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狭軌最強鉄道伝説~新幹線がない世界~  作者: ムラ松
第5章 消える伝説の車両たち
13/20

変わりゆく東海道

今回は民営化してから変わってゆく、狭軌最強鉄道の東海道本線のお話をしたいと思います。

21世紀目前の1999年、国鉄が民営化してからもう10年とちょっと。その前の国鉄と比べるとJRはものすごく変わった気がする。経営網が変わったのももちろん、運転士の俺からすると車両も変わった。10年前までは181系と183系と485系と583系が占めていた東海道本線は今では181系が民営化前に消え、ここ5年近くで183系や485系や583系は徐々に運用を減らしている。

今回はそんな変わりゆく東海道本線のある日の俺の運用の話をしよう。


俺は藤村優真。JR西日本で東海道本線の特急の運転士をやっている。所属は京都総合運転所。俺はこの運転所から毎日のように大阪と東京を往復している。

今日の仕事は昼過ぎの運用からに入る。いわゆる遅番である。

俺は点呼受け、そのまま近くの向日町駅まで歩き、便乗乗車で大阪方面に向かう普通西明石行きで大阪まで向かう。

こいつの本数も増えたな。

ホームに銀色の車体に青い帯の電車が入線してくる。こいつは1991年にデビューした207系。主に京都と西明石の間を走る普通停車に使われている。


普通列車は加減速を繰り返しながら駅に止まったり、出発したりして、忙しそうに動く。俺の乗務してる特急とはまた違ったスピード感を感じられる。そしてその横では…

ゴー

新快速が160㎞/hで駆け抜ける。その車両ももちろん、JR西日本が作った新車、223系。1994年にデビューし、従来117系で運転されてた新快速や東海道本線の急行を置き換え、運用に就いている。JR西日本はお金がないとは言われているが、京阪神を走る東海道本線や山陽本線の列車には力を入れている。それに対して、JR東海とJR東日本は1990年代後半にはまだ東海道本線の列車はあまり力を入れておらず、急行型に関しては165系、163系がたくさんいた。


列車は大阪に着き、俺は停止位置で列車を待つ。その数分後…

「まもなく、11番のりばに12:03発、特急つばめ8号、東京行きの列車が参ります。特急つばめと書かれた乗車位置でお待ちください。ご乗車には乗車券の他に特急券が必要となります。この列車は途中、京都、名古屋、横浜、終点東京の順に停車します。」

放送が流れ、681系が入線してくる。この車両は2年前に東海道・山陽本線や北陸本線に導入された。時速280㎞/hで走り、東京と博多、西鹿児島まで特急つばめ、超特急のぞみとして運用されている。また、高速度試験で300㎞/hを出すほどの化け物だ。

交代の点呼を済ませ、車内に入り、発車の準備をする。そして、12:03、定刻通りに特急つばめ8号は東京へ向け、発車する。


京都までは俺がさっき乗った普通列車の線路と特急や新快速の線路が別れており、普通列車と並走して走る。京都までは200㎞/hほどで走り、横を並走する普通列車をどんどん抜かして行く。普通列車には207系が増えてきたが、まだ全体が青の車体の201系もまだまだいる。


京都を出発し、ここから第一のスピードを全開にする場所だ。ノッチを最大にし、どんどんスピードを上げる。あっという間にスピードは上がり、280㎞/hでしばらく走行をする。米原まで全力で飛ばす。


米原を越え、JR西日本の領域からJR東海の領域に入り、ここから大垣までは勾配が多くなる。それでも200㎞/hほどで飛ばす。

関ヶ原付近の勾配を越えて、大垣、岐阜と通過し、尾張一宮の近くから名鉄線と並走して、1時間ほどで名古屋に到着する。

名古屋にはたくさんの湘南色の113系の姿が。その中には一部ステンレスの車体にオレンジの帯の車両が少しだけいた。その車両は最近、導入された311系と313系。最近は313系が増備され、今後のJR東海の車両もこれになると思われる。


そして、ここ名古屋で特急つばめと接続する特急がある。それは特急こだま。豊橋、浜松、静岡、沼津、三島、熱海など、つばめや超特急のぞみ、ひかりが止まらない駅に停車する、いわゆる各駅停車型の特急だ。

車両はJR東海が作った車体全体が白くて窓周りが青の371系。1991年にデビューした。主に特急こだま、しおじとして、東京から大阪、岡山、広島、下関へ、また数年前に開通した瀬戸大橋を越えて特急ゆうなぎとして高松へも向かう。

二階建のグリーン車を4両連結して16両編成で走っていてこの二階建のグリーン車は人気を博している。

車両は全て静岡車両区に所属しており、この0番台が20編成、それと1編成だけ、1000番台がおり、この編成は7両で小田急線に松田から入って小田急線に直通する特急あさぎりの車両が存在する。ちなみに、塗装は白の車体に窓周りに青のラインが入り、0番台も1000番台も塗装は同じだ。


特急こだまと接続をし、先行して、名古屋を発車する。ここから横浜までノンストップで向かう。この区間が一番スピードを出せる区間だ。また東海道本線はよく遅延しているので、ここで特急は回復運転を行っている。ここで制限速度ギリギリまで攻める。それでよく俺はギリギリを攻めて、ATCのブレーキをかけてしまうこともしばしばある…。豊橋を通過する頃には280㎞/hを出し、このスピードを小田原の手前の早川まで保つ。

途中、普通列車、急行列車、特急列車を何本を抜かして行く。東海道本線はJR東日本、東海、西日本、四国、九州の所属の列車が乗り入れ、各会社の個性溢れる車両とすれ違ったり、抜かしたりする。特急車両の種類も多く、運転マニュアルも各車両ごとにまったく違うので覚えるのはとても大変だ。でもこんな多彩な車両を運転できて俺は楽しいと思う。


小田原でスピードを少し落とし、本線から別の線路に侵入する。この線路は特急専用線と言って、都市部の過密路線に特急を走らせるのは難しいので途中から特急列車を別線で走らせ、都市部のダイヤの緩和を図るために作られた線路だ。小田原から横浜まで東海道本線と並走して走る。ということで、横を走る東海道本線の普通列車や急行列車を抜かして、横浜へ到着する。

横浜からは新川崎、西大井方面に向かう横須賀線と並走して、品川で東海道本線と合流する。横須賀線は東海道本線を走る113系とは違ってステンレスの車体に青とクリーム色の帯のE217系が走っている。いつか、JR東日本の東海道本線にもこんな車両走るのだろうか?と俺は思う。


品川を通過し、山手線の205系と京浜東北線の209系と並走しながら、14:44、定刻通りに終点東京に到着する。

そしてその15分後、折り返しの超特急のぞみ7号西鹿児島行きで再び大阪へ戻る。大阪までの停車駅は東京を出ると名古屋と大阪しか止まらない。東海道本線を走る超特急は鹿児島本線経由で西鹿児島まで走るのぞみと、日豊本線経由で西鹿児島まで向かうひかりの2本がある。1997年のダイヤ改正でのぞみが新設されるまではひかりが鹿児島本線経由で西鹿児島まで運転をしていた。

のぞみは西鹿児島行きの運用だけではなく、大阪行きや博多行きも存在する。ひかりは西鹿児島行きの3往復のみとなる。


15:00に東京を発車し、1時間半ほどで名古屋に到着する。横浜止まらないだけでも結構時間が変わるのだなとつくづく思う。

そして、京都も停車せずに1時間ほどで大阪へ到着する。特急つばめとは時間が10分ほどしか変わらないが、それでも停車駅が違うので結構速く感じる。


大阪で運転士を交代し、詰所で1時間ほど休憩し、次の運用を待つ。次の運用は高松からやって来る特急ゆうなぎ8号。車両は1994年にデビューしたJR四国の8000系。瀬戸大橋の開通により、東京から四国方面へ結ぶ列車が増えた。今まで四国で見られなかった183系など、東海道本線を走る直流電車が乗り入れてきた。また、本州地区にJR四国の車両が入線のもまた新鮮な感じだ。


そして東京と大阪を一往復してまた大阪へ戻る。外は俺が大阪へ戻る頃には夜に近づき、九州に向かう夜行列車が増えてくる。そんな夜行列車を横目に俺はまた東京へ向かう。次に乗務するのはまた特急つばめ。案内放送と共に全体が白の車体に「つばめ」と表示された大きなLEDヘッドマークの車両が入線してくる。こいつはJR東日本が作った651系。1990年に常磐線と東北本線の485系と583系を置き換えるために導入された車両だ。その翌年から東海道・山陽本線にも導入され、こっちにも来るようになった。

だが、こいつはただの特急車両ではない。なぜなら583系同様、座席車から寝台車に切り替えれるからだ。そしてグリーン車は個室車。夜行運用になると個室のA寝台となる。

この列車は東京に到着すると、寝台特急あさかぜ3号として博多へ折り返す。客扱いが済むと、車掌が運転室にある寝台切り替えスイッチを座席から寝台へ切り替えると、自動で座席が向かい合わせになるように回転し、天井から寝台の2段目が出てくる。その準備が整った直後に車内に待機してた、たくさんの作業員が素早くシーツとかけ布団と浴衣をベットに入れてカーテンを取り付ける。この間、約5分。たくさんの作業員を導入してることや作業員も職人技のように寝台備品を入れるためものすごく早い。


15分ほどで折り返し準備を済ませ、寝台特急あさかぜ3号は東京を発車する。寝台特急ということで従来の東海道本線の特急よりはだいぶ遅く走る。寝台特急運転時は保安装置はATCから東海道本線の保安装置ATS‐Pに切り替え走る。

ちなみにこのあさかぜは1998年にデビューした285系、寝台特急サンライズ瀬戸・出雲が出る以前までは東海道本線唯一の電車寝台列車だ。1975年のダイヤ改正から583系に変わり、1991年からはこの651系となった。

そして夜の東海道本線を駆け抜ける。夜を駆ける白い鳥のように。

でも、スピードも遅いので大阪まで5、6時間かかるので、3時間ほど後に運転士は静岡で交代。


静岡から、名古屋からやってくる371系の特急おおとりの運用で東京へ向かい、車両を田町車両センターに入庫させ、今日の俺の仕事はひとまず終了。田町運転所で仮眠を取る。

東海道本線の運転士はJR東日本、東海、西日本と3つの会社の運転士、車掌で急行、特急、超特急を共用で受け持っている。なので詰所など運転士、車掌が使うところ共用である。ということで俺は今日はJR東日本の田町運転所で仮眠を取っている。


田町運転所で一夜を明かし、翌朝の運用は東京7時発の超特急ひかり1号日豊本線経由西鹿児島行きだ。車両はJR九州の663系。1995年にデビューした交直流電車だ。こいつは同じくJR九州を走る787系車体に交直流機器をつけたものだ。他にも661系と言って783系に交直流機器をつけた車両がいる。この2形式が東京・大阪方面へ直通している。

この列車で大阪へ向かい、次で今日の俺の運用は最後だ。特急こだまと折り返しの特急しおじで終わる。そしてやってきた車両は電気釜の顔でクリーム色の車体にイラスト入りのヘッドマーク。昔から走っている183系だ。こいつでゆっくり東京へ向かい、折り返しの特急しおじで大阪へ戻る。


大阪に戻り、また便乗乗車で京都総合運転所に戻り、午後1時過ぎに仕事が終わり、高槻の自宅へ帰る。

家へ帰ると…

「お帰りなさい~。」

「お帰りお父さん!!」

嫁の美桜と小学生の娘、桜が笑顔で迎えてくれる。今日は土曜日ということで桜がこんな昼間から家にいた。

「ねぇ、お父さん!!今日はどんな電車運転してきたの?」

最近、家に帰ると毎日のように桜がこのことを聞いてくる。

「今日もいろんなの運転したよ。今日はな…」

こんな話が毎日のように続いた。でもこれも車両が変わりゆく、この東海道本線があるからこんな話ができるのだと俺は思う。今後ももっと俺たち運転士を個性豊かな楽しませてくれよ!!


ちなみに、1999年現在の東海道本線を走る国鉄型特急車両はどうなっているかというと…

183系は東海道本線を管轄する3つの会社が保有するが、既にJR東海では1991年の371系の導入で183系は引退し、JR東日本とJR西日本でも徐々に数が減っている。

一方、485系はJR東海は民営化時に引き継がず、JR東日本とJR西日本が持っているが、東海道本線では主に特急つばめの運用や山陽本線の特急はとなどで使われいるが、双方の会社も北陸や東北で老朽化した初期の485系や481・483系の置き換えに回っており、東海道本線での運用を減らしている。

そして583系は東海道・山陽本線を走るのはJR西日本とJR九州の車両であるが、夜行運用は民営化当時とは変わらないが、昼行での運用は減っている。民営化後に全車、座席はリクライニングシートに更新はされたものの、すぐに昼行の運用は減ってきてしまった。1999年頃には東海道本線からの運用を撤退している。

651系が投入されるまでJR東日本も583系がいたが、651系が導入されたと同時に引退してしまった。この651系は、JR西日本とJR九州にも導入され始めている。


そんな変わりゆく東海道本線を見てきて更に10年。2009年、新車の導入は落ち着いたが、東海道本線は更に変わり果てていた。

まずは183系、2003年にJR東日本から引退し、その翌年にJR西日本からも引退した。JR西日本の183系の一部に関しては、北近畿方面に転用されて、まだ残っているが今後が心配である。JR東日本は183系を651系とJR西日本の681系の強化版の683系によって置き換えられている。

485系はJR東日本は183系と同時に引退し、一部は寒冷地仕様に改造され、東北、新潟方面に転用されている。JR西日本の485系は今まで250㎞/hでしかで走れなかったのを280㎞/hで運転できるように2000年頃に改造され、東京~大阪間の超特急のぞみとして最後の輝きを放っていた。それから7年後の2007年、683系に置き換えられ、東海道本線から北陸本線からの直通を除く485系が全て引退した。ちなみに一部は北陸方面へ転用されたが、こちらも、北陸地区にいる681・683系に追いかけられているので危うい。

583系はまだ一部は寝台特急の運用は残っているものの、651系にほとんど運用は取られ、昼行列車の定期運用は存在しない。その代わりに夜行急行の運用でなんとかやっていて、こっちはまだ安泰で過ごせるだろう。

また変わった点では今まで、東京まで走っていた急行、特急、超特急が新宿、渋谷へも乗り入れるようになり、さらには、回送の都合で新宿から大宮まで普通列車となり走っている。東京、新宿へのアクセスが便利になった。


そんな変わりゆく東海道本線。もう国鉄の時代ではなく、新しいJRの時代になっている。そしてどんどん、時代は変わってゆく。そんな変わりゆく時代に向かって今日も東海道本線の列車は駆け抜ける。

今回は珍しく、セリフ少なめでしたが、どうでしたか?651系は現実よりかなり設定は違いますが(笑)次回はこれの東北本線編を書きたいと思います。

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