「赤」の書・第2話 スパルタ教師の知られざる罪
『五聖神』第14話。サユが通う学校のアクバ先生は非常に厳格だった。そんなサユたちの前にWUP(国際同盟警察)の青年、アーメッドが尋ねてくる。何でもアクバ先生には美女連続失踪事件の疑いがかかっているという。その真意は本当なのか!?
「何ですか、この楽譜の作り方は!? ほとんど間違っているじゃないの!」
中等学校の職員室で、音楽教師のアクバ・タソナバ先生が女子生徒を怒鳴りつけていた。職員室には十六の金属机が並び、他の先生がアクバ先生の声で一斉に目を向けていた。アクバ先生に扱かれている女子生徒は今にも泣きそうな顔をしている。
「あーあ、また始まったよ、アクバ先生の生徒いじめが」
若い体育の男性教師が小さな声で他の先生たちに言った。
「厳しさこそ真の教育、とアクバ先生はああ言っているけど、厳しすぎるんじゃないかね?」
眼鏡をかけた平凡な顔つきの男性教師が言った。
アクバ先生はランゴ中学に十五年間勤めている女教師で、担当教科は音楽。授業はもちろん、校内活動や指導にも厳しい人で、少しでも音楽が苦手な生徒がいると、下校時間まで居残りさせるほどの評判。黒髪のウェーブヘアに大きな褐色の瞳と面長顔にほっそりとした長身の美人なのだが、厳しい性格の故、生徒からは好かれていなかった。生徒だけでなく、二十代の女性教師にも厳しく、先週なんかは新任教師のパトリシア先生の服装が「派手すぎる」という理由で怒鳴りつけてそれ以来、パトリシア先生はいつもアクバ先生の態度を窺っていた。
ある時、サユとイロナが学校内の白い廊下を歩いていると、突然怒鳴り声が廊下中に響いてきた。
「これは没収するって言ったでしょう!!」
その声でサユとイロナは心臓が飛び出るほど驚き、声のしたほうに向かうと、三年生の教室の前で、三年生の女の子三人がアクバ先生に怒られていた。
「中学生なのに、学校に化粧品を持ってくるなんて。学校で決められた薬用リップだけという規則なのよ! それに両手に付け爪をつけるなんて、ふざけているにも限度があります!」
アクバ先生に怒鳴られている女の子たちの両手には、ピンクや青の付け爪が付けられており、個人なりのネイルアートが施されている。
イロナはこの光景を見て、サユに言った。
「アクバ先生って、ホント厳しいよね。少しのミスでも怒鳴るし……。アクバ先生が原因で志望の進学先に全部失敗したり、登校拒否や転校した子もいるし。何で多くの人から怨まれるようなことをしているのに、懲戒免職にならないのかすごい不思議なんだけど」
「イロナ……」
サユは顔を濁らせる。
「でも、アクバ先生って、かわいそうなところもあるんだよ。確か五年くらい前に旦那さんが先立たれて、一人娘を女手一つで育ててきたってさ。先生が厳しくしてんのは、悪の道に落さないため、ってことも……」
サユはアクバ先生の顔を見て思った。
(あれ、先生ってあんなに若かったっけ……?)
アクバ先生の現在年齢は四十五歳。なのに、アクバ先生の顔は二十歳前後のようにしわはなく、肌もすべすべしていてニキビも肌あれもない。普通の四十代の女性なら、化粧していても少しぐらいなら皺とかが残るものだが。
(ん~? 確か学期初めのアクバ先生は今みたいに若々しくなかった筈。なのにわずか二ヶ月で、急に若返るなんて……)
サユは疑問に思った。アクバ先生が何故、若々しくなったのかを。
サユとイロナは学校が終わると、林に円状開拓された丘の上の学校を出て、林を通り抜けてジャングルシティのツドイ家に帰っていった。サユは一週間の四日をアルバイトに充ててツドイ家を出る資金を集めていたが、この日はバイト休みの日だったため、イロナと一緒に帰っていったのである。
夕方のジャングルシティは葉々の隙間から日光が差し、朱色の光の斑紋をバン・ダルーイの家や黒い地面を染めていた。ジャングルシティの住民は次々に大木の家の中に入っていく。
サユとイロナは外階段の入り口から中に入り、家の中心の螺旋階段を上り、四階にある自室に入って、モスグリーンとベージュの制服から私服に着替えた。サユは白地に赤いピンストライプのシャツワンピース、イロナは青いキャミソールとアッシュグリーンのショートパンツに着替えた。二人が着替え終わると、「ただいまー」という若い青年の声がしてきた。個々色の紙に浅黒い肌、大きな瞳と長身の青年、コーベンである。大学から戻ってきたところだ。
「お兄ちゃん、お帰りー」
「お帰りなさい」
イロナとサユは帰ってきたコーベンを出迎えた。コーベンは中心に白い十字架がプリントされた黒いTシャツに緑の麻ズボン、左手には新聞を持っている。サユはコーベンの握っている新聞の記事を見て、にこにこ顔から怯えた顔に変わった。
「あの、新聞……まだこの事件、続いているんだ……」
「え? ああ、この事件ね……」
コーベンは新聞の記事を見てつぶやく。二ヶ月前から十二歳から二十四歳の若い女性の行方不明事件が起こっていた。行方不明になった女性は身に着けていた服や靴や鞄は見つかることはあっても、本人は見つかることはなかった。これはロプス国府の者も捜査が行われているが、異国のスパイが誘拐したのか、売春業者に捕まったのか、ロプスで禁じられている奴隷商法者の仕業なのかわからずじまいだった。
「これね……。サユやイロナも気をつけたほうがいいよ。夕方ってのは、いやジャングルシティの周辺てのはあまり人が現れることが少ないから、そういう奴らにとっては都合のいい獲物なんだよ。君たちの学校でも、行方不明になっている女の子や女の先生が出ているんだろう」
サユの学校でも、女性生徒や女の先生が行方不明になっている者が出ている。サユとイロナが知っているのは、学校内で四人である。
実はサユが住んでいるロプスの他、南大陸は治安が悪い。他国では独裁政権国や戦争国や犯罪大国が多い。サユの住むロプスは治安が少しばかり良くなったほうである。
(――だから邪羅鬼が次々に出てくるんだ)
南大陸を守る五聖神、朱雀によって南大陸を守る聖神闘者となったサユは心の中で呟く。そのため邪気の流れが多く、邪羅鬼が湧き水のように出現してくる。サユは今まで十体近い邪羅鬼を無に葬った。サユの母を殺した邪羅鬼もいて、サユはその邪羅鬼を倒した時、邪羅鬼への恨みを人間を守る力に変えたのだった。
次の日の学校の帰りのホームルームで、全学年の担任の先生が女性連続失踪事件について、女性生徒に注意を呼び掛けていた。サユのクラスでも、担任のミリガン先生がみんなに話していた。長椅子と長机が並んだ教室で、生徒たちは耳を傾けている。
「みなさん、この頃十二歳から二十代半ばまでの若い女性が行方不明になっている事件が起きていて、この学校でも行方不明の女子生徒が数人出ております。もし怪しい人に狙われたら、大声を出して逃げたり、人家に飛び込んで助けを求めましょう」
ミリガン先生は黒い髪を一つにひっつめて薄いフレームの眼鏡と薄色の無地ブラウスと紺や黒のタイトスカートと皮のパンプスを身に付けた若い女性教師で担当は社会。美人ではあるが、実は既婚者で子持ちである。
「はーい」
「わかりましたー」
生徒たちが返答する中で、一人の男子生徒が手を上げてミリガン先生に質問した。来いと言っていいくらいの浅黒さの肌と黒いベリーショートの生徒、ギオンである。
「じゃあ何でミリガン先生は狙われないんですかぁー? 美人なのに」
ギオン・クヴァイは天才的なふざけぶりで人を楽しませるのが得意な男子で、お調子者である。
「バッカ。二十代半ばまでだよ。ミリガン先生は三十一だから狙われねーんだよ」
ギオンのふざけ仲間の男子が言った。
「あっ、そーか。だ~からか~」
ギオンがそう答えると、ミリガン先生は咳払いをして、生徒たちに注意して言う。
「とにかく! 怪しい人たちには気をつけるんですよ!」
ホームルームが終わると、生徒たちは帰宅したりクラブや委員会へ行ったりとする。サユはこの日はアルバイトのマルゼン動物保護場へ行こうと昇降口に向かっていた。白い廊下では性別や学年が様々な生徒が行き交いしていた。一階の昇降口より奥にある教室に目をやった。
この教室は一ヵ月半前から封鎖されており、誰も入れないように「KEEP OUT」のテープが張られていた。元は何かの教室だったらしいが。教師たちの間では、そこの教室に入るための鍵が紛失されたからだとか、一度中に入ると閉じ込められるから入ってはいけないというが。サユの後ろで、二人の女子生徒が話しながらすれ違った。
「……それでね、三年C組の女子生徒の一人があの日の境に帰ってこなくなったんだって」
「三年C組、ってアクバのババアに怒鳴られていた一人でしょう? 登校拒否じゃなくって!?」
「それがさー、家にも友人の家にもいないんだってさ」
サユはその話を耳にして、昨日アクバ先生にネイルアートしたままの爪で学校に来た女子生徒のことを思い出した。
(……あの子、捕まったのかな)
サユは若い女性の被害事件を思い出した。
(私は、コーベンさんに迎えてもらえるからいいとして)
例の事件が理由で、サユはアルバイトの帰り際にはコーベンによって迎えられるという約束をツドイ家の人たちと交わしていた。
サユが昇降口から出て、学校の敷地を出ようとすると、アクバ先生が学校の隣の木々の間で何かをたき火で燃やしていた。木の陰で黒く見える森の中に朱色の炎がパチパチと音を立て、灰色の煙を出している。
(何を燃やしているのかな……)
アクバ先生はサユの存在には気づいておらず、少し時間がたつと、ブリキのバケツに入った水で火を消した。アクバ先生がその場から去って学校の中に入っていくと、サユの制服のスカートに入れていた転化帳がピピピ、と鳴った。
(えっ、何!? こんな時に邪羅鬼……?)
サユは森の中に入ると、アクバ先生や他の生徒に気づかれないように転化帳を出した。木々が生い茂り、葉の隙間から日が差す森の中でサユは転化帳をそっと開いた。転化帳の邪羅鬼レーダー画面に邪羅鬼が出ると、鬼の横顔である邪羅鬼の現在地点が出てくるのだ。ところが……。
(あれ、何にも映っていない?)
サユは首をかしげた。レーダーには何の表示もない。
「え? 何? 誤作動?」
サユは転化帳の底を指の背でコツコツと叩く。転化帳は普通の機械とは違って、そう壊れないのだが。
「一体どうしちゃったのぉ~?」
サユは転化帳を振ったり叩いたりして、レーダーを直そうとしたが、どうしても邪羅鬼の位置が表記されない。それからはっとなって、アルバイトのことを思い出した。
「こんなことをやってる場合じゃないよ! アルバイトが今、一番大事だよ~っ!!」
サユは大急ぎでアルバイト先のマルゼン動物保護場へと走り出した。
夜の六時になって、サユはアルバイト先の鳥獣保護場を出て、金属製の門と金網の柵の郊外に立つと、コーベンが操縦するジープが来るのを待った。夜の六時といっても南大陸の北方は日の入りが遅く、また秋や冬のような寒い季節がないため、二十度以下の気温になることもなく、雪も降らない。そして夕方は空はトキ色と明るいのである。
(あー、今日もよく働いたなあ)
サユは背伸びをして、体のコリをほぐす。ジャングルの夕方は木々の隙間から紅みを帯びた白い木漏れ日が入ってきている。
「それにしても、コーベンさん遅いな。必ず六時には迎えに来るって言ったのに」
サユは予定より迎えがやって来ないのに気になった。
(気になったといえば……)
サユは転化帳を制服のスカートポケットから出して、朱雀との通信モードに切り替えて、アルバイト先に行く前に邪羅鬼がいる訳でもないのに転化帳が鳴った理由を訊こうとした。
転化帳の画面に紅い羽毛に覆われた細面の鳥、朱雀の顔が映った。朱雀は緑色の目をサユに向けて語る。
『お久しぶりね、サユ。今日は何があって私に?』
朱雀は高い女性の声でサユにあいさつする。
「あ、その……。今日ね、邪羅鬼が近くにいた訳でもないのに転化帳が鳴って、どうしたんだろうと……」
サユは右人差指で頬を掻きながら、朱雀に訊ねた。
『邪羅鬼がいた訳もないのに転化帳が鳴った? ――邪羅鬼以外に他に誰がいた?』
「え? 私の学校の音楽のアクバ先生が、鳴った時の近くにいたけど……。あ、でもアクバ先生には転化帳のこと、気づかれてなかったから」
朱雀はそのことを聞いて、サユに言った。
『それは……、大変なことだわ。その先生は邪羅鬼に取りつかれているのよ』
「……!!」
サユは朱雀の話を聞いて驚いた。邪羅鬼はいつの間にか存在しているもの思っていたからだ。
『邪羅鬼は魂だけの不完全な状態で生まれてくることがあって、そのままでいると消滅していしまうけど、悪心や欲を持った人間に取りついて、その人間の欲を栄養分して十分に食いつくしたところで、誕生する。
その先生に何か変わったところとかない?』
「変わったところ……? 夏休みの間に何か若返ったぐらいで……」
『それでは。その人、美しさと若さの妄執があだとなって、邪羅鬼に取りつかれたのよ。サユの住んでいる地域で、十二歳から二十代半ばの若い女性が行方不明になる事件……、あれは邪羅鬼に取りつかれたアクバ先生の仕業よ』
「そ、そんな……。じゃ、じゃあ、アクバ先生が次々に女の子たちを捕まえて、その……」
サユは青ざめた。行方不明になった女の子たちはアクバ先生に何をされたのか、という恐怖心に駆られた。その時、車のエンジン音がして、サユは転化帳を閉めて制服のポケットに入れた。二つの白い光がこっちに向かってきて――それはコーベンの運転するジープであった。ジープは止まって、迎えに来たコーベンが降りてきた。
「コ、コーベンさん……」
「サユ、ごめんね。燃料が途中で切れちゃって、遅れたんだ」
コーベンはサユに遅刻の理由を話した。その後二人はジープに乗り、バン・ダルーイ住宅区に走っていった。ジープは石や砂利のあるジャングルの道をガタガタと進み、サユはコーベンがつけたカーラジオを聴きながら、夜に包まれようとするジャングルの光景を見ていた。人気ラジオ番組『ロプス・エンターテイン』が終わり、ラジオニュースが流れ出た。
『二ヶ月前から十二歳から二十四歳の女性がランゴで行方不明や失踪が起きている事件で、本日ランゴ公安局は全てのランゴ内の二十四歳以下の在住者の学校閉鎖と通勤停止を決定いたしました。犯人が捕まるまでの期間は、ランゴ公安局・軍隊・憲兵隊共同で犯人捜査を進めていくとのことです』
ラジオのニュースキャスターが市の安全確保を伝える。
(とうとう学校や仕事場にも行けないほどの事件になってしまった――……)
サユは女性失踪事件が大変になってしまったことに胸を痛める。アクバ先生は実は邪羅鬼に取りつかれていて、その邪羅鬼を退治できるのは朱雀の力を授かったサユだけ。簡単に外出できなくなってしまっては、邪羅鬼を倒しに行くことも難しい。そうこう思っているうちに、バン・ダルーイの家に着いてしまった。コーベンと一緒に外階段を上り、家の中に入る。サユと兄コーベンをイロナが出迎えた。
「サユ、お帰り~。お兄ちゃんも」
イロナはにこにこしながら、サユの前に現れる。
「サユ、聞いてよ。さっきランゴの公安局から電話がきて、すべてのランゴの学校生徒と通勤者全員に女性失踪事件の犯人が捕まるで、閉鎖だってさ」
「うん、知ったよ、ラジオで……」
「と、なると僕も大学にいけないのかぁ。うーん、幸い提出レポートを書きあげるまでの時間が増えたと考えりゃあいいか……」
事件の犯人が捕まるまでは学校生は自宅学習、通勤者には政府が休職生活費を出してくれるという。食料を調達するのは必ず三十代以上の女性や男性と定められ、サユとイロナとコーベンは学校に通えない数日を過ごした。アルバイトにも行けなかったが、政府の決めごとには従うほかなかった。 その四日目、ツドイ夫妻がいつものようにそれぞれの職場で働きに行って、子供たちが家で勉強していると、玄関の戸が叩たたかれる音がした。サユとイロナとコーベンがそろって居間にいて、コーベンが出ると、白いテーラードジャケットと青いピンストライプのシャツと赤いネクタイと黒いスラックスを身に付けた褐色の外跳ね髪に南方種族にしては潮のような白い肌と赤眼の青年が門前に立っていた。
「あ、あなたは……?」
コーベンは青年に訊くと、青年は「こういう者です」と身分証明書らしき黒い手帳を出した。黒い手帳にはWUP(国際連邦警察)の金のエンブレムがついている。
「こっ……国際連邦警察!!?」
コーベンは青年がWUPの人間だと知ると、思わず腰を抜かした。WUPというと、ランゴの児童保護局で働くツドイ氏の上司にあたる存在だからだ。しかしコーベンは落ち着きを取り戻し、WUPの青年に訊ねた
「そっ、それでWUPの方が何の……?」
「はい。こちらにズーリャ・タソナバという女性をご存じないでしょうか?」
「タソ……ナバ……?」
コーベンはその名を聞いて、首をかしげる。
「あっ。うちの妹が通っている中学の音楽の先生の娘さんの名前ですね。その人に、何か?」
「はい。実は大いに言えないのですが、ランゴ女性失踪事件の最初の被害者なんですよ。八月三十日を最後に行方が分からなくなって生死不明。できれば、その妹さんに訊きたいのですが……」
青年捜査官は答える。コーベンはイロナとサユを呼び出し、アクバ先生の詳細を訊かされた。しかし、アクバ先生は娘のことを一つも話していないという。
「ご協力ありがとう。君たち少しいいかい? 一ヶ月前から女性失踪事件の犯人の容疑がアクバ・タソナバにかけられていると、所轄内で上がったんだ」
「えっ」
サユもイロナも女性失踪事件の犯人が自分たちの学校の先生ではないかということに驚き、声が出なかった。
「言っておくが、これは所轄内での調査であって、真偽はわからない。もし、容疑があったなら。即逮捕する」
そして青年捜査官は去っていき、サユもイロナもコーベンもぼうぜんとしていた。
「まさか、アクバ先生が、ねえ……。あの人、厳しくはするけど、犯罪は絶対にしないと思ってたんだけど……」
「え? え、ええ……」
イロナに言われて、サユは返答した。先日、朱雀から女性失踪事件の犯人はアクバ先生だと聞かされたサユは黙りこくっていた。しかし、このまま放っておけば、新たな犠牲者が出ると思い、サユは聖神闘者の役目を果たして、先生に取りついた邪羅鬼を倒そうと決めた。もっと早く倒せば、良かったのだが。
WUPの捜査官が来た夜、サユは家中の人間が寝静まるのを待って、ベッドを抜け出して紅い衣と翼の聖神闘者に転化して、窓から飛び出した。背中に生えた翼を羽ばたかせ、サユは林の上からアクバ先生に取りついた邪羅鬼を転化帳のレーダーモードで探した。レーダーが示した場所は……。
「えっ!? ここ、私たちが通う学校じゃない!」
サユは思わず驚いた。まさか学校に邪羅鬼が取りついている人間がいるなんて、思ってもいなかったのだ。サユはもっと詳しく調べて、画面をレーダーの示す現場映像に変えた。昼間の学校と違って、暗く不気味な夜の学校の様子――、各クラスの教室、保健室、家庭科室、理科室なんかは骨格標本や人体模型がもっと怖く感じてしまう。そして立ち入り禁止の例の教室――その映像にアクバ先生がひとりの女性を引きずって、進入を妨げるテープをくぐり、扉を開けて中に入っていった。
(アクバ先生、一体何を……? いや、それよりも捕まった人を助けなきゃ!!)
サユは翼をはばたかせて、学校の方角へと飛ばした。
そして学校の例の教室では、アクバ先生が教室の扉を閉め、女性を横に寝かせた。窓はすべて厚手の暗幕で閉ざされ、元は教材倉庫であったが、邪羅鬼に取りつかれたアクバ先生が捕まえた若い女性や女子生徒を連れ去って、その女性の若気と血を吸い、吸いつくすと地下室に女性を隠していた。そしてサユが見た焚き火は、女性の衣類を燃やしての証拠隠滅であった。今日捕まえた女性は白いベールを頭全体にかぶり、黒い長袖に長スカートの女性――尼僧で、アクバ先生は夕方に薪を拾いに来たこの尼僧を捕まえて、連れてきたのだ。
「ふふふ、これで私はますます美しく……」
アクバ先生は手に持ったナイフで尼僧の喉を切り裂こうとしたその時、失神しているはずの尼僧の手が、アクバ先生のナイフのある手をつかんだ。
「なっ、何!?」
それから尼僧は起き上がり、アクバ先生を押さえこんだ。
「引っかかったな、アクバ・タソナバ!!」
尼僧は野太い声を出した。そしてアクバ先生を取り押さえている反対の手で、ベールを剥ぎ取った。褐色の短い跳ね毛の男――昼間、ツドイ家にやってきたあのWUPの青年捜査官であった。
「貴様っ、男か!!」
「WUPランゴ支部のアーメッド・シモンだ! 女装してわざとお前を突き止めたのさ!! アクバ・タソナバ、連続女性失踪事件の誘拐罪、監禁罪及び殺人の容疑で逮捕する!」
アーメッドはアクバ先生の手首をひねり、捕らえようとしたが、アクバ先生に取りついていた邪羅鬼がアクバ先生の体から出てきて、影のような姿が盛り上がって大きくなり、姿を現した。アクバ先生はそのまま動かなくなり、アクバ先生の美執念を吸って、成長した邪羅鬼が出現した。赤い胡桃のような鶏冠、赤ら顔に黒い羽毛で体は覆われ、口には上だけついた嘴、両手両足は鶏の蹴爪で、アーメッドは驚きおののく。邪羅鬼はアーメッドの首を左手でつかみ、床に押し付ける。
「ぐうう……」
アーメッドは首を押し付けられ、抵抗もできず、声も上げられない。
「お前の魂をもらう……」
邪羅鬼は空いた右手でアーメッドの胴に手を入れようとした時、ガッシャーン! と窓ガラスが割れて、脚が邪羅鬼を強く蹴り飛ばした。その拍子でアーメッドと邪羅鬼が離れて、邪羅鬼は床に強くたたきつけられ、その衝撃で石の床にひびが入った。
「う……ゴホッ……。な……、何だ……!?」
喉を押さえながらアーメッドは何が起きたのかと、目を見張る。そこには真紅の翼ところも姿の長い髪を束髪した少女が立っていたのだ。割れた窓ガラスに風が入って、カーテンが浮き上がって、月光が少女を照らした。
「だ、誰だ、君は……」
アーメッドは少女を見て、あっけにとられた。
「こいつは私が倒します。お兄さんは下がってて」
サユは帯に差していた槍を組み立てて、邪羅鬼に向けた。サユは槍を持って高く振り上げる。しかし邪羅鬼は両掌から火の玉を出してサユの方に撃ち放った。敵の攻撃を受けたサユは後方に飛ばされ、床に叩きつけられる。サユは起き上がって槍を持ち直し、邪羅鬼に矛先を向けようとするが、邪羅鬼は連続で火の玉弾をサユにぶつけてくる。サユは今まで倒した邪羅鬼とは違う、憑依型邪羅鬼に苦戦する。
(半端ない。人間の欲を吸っていただけで、こんなに違うなんて)
サユは右頬かれ垂れた血を拭い、どうすればこの邪羅鬼に勝てるかを企てる。
(むやみに突っ込んだらやられる。なら、遠距離からの攻撃ではどうなんだ?)
サユは精神を研ぎ澄ませ、バサッと翼を羽ばたかせる。
「攻撃してこぬのなら、こっちから行くぞ!」
邪羅鬼は両手両足から炎を出しまとって、大きく跳躍し、サユに突っ込んでくる。そして彗星のように体当たり攻撃を喰らわそうとした。だが次の瞬間、邪羅鬼の体にいくつものの刺撃が当たった。
「ぐぎゃあああ!!」
邪羅鬼は床に強く叩きつけられ、ひび入った所が崩れて、床にぽっかり穴が開いた。邪羅鬼が這い出てきた時、邪羅鬼の体にはサユが放った紅い羽矢が突き刺さっていた。邪羅鬼がサユの姿がないのに気づいてはっとして見上げると、槍を振り上げ、跳躍したサユが邪羅鬼を炎にまとわれた槍でぶった斬った。
ドォォォン、と火山が噴火したような音と同時に邪羅鬼は真っ二つにされ、死の灰となって消えた。
「火炎羽と熱烈刃の二段攻撃。一度に二つの攻撃でなら……上手くいったか」
サユは着地した後、大きく開いた床穴を見て、顔を押さえる。
「うっ、これは……!」
続いて教室の外に出ていて、サユと邪羅鬼の戦いを見ていたアーメッド捜査官がやって来て、地下室の中を見た。
「ついにつかんだぞ!」
地下室にはいくつものの女性の死体、それもミイラ化したものが無造作に置かれていたのだ。しかも全ての死体には首や胸に斬られた跡があり、体には血痕がべったりついていた。アーメッドは倒れているアクバ先生をつかんで連行しようとした。
「アクバ・タソナバ、お前を連行する……! ん?」
その時、アクバ先生の体に異変が起きた。アクバ先生の体にしわが走りシミやあばたが浮き出て、髪の毛は黒から白くなって、皮膚は乾いて一気に老化し、そして干からびて灰になって服と靴だけを残して消えた。
「な、何……!?」
サユもそれを見ていて驚いた。懐に入れてあった転化帳から朱雀の声が流れてきた。
『当然の報いね』
サユは懐から転化帳を取り出し、朱雀にどういうことか訊いた。
『人の命を奪ってまで、私欲にまみれた人間は悪心のない人間として生きることは許されず、欲をかいた罪で死ぬ。もちろん、殺された娘さんたちも肉体が死んだために魂は体に戻れず、魂だけの状態になる。……かわいそうだけど、殺された人たちは戻って来ない』
「そんな……」
サユは心に強い衝撃を受けた。邪羅鬼に食われた魂は邪羅鬼を倒しても、肉体が死ねばそのまま「死ぬ」ということを。
「かわいそうだよ、こんなの……」
『ただ一つ良かったのは、肉体も滅びて邪羅鬼に食われた魂は、サユの聖力で怨みも恐怖も浄化されて、天国に行ったことよ』
「天国……」
サユは窓から瑠璃色の空と銀色の月と星々を見上げる。
「あの……、君は一体……」
アーメッドがサユの存在を気にして訊ねてきた。
「ごめんなさい、もう行かなくちゃいけないんです……。今夜の……私のことは、誰にも言わないでくださいね」
「え、あ、ちょっと!」
アーメッドが止めるのも聞かず、サユは窓から飛び出して空へと去っていった。
アーメッドは去っていったサユを見つめて、彼女と邪羅鬼の存在を心にとどめたのだった。
数日後、ランゴ女性失踪事件はロプスだけでなく、南大陸全体を騒がせた。被害者は全部で十五人。犯人はアクバ・タソナバであるものの、アーメッド捜査官があの死に方では誰も信じてもらえないという理由で、追いつめたところ焼身自殺したということにして、世間に発表したのである。
学校生や通勤者の再登校や再出勤が始まり、サユの学校ではアクバ先生に殺された女子生徒たちの合同葬儀を開いたのである。
合同葬儀が終わると、教室でサユとイロナは乾期の居間には珍しいスコールを窓から見つめて話し合っていた。
「何か今回の事件、すごいショックだったね。アクバ先生が人殺しやったなんて」
「うん、解決はしたけど、殺された女の子たちは戻って来ない……」
サユは言えなかった。アクバ先生が自分の美しさを保つために、実の娘をはじめとする若い女性を殺して、若気と血を集めていたのを。
アクバ先生に殺された女性たちは天国に。アクバ先生の魂は地獄に堕ちたのだろうか。
それとも地獄にも行くことができず、永遠に邪気に満ちた現世を魂だけのままさまよっているのか。
いずれにせよ邪羅鬼に取りつかれていたとはいえ、他の人間を殺すような人間は死んでもろくでもない様だというのは、恐ろしくも悲しいものなのかもしれない。