銀聖の影法師
円卓の間を後にしたアルベールは、これから自分はどう行動していくべきかと東大陸の上空にて頭を悩ませていた。
背から生える2対の銀翼は宙を撫でるように羽ばたく。この翼はアルベールに元から生えているものではなく、彼自身の能力「銀聖」によって、形成された代物。人間の間では世界を銀に塗り替える力を有し、如何なる手法を用いても影のような存在である彼に害を成すことができないと言われ付いた異名は銀聖の影法師。
銀色の髪を風に撫でられながらも地上を見下ろしている。先ずは魔術国家ロベリアに向かおうと思ったが、自身が直接趣いてもまともに取り合ってくれるとはとうてい思えず、それどころか魔族であり魔王という存在が現れれば敵意と欲望をアルベールに向け捕らえようとするだろう。そうなってしまっては人間達に危害を与えてしまうので、それだけは回避せねばならなかった。
「ふむ、手始めに近くの国へと行ってから考えるとするか」
手元の地図を頼りに一番近い国へと向かう。
日が地平線に沈む頃、五大強国に名を連ねる中央教会に到着した。
この国は東大陸中央部に存在し、近隣諸国で起こった諍いの調停や神の信仰拡大を主とした活動をする宗教国家であるのだが、他の宗教国家との違いは自身の神を絶対とし他者に押し付けることなく、民の信仰はぞれぞれといった宗教国家としては珍しい体制をとっていた。
その珍しい体制も最近成り立ったらしく、現11代聖王であるヘブリドから始まった。その妻である現聖女マリーナは他者の心の内を読み解く能力があると言われていて政治面で国を支えている。
そんな二人の子である次代聖女クリスティアは、臣民に尽くすことを自身の喜びとし常に笑顔を振りまき、正に聖女となるべき運命を持って生まれたかのような少女だと他国からも評価が高い。
魔王が宗教国家にいるのは少々場違いな気もするが、日も暮れては致し方なく早めに宿を探さねば野宿する羽目になってしまう。だが、初めて訪れた国の地理なんて知る由もなく、街中を見渡し一先ずそれらしき場所を探し始める。
やはり大国とだけあって冒険者や職探し等数多く滞在し、どこの宿も満室であった。彼の体質上飲食は必要としないのだが、ちゃんと睡眠は摂りたかった。
「むむ、困った。我はどうすればいい……」
「わわっ!?」
思慮に耽りながら薄暗い街道を歩んでいると、路地から人が急に飛び出してきて、アルベールの身体をすり抜け転倒してしまう。
「うむ?」
一瞬のうちに起こった出来事に視線を向けると、少女は擦りむいた手を摩りながら首を傾げアルベールを見つめていた。
「えっと……その、私の勘違いで無ければ今貴方の体をすり抜けた気がしたのですが?」
そこで気づいた。確かに今この少女は自身の体を通り抜けていった。魔導膜を急ぎ張り付かせる。
「いや、気のせいだと思うが? 人が人をすり抜けることなど出来るわけがないであろう?」
少女はう~んと唸りながらも自身の記憶を再び思い起こしているようで、それに見かねたアルベールは少女に手を差し出す。
「疑うのであれば、確かめてみたほうが早い」
差し出された手に恐る恐る触れる。
「触れ……ますね」
「うむ」
ようやく理解してくれたようで、少女は深く頭を垂れる。
「それでも、もう少しでぶつかってしまう所でしたね。申し訳ありませんでした」
「いや、別に気になどしてはいない……」
とまで言って少女の出で立ちに視線が行く。
少女が纏っている衣服は白を基調とし赤と金の模様のような刺繍が施された衣服。それは、平民や貴族ではとうてい手が出るような代物ではなかった。
そう、何より気になったのは肩部に付属している金具に描かれる両翼を大きく広げ腹部に十字架を描かれた鳥の模様。それは、紛れもないこの中央教会の国旗だった。
その視線に気づき照れたように笑う。
「えっと、ですね。これはその……」
「中央教会国旗。そして、貴公の服装から察するに次代聖女クリスティア・ロート・アルケティアでは?」
「はい」
何故そのような者がこの時間帯にこんな場所にいるのだろうかと思っていると、背後から数人の足音が聞こえてくる。
同じように路地から現れたのは二人の男性と一人の女性だった。一人の男は体力の限界と言わんばかりにその場に座り込む。
「ハァ、ハァ……ちょい、待ってくれよ。俺もう走れないんだけど」
「まったく、女性の私より体力が無いってどういう事なのかしら?」
酸素をおもいっきり肺に取り入れ吐き出し、青年に呆れ手をさし伸ばし立たせる女性。
「聖女様、そちらの方は?」
三人のなかで一番の長身の男はアルベールに視線を向ける。
「えっと……そういえば、お名前まだお聞きしていませんでしたね」
「我はアルベール・ハイラント・ルードリッヒ、旅の者だ」
それに男はそうかと短く答える。無愛想ながらも軽く会釈をし、背後で何やら騒がしくする男女の言い合を仲裁する。
「お会いできたのも何かのご縁です。ジークリート達も自己紹介しましょうよ」
クリスティアは背後に控える従者に自己紹介するよう呼びかけると、三人は一列に簡単に自己紹介をすます。
「俺は中央教会四十字騎士団ジークリート・フォン・リーバス」
「同じくステラ・アイリス。一応四十字騎士団の隊長を務めております」
最期に威勢の良い青年が一歩前に出て大きく胸を張り、声を大にして名を名乗る。
「俺の名前はグレイ・ハンス、中央教会が誇る英雄の1人だ!」
四十字騎士団……。
アルベールもその名前は聞いたことがあった。中央教会が誇る四人の精鋭部隊。聖王に仇なす敵を屠り、国を守護する四柱。
その腕前は東大陸で名を知らぬものはいないと言われるほどの者達だった。
「えっと、アルベールさんはこの国には観光ですか?」
クリスティアに問われ、うむと頷く。
「この国は貿易に富み、美しい建造物がたくさんあると聞いていたのでな、是非とも観ておきたかったのだよ……です」
いつもの調子で喋っていたことに気付き、訂正するとクリスティアは手を口元に当てクスクスと笑っていた。
「アルベールさん、気にせず普段通りに話してください。そう遠慮されながらでは私も話しにくいです、でもアルベールさんって旅の方のわりには喋り方に品がありますね」
「ふむ……そうか? そんなことより何か急いでいたのではないのか?」
アルベールに言われ、クリスティアの表情は青ざめていく。彼女の背後に控えるステラとグレイも深いため息を吐く。項垂れるクリスティアにステラは優しく肩に手を乗せる。
「仕方ありません。ケーキはまたの機会にいたしましょう」
「そうだね。楽しみにしていたのですが……残念です」
アルベールは彼女達の歩を止めてしまった事に妙な罪悪感を感じ、クリスティアから視線を逸らしてしまう。
そんな彼の心情を悟ってかクリスティアは笑顔を向ける。
「気にしないでください、元から間に合う見込みがあまりなかったので。あっ……御夕食はもう済ませましたか? まだでしたら、この再会に祝して一緒に何処かでお食事しませんか?」
断る理由が見つからなかったので、四人に同行しオススメの店だという場所に連れてこられた。
店内は客で賑わいを見せ、厨房から次々と料理が運ばれて行く。クリスティア達の姿に気づくと客たちからは歓迎の声が上がり、それに応え皆に笑顔を振りまく。
「なかなかに賑わいのある店なのだな」
素直な感想を述べ案内された席に腰を据える。使い古された木製のイスは何処か座り心地がよく、各々メニューに視線を落とす。
だが、この国に来たばかりのアルベールはメニューを見てもどのような料理なのか見当が付かず、首を傾げ唸っていると隣に座ったグレイがアルベールの持つメニューを覗き込んでくる。
「アルベールだっけ? なんか食えないものとか好きなものってあんの?」
食べれないもの、好きな物。アルベールにはそのようなもの存在しなかった。そもそも霊体のような彼には触覚痛覚はおろか味覚も持ち合わせていないのだ。
取り敢えずなんでも食べられる事を伝えると、グレイは満面の笑みを浮かべ1つのメニューを勧めてくる。
各自店員に注文を告げ、周囲の喧騒に紛れながらこの国や民のことやアルベールの事お互いを知り親睦を深めていく。とても居心地のよい時間が流れ、目の前には料理が運ばれてくる。
「……」
アルベールは自身の目の前に置かれた料理に言葉を失った。そんな姿を見てグレイは親指を立てる。
「これ、上手いからマジお勧め。男ならやっぱり質もそうだけど量だよな」
アルベールとグレイの前には同じものが置かれていたのだが、ジークリート、ステラ、クリスティアの料理と何度も見比べてしまう。
食べても腹を満たすことなく消滅してしまうとは言っても、このあらゆる食材を盛りに盛った料理に他者が感じる食欲というものがアルベールにもあったら確実に減退していただろう。
クリスティア達は苦笑いを浮かべ、あまり此方の料理を見ないようにしていて、隣りではグレイが豪勢に盛られたソレに食らいついていく。
「いただきます……」
味覚も無ければ腹が満たされることも無い。だが、それでもこうして誰かと会話をしながら食べる料理は何となくだが美味しく感じられた。
このように楽しい時間を過ごしたのはいつぶりだろうかと苦笑しつつ、皿に盛られた料理を平らげた。グレイも同じタイミングで皿を空にする。
「よく、食べるのだなグレイ」
「いやいや、アルベールお前も中々やるな。正直みくびってたよ、まさかこの料理を平らげるのが俺以外にいるとはね」
周囲の客達からも歓声が上がり、何故か握手を求められた。
「凄いです、アルベールさん。グレイの為に作られたような料理を顔色変えずに食べきっちゃうなんて」
「えぇ、正直私も驚いています。そんなに食べられても身体が細いのですから羨ましいものですね」
クリスティアとステラからも賛辞の言葉が発せられ、ジークリートと視線が交わると力強く頷きアルベールも頷き返す。
たった1時間共に過ごしただけだが、彼等とは良き間柄になれそうだと思いながら店を後にする。
辺りは既に暗くなり、街灯と家々から漏れる明かりが道を照らす。
「空いてる宿ですか?」
クリスティアはう~んと唸りながら必死に空いていそうな宿を思い起こしているようだ。
「アルベール殿、予算の方はどれくらいでしょうか?」
考え込むクリスティアを他所にステラが話しかける。
「ふむ、長旅なのでな多めには持ってきている」
「なるほど……でしたら、南区域に少々値が張る貴族御用達の宿屋があるのですが、そちらに宿泊されてはどうでしょうか? そこならば部屋も空いていると思いますが」
ステラの案に即座に頷く。他に泊まる場所がないなら悩む必要は無く、簡単な地図だけを書いてもらう。
「アルベールはいつまでこの国に滞在するんだ?」
「そうだな、3日くらいか」
「そっか~もっと居てくれればいいのに。まぁ、旅人だし仕方ないか。じゃあ最後の日にまた一緒に飯でも食おうぜ」
それに、うむと首肯しクリスティア達と別れアルベールは地図を頼りに南区域に向かう。
正確な地図に道迷う事無く目的の宿に到着した。確かに、貴族趣味の装飾が施され平民では立ち入ることが出来ない雰囲気を全面的に押し出していた。
受付を済ませ案内された部屋は無駄に広く羽毛布団一式が皺一つ無くセットされていた。
特にやることもないアルベールは布団に潜り今後の方針について考えながら眠りに着く。
前回の続きになります。