夫妻は意外なことを口にした。
「いや、違うよ。サユさんには、うちの息子の嫁になってほしいんだよ」
「そうですか……。ギオンの嫁さんに……。って、え!?」
クヴァイ氏の発言で、サユは仰天した。
「ちょっ……、それって、どーゆーことですか!?」
サユは目をひんむかせて夫妻に訊いた。
「うちの息子の嫁になってってこと。働き者で家事もできて、小さな子の面倒も見られる君ならさ、うちの息子の嫁にふさわしいと思ってね、頼みに来たんだよ」
(うそ……)
近くで立ち聞きしていたイロナの母も、上で盗み聞きしていたイロナもサユの嫁入り補欠話にショックを受けていた。
(サユが……嫁入り……)
サユも突然の嫁入り話に驚いていたが、嫁入りすればツドイ家から自立することができて、学校卒業後の将来にも困らないというメリットが思い浮かんだ。南大陸では早婚はよくあることで、ましてやなんかの縁故で知り合いや親せきに嫁ぐことも珍しくなかったのだ。
「まあ、決めるのは君だ。嫌なら無理して嫁ぐことないよ」
クヴァイ夫妻はにこにこ笑いながら、サユに言った。
クヴァイ夫妻が帰っていくと、サユは今までの緊張がほどけてソファに座りこんだ。
「さ、サユちゃん、平気!?」
ツドイ夫人がサユに話しかけた。
「だ、大丈夫です……。あの、その今日は休ませてくれませんか……?」
サユがツドイ夫人に話しかけると、夫人は頷き、サユはふらふらした足取りで上の自室に入っていき、ベッドに倒れこんだ。その後には学校の制服から普段着の青いリボン付きワンピースに着替えたイロナが部屋に入って来た。
「サユ、あたしはサユと一緒にいてもいいだよっ。サユはもう、うちの家族なんだからっ。よそに嫁入りする必要ないんだからっ」
イロナはサユに言った。
「イロナ……。――悪いけど、独りにしてくれない?」
サユはイロナに浮かない顔で言った。イロナは立ち上がると、サユに別のことを言う。
「夜七時半には晩御飯だから……」
そう言ってイロナは部屋を出ていった。サユはクヴァイ家の手伝いをした時、大変な分楽しかったのだ。仲の良い両親とかわいい妹たち――。サユが望んでいたものであった。父を早くに亡くし、母も邪羅鬼の手で喪い、親戚から冷遇されたサユにとって、家庭を持つことが何よりも大きな夢の一つであった。ツドイ家は親戚ではないけれど優しく、ギオンの家族も優しそうであった。
けれど、今のサユにとってどっちが良いか難しい選択であった。
そのモヤモヤを打ち消すかの良いに、スカートのポケットに入れていた転化帳が激しく鳴った。
「こっ、これは……!?」
サユが制服のスカートのポケットに入れていた転化帳を取り出し、開いて画面の映像を確認した。邪羅鬼レーダー画面には、現在地の北東に邪羅鬼の存在が確認され、ライブ映像に切り替えると、ジャングル道に一般人の男性が邪羅鬼と応戦していたのだ。その一般人の男は、いつかのWUPの青年であった。
(あの人、また邪羅鬼に狙われたんだ……)
サユが起き上がろうとした時、扉からイロナの声が飛んできた。
「サユ、ご飯もうすぐだよ」
何というタイミングの悪さ。しかし、サユはこう返答した。
「イ、イロナ。私、その、お腹の具合悪くて気持ち悪くて……。起きられないの。ご飯いらないから今日は寝るね。おこさなさないでね」
イロナはサユの嘘の台詞に間を受けたが、優しく言い返した。
「わかった。ママに言っておくよ。何かあったら遠慮せずに言ってよ」
そう言うとイロナは去って食堂に向かっていった。イロナがいなくなるのを確認してから、サユは転化帳を取り出し、転化パネルを叩き、炎に包まれ、紅い衣と紅い翼の聖神闘者に転化した。そして窓を抜けて、背中の翼を羽ばたかせ現場へと飛んでいった。もう空はすっかり暗くなっており、空には銀色の半月とラメのような星々が瞬いていた。
邪羅鬼に襲われ、左肩にケガを負ったアーメッドは月桂樹の生えた茂みに隠れていた。着ている薄青いシャツの破けた所から赤い血がにじみ出ていた。自分が目撃した邪羅鬼の情報が事実だと伝えるために自ら調査中に遭遇したのだった。そして携帯ビデオカメラに邪羅鬼の姿を収め、後は護身用の拳銃、ナインハルトM―9で邪羅鬼をしとめようとしたが、反対に鋭い爪で肩にケガを負わされてしまったのだ。肩から流れた血が乾いた土を汚し、邪羅鬼はその匂いを辿ってアーメッドを探した。見つかるのも時間の問題である。
その時、空から細かな火のつぶてが飛んできて、邪羅鬼に当たって発火したのだった。
「ぐわあ!!」
アーメッドは何かと茂みから出てくると、目撃したのだ。紅衣紅翼の少女を。
「あら、この邪羅鬼、いつもと違う」
空から降りてきたサユは邪羅鬼の姿を見て呟いた。四肢に蹴爪、頭に嘴、翼をもった鳥人の邪羅鬼ではない。それは尖った耳とシャベルのような手先と足、背中に硬い装甲のような皮膚、突き出した顔に古代のような衣をまとったアルマジロの邪羅鬼であった。
アルマジロ邪羅鬼は自分の体に引火した火を地面の土砂で転がるように消し、火が完全に消えると、体を丸めてボールのようになり、更にバウンドしてきて、サユに向かってきたのだ。サユは驚いて逃げ、邪羅鬼が当たった地面に大きな丸い凹みができた。隕石が降って来たようになっている。
「うそぉ……」
サユはこの光景を見て青ざめ、そのすきに邪羅鬼がサユに向かって転がってきてサユの体を撥ねたのだった。サユは大きく後方に飛ばされ、後ろの大きな岩に当たりそうになったが、素早くアーメッドがサユのクッションとなって出てきたのだ。
「ぐうっ!!」
アーメッドは自身の体をサユのクッションにした反動で、肩の傷を更に痛め、背中に岩が当たって叫んだ。アーメッドはその場に倒れ、サユは邪羅鬼を睨みつけた。
「……この人は関係ないのに、巻きこむなんて!!」
邪羅鬼と聖神闘者の戦いに一般人が巻き込まれた責任と一般人を戦いに巻き込んだ邪羅鬼への怒りで、サユは本気を出した。
「そいつは後で我が喰う。お前を始末してからな!」
そう言うなり、邪羅鬼は再び体を丸め、バウンドボールとなりサユに向かってきた。だが、サユの方が早かった。素早く槍を組み立てると、思いっきりスィングし、邪羅鬼を打ち返した。邪羅鬼は大きくフライし、更にサユは翼から炎をまとった羽矢、火炎羽を出し、邪羅鬼を燃やし、夜の太陽にしたのだった。そして邪羅鬼は黒焦げになり、サユはとどめを刺した。
「凶しき邪気よ、烈火の激しさに浄化され、体は無へと還れ。朱雀突破!!」
両掌から炎の朱雀が向かってきて、邪羅鬼を消滅させたのだった。
サユは一息つくと、アーメッドの所に駆け寄った。
「しっかりして!」
背中を痛め、更に肩から傷が浮かんでいるアーメッドを見て、サユはうろたえた。
『サユ』
懐の転化帳から声がしたので、サユは慌てて取り出した。画面に赤い鳥、五聖神の朱雀が映し出された。
「朱雀、どうしよう。この人の傷、止めたいけど近くに病院もないし、お医者さんもいなくて……」
サユがうろたえて朱雀に言うと、朱雀は言った。
『サユ、あなたの背中の翼で治してあげて。朱雀は愛を司る五聖神だから癒しの力も持っている。翼の羽を一本抜いて、それをあなたの胸に当てて』
サユは朱雀に言われた通りにし、背中の羽を一本抜き、それを胸にあてた。するとマッチのようにボッと燃えてサユは驚いたが、火は一つの赤い花となった。クジャクサボテンに似た掌大の花である。
「それでこれをどうするの?」
『これを千切ってこの男の傷口に当てて』
サユは花びらを千切り、千切った花びらをアーメッドの肩の傷に当てた。すると花びらはアーメッドの中に入り、血が止まって傷口が早送りのように塞がったのだ。
「う……」
アーメッドは息を吹き返し、月明りで照らされた少女の顔を見て、意識を取り戻した。
「あの怪物はどうした? 君はあと……」
そして肩にある筈の傷を見て驚いた。あと一つ残さずに治っているのを。
「君が治してくれたのか? 君は一体、何者なんだ?」
アーメッドはサユに訊き、サユは五聖神・朱雀と名乗り、自分が邪羅鬼という怪物を退治していることを簡潔に話した。
「そうか……。僕はWUPの隊員、アーメッド・シモンだ。僕は君や邪羅鬼という怪物のことをWUPの上官に発表したいんだ……」
「えっ、何故ですか?」
アーメッドはサユに言った。
「……僕は親友を邪羅鬼に殺された。一年前、WUPの同部隊のリベルを翼をもった邪羅鬼に殺されたんだ……」
「えっ……」
サユはアーメッドの話を聞いて、目を丸くした。更にアーメッドは懐からビニールポケットに入れた鳥の羽を出してサユに見せた。白地に赤や青の色彩の羽が混じっている。
「リベルの近くにあったんだ。これが……。僕は邪羅鬼が憎い。リベルも悔しくて悔しくてたまらなかった筈だ……。子の羽を持つ邪羅鬼を生きているうちに必ず見つけて……」
「仇をとりたいのですね」
それからサユはアーメッドに言った。
「アーメッドさん、私が助けた女の子の中に、自分の母親を殺された邪羅鬼がいましてね、その子は邪羅鬼を見つけた時、復讐の鬼になったのですよ。でも、仇をとったとはいえ、母親は帰ってこない……」
「ああ、わかっているよ。それは。でも邪羅鬼は人間の法では解決できない。だから自分でやると決めた」
「法ではなく自分一人でやるのは正しいと思います。でも、私を頼ってもいいから」
そう言ってサユは飛びだとうとした。
「私は他の邪羅鬼を退治しに行きますね。それでは」
両翼を羽ばたかせ、西南に向かっていった。その時、アーメッドは携帯ビデオカメラにサユの姿を収めた。もちろん、邪羅鬼も、両者との戦いも。
「これを上層部に見せれば、僕が邪羅鬼のためにスピード昇進したかわかってくださる筈だ。リベルが死んだ理由も、表向きとは違うことも……」