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五聖神黙示録  作者: 浅葱沼 氷雨乃
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「黒」の書・第2話 狙われたアーシア

『五聖神』第12話。リシェールにはモデルをやっている美人の姉、アーシアがいた。アーシアは最近ストーカーに狙われているのだが、思っていない相手だった!?

ペルヴェドから少し離れた街のスタジオ、屋根付きのビルがいくつも並ぶペルヴェドと変わらない街。そこの一角『スタジオ・ヴィエスク』でアーシアは本日の仕事を終えた。

「はーい、お疲れさまー」

 アーシアは撮影が終わると、照明機やらバックスクリーンやらのある撮影場を出て、控え室に入る。今日は四ヶ月先に発売される女性ファッション誌のモデルを務めたのだ。その後、ピンクの花柄ワンピースと白い薄手のカーディガンという服装だったのも当然である。撮影衣装から普段着に着替える。控え室は壁一面に鏡が張られ、衣装スタンドとカウンター机のある狭い部屋だが、アーシアは衣装をハンガーにかけて、袖口と襟ぐりにレースのついたフレアスリーブのワンピースとエナメルブーツを身につける。その時、トートバッグからメロディが流れ出た。カルロス・シュリーゲン作曲の『天地創造』である。アーシアはトートバッグからパールピンクの携帯電話を出して画面を見て、ゾッとする。非通知着信が五〇件も入っていたのだ。

(やだ、こんなに来ている……)

 それから電子メールの受信にもいやらしいメールが入ってくることもしばしばだった。『今日の君はシックだったね』とか『君のような美人は他の男より僕の方が釣り合う』とか書いてあった。それにアーシアの私物のハンカチやコロン、試し撮りのポラロイド写真が数枚なくなっていたのだ。

(何なのよォ……)

 アーシアは大急ぎで着信履歴とメールを消し去る。もう半月もストーカーにつきまとわれていた。家族や職場の人間にも相談しようと思ったが、あきらかさまにモデルの仕事を辞めさせられると思いしなかった。帰る時は必ず人通りの多い道を通り、フロイチェク通りに入ると大急ぎで走って行くさまだった。

 アーシアは家に着くと、急いで玄関に入り素早くカギを閉める。荒い息遣いをしながらフラフラと自室に入っていった。

(つ、疲れた……)

 アーシアはベッドでどっと倒れ、うつ伏せになった。アーシアの部屋は一言では言えないほどの汚さ……年頃の娘の部屋とは言えない。ベッドはシーツや毛布がくしゃくしゃで、床のカーペットも本棚から出しっぱなしの本や漫画やCDで埋め尽くされ、クローゼットの服やコートも無造作に詰められ、机の上も文具やノートやメモ用紙が積み重なってぐちゃぐちゃ。よく母から「ちゃんと片付けなさい」と言われても、アーシア本人は学校やモデルの仕事で片付けたくても片づけられず。アズぺリアにしかいない生物、コアラとカンガルーとカモノハシのぬいぐるみも逆さまや横倒れになっている。その時、ドアを叩く音がして「おねえちゃーん」と呼ぶ声がした。

「ああ、リシェールか……。何?」

 アーシアはベッドからうつぶせたまま返答。その時、ドアが開いて桃金髪のセミショートに翠の双眸、黒いギンガムのエプロンドレスとクリームのハイネックを着た一二、三の少女が入って来た。

「帰って来たのなら、帰って来たっていいなよー」

 そして部屋の様子を見る。

(相変わらず汚いなー……)

「リッちゃん、何か用?」

 アーシアがルーズに言うと、リシェールは答える。

「ご飯出来たよ」

「あっ、うん。今行く……」

 リシェールに言われて、アーシアは起き上がり、長い波打ったプラチナブロンドをかきあげる。

 アーシアとリシェール――外見こそは違うが、二人はグラコウス家の姉妹である。

 この二人の姉妹は誰にも言えない秘密を持っていた。アーシアはストーカー、リシェールは……。


 


 十一月最初の金曜日。空は冬の晴天らしく薄い水色で、少し灰色の雲で曇っている。一日の真ん中である正午帯は学校も職場も昼休みで、生徒達はランチを食べている。山国は冬はとても寒いため、建物内でランチしている者が多いようだ。外で食べているものはごく少数で、リシェールとヴァジーラは校内庭園で弁当を食べていた。校内庭園はそれ程広くはないが、季節に合わせた花が植えられた花壇、コイが泳ぐレンガ積みの円状池、兎や鶏を飼っている飼育小屋がある。

 外出ランチといっても流石に厚着しないといけないので、リシェールもヴァジーラもコートを着ている。リシェールは辛子色のダッフル、ヴァジーラはダークグレーのPコート。

「リシェール、シーフードパイ一切れちょうだい。あたしのサンドウィッチあげるから」

「うん。いいよ」

 リシェールは丸いプラスチックの弁当箱から母の焼いたシーフードパイを出してその一切れをヴァジーラに渡す。ヴァジーラからライ麦パンのサンドウィッチを受け取る。中身は刻みオイルサーディンとツナとサラダ菜である。リシェールの弁当は母に作ってもらっているがヴァジーラは母子家庭のため母が朝から忙しくパン屋で買った弁当やデリカテッセンのデリカを買っている。

「何だありゃ?」

 ヴァジーラは校庭の片隅にいる連中を見つけて、何をやっているかチラ見する。中心には灰茶の跳ね毛にメロン色の目の少年がいる。彼がいるという事は、超研の活動という事がわかった。

 超常現象研究会こと超研は、地球の神秘を追及するクラブである。メンバーは輪になって手を繋ぎ、チャネリングをしているようだ。

「また何かやってるよ。相変わらずコレのどこが楽しいんだが……。部長のエクシリオってさあ、この前女神だが妖精を見たって騒いでいたよ」

「えっ、ええ……」

 リシェールはその言葉を聞いて動揺したが、口は滑らせないようにした。四日前、リシェールは学校の帰りに超研のみんなが邪羅鬼に襲われたのを解決したまでは良かったが、玄武の聖神闘者に転化した姿をリシェールに見られてしまったのだ。幸い正体はばれなかったものの、エクシリオは超常現象の研究題材の「神様は実在した」に使ってしまったのだ。クアンガイからは呆れたように注意され、エクシリオを見る度もしかして知られているのではないかと不安でたまらなかった。リシェールとヴァジーラは気づいていなかったが、異星人とコンタクトをとるチャネリングを終えたエクシリオは部員達に今日の活動内容を話していた。

「今日は隣町に行って、基礎学生の噂になっている人面犬を探しに行きます。学校には戻らないので現地解散。持ち物は全部持っていくように」

「はいっ」


 超研の本日の活動場所である隣町クラトフヴィール。そこにある喫茶店で人だかりしており、この喫茶店のテラスの椅子に座るプラチナブロンドにマリンブルーの眼の女性。来春新作の服を着て、本を読んでいるポーズ。

「はーい、オッケーでーす」

 スタッフの声がすると、アーシアは立ち上がる。

「アーシアちゃん、お疲れ様」

「いや、大丈夫ですよ。わたしモデル業大好きですから」

 アーシアは朗らかに笑う。アーシアは現在十九歳。服飾技術の学校の学籍は持っているが、去年に『メヌエット』誌の雑誌モデルにスカウトされてから、モデルの方に向けている。アーシアは事務所のワゴンボックスに乗り、撮影衣装から普段着のスウェットワンピースに着替える。

「お疲れさまでーす」

 アーシアはモデルの仕事を終えるとそのまま家に帰ることになっている。しかし……。

「アーシアちゃん、大丈夫? スタッフに送ってもらった方が……。ほら、この季節になると通り魔やゆすりや痴漢が多いっていうから……」

 女性スタッフの一人がアーシアに言う。

「え、ああ。大丈夫ですよ。ペルヴェドに近いですし。ホントに。お気づかいだけいただきますわ」

 アーシアは断った。本当は送ってもらいたかったが、最近ストーカーに狙われていることは言わなかった、そんなことを言ったらモデルをやめざるをえない。

 そうしてアーシアは一人でペルヴェドに向かっていった。しかし空は赤と紫が混じった色をしており、西に夕日が照らされている。街中は夕方のためか人がいず、木造やレンガ造りの住居が似たように並んでいる。風が吹く度に街路樹がざわざわと揺れて僅かな枯葉を付けた枝が悪魔か幽霊がおいでおいでをしているように見える。アーシアはこの光景におびえながらも、早く帰りたい一心で灰色の石畳の道を歩いていった。その時、コツコツと自分以外の足音に気付いた。一旦止まってみると音も止む。歩き出すとまた音がした。アーシアはゾッとして走り出した。

(や、やだ……。いつの間に……)

 アーシアは走り出し、何とかして追跡者を目くらませる場所、クラトフヴィールとペルヴェドの境目と思われる緑地帯に足を入れた。元は空き地だったがそこに生えた草木が年月をかけて大きくなり、暗い茂みとなったっていた。アーシアは落ち葉を踏みつけながらそこを進み、木の枝が髪の毛や服に引っかかったりしたが、取り払う暇なく緑地帯を抜けて見覚えのある住宅街に目をやった。もう少しで家に帰れる。そう思った矢先、後ろの茂みから音がしてまだ付いてきていたのかと恐怖し、再び走り出した。

「あっ」

 走っているさ中、アーシアはつまづいた。履いていたタイツが破け、膝から血が出た。

「いた……」

 アーシアが立とうとした時、目の前に誰かが立っていてアーシアは思わず叫んだ。

「キャアアア―――」

 その声を聞いて、曲がり角から誰かが来るのを察した追跡者はその場から逃げだした。

「何だ、何だ!?」

 アーシアの声を聞いて駆けつけたのは、活動を終え帰ろうとしたエクシリオであった。



 リシェールはこの日はスラドフ通りの外国食ファーストフード店『メガミックス』で陽明食(ようめいしょく)のたこ焼きを買ってそのたこ焼きを食べながら家に帰るところだった。今日は金曜日でペルヴェドから遠く離れたゴンぺルツという街で大学教授を勤めている父が帰ってくる日なのだ。

 リシェールが残り二個のたこ焼きをアルミ箱に残し、一個をほおばっていると、自宅に姉と隣にいる青年に目をやった。目をこしらえてみてみると、それはエクシリオであった。

(え、エクシリオくん!? な、何故うちに、それもお姉ちゃんと一緒にいて……!)

 まさか自分の正体がばれたのかと思ったが、家族の誰にもリシェールが聖神闘者ということは話しておらず、リシェールはとにかくダッシュして門前に来た。向こうから走ってきて人物を見て、エクシリオとアーシアは声をそろえる。

「リシェール!?」

「どうして君が?」

 リシェールは息を切らしながら、二人に訊いた。

「お姉ちゃん、どうして……うちの学校の超研部長と一緒にいて……」

 リシェールが姉に訊くと、エクシリオは二人の顔を見て驚く。

「えっ、お、お姉さん!? グラコウスさんの……。あ、これは僕が超研の活動を終えて家に帰ろうとしたところ、お姉さんがケガをしたのを見つけて家まで送ったんだ。まさかグラコウスさんのお姉さんだったとは……」

 エクシリオはメロン色の瞳でリシェールとアーシアの顔を見比べる。

(姉妹って言うけど、髪の色も目の色も違うのはなぜだろう?)

 そう思ったけれど黙ることにした。

「そんじゃ僕は家に帰るよ。じゃあね」

 そう言うとエクシリオは姉妹の前から去っていった。

「結構かっこいいね。エクシリオくんて」

「うん……。でも超研の部長だよ? UFOとか宇宙人とかそういう研究やってるような子だけどね」

 リシェールは皮肉に言う。


 その後は夜七時に父ザズが帰宅し、週に二日しか味わえない家族だんらんをし、いつものように夜十時に眠った。グラコウス家の寝室はみんな二階で、両親はベッドルーム、アーシアは散らかしぱなしの自室で、リシェールは女の子らしい部屋で、リシェールが寝ているベッドの羽根布団の上にクアンガイが寝そべり、一家の愛犬オラフは居間の暖炉の近くで寝ている。

 真夜中の一時過ぎ、この寝静まったフロイチェク通りに怪しい人物が入ってきた。黒いキャップ、黒い革ジャン、ジーンズ、白いスニーカーという何とも怪しい服装で、やぶにらみの青い目にキャップからは地獄の炎のような赤毛がはみ出ている。この男こそアーシアを狙っているストーカーであった。

 男がアーシアを狙うようになったのは、二ヶ月前。男は一人暮らしの清掃派遣会社の社員でアーシアの所属する事務所で働くことになった。男は派遣先の事務所でアーシアに偶然笑いかけられたところで一目ぼれした。だが男は内気で口下手なため、なかなかアーシアに手を出すことができなかった。

「どうしてもあの子を自分の彼女にしたい」

 そう思った矢先、男はアーシアの携帯電話とメールの番号を盗み、アーシアの私物のハンカチやコロン、試撮写真を盗んで自宅の壁に貼り付けていた。そしてアーシアの家を探し、アーシアの部屋に忍び込もうとした。

 その時、リシェールの部屋の机上に置いてある道具、転化帳が鳴りだした。その音でリシェールとクアンガイは跳び起き、小さな手帳のような機械、転化帳に手を伸ばした。

「んわっ、じゃ、邪羅鬼!?」

 リシェールは転化帳の邪羅鬼レーダーを見てみたが、画面には何も映っていなかった。

「んん? 何も表示してないじゃない……。誤作動なのかな……!?」

 そう言ってリシェールは睡魔に襲われ、ベッドに潜った。だが、外にいたストーカー男は転化帳の音に反応して逃げ出した。住宅街の近隣公園に逃げ込み、木に八つ当たりした。

「くそっ。あの家に邪魔ものがいたなんて……!」

 公園の綺麗な形の外灯が男の影を照らしていた。だが男の影は人の形をしておらず、おぞましい化け物の形を映していた。


 夜が明けて、スズメやコマドリの鳴き声が朝の初まりを告げる。リシェールや家族も起きて、学校に行く支度をする。

 パジャマからトレーナーとハーフパンツに着替えたリシェールはまだ眠っているクアンガイに転化帳を渡した。

「クアンガイ、悪いけど転化帳見てくれない? 夕べ邪羅鬼反応がした時になったけど、いなかったのは誤作動かと思うんだけど」

 そう言うなりリシェールは鞄とコートを持って一階の台所に降りた。クアンガイは寝ぼけ眼で転化帳を見た。

「故障……? 誤作動……?」


 リシェールが台所に入ると、すでに母と父がテーブルについていた。一家のキッチンは木板の戸棚と食器棚は壁に設けられ、流し台とオーブンとコンロと調理台はステンレス、冷蔵庫は真下が冷凍庫の三段式の桜色である。

「おはよう、パパ、ママ」

「おはよう、リシェール」

「ご飯食べなさい」

 リシェールは両親の向かい側の壁際に座り、中心のかごからパンを二つ取り、ゆで卵サラダとオレンジジュースをいただく。

 リシェールの母はウェーブのプラチナブロンドにマリンブルーの瞳でアーシアの容姿は一目で母譲りという事がわかる。父のザズ・グラコウスは母と同じく巻き毛のプラチナブロンドとマリンブルーの眼だが、丸メガネに中年太りと思われる丸い腹は金毛のタヌキのようである。父はゴンぺルツ大学の近くのアパートに暮しており、大学のない休日と祝日は家にいるのである。

「お姉ちゃんは?」

 リシェールが両親に訊くと、母は答える。

「アーシアは今日は学校もモデルの仕事もお休みでおうちにいるって。アーシアに今日こそはお部屋の片づけをさせないと……」

 母が言うと、父もミルクとダイエットシュガーを入れたコーヒーをすすりながら呟く。

「あの片づけ下手は誰に似たのやら……。料理も掃除も下手で、嫁の貰い手あるんだか」

 両親はああ言っているが、リシェールにはどちらも姉の心配をしているというのがわかる。

そしてリシェールは学校に行った。


 


 土曜日は授業が午前中だけで、正午になると帰宅する。リシェールも学校の後真っ直ぐ家に帰り、母が作ってくれた昼ご飯を食べて自室にいるクアンガイに昼ごはんの残りを持って行って、転化帳の点検を見てくれたどうか訊く。

「どこも壊れてなかったぞ」

「ええー、そんな」

 じゃあ夕べの発信音は何だったのかとリシェールが疑問に思うと、クアンガイは「玄武様に訊くしかね?」と言った。リシェールは転化帳を開き、玄武がいる漆黒殿との通信を始めた。

画面に灰色の皮膚に三対の黒い角と黒い甲羅を持った巨大な亀が現れた。背景はつやつやと光るオニキスの壁である。

「あっ、お久しぶりです」

『おお、リシェールか。どうかね、邪羅鬼退治は?』

「え、ええ。数日前に同級生を助けましたが、あの、その……」

 リシェールがエクシリオを助けた時に、目覚めたエクシリオの反応を見た時のことでしどろもどろになっているとこと、クアンガイは「本題!」と小突く。

「あのですね、夕べ邪羅鬼がいなかったので転化帳が鳴って……」

『フームフム、邪羅鬼がいた訳でもないのに転化帳が……? もしかしたらお前さんが倒した今までの邪羅鬼とは別種かもしれん』

「別種?」

 リシェールが訊くと、玄武はさらに話し続ける。

「お前さんと今まで戦ってきた邪羅鬼は世界の汚れた空気、人間達が生み出した邪気が実体化したもの。魂だけで生まれてくる邪羅鬼もおるが、そのままにしておけば消えてしまう。欲のある人間や悪心のある人間にとりついて、その悪心を栄養分にして吸い取ってから実体化する邪羅鬼もおるのじゃ。もしかしたらお前さんやその家族に恨みや執念を持つ者がとりついている邪羅鬼がおったからか」

「怨み、執念……」

 リシェールは思い浮かべた。父も母も姉も人の嫌がることはさせてないし、リシェールも自身を怨んでいる相手のことは思いつかない。

『いや、そうでなくても、お前さんやその家族を狙っている人間かもしれん。例えばストーカーみたいなのとかな』

「ストーカーかぁ……って、まさか!?」

「いや、リシェール、あいつは……エクシリオはただの興味だと思うぞ」

「ああ、そうだよね」

 リシェールはクアンガイの突っこみでテンションを戻し、考え直す。

「ストーカー……。もしかしてお姉ちゃんじゃ……」

 リシェールは感じ取った。姉に危険がかかっているのを。しかしアーシアは心配してくれている妹の考えにも気付かず、自室で学校の課題のデザイン画を相変わらず汚い部屋で描いていたのである。そして空が曇り、雨が降り出して丸一日降り続けていた。


 日曜日の夜、リシェールと家族は月に一度行くレストランに行くためおめかししていた。グラコウス家では家族の営みとして一家そろって有名レストランに行くという仕来たりがある。リシェールが支度を整えていると、廊下から姉の声がした。

「リシェール、まだなの?」

「も、もうすぐできるから」

 リシェールは黒いベルベッドのワンピースと大きなレース付き襟のブラウスを身につけ、頭にベルベッドのリボンを巻くように結び、更に黒いボアのバニティバッグを持って行く。

 この日は昼間までに雨が降っていたが、夕方になると止み、道には雨でぬれた跡や水たまりができている。父は茶色のイブニング、母は袖先とスカートがフレア状のロイヤルブルーのワンピースを着て髪型をアップにし、服に合わせてクールメイクをしている。アーシアはサーモンピンクのティアード+パフスリーブのワンピースというこれまたエレガントな服である。

 一家は家族で乗る空色のワゴンカーに乗って、家から少し離れた街のレストランへと向かった。車上中のさなか、リシェールはバニティバッグを開けてこっそり連れてきたクアンガイの様子をうかがう。狭いバッグの中に入れられて、辛そうな顔をしている。

(狭い……)

(もう少し我慢して。着いたらおいしいもの食べさせてあげるから)

 小声で会話する。自宅にいる時のクアンガイはリシェールが持ってきた食べ物を食べたり、母やオラフに見つからないように台所に行って食料調達していた。リシェールがクアンガイをレストランに連れてきたのは、クアンガイにも月一回の高い外食のおこぼれの他にも、いつ邪羅鬼が現れてもいいようにするためであった。

 レストラン『白ばらの庭』。この白いゴシック調の建物は内席の他、テラス席や白ばらを初めめとする花の咲く庭で食べるオープン席のコースもあった。最も夜景の見えるテラス席やオープン席は半年先まで予約いっぱいなので、一家はいつも内席だが。それでも、料理は普段は味わえないものばかりである。柱も床も壁も白大理石で、シャンデリアがいくつも並び、床にはワイン色のベルベッドのじゅうたん、ウェイターもウェイトレスも黒い制服と紅いエプロンを付けている。

 父母と姉が食べていると、リシェールは瞬時に食べ物をバッグの中のクアンガイに与えていた。そのうちアーシアが席をはずしてトイレに行った。その後にデザートのフォンダンショコラバニラアイス添えが届く。リシェールはデザートのほろ苦甘さを味わい、次第に姉が戻ってくるのが遅いことにづいた。

(何か嫌な予感するなぁ……)

 それから脚が自分達を含めを十組しか来ていないが、中年の夫婦がイライラして地団駄を踏んでいるのに気づいた。

「遅いじゃないか。何をしているのかね」

 他の客人のいらつきを見て、リシェールは父母に言う。

「パパ、ママ、あたし、お姉ちゃんを呼んで来る」

 そう言うとリシェールは席を外し、廊下を出て姉のいるトイレへ向かった。


 


 リシェールはパタパタと廊下を走り、姉のいるトイレへ走っていった。そこのトイレを六畳半と広く、半分がメイク室になっている。

「あっ!」

 リシェールは小さく叫び、洗面所兼メイク室の壁に垂れこんでいる姉を見つけた。その姉の近くに緑青の清掃服を着た男がいた。その男に近づいた時、スカートのトイレに入れておいた転化帳の邪羅鬼レーダーが鳴った。

「ま、まさか、あなたが……」

 リシェールが震えながら男に訊くと、男はニヤリと笑い舌なめずりして言う。

「折角この男の願いをかなえてやろうと思ったのに……。とんだ邪魔が入ったな」

 男の本人の声かそれとも別の者の声がして、リシェールは何が来るのか唾を飲む。

「ん? 何か焦げくさい」

 バッグの中のクアンガイが飛び出した。

「焦げくさい? あっ、ま、まさか!」

 リシェールはハッとして厨房の人間達の魂が邪羅鬼に喰われてしまったことを悟った。すると男の体から影が出てきてその影が実体化し、全身赤い装甲の蟹の邪羅鬼が出てきた。

「どうしてこの人にとりついていて……」

 リシェールが疑問に思っていると、邪羅鬼は言う。

「この男はこの娘を自分のものにしたいと思っていた。この男の色欲を餌にして、我は育った」

 姉がストーカーに狙われていて、そのストーカーに邪羅鬼がとりついていたのがリシェールは思いもよらなかった。

「まさか、お姉ちゃん……」

「この娘は男に襲われた時、抵抗した反動で気を失っただけだ」

 リシェールはそれを聞いて安心したが、今すぐ邪羅鬼を倒すことに専念し、転化帳を出して水に包まれて姿を変える。

 黒いミニドレスの聖神闘者に転化したリシェールは腰にさしていた三節棍を組み立て棒にし、邪羅鬼に叩きつける。ガンッ、と叩きつけた時、リシェールの体にしびれが走った。

「いっ……たぁ~‼ 何つー堅さ……」

 邪羅鬼の体は全身堅い甲羅で覆われているため、衝撃が吸収されてしまう。リシェールが痛がって体を震わせていると、邪羅鬼が口から泡を吐き出してきてリシェールの体に張り付き、バチンバチンと破裂してリシェールにダメージを与える。

「あああっ」

 リシェールはその場に倒れ、邪羅鬼が左手をカニのハサミに変えて近づいてくる。

「覚悟しろ、聖神闘者」

 リシェールが起き上がろうとした時、クアンガイがなにかを投げつけて邪羅鬼の膝の節に刺した。

「ギャッ」

 邪羅鬼はひざまつき、リシェールは半身を起こす。

「クアンガイ、何を……」

「お前が邪羅鬼と戦っている間に厨房の災害を止めていた。鍋やオーブンが焦げていただけでみんな無事だ。それと甲殻類は節々の柔らかいところが弱点だぜ」

 クアンガイがアドバイスする。

「柔らかいところたって……」

 リシェールは自分の武器が刃のないステッキという事に悩む。邪羅鬼が膝に刺された鉄串を抜き、リシェールは殺気を感じて水行を真っ直ぐにした右手にこめて、襲いかかる邪羅鬼のハサミを左肩から切断した。

「ギャアアッ」

 斬られた片手が床に落とされた。

流撃手(りゅうげきしゅ)を使えるようになったのか。今のうちだ」

 邪羅鬼がもだえ苦しんでいる時にリシェールは両手を合わせて掌から水の玄武・玄武乱舞を出して、邪羅鬼を跡形なく消滅させた。邪羅鬼に喰われた店員の魂が厨房や控室にいる人間達の体に入っていく。

 リシェールは転化を解き、ストーカー男を睨む。だが、男は起き上がると初めて会ったかのようにリシェールに穏やかな目を見せる。

「あんたがお姉ちゃんにつきまとっていたストーカーだったのね。お姉ちゃん困ってんだから……」

 リシェールが男に言うと、男はまだ失神しているアーシアを見て、きょとんとする。

「ストーカー? 何のことです?」

「はあ? とぼけるな。お姉ちゃんを襲っておいて……」

 しかし男は何の事だかわからずリシェールの剣幕におびえていた。

「う……」

 アーシアが意識を取り戻し、男を見るや叫び、その声で両親と店長、ウェイターやウェイトレスが駆けつけ、アーシアはこの男に襲われたことを伝えた。


 それから数日、男は警察に連行されたがすぐ釈放された。というのも、アーシアにつきまとったことや私物や携帯電話番号を盗んだことは忘れ去られており、記憶障害を何かのはずみで起こしてしまったという理由である。男のアパートの部屋には盗まれたアーシアの私物や写真、携帯電話からメールと電話番号が発見され、窃盗とストーカー規制違反とプライバシーの侵害になるはずだったが、本人の記憶がなくなってしまったため無罪となった。

 アーシアは父母にストーカーされたことを話すと、両親は何故もっと早くに行ってくれなかったのかと怒り、モデルはやめさせられずに済んだものの、今度何かあったら親に言うようにと命じられた。

 リシェールは邪羅鬼に取りつかれていた男が何故、記憶を失ってしまったのか不思議でたまらなかった。

「どうして忘れちゃったのかな」

 ベッドを背にしてフィナンシェをかじりながらクアンガイに訊く。

「色欲の他、他の悪情も吸われて無垢になっちまったんだよ。清掃業はクビになったけど今は別の仕事でやり直すんだとよ。無から初めて今度は正しく生きられるといいが」




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