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五聖神黙示録  作者: 浅葱沼 氷雨乃
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「緑」の書・第2話 旧友(とも)との再会

『五聖神』第15話。バルトゥルの住む町で作物荒らしが起こっていた。その犯人は角ウサギのカルクと金毛山猫のミグで、バルトゥルが山にいた頃の友達だった。作物荒らしの責任を取ってバルトゥルが引き取るが……。

「あ~、今日はこの家がやられたか」

 常春の国リニアスの中西部にある町、フィロスでは毎晩、畑の野菜や穀物が荒らされたり、干物屋の食料庫前に干されている干し肉や干し魚が盗まれる事件が勃発していた。しかも、夜に犯行が起こり、駐在の警官は頭を抱える。

「今月に入ってから五件目か……。朝の明るい時間で犯人は動物とわかるのだが、一体何の動物だ?」

 荒らされた畑や干物台の近くには必ず、動物の足跡がついていたので犯人はわかった。それも蹄獣ではなく、肉球の跡である。

「う~む、一体どんな獣がやったのやら……」

 駐在さんは頭を悩ませた。足跡を辿っても、風で消えているか水で埋められたか草地でなくなっているのだ。

「何とかして犯人をとっちめてやってくれよ、駐在さん。でないと、わしらは生活が苦しくなる」

 被害にあった農夫や干物屋のおかみが駐在さんに懇願した。


 

 麗らかな秋の晴天――といっても、リニアスは気温が毎月ほぼ同じなため、冷たい風は吹かず暖かな南風が流れてきているのですごしやすい。

 バルトゥルの学校の五年生たちの秋の遠足はフィロスから東二十三キロ離れたカミール地方の都市、ブルッセーニにある動物園に来訪してきた。朝九時にフィロスを出発して、貸し切りバスで四十五分、バルトゥルにとって木と畑のある町が、屋根つきの大きな建物に代わっていく光景は珍しいものだった。更にブルッセーニ動物園に着くと、バルトゥルは九年間暮らしていた山や町中で見た生き物とは違う動物に驚いていた。ライオン、トラ、ゴリラ、ヒョウ、サイ、キリン……。他にもコアラやカモノハシ、ラクダやペンギンや白クマといった中央大陸には珍しい生き物にびっくりした。同じ班の子が動物の写真撮影や観察レポートを書いたりしている中、バルトゥルは動物を眺めていた。

 昼食の時間になると、みんな昼食広場に集まり、班ごとに一つのテーブルに集まって弁当を食べる。昼食広場は集団客用に作られ、円状の木製テーブルとベンチは一度に六人が座ることができ、十二組ある。昼食時間にはみんなお弁当のおかずを見せ合ったり交換し合ったりしていた。

 バルトゥルと同じ班のメンバーは、ロザリンド、トルスカ、ルディアーネ人のガエターノ・ラルピーノ、ロリ服娘のクロエ・モンテリーニである。トルスカは相変わらず車いすに乗ったままで、ロザリンドは毎日ブルネットの髪をツインテールやポニーテールや蜜網にすることがあって、今日は長い髪を髪留めで上げて束ねていた。ガエターノは薄い金髪と青い目が特徴的でピザ屋さんの息子、クロエはフリルやリボンやレースのいっぱい付いた服を着ている。他にもバルトゥルの学校の生徒たちは個性豊かだ。

 バルトゥルは養母の作ったお弁当のオープンサンドをかじり、水筒のミルクティーを飲み、果樹園で生ったザクロの実をデザートにして食べていた。

「ん~?」

 バルトゥルは指についたザクロの汁を舐めとりながら、あることに気づいたのだ。

「動物園の動物、昼飯ってどーしてんだ?」

「……バルトゥル、ここの動物たちはちゃんと飼育係の人たちがやっているから大丈夫だよ」

 トルスカが教える。

「逃げ出して獲物探したりしないのかな?」

「いやいやいや、ライオンとか狼が逃げ出したりなんかしたら、牙や爪で人間や草食獣が襲われたりしたら、大変じゃないか」

 他の班の男子が真後ろにいたバルトゥルにこう言った。

 昼食時間が終わると、バルトゥルの班は肉食獣ゾーンにやって来て、黒い鉄檻の中の票を見つめていた。檻の中には小さな芝生と木登り用の木が置いてある。動物園の中は道は色とりどりのブロックが敷かれ、楢の木や楡の木などの木が植えられ、他の学校の校外学習や幼稚園の実習姿が見かけられた。

(こいつら、本当はどうしたいのかな)

 バルトゥルは以前、学校の飼育小屋の兎や鶏が放し飼いされないのは「危険な動物から守るため」とロザリンドから教わったことを思い出した。

(動物園のヒョウやゾウと、学校の兎じゃこんなにも扱われ方が出るのか?)

 そして二時半に動物園を出て、学校に着くと解散して、バルトゥルの初めての遠足が終わったのである。

 バルトゥルが学校から帰る途中の町広場で人だかりを見つけた。広場には大きな時計台と噴水、地面には赤と白の石畳が敷かれている。

「こいつがわしの畑の根菜を荒らしたんじゃ!」

「酷い生き物だな。獲物がないとはいえ、人間様の干し魚を盗るとは」

「こいつを動物園に送るべ!」

「いや、殺して毛皮を剥いで、お金持ちに高く売った方がいい」

 バルトゥルが人だかりの中心をのぞいてみると、何とそこには町中では見られぬ大山猫と大角兎がいたのだ。金色の長毛に水色の目を持つ大山猫は山にしか生息せず、大角兎は野兎より三回り大きく額に二本の角を生やした灰茶の兎で人のいない森にしか棲まないはず。バルトゥルは農夫の一人に声をかけた。

「こいつら、何したの?」

「何って、この最近に畑の野菜を荒らしたり、干し魚が盗まれる事件が起きて、その犯人を捕らえる為に罠を仕掛けたら、犯人はこいつらだったんじゃ。足跡が見事に一致したわ。いくら動物といえど、畑荒らしは許さねぇ」

「か、かわいそうだよ。殺すなんて……」

 バルトゥルはおじさんに言う。そして、首に縄をつけられ杭につながれている二匹の動物はバルトゥルに近寄った。そして彼に目で「助けて」と言うように語りかけた。

「ね、ねえ、こいつら許してやってよ。俺が、代わりに罰を受けるから……」

 バルトゥルはみんなに許し乞いをした。その時、隣町に果物を売りに行っていた養父サムエルが家に帰る途中の人だかりを見て、その中にバルトゥルがいることに気づいて駆けてきた。

「何があったんだ、バルトゥル! あんたら、うちの息子が何をしたっていうんだ!?」

 農夫の一人がサムエルに言った。

「ああ、畑荒らしと魚泥棒の犯人をこの子が庇っているんだよ。動物でも、人様の物を盗めば許されないってのは」

 サムエルはバルトゥルと二匹の動物たちを見る。

「だから、俺が罰を受けるって言うのに」

 バルトゥルのセリフを聞いて、サムエルも町人たちの前に出て土下座をした。

「この通り、わしからもお願いする。この子たちはわしらが責任を持って、保護しますから……」

 サムエルの必死に懇願する姿を見て、町人たちは顔を見合わせて、許してやることにした。

「ま、まあ、あんたがそう言うのなら……」

 干物屋のおかみさんが言うと、町人たちは散り散りに去っていった。

「父ちゃん……」

 バルトゥルは養父の土下座を見て、心を痛めた。

「いいんだよ、お前はこの子たちが酷い目に遭わされるのを見たくなかったんだろ?」

「うん……。父ちゃん謝る必要なかったのに」

「いや、ああでもしなければ、この二匹は殺されていたかもしれん」

 バルトゥルはもじもじしながら、養父に言った。

「あのね、こいつら、俺が山で暮らしていた時の友達なんだよ……」

「ええっ!?」


 


 バルトゥルが助けた大山猫はミグという名前で、大角兎はカルクという名前であった。バルトゥルはこの二匹がかつての幼馴染であることに気づいて助けたのだ。

「しかし何故、山を下りて町に来たの?」

 バルトゥルが二匹に訊いた。するとサムエルは代わりにこういうことじゃないかと諭した。

「もしかしたら、わしがバルトゥルを町に連れ帰った日に、バルトゥルがなかなか山に帰って来ないから、わざわざ下山して会いに来たんだろう。そりゃあ長い間一緒に暮らしていれば、情もわくに決まっている」

「俺に会いに……? そうなのか?」

 バルトゥルが二匹に訊ねると、ミグとカルクはこくんと頷いた。

「そうか、そうだったんだ! 俺に会いに来てくれたんだ! わざわざここまで!」

 バルトゥルはミグとカルクに抱きついた。

と、そこへ一人の仕立てのいいスウェードのスーツを着た赤茶の髪と全体に生やしたヒゲ持った恰幅のいい壮年の男がやってきた。

「ちょっとよろしいでしょうか、シャロンさん」

「あ、あなたはガルダン農園の当主のガルダンさん……!」

 サムエルは男を見て驚き、姿勢を整えた。アイザック・ガルダン氏は町で数少ない富豪の一人で、茶や野菜や果物や香草などの畑をいくつも持ち、自分は働くことなく、貧しい使用人を安い給料でこき使って働かせている金の亡者であった。

「すまないけど、うちのキャベツ畑も荒らされてね、しかもうちのキャベツは普通のキャベツと違って大きくて甘味のする珍しいキャベツで、それが十個もかじられていたのだよ。あんたんとこの大角兎の仕業だったとはねぇ」

「はい? でもガルダンさんとこの畑は確か動物除けの高い柵で囲まれていて、しかも柵は礎も深くて、そう簡単に動物も泥棒も入ってこないはずでは? 何かの間違いでしょう?」

 ミグは干物屋の干し魚と干し肉を食べ、カルクは他の農夫の普通の野菜を食べたが、ガルダン農園も荒らされていたとは、サムエルも今知ったのだ。なのに、ガルダンはよく調べもしないで、カルクのせいだと主張した。

「困りましたねぇ、あのキャベツは一つ三リモスするんですよ。一〇個の損害なら二クァルですよ。これはうちの経営が悪くなりますねぇ」

 ガルダン氏は笑った目で、ミグとカルクを睨みつけた。

「でも、あの子たちがやったという……」

 サムエルが言いかけた途端、ガルダン氏は続けて言った。

「そしたら家庭裁判所に訴える他ないですね。器物損壊罪で二クァルで済むところを十クァル払わなくてはいけませんな。どうします?」

「……」

 裁判にかけられるとなると、サムエルは反論できなかった。そして分割で借金返済するという約束になった。

 一緒に家に帰る道で、バルトゥルはサムエルに言った。

「父ちゃん、俺、あいつ嫌いだ」

 しかしサムエルは仕方なしに首を振った。

「ああいう地位を使っての権力者は誰も逆らえない。人間は偉ければ偉いほど、人を支配できるからな。わしらのような一般人は大人しくする他ない」

 サムエルはそう諭したが、バルトゥルは証拠も不十分なのに養父を責めたガルダンのことは許せなかった。

(もしかしたらミグとカルクはあいつに殺されていたかもしれないんだ。食べ物を盗んだだけで、そう責められるものなのか?)

 現在なら示談で済むが、百年近く前までの世界では、一切れのパンを盗んだだけでも罪になることがあった。富裕者は財力も権力もあるから衣食住には困らないが、貧困層の者は食べ物も着る物も住む場所にも困って、餓死や夜露にうたれて死ぬことがよくあったのだ。このことは学校の公民の授業で習った。しかしバルトゥルは五歳で戦争孤児となって山で九年間暮らし暮らしていた。食べ物は木の実や草の実やキノコ、川魚や鳥の卵で命をつなぎ、大きな木のうろで眠り、草を編んだ服で身を守っていた。

 家に着くと、マーニャが夫と息子を出迎えて、更にミグとカルクまで連れてきたのにも驚いたが、バルトゥルの友達と知ると快く家に置いてやったのである。ミグはサバを与えられ、カルクはカブやニンジンの葉っぱやリンゴを食べることができた。


 次の日の体育の時間、バルトゥルは山での友達ミグとカルクがバルトゥルを追ってやって来たこととガルダンのことをトルスカに話した。バルトゥルの学校では体育は隣のクラスの男子同士、女子同士で授業を受けている。体操パンツとジャージは黒字に黄ラインで、体操着は白いポロシャツタイプのものである。今日は一組の男子たちとハードル競走と高跳びである。

 トルスカは病弱のため体育の授業は全部見学であるが、バルトゥルはこの時自分の番になるまで、トルスカの隣にいた。校庭は中心が芝生で外が赤土部分である。

「俺、あいつ嫌い。カルクがかじったのかどうかも知らないで、弁償を求めてきたんだ」

「あの人はそういう人なんだよ。鶏を盗んだのがイタチと調べないで通りすがりの狐と決めつけた農夫みたいにさ。お話だったらそういう奴は天罰が下るけどさ、あの人は自分の立場を利用して弱者を追いつめて更に都合のいい理屈をつけて私服を肥やしているからね」

 トルスカは芝生の上で体育座りをしながら、バルトゥルに話した。

「何とかして父ちゃんの借金を無しにしたい」

「だったら……、ずるいかもしれないけど、借金の書類――盗むしかないね」

 トルスカがバルトゥルの耳にひそひそと小声で話した。その時、先生の呼ぶ声がして、バルトゥルは競技に出た。


 その日の放課後、バルトゥルはトルスカと共にガルダン農園にやって来た。ガルダン農園は町から大分離れた山のふもとの平地に造られ、何十種類ものの野菜や果物が植えられた畑や田は十メートルある黒い鉄柵に囲まれ、農園奥には八十坪はありそうな黒い方形屋根の屋敷が建っている。

「父ちゃんの果樹園よりでけぇな」

「そりゃそうだよ。あんだけもうけていれば……」

 バルトゥルとトルスカがどうやって屋敷に潜入しようかと練っていて、農園を眺めていた。それよりもバルトゥルが農園で気づいたのは、柵は高いだけでなく礎は深さ十センチ厚さ十センチありそうなコンクリートでできていて、穴掘りが得意な大角兎でもさすがに超えられないことであった。

「こんなんじゃカルクだって超えること出来ないよ」

 やっぱしあいつははめていた。バルトゥルは不快な気持になった。

「そんなことより、どうやって屋敷の中に入るのさ?」

 トルスカは雇用人たちが柵の門を開けて果物を入れた樽を荷車に乗せてロバにひかせて出かけに行くのを目撃した。

「そうだ、こうしよう」

 トルスカはいい計画を思いついた。


「ほんっとに旦那は人使いあらいよなぁ」

「自分は働かず、俺たちにやらせてその儲けの大半は自分の懐に入れて、俺たちにはほんのわずか。都会での仕事の方が良かったかもな」

 仕事探しのために都会から山間の町に移ってきた若い使用人の二人が摘み取った綿や麻の山をロバが引く荷車に乗せて、織物屋に引き渡しに出かけて門を開けた時、トルスカが飛び出して車椅子から転げ落ちた。

「わっ、大丈夫か!? 坊主!」

 使用人はトルスカを抱きかかえて慌てふためき、トルスカは隠れていたバルトゥルに目で合図し、バルトゥルは開いた柵門の中に入っていった。これこそがバルトゥルを中に入れる為のトルスカが考えた作戦である。

 農園内に入ったバルトゥルは他の使用人たちや怖そうな大きな番犬たちに見つからぬよう、畑の茂みや小屋の後ろ、荷車の裏や積み重ねた藁山に隠れて移りながら、ガルダンの屋敷に着いた。そして運よく一階の窓が開いており、そこから忍び込んだ。入った場所は廊下で、廊下の床には高い素材のじゅうたん、天井には小さなシャンデリアが点々と並び、各部屋のドアも黒檀の豪華な浮彫である。

「……入ったのはいいけど、どこにあんのかな? 借用書」

 そこでバルトゥルは鍵穴を一つ一つ覗いてどこにありそうか調べることにした。しかし、どこにもらしき部屋が見つからない。

「ん――……、どこにあんのかなぁ」

 バルトゥルが悩んでいると、足元に一匹の毛ムクの小型犬――赤毛のポメラニアンがバルトゥルの方を向いていた。

「な、何だ、犬か」

 だがポメラニアンは歯をむき出してうなり「ワンワンワン!」と吠えたのだ。

「何だ、何だ!?」

 屋敷内の使用人とガルダンがポメラニアンの鳴き声を聞いてかけつけてきた。

「何だアプリコット、泥棒か?」

 ガルダンが廊下にやって来ると、アプリコットの鳴き声で動けないでいるバルトゥルを見つけた。

「あっ、お前はシャロンとこの小僧ではないか! どうやって入って来た!?」

「父ちゃんの借金なくせよ! お前んとこの柵はどう考えても見てみても、カルクが入れないようなものだったぞ!」

 バルトゥルのセリフを聞いて、コックやメイドたちが目を丸くしてざわついた。メイドたちの様子を見てガルダンは血相を変え、みんなに言った。

「お、お前たち、このガキの言っていることはでたらめだ! 追い出せ!」

 ガルダンは男の使用人たちに命じてバルトゥルを屋敷から追い出し、門の鍵を厳重にロックした。

「くっそー……」

 バルトゥルが悔しがっていると、転化帳がピピピと鳴って、バルトゥルは上着のポケットから転化帳を取り出した。

「じゃ、邪羅鬼? どうしたんだ……?」

 バルトゥルは転化帳を開き、画面を見てみる。レーダーモードの転化帳には邪羅鬼の現在地が示される。

「あれ? 出ないぞ? 何で?」

 バルトゥルが画面に何も映らないと転化帳を持っていると、後ろから車椅子に乗ったトルスカがやって来て、バルトゥルは咄嗟に転化帳をポケットに入れなおした。

「ト、トルスカ……」

「中に入って書類を取り戻せた?」

「い、いや、できなかった……」

 バルトゥルは首を振った。トルスカはおとりになった後、使用人たちに町の診療所に連れて行かれ、この後バルトゥルのことが気になって引き返して来たのだ。

「失敗か……。うっ、ゴホッ」

 トルスカがせき込んだので、バルトゥルは驚いた。

「大丈夫!?」

「う、うん。ちょっと今日、無理しちゃった」

「俺がうちまで送ってくよ」

 バルトゥルはトルスカの乗った車椅子を押して、夕日の町に向かっていった。




 その日の晩、バルトゥルは自室のベッドで、転化帳の他の機能を調べていた。バルトゥルの部屋は十字枠の丸窓、カーテンやラグや寝具は緑系、机と椅子と本棚とベッド、チェスやオセロができる基盤おもちゃや昔話の本や図鑑が置かれた子供部屋である。その部屋にミグとカルクもいる。

 バルトゥルはタッチペンで転化帳のパネルを「通信」に替えて叩いてみた。画面がレーダーマップから、翠麒のいる緑雲殿の内部画像へと変わった。画面には床も壁も磨かれた緑雲石クリソプレーズでできた大広間になり、その場所に翡翠色の体をした馬のような生き物が画面に映し出される。額に金の角、たてがみと尾の先の毛は白緑で目はコバルト色の中央大陸を守る五聖神、翠麒である。

『久しぶりだな、バルトゥル』

 口調は大人だが声色は若者の翠麒がバルトゥルに声をかけた。

「うん、久しぶり。あの、ちょっと話したいことがあって……わっ」

 ミグとカルクが転化帳に映る翠麒を見て、顔を出す。

『何だ、こいつらは』

「この二匹は俺が山で暮らしていた時の友達、ミグとカルクだよ。俺に会いに来たって」

『そうか、わかったよ。用件は?』

「あっ、はいはい。えっとね……」

 バルトゥルはまずガルダンのことを話し、そしてガルダンの家を出た後に邪羅鬼がいた訳でもないのに転化帳が鳴ったことを話した。

『なるほどな……。ガルダンという男、邪羅鬼に取りつかれているな』

「何それ? 初めて聞く」

『邪羅鬼は肉体を持たず、魂だけの状態で生まれてくることがある。魂のままだといずれ消えてしまうが、欲望や悪心を持った人間に取りついて、それを栄養分にして吸い尽くして実体化する。いわば、人間の欲が邪羅鬼の栄養なのだ。ガルダンという男は金欲の深さのあまり、邪羅鬼に取りつかれたのだ。

 バルトゥルは憑依型の邪羅鬼の話を聞いて、口をあんぐりさせる。

『だがガルダンは生まれた時から欲深ではなかった。先代当主のビジネスがたまたま成功したはずみで今の現状を保っているのだ。その先代当主は六年前に亡くなって、彼が金持ちでいたいまま継いだ』

「じゃあさ、邪羅鬼が出てきたらさ、町の人たち、食べられちゃうよ」

『そうだ、バルトゥル。悪は早いうちに潰すんだ』


 ガルダンの屋敷では、ガルダンが自身の書斎で八つもある銀行の通帳を眺めていた。度の通帳にも最高預金一五〇〇から二〇〇〇リモスと書かれている。書斎も全て象牙などの豪華な造りの家具やベルベッドのじゅうたんという成金趣味丸出しのものである。

「金、金、金。この世で一番必要なのは金だわい。どんな手段をしても、金をドカドカ集めて国一番の金持ちになってやる。ヒッヒッヒ……」

 クジラの骨でできた椅子に座りながら、ガルダンはにんまりしていた。クローゼットの扉についた鏡がガルダンを映していたが、それは人間のものでなく獣人のような姿をしていた。


 フィロスの町では、農家や酪農家や店を営む家庭では、誰でも朝早く起きて畑仕事や家畜の世話や商品の仕入れをする。子供たちも家の手伝いは当然である。学校が早く終わろうと、学校が休みであろうと子供たちも働くのだ。

 バルトゥルも学校休みの今日はいつもより早起きして両親の手伝いをする――はずだった。

 パジャマから普段着の緑の麻シャツとベージュの上着と灰色のパンツに着替えているさ中、机上の転化帳が鳴りだした。

(邪羅鬼だ! 今度こそ出たんだ!)

 バルトゥルが画面をモニター画像にすると、なんとガルダン農園の使用人たちが農園や屋敷内で倒れており、番犬のドーベルマンやシェパードやコリー、家の中で飼われているアプリコットが屋敷内の様子におびえて吠えていた。

 バルトゥルは転化帳を持つと、急いで家を飛び出していった。バァン、と玄関のドアが強く開閉する音を聞いて、すでに外に出て作業していたサムエルと台所の片づけをしていたマーニャが外へ飛び出していったバルトゥルの背中を見た。

「バルトゥル、どこへ行くんだ!」

 サムエルが声を上げたが、バルトゥルは聞く耳を持たなかった。朝焼けに包まれた町は常春の国といえど空気は冷たく、空が白っぽい青で東の空には太陽が昇りかけている。白い石造りの家が並ぶ住宅地を駆け抜けて、一旦森林公園の中に入って、転化した。緑の結晶がバルトゥルを包み、結晶がはじけて緑の衣をまとい、翠麒の耳と角と尾を持ったバルトゥルが現れる。

転化したバルトゥルは普段の十倍の体力を持ち、軽く跳んだだけで住宅街の屋根まで跳躍し、軽やかに跳んでガルダン農園について、大きく柵を乗り越えて中に着地した。

 農園の中は、使用人たちが倒れており、バルトゥルが触ってみるとまだ温かい。だが呼吸も心音もない。

「魂、喰われたんだ……」

 その時、キャーッという若い女性の叫び声がして、バルトゥルは屋敷の中に入ろうと玄関のドアを蹴破り、足を踏み入れた。屋敷の中を走り廻っていると、邪羅鬼が一階のテラスがある居間にいて、そこのメイドの魂を貪り食っていた。真っ白い居間はざっと十五畳あり、四本の円柱と豪華のソファとピアノと観葉植物が置かれており、黒毛の動物の邪羅鬼――尖った鼻と鋭く長い両手の爪、ずんぐりとした体に小さな眼には黒いゴーグルで覆われ、人間の魂をモグモグと口の中で転がして食べていた。

「出たな、邪羅鬼! やっつけてやる」

 バルトゥルは邪羅鬼にとびかかり、跳び蹴りを浴びせた。その勢いで邪羅鬼は押し出され、ガッシャーンと居間の窓が壊れ、邪羅鬼が外に転がり倒れる。ところが邪羅鬼は両手を使って、庭の芝生を掘り始めて、地面に潜り込んだ。

「待てっ、逃げる気か!?」

 バルトゥルが追うと、邪羅鬼は見えなくなり、バルトゥルがどこに行ったとあたりを見回した。その時、真下から邪羅鬼の爪が出てきて、バルトゥルを吹っ飛ばした。バルトゥルは真後ろの木にぶつかり、ずり落ちたと思ったらまた地面に潜った邪羅鬼の手が出てきて、バルトゥルを突き上げ飛ばした。今度はテラスの柱にぶつかり、背中を押さえながら邪羅鬼を探そうと芝生に足を踏み入れた途端にまた足の下から攻撃された。

「うう……、ガルダンの欲を栄養にしただけで、こんなに強いなんて……きいてないよぉ」

 バルトゥルは泣き言を吐き、どこからか出現する邪羅鬼に苦戦した。庭だけでなく、屋敷近くの畑も穴だらけにされている。それから何も食べずに家を飛び出してきたため、体がふらつき、このままにしていたら確実に邪羅鬼にやられる、とバルトゥルは悟った。邪羅鬼が近づいてきて、その鋭い爪でバルトゥルの首をへし折ろうとしてきた。

「死ねッ!!」

 バルトゥルは目をつむり、自身の危機を感じ取った。その時、何か速いものがじゃ羅鬼にとびかかってきた。

「うわああっ」

 バルトゥルが目を開けると、ミグが邪羅鬼の腕にかみつき、カルクが邪羅鬼の足にかみついていたのだ。

「ミグ、カルク! 俺のあとをついてきたのか!」

 バルトゥルは加勢しに来た二匹に言った。

「邪魔だっ!!」

 邪羅鬼は二匹を振りほどこうとしたが、ミグが前足の爪で邪羅鬼の顔を引っ掻き、ゴーグルが割れた。片目割れたゴーグルに日光が入り、邪羅鬼は目を痛めて苦しんだ。

「モグラは光に弱い。邪羅鬼でもその特徴は受け継がれる」

 眼を痛め呻り苦しむ邪羅鬼を見て、バルトゥルは両手に土行を込めて、両手を三角に合わせた。

「濁しき邪気よ、大地の豊かさに浄化され、体は無へと還れ。翠麒地裂‼」

 バルトゥルの両手から、緑の光の翠麒が地を裂きながら突進し、邪羅鬼を飲み込んで消滅させた。

「やったあ!!」

 バルトゥルは両手を拳にして勝利に悦んだ。邪羅鬼にがいた所からは、いくつものの金色の光の玉、喰われた魂が屋敷中に散らばり、元の肉体の中に入っていった。




 バルトゥルはあの後、ミグとカルクと共に屋敷を出て両親のいる家へと戻っていった。家に帰った後は怒られると思いきや、サムエルとマーニャは二時間経っても戻ってこないバルトゥルを心配していたので、許されたのだった。


 それから三日後――、ガルダン農園では邪羅鬼に欲と悪心を吸いつくされたガルダンは以前とは全くの別人となり、使用人たちの給料を上げ、自身も働き、サムエルに求めた倍賞も自身の誤解だったいう理由で帳消しになった。

 邪羅鬼に取りつかれた人間は純粋無垢になることをバルトゥルは知ったのだった。

 学校では今度行く修学旅行の班決めの時に、バルトゥルはトルスカからガルダンが寛大になったことを聞いた。

「良かったね、おじさんの借金なくなって」

「うん」

「でも、どうしてガルダンさんの人が変わったのかとても不思議なんだよね。一体何があったんだろう」

 トルスカは人差し指をこめかみに当てて考えた。

(俺の聖力でやったなんて、信じてくれないだろうなー……)

 バルトゥルは自分の掌を見て他の連中に言いそうなのを呑み込んで、手の開け閉めをした。

(どうせなら、この聖力を世界中の悪い人たちにふりかけたい。そうすれば、間違いとか争いがなくなるのに)

 その小さな願いを思い浮かべながら、未来の平和を望んだ。




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