観測者は嗤う
「ラッシュ・ハワード。報告ご苦労だった。もう下がって良いぞ」
金や銀、翡翠に瑠璃に瑪瑙など、ありとあらゆる宝飾品が散りばめられた、豪勢であり、見てて頭の痛い煌びやかな装飾の施された広間。しかしそこにある調度品は、こぶし大はあろうかという窪みに敷き詰められた紅玉が特徴的な椅子のみだ。
そして今、ラッシュと呼ばれた大柄な男────ティエルを襲った断罪の徒の長が恭しく頭を垂れて、部屋から消えていく。
「ふむ。やはり間違いないか」
紅玉の玉座に座っていた男が溜息をつく。ろくに手入れもされていない髪に、肥え太った体。擦れて耳障りな金属音を鳴らす悪趣味な数々の装身具は、彼をまるで豪商の放蕩息子のように見せている。しかし、堕落感を漂わせる風貌の中で、青く透き通った硝子のような眼が他の全てを覆い隠すように威厳を放っていた。
エマニュエル・シャルヴェ・ヴェストール・オルティスレーム七世
それが彼の名前であり、彼こそがオルティスレーム帝国の第二十一代皇帝である。
「陛下、彼らの行動のすべてが語っています。彼らが英雄と争う者。使徒であると」
傍らに控えていた銀髪の侍従が淡々と答える。その容姿はエマニュエルとは対照的で、この上なく整っているにもかかわらずどこか覇気のない目が彼の印象を薄くしてしまう。
「陛下はどちらに味方なさるので?」
唇の端が吊り上がる。そこに敬意はあれど、帝に従う者としての忠義はない。
「私はどちらの味方もせんよ。ただの人間に君達の戦いに手出しする度胸はないのでね」
「それが陛下のお言葉なら私もそれに従いましょう」
「何を言う」
エマニュエルは嗤う。
「私の意志など無視して戦いに行っても良いのだぞ? そもそもお前たちは────英雄ではないか」
「そういう嫌味な言い方は良くねえな」
声は玉座の後ろから聞こえた。侍従によく似た声であったが、覇気がまるで違う。侍従は眉をひそめ、エマニュエルはほう、と驚きの声を上げる。
「お前がここまで来るとは珍しいな、クレイズ」
壁に寄りかかる姿は侍従と瓜二つだったが、よく見れば僅かな違いが見て取れる。左目は赤く、右目は緑。それは侍従とは対になっている。
「俺たちはあんたの御先祖様と契約してここにいるんだ。約束を破るように見えるか?」
「お前もマシュテアも、破ろうと思えばいつでも約束を反故にできた。今私がここにいるのはお前達がそれを守ってきたからだろう。だがな」
続けられた言葉を聞いてクレイズも侍従もほくそ笑む。饅頭のような風貌が今は、獲物を飲み込んだ後の蛇のように見えた。
*
「相変わらず何も無い部屋だな」
「他人の部屋に勝手に上がり込んで、開口一番にそれか」
家具らしい家具といえばせいぜい寝台くらいしか置いていない、元が広い部屋ということも相まって一人部屋であることを忘れさせてしまいそうな空間。鍵を閉めていた筈なのだが、どこから入り込んだのか若白髪の青年が焼き菓子を齧りながら胡座をかいていた。
「いいじゃんかよラッシュ。俺とお前の仲じゃねえか」
「親しき仲にも礼儀あり、だ。わざわざ鍵開けまでして入ってくるとはな」
「あの程度、俺的には掛けてないのと同じなんだけど?」
「口が減らない奴だ」
「お褒めに預かり光栄だ。で、本題に入ろうか」
「本題?」
「そ、まずは我らが皇帝様に俺らの正体バレちゃった件について」
「そんな素振りは見せなかったが。だがお前が言うのならそうなのだろうな、エドアルド」
「信頼されてるねえ」
若白髪はククッ、と笑みを漏らす。
「俺も皇帝様の真意を読み取るなんで出来ねえよ。『大うつけの賢帝』とはよく言ったもんだ。今回だって、何を考えてるのか皆目検討もつかねえ。とりあえず今わかるのは、俺らの活動に対して知らんぷりを決め込むだろうってことだけだ」
「ならば何故英雄を囲っている」
「あれはもう何百年とこの国に仕えているらしい。賢帝様の意志とはあんまり関係ないってのが俺の見解だ。ま、英雄も使徒も両方囲ってるから、中立を決め込むんじゃねえかな。これは俺が陛下の立場だったらそうするってだけだが」
「なるほど。捻くれている」
「地味に傷つくな、その台詞。まあこれについては現状どうしようもない。で、話はもう一つある」
「ふむ、何の話だ」
「協力者だ。底無しの魔法の天才で、宮廷でもトップクラスの賢者。それでいて、名前はあんまり知られてない。何よりも若い、有望株だ」
つらつらと楽しそうに話すエドアルドとは対照的に、ラッシュの表情は暗い。
「そんな都合のいい輩が居るのか」
「おいおい相棒の言葉を疑うのか? ま、あからさまに怪しい完璧超人だわな」
「信じろと言っておいて自分で怪しいと言うか」
「客観的意見だよ。心配しなくても完璧な存在なんてない。たとえ神だろうとな。そいつだって例外じゃない。例えば」
「例えば?」
「破滅思想家だ」
「それは完璧でないな」
「だろ?」
そういう二人の顔は実に楽しそうだ。
「だが、そういった方が好感が持てる」
「俺も同意見だ。さて、そうと決まれば早速顔合わせと行こうか。この時間なら王立図書館で本を読んでいる」
「会う前にそいつの名だけ聞いておこう」
「ああ、それを忘れてたな」
エドアルドは指を子供っぽく口に当て、とてもとても小さな声で呟いた。
「ジーク・ファーヴニル。勇者と化け物の両方の名を持った奴だ」
その時、図書館の片隅で本を読んでいた少年が笑ったのを二人は知る由もなかった。