ヤトとティエル
「え、こんなに大金で買い物するの」
「・・・・・・たった今お前の生活が不安になった」
山間の小さな城下町にティエルとヤトは来ていた。木を隠すには森の中というのは本当で、むやみやたらに力を使いさえしなければ普通の人間と英雄の見分けなんてつかない。表向きには銀細工売りとその護衛として過ごし、収入源もそのままサーリャの作る銀細工だ。もう少し周りに自然があればヤトが獣でも狩ってくるのだが、この街の周りは鉄の壁に覆われていて、そうもいかない。
「いや、言っとくけど俺今まで一人暮らしだからね?」
ティエルの手に握られている袋の中には銅貨がぎっしりと詰め込まれている。それは確かに一人には大金だが、今の人数で考えればむしろ少ないほうだった。
しかもトーキ曰く、「ティエルが来たから奮発して」この額だ。普段の彼らの生活が忍ばれる。
大通りは喧騒に溢れ、それに負けじと物売りの声が響いていた。自然と関わりの浅いこの街での主食は麦や野菜などの農作物であり、遠方の行商からしか仕入れられない鹿肉などは塩漬けにされ、その上で高級品として売られている。その値段を見てヤトは頭を掻いた。
「トランとフェンが肉を食いたいと言っていたが、これではな」
今の手持ちでは人数分買うことができないどころか、二つも買えば予算の殆どを使い切ってしまう。向かいにはこれよりも半分以上安い店もあったが、素人目にも分かるほど保存の悪い状態で、腹を壊してしまいかねない。もちろん、英雄にはそんな心配はないが、それでも怒ったフェンが何をしでかすかを考えると買うわけにはいかなかった。
「ちょっと待って」
諦めて安価の野菜を見ようとしたヤトの裾をティエルが引っ張る。その顔はいたずらの思いついた子供のようだ。
「どうした」
「さっきの塩漬け肉、買えないかちょっと交渉してみる」
「交渉だと? 大丈夫なのか」
「まっかせて」
自信満々なティエルの表情に押されて、ティエルに道家を何枚か渡し、自らも買い物に行く。ティエルは袋をヤトに預け、その銅貨を裸のまま持ってその店に近付いていった。
「おじさーん、美味しそうな塩漬けだね」
「おう坊主、よくわかってんじゃねえか。うちのは新鮮ピチピチだからな」
遠くから運ばれてきた保存食に鮮度なんて有るのだろうか、ティエルは不思議に思ったが、そこには触れず、無邪気な子供を装って言葉を続けた。
「でも、ちょっと高いなー。これじゃ買えないや」
「そうか? ウチのは質がいいから高い買い物にはならねえぜ」
「いや、お金が無いんだ。あっち位の値段だったら僕も帰るんだけど」
ティエルは向かいの店を指差す。店主もそれに倣って他店の塩漬けとその値段を睨めつけ、嫌な顔をする。
「やめとけ、やめとけ。あんなもん食ったら腹壊しちまうぞ」
「でも、お金無いし・・・・・・」
「坊主、いくら持ってんだ?」
「これだけ・・・・・・」
持っていた銅貨を見せる。それは一個を買うには僅かに物足りないが、向かいの店ならなんとか二つ買える額であった。
「弟にも食べさせてやりたいんだ」
顔を伏せながら呟くティエルの嘘には気付かず、店主は目の前の貧しくも正直な少年に心を動かされそうになる。よし、と店主が手を叩いた。
「それで塩漬け二個売ってやろう!」
「ええ!?」ティエルは大袈裟に驚く。「でもそんなの悪いよ」
「いいっていいって、気にすんな! こういう商売はな、気っぷのいいほうが儲かるしな」
「ありがとうおじさん!」
手持ちの銅貨と二つの塩漬けを交換し、ティエルは笑顔で手を振りながら雑踏に紛れ消えていった。それをすぐさま懐に入れ店主に見つからないようにヤトを探す。彼は既に買い物を終えて、小路に立っていた。
ティエルが持っている塩漬けを見てヤトが感嘆の声を上げる。
「すごいな、いったいどうやった」
「知ってる? 子供ってね、それだけで有利なんだよ?」
「やはり今までのお前の生活が心配だ」
「ひどいなあ」
ティエルは肩をすくめる。少年にとってこの程度の虚言など日常茶飯事だった。彼自身が擦れていたせいもあるが、古代遺跡らしき洞窟を求め遠方へ旅するにつれて、幼いことを武器にしなければ生き残れなかったことが何度もあった。強過ぎる英雄にはそんな悩みはなかったのだろう、ティエルは少しだけ、彼らのことを素直に羨ましく思った。長身ではあるが、傍目には細身なヤトの体は、その実、熊よりも遥かに力強く、亀よりも永い時を生きている。それが幼心にはずるくて仕方が無い。
「おっと」
そんな考え事をしていたからか、ティエルは向かいからやってくる人影に気付かず肩をぶつけてしまう。相手は気にした様子もなく歩き去ろうとしていたが、その腕をヤトが掴んだ。我に返ったティエルも、懐に入れていた塩漬けが無くなっていることに気付く。
「なんだよ」
ぶつかってきた相手はティエルとそう年も変わらない少年だった。貴族や商人の息子なのか、それなりに小奇麗にしていて、ヤトの仏頂面を見ても攻撃的な態度を隠さない。だがその足はヤトへの恐怖か、スリが見抜かれたことへの不安で震えている。
「物盗りは感心しないな」
「お、俺が何を盗ったって言うんだよ!」
威勢はいいが、その声も上ずっている。ティエルは彼のベルトに付けられた布袋に手をかけ、隠されていた塩漬けを取り返した。あまりにもあっさりと隠し場所を見抜かれた少年の顔が真っ青に染まる。
「隠し場所ってだいたい皆一緒なんだよね。頑張って考えた所なんだろうけど、割と分かり易いよ」
かつて自分もそこに隠したからね、と心の中で呟く。少年はもうすっかり戦意を喪失してようで、へなへなと地べたに座り込んでしまう。人通りは少ないのが唯一の救いだろう。もし他に誰かが居ればどちらかが犯罪者扱いされていたかもしれない。
「なぜ、盗みを働こうとした」
「えっ・・・・・・?」
突然の質問に困惑している。暴行を受けることを怖がっていた彼には、ヤトの質問な意図が分からなかった。ティエルが慌てて言葉を加える。
「今日明日のご飯に困っているようには見えないし、遊びにしては仲間がいるようには見えないからね。何か事情があるんじゃないかな?」
「なんでお前らなんかに」
「教えてくれないとこっちも君をどうすればいいか分からないからね」
言外に込めたティエルの脅しに少年は黙り込む。彼らを怖がっているというより、理由を話すこと自体がはばかられるようだ。
それでも、やがて観念して静かに口を開く。
「友達を助けたいんだ」
「友達?」
ティエルが怪訝な声をあげる。
「貧乏だったんだけど、仲が良くて、でも親に売られたんだ」
「売られたって、農奴のこと?」
「違うよ。もっとえげつない、奴隷さ。この街に奴隷市場があるんだ」
歯を食いしばり、悔しくて仕方が無い様子。疑うまでもなく彼の本当の感情だ。きっと彼は真実を話している。だからティエルは驚いていた。
オルティスレームという国は、農奴以外の奴隷制度を廃止している。農奴ですら一定の労働環境を設えていなければ罪に問われるのだ。それはこの街も例外ではない。非合法な奴隷市場も無いわけではないが、大抵は別の街から連れてこられた名前も分からぬ子達だ。攫った街で奴隷にするなど聞いたことがない。
「だからお金を集めないと、助けないと」
「そうか」
ヤトは少年に手を差し延べる。相変わらず何を考えてるのか分からない不機嫌な顔付きだが、ティエルから見ればその顔は確かに笑っていた。
「その子を助けるために幾ら出せる」
彼はどうやらおいしい儲け話だと捉えたようだった。
*
一度、拠点へとヤトを戻らせ、ティエルが代わりに少年の話を、彼がスリを行なわなければならなかった理由を聞き、交渉に移った。そしてヤトも合わせて交渉は成立する。
少年はオドヴィックと名乗った。それなりの商人の家の子で、貴族や豪商のように政治に口出しできるわけではないが、裕福に暮らせるだけの金はある、そんな家だ。友人はコレットという女の子で、酒に溺れ仕事を無くした父親に酒代のために売り払われてしまったらしい。労働力にならない女奴隷の行き着く先は言うまでもない。
市場はこの街で最も力のある商人が開いているもので、領主に賄賂を渡して見逃してもらっているのだという。オドヴィックの親は関わりたくないようで、息子の頼みも頑として聞き入れなかったそうだ。
そして、彼らはその奴隷市場の目と鼻の先に居た。街のはずれ、誰も立ち入らないような場所に張られている赤いテントはまるでサーカス小屋の如く、隠れようなどと微塵も考えないままそこに建っている。
「こんな場所よく見つけたね。物探しとか得意なの?」
「そういうわけでもないと思うけど。場所自体はすぐに分かったし」
謙遜するようなことを言いながらもオドヴィックは誇らしげだ。傍らのヤトは注意深くテントを観察している。人の出入りは無い、物音も聞こえない。それでも彼には何か聞こえているようだ。
「五人、か」
呟きは夜刻を告げる鐘の音にかき消され、少年二人の耳には届かない。しかし、二人の間には緊張が走る。
「今日で、間違いないんだよね」
「その筈だよ」
これから、有力者達を招き入れた競争売買が始まろうとしている。おそらくコレットも売りに出されるだろう。そこを狙うと言い出したのはヤトだ。何か理由があるのか。ティエルは顔色を窺ったが、まるで何も分からない。
ふらりと、隠れている三人を横切るようにしてある男がテントの中に入っていく。若い男だが、如何にも高級そうな服を着ている。ローブを着たその男を見たとき、ヤトの目が鋭くなる。そして、それを皮切りに、一人、また一人とテントの中に消えていく。
「手筈通りにやれ」
ヤトが小さく息を吐いた。入口には警備と思われる、ガラの悪い大柄な男が立っている。
「わかったけど、大丈夫なのかよ」
「信じろ。払われた金の分は仕事するさ」
ヤトはそう言うと、不安そうなオドヴィックの頭に手を乗せた。「行け」
その声に背中を押されて、ティエルとオドヴィックはテントの入口に向かって歩き出す。夜更けに少年二人で歩いてくる様子に警備の男も不審な表情を浮かべ、中に入ろうとする二人を遮って問い質す。
「ガキ共、ここはお前らみたいな奴の来るところじゃねえ。さっさとママンところに帰りな」
足の震え始めているオドヴィックを庇うようにティエルが立ち、嘲笑うかのように唇を吊り上げる。
「お偉いさんに雇われてるのに、礼儀は教えられてないんだね」
「あ?」
「ねえ、通してよ。俺達も奴隷市場が見てみたいんだ」
男は気付く。目の前の二人は道に迷った何も知らぬ子供などではなく、自分が捕まえるべき外敵の類だと。反射的に手が伸びる。その瞬間、ティエルが何かを足元に投げつけた。
「がっ!?」
それは小型の爆薬。叩きつけられた円球が音を立てて弾けた。男が怯んだ隙にオドヴィックの手を引いて走り出す。
「じゃあ裏口から入ろうか!」
「こんの、待ちやがれぇ!」
頭に血の上った男は、その裏口に味方が居ることも忘れて、小馬鹿にしてくれた二人のガキを嬲り殺す為に表口を捨てて追いかけ始める。完全にいきり立っていた男には気付けなかった。彼らの向かう方向が、途中が路地に逃げ込むようになっていたことに。
残されたヤトは一人、もぬけの殻となった入口へ向かう。
「こんなに簡単とは。やはりティエルの言った通り、雇われただけの破落戸か。まあいい」
嗤う。
「俺は俺の仕事をするだけだ」
鼻と口元を隠すように布を巻き、黒い外套で身を闇に紛れさせたあと、それがさも当然であるかの如くに歩を進める。
テントの中は、劇場だった。観客は顧客、語り手は売り手、そして役者は売り物だ。わざとらしく足音を鳴らして滑稽な語りが行われている壇上に向かう。誰もが状況を理解できていない。ヤトが売り手の目の前に立った時、漸く護衛の一人が動き出した。異物を排するために腰に差した剣を抜く。そして────
*
「もっと早く走れ!」
子鹿のように震えたままの少年の手を引きながらティエルが叫ぶ。大柄な割に男の身のこなしは軽く、細い曲がりくねった路地を走っているというのに、一向に追跡が止む気配はない。
予想外だ。ティエルは心の中でそう毒づいた。それは相手の速さに対してではない。オドヴィックの精神的な面においてだ。まさか、ここまで怯えてしまうとは思わなかった。普通、彼らの年代で命懸けの行動をしたことがある者なんて滅多に居ないだろう。かつての綱渡りの生活、そしてあの振り下ろされる斧の恐怖を知ってしまっていたティエルにはその感覚が麻痺してしまっていて、考えることができなかったのだ。
それに、裕福な家の子供というだけあって体力もない。呼吸することすら苦しげになっているオドヴィックをこれ以上連れ回すのは不可能だった。
何処かに彼を隠さなければ。ティエルは道のわきに木箱があるのを見つけると立ち止まり、箱の蓋を開けながら言った。
「この中に隠れてるんだ。俺が声を掛けるまで絶対に物音立てちゃいけないよ」
肩で息をしている少年に何かを口に出す気力など残ってはいなかったが、どうにか持ち上げたその目はどんな言葉よりも雄弁に彼の意思を伝えていた。ティエルは笑いながら返す。
「大丈夫だって。俺を信じて」
それだけ言うとティエルは来た道を戻る。出来るだけ、速く。オドヴィックから離れるように。そうすれば、追っ手と鉢合わせることは必然。男はティエルの姿を見つけるとニタリと凶悪な笑みを浮かべ、背中に携えていた大鉈を抜く。
「鬼ごっこはお終いかよぉ」
「残念だけど時間切れだよ。こっから先はチャンバラだ」
ティエルが何も持っていないと分かると、男は一歩歩を進める。
「そうかい、俺はそっちの方が得意なんだ」
「奇遇だね、俺もだよ」
「だったら・・・・・・見せてもらおうじゃねえか!」
真上から、手加減などまるで考えてない殺すための一撃が降って来る。当たれば一発と持たないことは明白だ。紙一重、重心をずらして避ける。返しの斬り上げは後ろに飛び退いて凌いだ。反撃に残りの爆薬を投げ打つが、タネのバレた不意打ちら鉈の腹で受け止められてしまう。飛び込みながらの横斬りをしゃがむことで辛うじて躱し、手を地面について、壁と男の身体の間をすり抜けるように潜って後ろに回る。男もすぐさま振り返りながら再び横薙ぎに鉈を振りティエルを追い払う。
強い。護衛として雇われるだけの力量は充分にあった。不意を打とうにも、上手く近付かせてはくれない。それでも、ティエルの心の内には恐怖も焦りも無かった。鉈よりも斧の方が恐ろしい、目の前よりも背後の方が怖い。
「どうした? 逃げてばっかじゃねえか」
挑発のつもりか、目立った反撃をしてこないティエルを単に馬鹿にするためか、男はわざとらしい舌なめずりをして嘲り笑う。
だが、奥の手は隠し持っておくものだ。ティエルはそろそろ潮時だと悟る。
「チャンバラは得意じゃなかったのか?」
「ああそれ、実は全くの嘘でして」
「あん?」
「俺が得意なのはね、射的なんだよ」
ティエルの手にはサーリャ特製の投石機。本来子供のおもちゃにしか使われないそれを虎の子のように語る少年の姿は男には滑稽に映った。同時に、強敵と考えていた相手がただの馬鹿と分かり、落胆も感じていた。
「ふざけんじゃねえぞ」
「ふざけてないよ」
「そうかよ」
男の顔から完全に笑いは消えていた。
「なら死ね」
首を刈ることだけを考えた男の腕が、鉈を構え直す。男の歩幅なら五つも歩けば、その首に手が届くだろう。対するティエルは直径が銅貨ほどの大きさの石をスリングで構えていた。
最初の一歩、轟くような金属音と共に、踏み込もうとしていた男が後ろによろけた。その手にあった筈の鉈は、先の半分が失くなっている。視線がそちらに向いたとき、残りの半分も砕け散り、弾け飛んだ。
「なかなか、悪くない腕だろ?」
何が起こったのか、把握できない男の意識の外から、そんな声が聞こえてきた。体勢を崩し、意識も逸れた。その大きな隙を見逃さず、懐に入り込んだティエルの拳が鳩尾にめり込む。男は膝から崩れ落ちた。誰の目から見てももうそこに意識はない。
パチパチパチ。どこからか拍手の音が流れてきた。ティエルが振り向くと、どこかで見た若い男が人相の悪い笑みを浮かべて立っていた。絹のような銀髪に、左と右で全く違う目の色。敵意は無い、そのことが痛いほど分かっていても気を抜くことができなかった。ふとすると押しつぶされてしまいそうな威圧感がその男にはあった。
「そんな怖い顔すんなって。俺はこういうもんだよ、頭いいんだったらわかるだろ?」
男は軽口を叩きながら、胸元から装飾の施されたネックレスを取り出す。獅子に蛇が巻き付いたようなその意匠は、オルティスレーム直属の人間であることを表す一種の身分証明のようなものであった。
「国直属の人間なんて初めて見ました」
「わかってもらえて嬉しいよ。それと変に畏まんなくていいぜ。そっちの方が連帯感あるだろ?」
「え・・・・・・!?」
トランが言ったのと同じ台詞。口調からして偶然などではなく、知っているのだ。英雄という存在を、帝国が。
「どういう、ことかな?」
「俺らもこの市場を暴いてお縄頂戴するのが目的だって話だよ」
「そうじゃない!」
「案外察しの悪いガキだな」
次の瞬間には目の前に男が座っている。額を指でついて、最初からそこに居たとでも言いたげに。
英雄だ。少なくともトランと知り合いの。いや、
「あんた、客として市場に潜り込んでたよね」
何故気付かなかった。最初にテントの中に入った青年と服装が全く一緒ではないか。あのとき、ヤトの反応が不可解だったが、今なら理解できる。この男だと分かったからだ。
「そっちはそんなにわかり易かったのかねぇ。ヤトにもバレちまったし」
「変装などと言うにはおこがましいものだからな」
屋根の上からヤトが降りてきた。手傷を負った様子も無い。そして、銀髪に大しては何の危機感も抱いていない。そこまで確認して漸くティエルも警戒を解く。
「オドヴィックは」
「この先の木箱に隠れさせてある」
「そうか」
「ああ、そいつならウチの部下が保護したぜ」
「・・・・・・そうか」
「ま、こんなとこで立ち話もなんだしどっか酒場にでも寄らねえか? 奢るからよ」
「そうだな。ティエル、オドヴィックのところへ行ってやれ」
ティエルに拒否する権利はなかった。
*
「で、随分と久しぶりだな。前に会ったのは五十年前くらいか?」
「そうだな」
高級酒場の個室にヤトとクレイズの二人以外の影はない。クレイズは高い銘柄の酒を浴びるように飲んでいるが、ヤトは比較的安い酒をちびちびと飲んでいる。
「そっちは最近どうなんだ? トランは未だに馬鹿やってんのか」
「いきなり料理を初めて全員を毒殺しかけたな」
「ははっ、あいつらしいぜ」
旧い友人の笑い話は旨い酒の肴になっているらしい。心底愉快そうに笑うクレイズにヤトもつられて笑う。
「それより、城を出るなんて珍しいな」
「そうでもないさ。今んとこ俺は諜報部隊の総隊長ってことになってるからな。現場で働いてなんぼだよ」
「いつになく楽しそうだな」
「そりゃいいこと尽くしだからな。もう一本開けよっと」
「程々にしておけ」
「わーってるって」
そんなことを言いながらも既に空になったボトルが三本も転がっている。注意しても聞かないのは相変わらずだ。ヤトはそんなことを思いながらグラスに口を付けた。
「それで、いいことってのは?」
「仕事後の酒は旨い。こうして偶然旧友に会えた。で、有望株の発掘で三つ!」
「有望株?」
最後の一つに心当たりがなく、思わず聞き返す。
「なんだっけ、お前らと一緒に居た。そう、オドヴィック・グレンデル」
唐突に出てきたオドヴィックの名前にヤトが眉を顰める。
「あの子供が?」
「いやさー、ここに潜ませてたウチの奴がオドヴィック君に弱み握られて、機密事項ペラっちゃったみたいなのよ。そいつが間抜けってのもあるけど、ウチの連中相手にそんなことできるガキってのもなかなか面白そうだろ? おまけにこっちはそいつの弱みを握ってる!」
「奴が助けようとしていた友人のことか」
「そう、コレット・チェンバース。どっちにしろ親の元へは返せなさそうだから首都の孤児院かなんかで預かることになったんだろうけど」
「本人が望むならいいのだろう」
客観的に見れば自分が仕事をすることで大切な友人を守れるのだからそこまで悪い取引でもないだろう。本人達の意思は分からないが、少なくともオドヴィックはコレットの為なら受け入れる。怖がりだが芯の折れない強さがあると、ヤトは思っていた。
「そっちのガキはどうなんだ?」
「ティエルのことか?」
「そうそう。ラッシュ・ハワードに襲われて生き延びたんだろ。しかもお前らが連れ歩いていると来た」
「少し勘違いしているようだが、奴が死ななかったのはトランが助けに入ったからで、今共にいるのもトランの気まぐれだ」
「じゃあよ、邪魔だと思ってるか?」
「・・・・・・・・・・・・」
ヤトは答えなかった。見慣れた仲間たちの中に新しい顔が居ることはそれだけで新鮮だ。特に仲間意識の強いヤトにとっては既にティエルは大切な仲間の一人になっていた。
困り果てたヤトの様子を見てクレイズが意地悪く笑う。
「随分と気に入ってんじゃねえか。ま、確かに面白そうな奴だしな。スリングの推進力に魔法を使うってのはなかなか考え付かないぜ」
「・・・・・・俺はそろそろ帰るぞ」
四本目のボトルも空にして、五本目を開けようか迷っているクレイズを尻目に個室のドアに手を掛ける。
「待った待った。最後に一つ」
「なんだ?」
「もう数年後には始まるぜ」
クレイズの顔は真剣そのものだった。その意図は分かり易い。ヤトも鋭い目つきを更に鈍く光らせる。
「分かった」
離れていく足音を聞きながら、クレイズは未開封の五本目を床に置いた。
*
あれから数日後、ティエルとヤトの二人は同じように街を歩いていた。何かを買わなければならないわけではなかったが、ティエルが街に出なければ気が気でなくて、ヤトを誘ったのだ。領主の逮捕にざわめいていた街も、二、三日もすればすぐに元の活気を取り戻してしまう。人の作った街というのは、それだけで活動を止めてしまうほど軟弱には作られていない。奴隷市場に関連していた有力者達も軒並み逮捕されていて、平穏な世は何も変わることはなかった。
しかし、ティエルはおろおろと挙動不信になりながら街を歩いていた。すぐ横を歩いているヤトも危なっかしいティエルの姿に呆れ返っている。
「大丈夫かな、オドヴィック」
「奴が自分で選んだんだ」
「それはそうだけど、やっぱり心配だよ。なんていうか、初めてだから」
オドヴィックはその情報収集の才を認められてクレイズに付いて首都で働くことになった。元々、放蕩息子の気はあったようで親も国のためならと万々歳で送り出したのだとか。出会って間もない友人だが、それでも親元を離れ、一人の人間として働いていくのだろうと考えると不安が残る。
ずっと一人で生きてきたティエルにとって、たった一度死地を共にした少年は既に親友と呼べる存在になっていた。煮え切らない態度のティエルにヤトがからかいの声を上げる。
「だったら一度会いに行ってやればどうだ」
「それは・・・・・・」
わざわざ会いにいくほどの度胸なティエルにはないことをわかっていて聞いているのだ。恨めしそうな目付きでヤトを睨むが、どうも堪えた様子はない。
「まあ、そんなことをしなくても向こうから来たようだがな」
「え?」
ティエルが振り返ると、そこには旅装束に身を包んだオドヴィックが立っていた。金色の髪の女の子も彼に寄り添っている。最初に話していたコレットだろう。
「ティエル」
少し声が上ずっていた。緊張しているのだ。ティエルも返事を返すことができない。二人とも少しの間黙り込む。その沈黙を打ち破るように、振り絞るようにオドヴィックが叫んだ。
「こ、今回助けられたからな、今度会ったときは俺が助けてやるからな!」
ティエルは声も出せないほどに驚いていた。初めてできた年の近い友人に、なんて声をかければいいのか分からない。いい子を演じればいいわけでもない、上手く言葉にできない感情に困惑する。それでもどうにか言葉にしようとして、精一杯に言葉を紡ぐ。
「う、うん。楽しみに待ってる」
やっと出せたのが、それだけの言葉。だけどそれだけで充分だった。
「おう、任せとけ!」
オドヴィックがグッと拳を握る。その姿はとても頼もしく見えた。
遠くからクレイズの声が聞こえてきて、オドヴィックとコレットの二人はティエル達に背を向ける。二人の姿が見えなくなったあと、ティエルはヤトに話し掛けた。
「友達っていいものなんだね」
「・・・・・・お前の今までの生活が不安になったよ」
「ちょっと、それどういう意味さ」
「そのままの意味だ」
ヤトはティエルの方を向いて笑う。それは、誰かをからかっている時のものでも、自分に自身を持っている時のものでもない、ティエルが初めて見たヤトの本当の笑顔だった。