彼らは英雄か
目が覚めると辺りは薄暗かった。窓は布で覆われていて、体を起こした先にぼんやりと浮かぶランプの灯り以外何も見えない。体が拘束されているわけではなかったのだが、ティエルは自分の居る寝台から動こうとしなかった。動転している心を落ち着かせる必要があったからだ。気を失う前の出来事を思い出し、改めて彼は疑問を持つ。
「英雄とはいったいなんだ」
それは神に等しき存在。人々からは崇められ、神々──もし実在するとしたらの話だが──からは祝福される、人でありながら人を外れた存在。
「そんなご大層なもんじゃねえさ」
いつの間にか隣に座っていた青年がそう吐き捨てた。ティエルは突然現れた男に身じろぎするが、すぐに平静を取り戻す。トランはそんな彼の様子には興味がないのか、一際大きなため息を着いて背もたれに寄りかかった。
「俺たちゃ英雄なんて呼ばれちゃいるが、世界を救うなんて志があるわけでもねえし、そもそも人に好かれてもいねえんだよ」
「・・・・・・だったら、貴方達は何者なんですか?」
「罪人だよ。それこそ嫌われて当たり前の酷く汚れた大罪人さ」
ティエルはそれ以上彼に何かを尋ねることはなかった。青年も目を瞑ったままその場から動こうとしない。聞きたいこと、話したいことは数え切れないほどある筈なのに、何故かそれを口に出す気はなかった。呼吸もしづらくなり始め、沈黙が重くのしかかる頃になってようやく、トランが口を開く。
「冷静なのな。普通なら暴れたりなんなりするもんだと思うけど」
「暴れたら逃げられますか?」
「客観的に無理だと思う」
「同意見です」
「可愛くねーの。お前くらいの歳ならもうちょい自分を過信しててもいいだろうに。俺の右腕がー! とかさ」
わざわざ右腕を押さえるジェスチャーまで見せてくる。
「そこまで子供にはなれませんよ。そもそもそれって色々こじらせた痛い子じゃないですか」
「・・・・・・ほんっと可愛くねー」
「可愛さを見られたいわけじゃないので」
チッ、と舌打ちをしてトランは立ち上がる。ランプの火が微かに揺れた。ティエルがランプに目を向けると、そこに誰かが居ることに気付いた。
「お前じゃ口で勝てないんだから無理すんなよ」
異国の服を身にまとった青年が、からかいながら近付いてくる。
「うっせえ戦うことしか頭にないバトルジャンキーが」
「戦闘狂とかお前にだけは言われたくないな」
トランは、離れかけた椅子にもう一度もたれかかり、戦闘狂と揶揄された青年もトランとはまた別の椅子に座る。寝台から体を起こした少年と椅子に座った二人の青年。どことなくシュールな雰囲気の中、ティエルが口を開いた。
「それで貴方がたは、いったいどういう存在なんですか。俺をどうするつもりなんですか?」
「どうするつもり、と聞かれちまったか」
トランが困ったように頭を掻いた「本当は理由なんてないようなもんなんだよな」
「ならなんで俺をここに?」
「うーん・・・・・・トーキ、説明任した」
「勝手に押し付けるなよ・・・・・・」
トーキは嫌そうな顔を隠そうともしなかったが、トランはそんなことは何処吹く風と、わざとらしい口笛を吹く。観念したのか、トーキは静かに口を開いた。
「かつて、人間と神が戦争していた時代。六柱居た神のその一柱が人間側に裏切り、神への対抗策として作り出したのが俺たちだ。戦争の顛末は多少なりとも知っているだろう? 戦争に敗れた神々は俺達を恨み、殺そうとしたが、とうとう討ち滅ぼす事はできなかった。だから俺達を人間的に殺そうとしたんだ。ようするに、存在を無かった事にしたわけだ」
「存在・・・・・・だから」
「俺達は一般人には知られていないし、知られることもない」
トーキの言葉には何の感情も篭っていない。そのことに対して本当に何も思っていないのだと分かった。
ここまで聞けばティエルはなぜ自分が襲われたのか、なぜ自分が彼らに連れられてここに居るのか理解できた。トーキもティエルの様子から察したのか、それともただ単にこれ以上話すつもりがないのか口を開こうとはしない。
その代わりとばかりに口を開いたのは説明を相方に押し付けてじっと聞いていたトランだった。
「さて、ティエル・ローレンス君よ。今お前には二つの選択肢がある。一つは、この出来事を全て忘れて、顔も名前も捨てて別人として生きる道。もう一つは、俺達に着いてきて英雄の卵になる道だ」
「・・・・・・別人になったところで、あれは襲ってくるんでしょう?」
「知らん。そうかもしれないしそうじゃないかもしれない」
ティエルは俯いた。まだ十とそこらしか生きていない少年には重すぎる判断だっただろうかとトランが顔をのぞき込む。
「まあ急いで決めることもねえさ・・・・・・おっと?」
トランが思わず声を上げる。ティエルは笑っていた。どうしようもない未知への恐怖があって然るべきなのだが、そんなことよりも新しい知識、それも世界中のほとんどの学者が知らないようなものを知ることができる今の状況に狂った少年は歓喜していた。
「なんつーか、随分楽しそうじゃねえか。聞かれるまでもないってか」
半ば呆れたように呟くと、彼は立ち上がり、窓を覆っていた布を取り払う。東から朝日が差し込み、今まで暗く無機質だった部屋を照らし出した。そこにはティエルの家から持ち出したのだろう、彼愛用のペンや羊皮紙、そして英雄について書かれたあの一冊の本があった。
「時間もなかったし、机の上のもんしか持ち出せなかったってよ。それ以外は残念ながら灰になっちまったらしい。ヘキサに感謝しとけよ?」
「ヘキサ?」
「君が硫酸を投げつけた相手だ。彼女の言い方も悪かったが、女の子に硫酸なんて投げつけるもんじゃない。肩がひりひりするって嘆いてたぞ」
「うっ、それは鎧来てましたし大丈夫かなと」
あの時は気が高ぶっていて反射的に投げたとは言えず言葉に詰まる。トランがそんなティエルの挙動不審な姿を見て、その時の様子を見ていて思い出したのか、けらけら笑った。
「ったくあいつもなんであんな鎧なんか着ていったんだろうな」
おかしな点を指摘してさらに笑うトランに、トーキがまた相方とは違うタイプの笑みを浮かべて小さく呟いた。
「おや、お前が助言していたと記憶しているが?」
「・・・・・・・・・・・・」
笑いが凍りつく。
「あれあれー、『鎧来て威圧すりゃあイチコロだイチコロ!』とか言ってたのはどこの誰だっけかなー?」
ここぞとばかりに反撃に出るトーキにトランは何も言い返せず、見る見る顔が赤くなっていく。
「表でろゴルァ!」
トーキの襟首に掴みかかり、すぐに英雄二人の喧嘩が始まる。じゃれあうみたいに殴りあっている二人を見て思わず「子供?」と失礼な感想が漏れる。
「あの二人は昔から一緒だからね」
「にしても随分と程度が低くないですか?」
「・・・・・・結構、さらっとひどいこと言うね」
「だって、え、あれ?」
いつのまにかティエルの隣に少女が座っていた。聞き覚えのある声だったからすぐには気付かなかったが、さっきまではここには居なかったはずだ。
「どうしたの?」
「あなた、さっきまで居ませんでしたよね?」
「私、トーキと一緒に入ってきたんだけど」
「でもさっきまで」
「それはね・・・・・・こういうこと」
後半の言葉は背後から聞こえた。隣に居たはずの少女の姿はなく、ティエルが振り返ると寝台の縁に顎を乗せるようにして少女が立っている。
「魔法かなにかですか?」
瞬きをした覚えはないし、そもそも一瞬で辿りつける場所ではない。そういえばトランも似たようなことをしていたような気がする。
「んー、まあ魔法みたいなものかな。トランのとはだいぶ違うけれど。私のはね、人の認識を少しいじる能力なんだ」
「能力?」
「そ。私達英雄は生まれながらにして特別な加護、いや呪いを持ってるの」
「呪いというには役に立つ気がしますが」
「役には立つよ。でもこれのせいで生からも死からも遠ざかってるからね。そういう意味ではちょっと嫌いかな」
少女は物憂げに目を瞑る。短い沈黙が流れた。
「あはは、ちょっと暗い話になっちゃったね。あの二人はまだ喧嘩してるし、少し話を変えようか」
少女はちらりとティエルの背後を覗くと、困ったように頬を掻いた。その視線の先ではトランがトーキに馬乗りになって殴りかかろうとし、トーキがそれを両の手で受け流すという曲芸じみたことをやっている。
「ヘキサさんでよろしいんですよね?」
「そうだよ。そういえば名乗ってなかったね。私はヘキサ・ロギンズ。それで、何か聞きたいことでもあるのかな?」
「ヘキサさんは魔法を使えますか?」
「使えるけど」
「よかったら俺に教えてくれませんか?」
自然界に散らばる神の御力を収束させて本来その場では起こり得ない自然現象を起こす技術。それが魔法。一朝一夕で身につくものではなく、技術は大きな都市の学院でしか学べないため、魔法を行使できるのは貴族や役人のような高い地位の人間ばかりである。ティエルは独学で火を付ける程度の魔法は習得していたが、正しい修行をしている魔術師には遥かに及ばない。
「それはいいけど・・・・・・難しいよ?」
「せっかく学べる機会があるんですから、挑戦くらいしてみたいですよ」
「そいつはいい。何事も挑戦だ」
喧嘩が終わったらしいトーキは肩で息をしている。一方のトランは鳩尾を強打されたのか、腹を抱えておよそこの世のものとは思えない奇妙な呻き声をあげていた。
「珍しい、トーキが勝つなんて」
「今のところ負け続きだったからな。でも総合だと俺の方が勝ち数多い」
「あれ、そうだっけ」
「そうだよ。と、あの馬鹿のことは今はどうでもいい」
深呼吸をして息を整える。その目はティエルに向けられている。
「言葉ってのは大事だ。お前が俺らと行動を共にしたいのか、はっきりと答えてもらわないとな。どうだ? 来るか、来ないか」
それは最後通告だった。引き返すならここまでで、先を行けば後戻りすることはできないと、彼はそう言っているのだ。だが、少年は言を食むことはなかった。
「俺を連れていってください」
今回は会話を中心に少し世界背景を、のつもりでしたがくどくてわかりにくいものになってしまいました。精進せねばなりませんね。