伝説の前夜
「伝説の前夜」
1939年春のこと、10:55、11レの特急燕が定刻通りに沼津に入線してきた。
「よ~しEF53が放れた次第、連結だな。」
それを機関車待避線にいるC53の窓から遠目で見ているのは俺、四條両土。
「わかりました~。」
横にいるのは俺の相方の機関助士の倉橋優子。C53は燕と 連結し、11:00に沼津を出発した。
「四條さん、そういえば最近、線路上に何か調べてる人が いますよね。」
「あぁ高速運転について調べてるだよ。」
「どうゆうことですか?」
「時速200㎞ぐらいの戦闘機並みのスピードで走るだよ。」
「そんなじゃ空飛んじゃないですか!?」
「羽がないだし、飛べるわけじゃないよ。」
俺が苦笑いする。
「じゃあ戦闘機が線路走るですか?」
「まぁそうなるな。」
「すごいですぅ!!」
「東京と下関を6時間ぐらいで走るらしい。」
「今の半分以下の時間じゃないですか!?」
「更に朝鮮までに橋を架けるらしいな。」
「うわ~すごいです!!すごいです!!」
「でも高速で走るなら、投炭の量がすごいことになるから、倉橋もがんばれよ!!」
「はい!!そして私も四條さんみたいな機関士になりま す!!」
14:20に列車は名古屋に到着し、ここで乗務員は交代となった。そして俺と倉橋は少し遅い昼食。だが………。
「あっお財布忘れた!!だから四條さん……。」
「はいはい。」
今月で何回目だと思ってるだか。かわいいから許してやるけど。
「倉橋、男だったら肥えされるからな。女の子だから許し てやるけど。」
「いつもすいません。でも四條さんの家の家事やってるの私ですからね!!」
倉橋にはいろいろと手伝ってもらってる。
「本当に18の小娘になにさせてるのやら…。」
「でも私はいいお嫁さんになれるための練習だからいいですけど。」
2人は昼食を済ませた。
あれから数日。俺と倉橋は上司の喜多原さんに呼び出された。
「2人とも高速度試験の話しはしってるよな?」
「戦闘機を線路に走らせるですよね?」
倉橋が言う。
「間違ってはいないけど、まぁそんなかんじだな。戦闘機 といってもC53だけど。」
「C53ですか~。」
俺が言う。
「で、この方は鉄道作業局工作課の西原さんだ。」
「西原です。よろしくお願いします。」
西原さんが頭を下げた。
「よろしくお願いします。」
俺らも頭を下げる。
「とりあえず今回の試験は時速200㎞近く出していただき ます。」
「わかりました。」
ということでC53に乗り込む。C53の後ろには、5両ほど の客車が連結されていた。列車はどんどんスピードを上げ ていく。
「本当に出せます?」
倉橋が言う。
「倉橋にかかってる。がんばれ!!」
「はい!!」
更に列車はスピードが上がっていく。
「時速100㎞行ったぞ!!」
「よし!!あと100㎞!!」
倉橋は少し疲れきっていたがまだまだ投炭を続ける。そして……
「行ったぞ!!時速200㎞!!おつかれ!!」
「本当だ!!」
倉橋がスピードメーターを除きこむ。でもここからが問題だった。
ガーン!!
「なんだ!?」
すると無線で
「客車の後ろ2両が脱線しました!!」
「うそだろ!!とりあえずブレーキ!!」
だけど………
「ブレーキが効かない!!」
「えっ!!」
倉橋がびっくりする。
「線路も破壊されてます!!」
西原さんが言う。
「うそだろ!!」
俺はこの言葉しか言えなかった……。
そして
ガシャーン!!
列車は浮かび上がり。
「倉橋!!」
「四條さん!!」
俺はとっさに倉橋を抱き抱えた。俺はそれからは何も覚えてない。列車は上りの線路に脱線した。そして下りは線路の跡しかなかった。そしてこれだけで終わってはいなかっ た。なんと反対列車の特急富士が突っ込んできたのだ。この事故で17人の乗務員と乗客が犠牲となってしまった。
あれから計画は中止となってしまった。理由としては、時速200㎞近くの高速運転に線路が耐えられないことや、その高速運転に対応する線路をとりあえず東海道本線全線に取り付けする費用や、この鉄不足の日本での経済力などで計画は中止となった。更にそれから2年後、太平洋戦争の開幕により、そのような計画は何かも消えてしまった。1944年のダイヤ改正では「決戦ダイヤ」により、全ての特急も廃止になりあの時の輝きも消えてしまった。そして俺はダイヤ改正の直後には召集をかけられ、九州へと出世した。俺は二度と倉橋や沼津機関区に戻ることなく特攻隊として華々しく俺は散った。倉橋を残し………。
だがこれは計画はまだ消えてなかった。
(続く)