英雄だって人の子だ
雲一つ無い快晴の空を鳥たちが囀り飛び回る中、綺麗に整頓された部屋に朝日が差し込む。急な明るさに顔が少し歪み、ゆっくりと彼は目を開けた。
「もう朝か」
ティエルが英雄と名乗る集団の中で過ごすようになってからおおよそ二十の日が流れた。初めは互いに警戒するような遠い間合いだった関係も少し和らぎ、最近はある程度打ち解けられるようにもなってきた。
ティエルが身支度を整えて部屋を出ると、先程よりも埃っぽい廊下が続いている。踏む度に耳障りな鳴き声をあげる床を労るように静かに歩を進め、広間に出ると、鍋を火にかけている姿が目に映った。
「おっ、起きたか」
「もう少し寝てようかとも思ったんだけどね。トランに叩き起されるのだけはもう勘弁だったから」
彼らの要望により、ティエルは彼らのことを一人の例外を除いてそのままの名前で呼ぶ。曰く、名前を呼び合う方が仲間としての連帯感が高まるらしい。トランの横に並ぶようにして鍋の中身を覗き見る。
「何が入ってるの?」
「今朝ヤトが狩ってきた猪とそこら辺の草」
「うわあ、食べられる草だよね?」
「お前は俺をなんだと思ってるんだ」
「いやまあ、その」
ティエルは言葉を濁して曖昧に笑うことしかできない。七日前、俺が新しい料理を作ってやると意気込んで、知らずに入れた毒草入りの料理で他の全員に大きなダメージを与えたことはとうに忘れたらしい。といっても、主に肉体的なダメージを受けたのはティエルだけで、他の仲間たちはは精神的なダメージの方が強かったようだが。
良くも悪くも、トラン・ルートレックというのは細かいことを気にしない男なのだ。
「ああ、ヘキサが起きたら自分のとこに来いってさ」
「ん、わかった」
トランの言葉に返事をして、出口に向かう。扉の近くに掛けてある薄手の上着を着て、外への扉を開けると、今の暖かい季節に相応しい色とりどりの花が咲いているのが見えた。その奥に頂上の雲に隠れた山々も点在している。英雄たちの隠れ家は山脈の中腹にあった。厳しい山道を越える物好きにすら知られてはいない、辿り着くことのできない秘境に彼らの里はある。それでも常に一箇所に留まり続けるのは居場所を特定される危険があるため、定期的に居所を変えなければならないのだという。
ヘキサは今は書庫に居るだろう。そう思い右手に見える木屋へ向かう。はたして彼女はそこに居た。簡素な机の上、見るからに難解な書物を並べて羊皮紙に何かを書き写している。扉を開けた音に気付いたのか、ティエルが声を掛ける前にヘキサは顔をあげた。
この二十日間、毎日のようにティエルは魔法を学んでいる。ヘキサの都合もあるため、学ぶ時間はまちまちだが、それでもティエルは驚くべき速さで魔法を理解していた。
「今日もいつもと同じでいいかな?」
「そうだね。ティエルが考えた使い方だから、私はそれの手伝いをするだけだよ」
魔法は極めれば文字通り世界を滅ぼせるとも言われている。火山を噴火させ、大地を割り、高波を起こす。それだけの潜在能力を秘めた魔法を、ティエルは至って単純な使い方をしようとしていた。もちろん、使い方が単純だからといって行使するのが簡単なわけではない。
「あと、サーリャに頼んでたアレも出来上がったって」
「そっか、後で取りに行かないと」
取り留めもない会話をしながら、広げた紙に魔法陣を書き上げる。二重の円を書き、その中に一筆書きで星を描く。そして、奇妙な文字を円の間に書き連ねる。
「全ての形に意味があることを忘れちゃダメだよ」
魔法を使うとき、一番必要なのは想像力だ。周りに浮遊しているマナをかき集めるイメージ。自分の望む結果を強く強く思い浮かべることがより強い魔法を生む。魔法陣はその補助のようなもので、庶民が魔法を扱えない理由もここにある。二重の円は魔法の範囲、星の線は発動のためのきっかけ。そして魔導言語と呼ばれる難解な文字群が魔法の中身を表す。正確には火を起こす、水を生み出す、といったような言葉を書きつけることで引き起こされる現象より鮮明にするのだ。
だが、通常の言語ですら、識字率は半分を切る。そんな世でさらにもう一つの言語を覚えられる余裕のあるものはそうは居ない。ティエルも、魔導言語の存在は知っていたが、扱えるようになったのはこの二十日間になってからだ。
「よし・・・・・・」
書き終えた魔法陣の上に以前拾い集めた小石を乗せる。ティエルは深く目を閉じる。思い出すのは振り下ろされる戦斧の、その速さ。
パァン、と乾いた音を立てて小石が砕けた。ティエルは目を開けて大きく息を吐く。
「もうそこまでできるようになったんだ。でも、目を瞑ってちゃ実戦で使えないよ?」
「・・・・・・善処します」
もう一度小石を置き、今度は石を睨んだまま、それが砕ける様を想像する。しかし、ひびが入り、二つには割れるものの、先程のように粉々にはならない。
「駄目かぁ」
そう思った矢先、石が細かい粒に分かれ、風に吹かれ消えた。驚いてティエルが振り返ると、黒一色の暖かさを通り越して暑さすら感じさせる服装の男がそこに立っていた。
「なんだ、ヤトか。おどかさないでよ」
「この程度で驚くのでは魔法を使うのはまだ早い」
開口一番辛辣な言葉が飛び出るが、ニヤリと吊り上げられた口角から、ティエルをからかっているのだと分かる。
「朝餉だ」
「あれ、今日の当番って誰だっけ?」
「トランが鍋煮込んでたよ」
「えっ」
ヘキサの顔が見る見るうちに青くなる。よほど一週間前の毒入り料理が堪えたらしい。ヤトも諦めたように首を振る。
「止められなかった」
「ま、まあ前回ほどひどいとは限らないし」
「・・・・・・嫌な予感しかしないんだけどなあ」
それでも朝食を抜くという考えはないのか、ヘキサは眼鏡を外し、閉じた本の上に置く。
「何読んでたの?」
「ちょっと最近の魔法理論をね」
「魔法陣をどれだけ簡略化できるか、という奴か」
「そそ」
軽い身支度を終えたヘキサはドアを開け、高原の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ちょっと覚悟決めないとなあ」
嫌に日常的な覚悟だった。
*
いつも自分の都合を優先する面子が珍しく一同に会しているというのに、そこに会話はなく、気まずい沈黙だけが流れている。誰もが料理の不味さを耐えるのに必死で、口を開く余裕がないのだ。毒草こそは入っていなかったが、代わりに壊滅的なまでにまずい。もしかすると、前回の毒入りの方がマシだったのではないかと、血迷った考えがティエルの頭に浮かぶ。
カラン。空になった皿を机に置き、額に青筋を浮かべたトーキがひどく押し殺した声でトランに言う。
「お前、もう飯作るな」
「待て、これは俺がまだ料理になれてないからなんだ。俺だって料理に慣れれば・・・・・・」
「お前が慣れるのにあと何十年かかるのだろうな」
「そんな悲しいこというんじゃねえよヤト!」
「正直な感想を述べただけだ」
顔色一つ変えてはいないが、おそらく相当怒っているのだろう。目が笑っていないせいで、元々の仏頂面がさらに凶悪なものに変貌している。トランも分が悪いと悟ったのか、それともヤトの眼光に押されたのかそれ以上は反論しなかった。代わりにまだ平らげている最中の灰色の髪の男に呼び掛ける。
「フェン、フェンは俺の事かばってくれるよな」
「トラン、料理マズイ。トランの料理、やだ」
「そ、そんなぁ」
余りにも率直な物言いにトランはがっくりと肩を落とした。思ったことを素直に言ってしまうフェンに同意を求めるなどどう考えても、相手を間違えている。うなだれた背中からは哀愁が漂い、心なしか真っ白な灰のようにも見えた。
励ましの言葉でもかけようかと思ったが、周りから何も言うなというプレッシャーを感じ、口を閉じた。下手に慰めれば調子に乗るのはわかりきっているし、何よりかける言葉も思いつかない。ティエルは諦めて目の前の料理の成れの果てを処理する作業に戻った。
*
「おせーぞティエル」
「ごめんごめん」
あまりの熱気に眉を顰める。火炉からはぼうぼうと煙が立ち込めていて、心なしか息苦しさを感じる。
「でも、早かったね」
「あたぼうよ。鍛冶部生まれを馬鹿にすんじゃねーっての」
火炉の前に座っている袖無しの服を着た女性がゲラゲラと笑う。
「伊達に片眼は潰してねーんだよ」
彼女────サーリャには右目が無い。それは鍛冶としての職業病だと彼女は言うが、英雄が職業病にかかるのかとティエルは不思議に思っていた。英雄は魔法とは違う特殊な能力を持っているが、それ以前に、身体的能力において人間とは比べ物にならないほどの力を持っている。だから病気にかかるなんてことはまず無いし、人間なら危険な状況でも平然としている。鍛冶は片目を瞑ること、煤煙を眼に浴びることが多く、そのため片目を無くすものも確かに多い。だが、英雄にもそれが通用するのかと言われると、妙な違和感がしこりになって残ってしまうのだ。
サーリャが手に持っていた何かをいきなりティエルに投げつけた。咄嗟に反応して掴むも、手の平に衝撃が響く。
「人の事すぐ疑る癖、治した方がいーぜ」
「だったら隠し事を無くしてから言ってよ。未だに本名も教えてもらえてないじゃないか」
「それはそれ。アタシが自分の名前が嫌いだからってことくらいは知ってるだろ?」
サーリャというのは本当の名前を嫌った彼女が渾名として名乗っているもので、本当の名前をもじって付けたものらしい。聞いても無駄だということは最初から悟っていた。
「ああそう、今投げたのが頼まれてた奴な」
「え!?」
掴んだ鉄製の何かを見る、円柱が途中で二股に裂けたような形状は、確かにティエルの頼んだ物だった。
「だったら投げないでよ」
「ちょうどいいとこにあったそれが悪い」
「ひどい言い草だ」
「で、それがそんなに役に立つのか?」
「使えるかどうかは使ってみないとわからない。ただ、試す価値はあると思う」
サーリャは自分の作った道具が何に使われるのか知らない。彼女にとっては鉄を打てればそれでいいのだ。ティエルが説明しようとした時も、必要ないと言って聞く耳を持たなかった。
「ま、お前のやってる修行で予想つくか。見てくれまんま投石機だし」
「ご名答」
「簡単すぎるぜ」
「捻る必要もないからね」
石を飛ばす。ティエルが目指しているのは今はただそれだけだった。二股に分かれている部分にゴム紐を張り、小石を弾性の力で放つ。しかし、ゴムの伸縮性は弱く、過去にも何度か兵器化しようという試みがなされたが、実践に耐えうる物は生まれず、子供の遊び道具として扱われることが多かった。ティエルはそこに魔法によって外部から力を加えることで威力を出せないかと考えていた。そのため、反動に耐えることのできる投石機の制作を頼んだのだ。
「ところで」
サーリャが窓の外を見て声を上げる。
「アディーネを見なかった?」
「いや、見てないけど」
それを聞いてサーリャがしばらく考え込む。
「ふむ、またお誘いか」
「違うでしょ」
「こうなったら迎えに行ってやらないとな」
ティエルの冷静なツッコミなど聞こえていないようで、サーリャは「待ってろよアディーネ!」と叫びながら工房を飛び出していった。それを見送ったティエルは大きくため息をつきながら右手を意味有りげに上げる。すると、恐る恐るといった調子で青い髪の少女が工房に入ってくる。
「・・・・・・サーリャ、もう行った?」
「たぶんね」
それを聞くとアディーネは安堵の息を漏らす。
サーリャが同性のアディーネに首ったけになっていることは仲間なら誰もが知っている事実だが、当の彼女はサーリャの重すぎる愛が少々苦手なようで、よくこうやって逃げようとしている。
「えっと、じゃあ俺は行くよ」
「う、うん。ありがと」
遠くからは「アディイイイネエェェェェ!」と叫ぶ声が谺していた。
*
ティエルの部屋のある小屋が半壊していた。よくよく確認すると、自分の部屋は無事みたいだが、朝にトランが地獄鍋を煮込んでいた居間が粉々になっている。その中心に居るのはもはや見飽きた二人の姿。
トランとトーキの喧嘩を眺めている少女に近付き、横に立って二人の行く末を眺める。
「ルシュナ、今回の理由は?」
「・・・・・・いつもの」
無表情に喧嘩を眺めていた少女は澄んだ囁き声で端的に返す。いつもの、ということはまたトーキがトランをからかったのだろう。三日に一度くらいの頻度でこの二人は喧嘩をする。それは仲が良いからなのか、はたまた悪いからなのか、それは分からないが少なくとも何年もの間、飽きもせずに繰り返されていることだけはわかっている。
そして大抵はトランが勝つことも。
「終わった」
今回もトランの勝ちのようで、ガッツポーズをしているのが見える。トーキの方はぐったりと倒れて動く様子はないが、どうせもう数十分もすればけろりとしているだろう。ティエルは呆れ顔で息を吐く。
「よー、どうよ今回も俺様の見事な勝ちっぷり!」
何故か誇らしげなトランを無視してルシュナは蹲っているトーキへ駆け寄る。
「大丈夫?」
「・・・・・・しばらくしたら復活する」
思い切り無視されたトランは不服そうに鼻を鳴らす。
「かーっ、これだから女持ちってのはいけ好かねえ。ティエルもそう思うだろ?」
「それはどうでもいいですけど。小屋、直してくださいね」
「あ? トーキにやらせろそんなもん」
「しばらく復活できないようですので」
また不服そうに鼻を鳴らす。まるで興奮した獣のようだ。
「つーかさ、なんで敬語なの?」
「決まってるじゃないか。面白いからだよ」
「・・・・・・最近可愛くないのを通り越して嫌な奴に思えてきたぜ」
「最高の褒め言葉だね」
「褒めてねえっつーの」
トランはもの言いたげな目で見ていたが、ティエルの顔に何か文字でも書いてあったのか急に「あっ」と声を上げて、自身を叱るように頭を叩いた。
「ティエルに言い忘れてたことがあったわ」
「えっ、なにそれ。重要なこと」
「重要なこと。えーとだな、その」
言いにくそうに言葉を濁す。
「明日ここを出るぞ」
「・・・・・・はい?」
突然の宣告に思考が停止する。
「ちょっ聞いてないよそんなの!」
「だから言い忘れてたって言っただろ。いやートランさんうっかり屋さん」
「うっかりって問題じゃないよ! ていうか皆準備してなかったけど?」
「おおう、あいつらにはこれから言いに行くところだ。荷造りは数時間で済むからな。まあお前には先に伝えとくかと思ってたんだが、すっかり忘れてたわ」
あまりにもあっけらかんと言い放つトランに、ティエルは何も言うことができなかった。がっくりとうなだれ、彼は改めて思う。
やはりトラン・ルートレックは細かいことを気にしない男なのだと。
無理矢理英雄サイド全員を出そうとしたらこの体たらく。更新速度遅いですか?はい遅いですね。
できればもう少し頻度をあげたいんですが、こればっかりはどうしようもないです。