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星空およぐメッセンジャー

九竜ちゃんからいただいたネタの第二弾です。

切なさと暖かさ、希望をありったけ詰め込んでみました。

楽しんでくだされば幸いです。

さあ、夜空を見上げてご覧。

君の目に、私の姿は映っているだろうか?


ああ、そんなに怖がらないでくれ。

確かに歯は鋭いし身体も大きいけれど、なにも取って食おうなんて思ってはいないから。


私はただ、君に届けたいものがあるだけなんだ。


それは何か、って?

それはね───手紙さ。


本来なら届くはずのなかった、君の大切な人が君へ宛てた手紙たち。

私はそんな憐れな言葉の方舟を毎夜、送り届けている。


…さて、君に渡したその手紙には、どんな想いが記されているのだろうね?


希望だろうか?

絶望だろうか?

それとも───?









僕は、死んだように生きていた。

大罪を犯した僕に生きている価値などない。あるわけない。

なのに、まだ僕は惨めったらしくせいにしがみついている。


故郷に戻ることなくこうして世界中をふらふらと歩きまわっているけれど、どんなに美しい景色を目にしても心は決して満たされることはなく。


今夜もまた、明るすぎる月をぼんやりと眺めながら眠りにいざなわれるのを待っている。









───僕には、年の離れた妹がいた。

どこへ行くにも僕の傍にいたがる、甘えたがりで、寂しがりな妹だった。


そんな妹が病気になった。

村のお医者様ですら治すのが難しいものらしく、もって半年の命だろうと言われた。

いつも明るくて元気いっぱいだった妹は日に日に弱っていき、薔薇色だった頬は白さばかり際立つようになっていったのを、昨日のことのように思い出す。


どうして。

どうして、妹がこんなにつらい目に遭わなきゃならないんだ。

そう何度も自分に問いかけた。

無理だとわかってはいても、妹の病を引き受けてやれたらどんなに良かっただろうと、思わずにはいられなかった。


そんな妹の看病をする日々のなかで、僕はある噂を耳にした。


───遠く離れた西の山に、どんな病でもたちどころに治してしまう薬草があるらしい。


天啓だと思った。

妹を救うために神様が与えてくださった、使命だと思った。


旅慣れた人でもいつ命を落とすかわからないといわれる西の山に行くと言った僕を、妹は強く引き止めた。

けれど、行かなければならない。


必ず帰るからと約束をして、僕は妹の世話を近所の人に頼み、旅に出た。









薬草を探すための旅は、想像以上に厳しいものだった。

荒れ果てた土地を渡り、冷え込む夜を幾度も過ごし、ひどい時には飢えと渇きに動けなくなることもあった。

それでも僕は歩き続けた。


この旅の先に、昔のように元気を取り戻した妹の笑顔があるのならば。


そう思えば、どんなに険しい道のりだって耐えることができた。


故郷を離れてから、かなりの月日が経った頃。

僕はようやく、例の薬草を見つけ出すことができた。

それはつらく険しい山の、日の当たらない場所に生えていた。

ひっそりと佇むその植物は柔らかな緑色で、触れると絹のように滑らかな手触りでもって僕を歓迎した。


旅のあいだに傷だらけになった両手から滲む赤い色を、これまたぼろぼろになった服の裾で拭い、慎重な手つきで手折る。


さあ、急いで家に帰ろう。

たったひとりの妹が、僕の帰りを待っている。









今までの疲れも忘れ、僕は飛ぶように家路を急いだ。

摘んだ薬草は乾燥させて粉末にしたから、慌てずとも腐ってしまうことはない。

けれど、一刻もはやく妹に薬を届けなければ、という使命感が僕を駆り立てた。


そして───。


「ただいま!」


勢いのまま懐かしい我が家の扉を開け、帰還のこえをあげる。


しかし。


待ち焦がれたあの「おかえり」のこえは、なかった。


妹は、僕のたったひとりの家族は…

眠るようにベッドに身体を横たえたまま、顔には白い布を被せられ、僕の手の届かないところへ旅立ってしまっていた。


「……あぁ…」


そんな、どうして。

目の前のことが理解できず、荒くなった呼吸と速くなった鼓動が怒濤どとうの旋律を奏でる。


間に合わなかった。

救えなかった。

たったひとりの家族なのに。

僕は、妹に何もしてやれなかった。


ふいに背後でドアの開く音が耳朶を打ち、僕はびくりと肩を震わせて振り返った。


そこにいたのは、僕が妹の世話を頼んでいた、近所に住む女性だった。

親子ほども年齢としが離れているからだろうか、この女性ひとは妹の面倒を快く引き受けてくれたのだ。


彼女は妹の好きだったカスミソウの束を腕に抱え、まるで幽霊でも見たかのような目をしている。

けれどすぐに我にかえったのか、乾いた声を絞り出した。


「その子ね…昨日まではまだかろうじて息があったんだよ…"お兄ちゃんが帰ってくるのを待ってなきゃ"って、何度も何度も呟いててね…けど…」


僕は最後まで話を聞くことなく、逃げるように家を飛び出した。


それから数時間、僕は我も忘れて慟哭し続けた。

地面を殴りつけ血が流れるのも構わず、ただひたすらにみっともなく泣き叫び続けた。


怖かった。

目の前の現実と向き合うことが。

消えてしまいたかった。

必ず助けると誓ったはずの妹を、独りにした挙句救えなかったなんて。

見殺しにしたも同然じゃないか。

きっと妹も、こんな兄を恨んでいるに違いない。


泣いて泣いて、声が枯れるまで叫んで。

やがて疲れきった僕は、地面にくずおれたまま深い眠りに落ちていった───。









月が地平に帰り太陽が新しい朝を告げに来た頃、ぼろぼろになった身を起こし、よろよろと歩き出す。


帰るためではなく、逃げるために。

こうして故郷からも妹からも背を向け、いま、僕は独りぼっちで地上を彷徨さまよっている。









雲ひとつない夜の空は明るすぎて、どうにも目が覚めてしまう。

ぽっかりと浮かぶ月も散りばめられた星々も、僕を見つめる眼差しは冷ややかで、僕の犯した罪を責め、侮蔑するようで。


夜は嫌いだ。

暗闇の向こうから、妹の最期の声が聞こえてくるような気がするから。


───どうして帰ってきてくれなかったの、お兄ちゃん。

───ずっと、待ってたのに。


眠りにつけば毎夜のように悪夢にうなされ、夜が明けても罪悪の念が消えることはない。

自分が生きているのかすらわからない、ただ息をするだけの人形になった気分だ。


いっそこのまま死んでしまえたらと、何度思ったかわからない。

このまま空気に溶けて、自分という存在がわからなくなってしまえたら、どんなに楽だろう。


そんないつもどおりの夜だった。

そう、ここまでは。


唐突に、辺りが暗くなった。

木々のざわめきも虫のさざめきもすっかり聞こえなくなり、痛いほどの静寂が肌をさす。


「やあ、君が今日のお届け先かな?」


海鳴りを思わせる深い声が頭の上から聞こえ、はっとして顔をあげた僕はあまりのことに凍りついた。

月を隠してしまうほど大きな何かが、僕の頭上に浮かんでいる。


「なっ…」


驚きで声もでないまま巨大な影の下からまろびでると、ついに息をすることすら忘れた。

夜空を揺蕩たゆたう”それ”は───大きなシロナガスクジラだった。

おしゃれなのか何なのか、黒いシルクハットを頭(?)に被せ、ぱんぱんに膨れた大きな革のかばんを提げている。


「今晩は。良い夜だね」


クジラは穏やかな声音で語りかけてくる。


僕は狂ってしまったのだろうか?

それとも、ただ夢でも見ているだけなのだろうか?

あり得ない。クジラが喋るなんて。


「…えっと、大丈夫かい?」


一言も発しない僕を気遣わしげに見つめ、ぱたぱたとヒレを振るクジラ。

なんだか、僕よりも大きな身体をしているのにどこか愛嬌が感じられる。


「あ、あなたは、いったい…?」


はりついた喉からようやく発したのは、戸惑いに震えた声。

いや、厳密に言えば恐怖の色が滲んだ戸惑いの声、だろうか。

それに気づいたのか、目の前のシロナガスクジラはにっこりと微笑んでみせた。

僕からすれば、ただギザギザの鋭い歯を見せつけられただけで安心なんてしなかったのだけど。


「私はしがない郵便屋さ。君のもとへ手紙を届けに来たんだ」


「手紙…?」


誰からの?


意味がわからないという顔をしていたのだろう、クジラの郵便屋は大きな尾ひれを振りながら説明してくれる。


「手紙というものは本来、届け先にちゃんと届いてこそ成り立つものだろう?けれど、なかには相手に届くことなく消えていく手紙もある。私は、そんな手紙たちを毎夜、届けにまわっているんだ」


届くことなく消えていく手紙…?

わけがわからないけれど、正直なところ、どうでもいい。


驚きから立ち直ってしまうと、冷えた考えばかりが頭をよぎる。


誰からの手紙だろうと、いまさら読む気にもならない。

だいたい、こんな僕に誰が手紙を書くというのだろう?


「失礼ですが、人違いだと思います。たぶんその手紙、僕宛てじゃないです」


「いや、これはちゃんと君宛ての手紙だよ。だってほら、」


この子たちが、こんなに早く出たがっているんだから。

言うがはやいか、ぱんぱんに膨らんで生き物のように蠢いているカバンが突然はじけた。


「わっ…!?」


飛び出してきたもののせいで、視界が真っ白に染まる。

次から次へと降り注ぐそれは、手紙だった。

カスミソウの絵が描かれた白い封筒。

妹が気に入っていたものだ。


はっとして舞い落ちた一枚を手に取って表を見ると、"お兄ちゃんへ"という字が並んでいる。

それも、妹の字で。


「そんな、どうして…」


「言っただろう?私は、届くことのなかった手紙を届けるのが仕事なんだ。…それにしても、またカスミソウとは素敵だね。花言葉は"感謝"…たくさんの感謝の想いが、その子たちから伝わってくるよ」


海鳴りの声をぼんやりと耳の奥で聞きながら、震える手で封を切る。


そこにあったのは…




"お兄ちゃん、お元気ですか。今日は暖かい一日でした。お見舞いにいただいたカスミソウの花を花瓶に活けてもらいました。とてもきれいなので、お兄ちゃんにも見てもらいたいです"


"今日は少し寒い日でした。朝から咳がなかなか止まらなかったけれど、いれてもらったココアを飲んだらすっかりよくなってしまいました。お兄ちゃんが帰ってきたら、今度はわたしがお兄ちゃんにココアをいれてあげます。楽しみにしていてね"


"お兄ちゃん、風邪はひいていませんか?無理をして、具合を悪くしてはいませんか?わたしは元気なので、お兄ちゃんもどうか身体にきをつけてください"




日々の小さな変化と僕への気遣いにあふれた言葉の数々。

そして手紙の最後に必ず記された、「わたしのお兄ちゃんでいてくれてありがとう」の文字。

妹は、僕のことを恨んでなどいなかった。


「…あ、あ…」


喉の奥から声にならない声がこぼれ落ち、やがて僕の頬を冷たいしずくが伝い始めるころには、もう矜持なんて残っちゃいなかった。

手紙を濡らしてはいけないと何度も袖口で涙を拭うけれど、いっこうに止まる様子はない。


「ようやく、本当の君を見た気がするよ」


「…え?」


「先ほどまでの君は、どこかこの世界のすべてを拒んでいるようだったから。嬉しいとか哀しいとか、そういう感情まで捨ててしまっているように見えたんだけれど…違うかい?」


…違わない。まったくの図星だ。

妹の死を突き付けられて逃げ出したあの日以来、僕は一度も笑っていないし、涙を流すことすら忘れていた。


笑うこと、泣くこと、それらが罪だと思ったからだ。

独りきり灰色の世界で自分自身を責めさいなむことが、僕にできる唯一の贖罪だと思ったからだ。


滲んだ視界の向こうで、不思議な郵便屋が目を細めた。微笑んでいるのだ。


「失った人を想って生きるのは大いに結構。けれど、それが君自身を縛る枷になってはいないかい?罪の意識を言い訳にして、生きることを放棄してはいないかい?」


「そんなわけが」


ない、と言おうとしたけど、できなかった。

"妹を救えなかった"僕など、恨まれていても仕方がない、この存在に価値などないと思っていたから。


「君の大切な人は、君が不幸になることを望むような人なのかい?」


「違う!」


僕の妹は───優しく素直で可愛らしいものが大好きな妹は、いつだって僕を想ってくれた。

たったひとりの家族だからこそ、お互いを支え合って生きてきたんだ。


「なら、君は自分の幸せを探すべきだ。でなければ、君の大切な人が安心して眠りに就けないじゃないか」


「でも…」


「できるはずだよ。だって、君のその両目はまさに世界のようなんだもの」


クジラの言葉に、僕はさっと顔を伏せた。

僕の目は人と違う。

右目が深い青色を、左目が明るい黄色をしているのだ。

左右で色の違う目など気味が悪い。

けれど、このクジラはそうは思わなかったようだ。


「右目は宵闇、そして左目は真昼の太陽のようじゃないか。まさに世界。そんな君なら、きっとたくさんの美しい景色を見つけることができるんだろうね」


だって君は、こうして生きているんだから。


僕は弾かれたように顔をあげた。

不思議な郵便屋の海鳴りの声は、清らかな波と共に海底に沈んだ船を優しく引き上げ、再び広い世界を見せてくれる。


「生きていれば、大切な人との別れはどうしても避けられないだろう。けれど、それ以上にたくさんの出逢いが、喜びが必ずある。生きるんだ。何に縛られることなく、自由に生きること。君が君を取り戻せたのなら、また航海が始まるのさ」


涙が数滴、地面に落ちて染みをつくった。

けれど、頬を流れるこの涙は温かくて、海と同じ味がした。


「そうか…僕はまだ、生きているんだ」


別れは確かに哀しくて苦しい。けれど、だからこそ、歩いていこう。

少しの哀しみとたくさんの思い出、そして、この星空のような小さくとも燦然(さんぜん)と輝く希望をありったけ抱きしめて。


「では、こんな素敵な夜に出会えたことを記念して、私から特別にサプライズだ!」


クジラの郵便屋はぎゅうっと目を閉じ、全身に力を込めた。

水の入ったつややかな革のようなその頭部が膨れ上がったかと思うと、てっぺんから潮ではなく小さな花が爆発したかのように噴き出した。


「これは…」


カスミソウの花だ。

白くて小さなカスミソウの花が、月明かりに照らされて光の雨のように降り注ぐ。

優しく、やわらかく、どこまでも純粋な白が僕のすべてを包んでいく。


それはまるで祝福のように。

励ましのように。

そして、別れと感謝を告げるように。


「ふふ、なかなか粋な演出だろう?これからの君の行く末が光にあふれた幸せなものとなることを、私も祈っているよ」


「…ありがとう、ございます…」


「なんのなんの。私はただ手紙を届けただけ、自分の仕事をしただけさ。…おっと、もうすぐ夜明けじゃないか」


名残惜しいけれど、もう帰らなきゃね、と言って、不思議なふしぎな郵便屋は穏やかに微笑む。

もう、その笑顔を怖いとは思わない。








朝焼けが世界をオレンジ色や黄色に染めていく。

それは新しい一日が生まれる瞬間であり、人々をもう一度立ち上がらせる再起の瞬間でもある。


歩いていこう。

過去はなかったことにはできない。

それでも、記憶と思い出は、この心に残り続ける。

いつだってこの心のなかで僕を見守ってくれている。


だから、その想いに恥じないように、笑って胸を張れるように、生きていこう。


たくさんの手紙の束をしっかりと抱え、僕は空を見上げる。

忘れない。忘れちゃいけない。

けれど、もうこの身を縛ったりすることもない。


僕が僕を取り戻せたのなら、また航海が始まるんだ。

遠い夜の名残から、海鳴りのこえがする。









月の明るい夜、もしも空をおよぐ巨大なシロナガスクジラを見ることがあるならば、それはあなたに手紙を届けに来た郵便屋かもしれない。


ギザギザとした鋭い歯は少しだけ怖いけれど、深く穏やかな海鳴りの声で「今晩は。良い夜だね」と語りかけてくることだろう。


そして届けてくれるんだ。

大切な人からの手紙たちを。

本来なら届くことのないはずの、言葉の方舟たちを。


そして与えてくれるんだ。

前を向く勇気を、生きる希望を。

どんなに心が絶望に沈んでいたって、きっと優しい波ですくい上げてくれるはずだ。


だって彼は、星空をおよぐメッセンジャーなのだから───。

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