第六話「子供の新しい遊び方」
「もうすぐだな」
いつものように安全運転をしながら、野口が呟く。
「ああ」
荒木がそれに答える。
この坂を上りきったところに、三野川市松神町がある。
二人はその町に住む得意先に向かっていた。
いろいろあってあまり気乗りのする仕事ではないが、仕事だ。
いたしかたがない。
そのうちに車は坂の頂上にさしかかった。
その途端、野口は急ブレーキをかけた。
野口が急ブレーキをかけたのは、全くの自己防衛本能に他ならない。
もしかしたら野口はあっけにとられたままで、ブレーキを踏むのが遅れていたかもしれないのである。
そしてあまりのことに二人は前方をみつめたまま、声も出なかった。
あいた口はふさがらず、体は石仏のように固まってしまっている。
とにかく彼らはびっくりしていた。
ものすごくびっくりしていた。
とてつもなくびっくりしていた。
いや、マジに、冗談抜きで。
嘘、大げさ、まぎわらしい、なんてことなく、正味の話。
それほどまでに信じられない光景が、目の前に広がっていたのだ。
そこに町はなかったのである。
本来なら松神町に通ずる道は、坂を下り始めてからすぐのところで、突然垂直な崖になっていた。
車はその崖からわずか一メートル足らずのところで止まっていた。
崖の深さは計り知れず、底は全く見えなかった。
そしてその崖は松神町のあったあたりを、ぐるりと円形に囲んでいた。
つまりとんでもなく巨大な穴が突如として出現していたのである。
松神町はこの世から完全に消滅していた。
同じ日のことである。
松神町と同じ三野川市にあるとある町の、平々凡々で完全無欠な一般市民の住むとある家でのことである。
この家の主であるところの石川進一郎が、眠い目をこすりながら寝室のある二階から一階の居間におりて行くと、居間でこの家のバカ息子の康明(四歳)が、ハサミで何かを切って遊んでいた。
見ればそれは、折りたたみ式の三野川市の地図である。
「康明、おまえ何やってんだ。そんなもので遊んじゃいかんぞ」
進一郎は息子から広げられた地図を取り上げた。
地図は右上にある松神町のあたりが丸く切り取られていた。
「でもとうちゃん、たった今、面白い遊びを見つけたところなんだよ。それ返してよ」
そう言って康明は地図を取り返すと、今度は地図の左上のあたりを丸く切り取った。
石川親子の住む町からすぐ北にあたるところである。
そしてそれをまるめて両手でつかんだ。
「消えちゃえ!」
康明は掛け声とともに、その地図の切れ端を上に放り投げた。
するとその切れ端は、空中でパッと消えた。
進一郎はとっても驚いた。
――うちのバカ息子、いつの間にこんな手品覚えたんだ。
進一郎は自分の息子であるところの康明を、まじまじと見つめた。
「……康明、父ちゃん本当にびっくりしたぞ。でもその地図それ以上切り取られると父ちゃん困るから、かわりにそこにある新聞でも切って遊びなさい」
康明は大きくかぶりをふった。
「でもとうちゃん、地図じゃないとできないんだよ」
確かにそこには、新聞を丸くきったものが消えることなく残っている。
バカと生まれ付いてはや四年。
さすがやることが違う。
将来が楽しみだ。
しかしこれ以上の狼藉は、我が家の危機である。
とりあえず止めとかないと。
進一郎は困って、とにかく他に何か代わりになるものを探した。
すると壁に貼ってある古びた一枚の小さな世界地図が目に入った。
ずいぶん前に壁のシミ隠しの為だけに、その上に貼り付けたものだ。
進一郎はそれをひっぱがして、息子に渡した。
「これならいいぞ、康明。どうせそのうち捨てようと思っていたところだったんだから」
康明はしばらくその地図を食い入るようにながめていたが、突然それをくしゃくしゃに丸めた。
「こんな地図、面白くもなんともないや。消えちゃえ!」
そう言うと、丸めた世界地図を両手で空中に放り投げた。
終