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狭軌最強鉄道伝説~新幹線がない世界~  作者: ムラ松
第1章 東海道本線・山陽本線
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万博を走れ!!

 1967年の夏、田町にあいつがやって来た。

「これが581系か!!」

「ボンネットは止めて、これからはこんな形の車両を目指すらしいな。」

「こいつ、座席と寝台を変えられるんだろ?」

「そうみたいだな!!で、あさかぜも581になるとか。」

「夜行列車も電車の時代か~。」

俺らは581系の車内で、切り替えの実演を見た。すると上司が

「田原、581系の試運転を任していいか?」

「よろこんで!!」

俺は頭を下げた。そして、1967年10月1日から581系が運転し、下関まで高速運転を開始した。

 それから1年ほどした1968年の夏、田町運転区では会議が行われた。

「再来年の春から大阪で日本万国博覧会、通称万博が行われる!!それに対して、我々国鉄は今年の10月に白紙ダイヤ改正が行われるのは知っての通りだな?」

「はい。」

俺らは今年の白紙ダイヤ改正の資料を見ながら返事をした。

「万博の入場者数は3000万人と予想され、国鉄利用者はそれの3分の1と予想される。これにより、特急は16両にするために4両増結する。」

俺は質問をする。

「181系を新造して増結するのですか?」

「一応そうだが、今後、交直流化改造をして今後、デビューする予定の485系という特急型に改造できるような車両にするらしいが。」

すると玉城も

「485系ってどんな車両ですか?」

「まぁ簡単に言うと、国鉄の電化区間なら全て走れる車両だな。今後、デビューする581系の改良型の583系も同じ装備をしているんだよ。ちなみに485系も481・483系の改良型の車両だ。まぁ北陸地区に投入を予定していて、俺らには今のところ関係はないな。話がそれたから戻すが、とりあえず、これからは毎年、毎年、増発を繰り返すから今後、忙しくなることを覚悟しろ!!」

「はい!!」

 1968年10月2日に行われた白紙ダイヤ改正、後に言われる「ヨンサントウ」により、博多まで高速運転が開始された。ここから俺らの地獄が始まった。それは

「は~!?伊丹に飛行機が入れないから、羽田に国際線が発着!?ってことは…。」

俺は驚く。

「国鉄の利用者が増えるんだって。」

玉城が言う。

「それに予想される入場者数が5000万人に増えたんだろ?」

「そうらしいな。これは大変になりそうだな…。」

「あぁ…。」

憧れの国鉄が地獄に感じる瞬間だった…。

 それから2年後の1970年3月14日に日本万国博覧会が大阪で始まった。

「こちら車掌。乗降なかなかが完了しないので、30秒、発車時間の繰り上げを行います。」

「了解です。」

特急の増発はもちろんのこと、急行に関しては大増発を行った。で、俺も急行の乗務も多くなった。

「乗降OKです。」

「了解。戸閉めよし、4番、出発進行~!!」

乗降に時間がかかり、遅延もしばしば多かった。

 それに

「田原、今日は東京に戻ってきてほしい。」

「またですか?」

今日は大阪で夜の特急つばめに乗務した後に大阪で当直の予定だが…。

「そうだ。臨時の大阪21:04発の特急こだま62号に乗務してくれ。」

「わかりました。」

当日、緊急の増発も行われ、その日の予定も急に変わる。

 うちの家族もGWに帰省ついでに万博に行くことし、俺は今…

「あまり、空いてないよ。」

みどりの窓口で特急の予約をしていた。で、それの接待を国鉄の駅員で俺の弟の雄太にやっていた。

「予想より混んでるな~。」

「そりゃ飛行機で日本刀振り回したアホがいるんだからな。」

「まったくよ、赤軍の方々が飛行機ハイジャックするから乗客、飛行機に恐がって、国鉄に逃げちゃったからな。おかげでこっちも大変だよ…。」

1970年3月31日におきた、赤軍によって「よど号ハイジャック事件」により、ハイジャックを恐れた乗客が国鉄に殺到してきた。

「まぁ要するに本数増えてるんでしょ?」

「まったくだよ…。てかなんで国鉄をハイジャックしなかったんだよ!!」

「いやそれはな!!てかただでさえ赤字の国鉄がそんな被害にあったら今度こと倒産するぞ!!」

「確かにな…。」

 ということで

「うわ~!!特急だ~!!初めて~!!」

「とっきゅう!!とっきゅう!!」

優子さんは自宅で留守番で、家族で名古屋へ向かった。ということで娘の花香と「ヨンサントウ」の頃に生まれたもう1人の娘の優香は大興奮。

「俺も乗客として乗るのは初めてだな。」

「ってあんた、何年帰省してないのよ!!」

「確かに最後に行ったのが『狭軌最強鉄道計画』が完了する前の夏だったような…。」

「少しは親孝行しなさ~い!!」

「すいません~!!」

 名古屋へ帰省し、次の日に万博用の快速万博号で大阪へ向かった。

「編成は最近の国鉄って感じだな~。」

編成は田町や大船から転属してきた113系。大船所属車がいるだけにスカ色との混成となっていた。

 万博東口(現・茨木)からバスで会場へ向かった。家族で月の石を見たり、モノレールに乗ったりして楽しんだ。

 だが、東京に戻った時に再び、悪夢が始まった。今日は田町運転区に国鉄運転総局の1人が来ていた。

「万博の閉幕時間が11時まで延長か~。ってそれって…。」

「そうですよ…。最終のひかりに乗り遅れる人が増えてるとか…。で、なんとかできないか大阪鉄道管理局から苦情が来ていて…。」

「銀河とかはどうなんですか?」

玉城が聞く。

「もう客がさばき切れなくて…。」

総局の人はため息をついた。

「どうするんですか?」

「そこで革命的な夜行列車を走らせようとしているですが…。車両はGWの中、なんとか予備含めて13両を全国から集めてこれたのですがでも、東京の通勤ラッシュにこの夜行列車を受け入れる余裕がなくて…。」

「それなら東海道本線の普通列車を急行に…。」

玉城が言う。

「いや、それはダメだろ。普通列車を潰すのは通勤ラッシュに影響が出る。」

俺が言う。

「田原さんはどう思います?」

「う~ん…。」

問題は熱海から、なんとかできないか…。熱海の近くには…。あっ!!

「三島の特急留置線から来る回送はどうですか?」

「三島で接続ですか~!!それです!!ありがとうございます!!」

それを聞くなり、総局の人は運転区を飛び出して国鉄本社へ向かって行った。

 革命的な夜行列車こと臨時夜行急行エキスポこだまはGWと夏休みにたくさんの乗客を乗せて走った。

 そして万博の閉幕につれて

「今日はこだま3本、ひかり5本増発する!!」

当日の増発の本数も増えた。

 さらに

「青森から583を借りてきた!!」

車両が足りなかったので、あちこちから特急車両を借りてきた。

 そして

「こだま7号の特急車両が足りないから、急行なにわ67号として運転する!!163はあるか?」

「155系ならあります!!」

「了解!!」

 なんていう日々が万博が閉幕する9月13日まで続いた。183日間でのべ6421万8770万人という当時の世界記録した万博は無事に1970年9月13日に終わった。この中の半分以上が国鉄を利用した。この半年も続いた民族大移動が終わったのだ。

 万博輸送が落ち着いた、ある日の夜

「お疲れ様~!!」

「お疲れ~!!」

俺らは品川の居酒屋で打ち上げとなった。

「やっと終わった~!!」

俺は背伸びする。

「また正月もそんな感じになるけど、少しはマシにはなるだろうな。」

玉城が言う。

「玉城!!これからもがんばるぞ~!!」

「おう!!」

この「狭軌最強鉄道」と呼ばれる日本。東海道本線を毎日のように駆け抜ける数多くの列車。この東海道本線にはたくさんの「伝説」。そして俺ら、乗務員が創り上げた「伝説」があるのだ。

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