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第十二話「明日」

朝起きたら、私は生まれかわっていた。


とは言っても、カミュの小説にあったように、朝起きたら芋虫になっていた、とかいうものではない。


それほどまでに劇的な変化とは違う。


朝起きた時点では、自分の変化にまるで気がついていなかったのだから。





最初に、おやっ、と思ったのは、その日の昼、新宿を歩いていた時のことだった。


私の会社は新宿のすぐそばにあり、そして新宿に入ってすぐのところにおいしいランチのお店があるのだ。


私は入社して間がない頃から、お昼はいつもそこで食べていた。


新宿はいつものように人の群れ、毎日が民族の大移動なのだが、そのうちの一人、私から少し離れて前方を歩いていた中年男性の上に、それを見たのだ。


まるでペンキで書きなぐったかのように荒々しく、目に痛いほどの毒々しい赤色の×印が。


高さ幅ともに一メートル近くはあろうかという大きな×印が、男性の頭のすぐ上のところにあったのだ。


その×印は、男性の身体の一部でもあるかのように、頭上すぐ上の位置から常に離れることなく、男性の動きに同調していた。


――なんなの、あれは?


なんなのかはわからない。


そしてまわりの人たちは、それになにも反応していなかった。


どうやら見えているのは、私だけのようだ。


――疲れているのかしら?


しかしその×印は、疲れている、とか、気の迷い、とかのレベルではありえないほどに、はっきりと見えているのだ。


それも私だけに。





それから時折、その×印を見るようになった。


たいていは×印がついているのは一人だが、二人同時に見たこともあった。


仲むつまじい若いカップルで、その二人の上に、同じく仲良く×印があった。


その後もその印を何度か見かけたが、その×印がなにを意味するのか、何故わたしにだけに見えるのかは、不明なままだった。


だが少なくともその×印の意味だけは、わかるようになった。数ヵ月後のことだ。





祖母が突然倒れた。原因は脳梗塞。


最初は、なんだかの障害が残ることはまぬがれないが、命には別状ない、との診断だった。


私も父も母も交代で祖母を見舞いに行っていたが、会社の近くに一人住まいしている私よりも、病院の近くに住んでいる父と母が中心ではあったが。


ほぼ一週間おきに見る祖母は、いつもほとんど意識のない状態だ。


――ほんとに、これで回復するのかしら?


祖母を見るたびに、いつもそう思っていた。





そんなある日、ベットで死人のように横たわる祖母の頭の上に、あの×印を見たのだ。


病室という閉ざされた空間で見るそれは、いつもよりも大きく、よりけばけばしく見えた。


おまけに動かない祖母のうえにあるそれは、同じく微動だにせずに、まるで強い意志を持って祖母に取り付いているかのように、私には感じられたものだった。


私はなにも言わずに、じっとそれを見つめていた。


私はずいぶん長い間、それを見ていたようだ。


いつものように、簡単に身の回りの世話をすると、すぐ帰ったつもりだったのだが、アパートについた時間が、驚くほどいつもよりも遅くなっていた。





その翌日に、祖母が死んだ。





祖母の死をきっかけに、あの×印は、これからその人が死ぬと言う印なのではないか、と考えるようになった。


それくらいしか、どう考えても思いつかない。


ただその時には、揺るぎのない確信があったわけではないのだが、揺るぎのない確信ができるまでに、そう時間はかからなかった。





ある日、会社に行き、いつものように入り口のドアを開けると、それはあった。


部屋の一番奥、デスクにふんぞり返っている脂ぎった支店長の頭の上に、赤い×印が浮いていたのだ。


「おい、いったいなにを見ている?」


自分の頭のすぐ上を食い入るように見ている私に、支店長が怪訝そうな顔で声をかけた。


「……いえ、なんでもないです」


怪訝そうな顔のままの支店長を無視して、私は自分のデスクに座った。


一瞬、なにか言おうと思ったが、いったいなにを言えばいいのだろう?


「支店長、あなた、もうすぐ死にますよ」


「あなたの頭の上に、死神の×印がついてます」


なんてことを、今年大学を卒業して、入社して間がない新人OLの私に、言えるわけがない。


いや、たとえベテランOLだったとしても、結果は同じだろう。


赤い×印の存在を、信じさせたり納得させたり、できるわけがないのだ。


その時私が考えていたことは、


――もし支店長が死んだら、新しい支店長は、もっと優しくて、もっと若くて、かっこいい人がいいな。


ということだった。





次の日の朝、支店長は死んだ。


車で出社する途中、センターラインをはみ出した大型トラックと正面衝突したのだ。


トラックの運転手の、居眠り運転による事故だった。


支店長の車は大破し、ついでに支店長の体も大破した。


かけつけた救急隊員の、なんとか命だけは助けようと言う想いが、ひと目で消え去ったほどに。





祖母と支店長。


あの赤い印が見えた二人は、次の日に死んでいる。


あの×印は、その印がついた人が明日死ぬと言う、一種のお告げなのだ。


間違いない。


ただ、何故そんなものが私に見えるのかは、いまだに謎のままなのだが。


ちなみに、死んだ支店長の代わりに来た新しい支店長は、態度と声のでかい、よりいっそう脂ぎった中年男だった。





それからも×印は見続けていた。


さすがに明日死ぬと言う人がそうそういるわけではないので、頻繁に見ていたのではないが、自宅も会社も大都会の中に埋もれているためだろう、数日ごとくらいには見ていた。


ある時などは、三歳くらいの、かわいさをそのまま実体化したような女の子の上に、見たことがあった。


よほど、隣で手を引いて歩いている母親らしき人物に声をかけようかと思ったが、すんでのところで思い留まった。


かけるべき言葉がない。


少し心が痛んだが、どうしようもないのだ。





さらに数ヵ月後には近所の老人、八十歳を越える男性の上に、それを見た。


年齢よりは若く見え、近所の人からは「いつもお元気ですね」と言われていた人ではあるが、次の日に、突然心の臓の病で逝った。


近所の人は口々に「前の日までは、あんなに元気だったのにねえ」と言い合ったものだ。


それだけのことだ。





死ぬ印が見えるようになったからと言って、私の生活に大きな変化はない。


と言うより、まるでなにも変化はない。


前に小さな女の子の上に見たときに感じた胸の痛みも、あれ以来感じなくなっていた。


人間はみんな、どうせ死ぬのだ。


死なない人はいない。


死に方と、死ぬ時期が違うだけなのだ。





ところがある日のことだった。


テレビをつけるとちょうどニュースをやっていた。


そこに流れる映像、アフリカのどこかの国の暴動をとらえた映像なのだが、その映像に登場する人たちみんな、軽く百を超える集団の全員の上に、あの赤い印を見たのだ。


驚く私を尻目に、映像が切り替わった。


今度はアメリカでのなにかのイベントの様子を写したものだ。


そこに集まる数万人の人たちの上にも、例の×印が見えた。


先の映像と同じく、一人残らず全員に。はっきりと、ありありと。


食い入るように見ていた私の目の前で、番組は国内ニュースへと変わった。


次々に切り替わるいくつかのニュースに登場する人たちすべて、一人の例外もなく×印が浮かんでいた。


もちろんそれを伝えるアナウンサーと、見たことのない評論家と称するゲストの上にも、赤い印が貼り付いていた。





それから長い間、深夜とよばれる時間になるまでテレビを見続けたが、印のない人物は一人もいなかった。


ふと思い立ち、アパートを出て近くのコンビニへと向かった。


途中ですれちがった見知らぬ人数人、コンビニにいた見知らぬ人数人、そして店員の上にも、×印ははっきりとその赤を誇示していた。


家に帰り、私は急いで自分自身を姿見に写してみた。


思ったとおりだ。


鏡の中の私の頭上にも、その印が浮かんでいたのだ。


――明日、大勢の人が一度に死ぬんだわ。


そのことが、はっきりとわかった。


だからといって、私に出来ることは、なにもない。


今までと同じだ。


なにをどうあがいたとしても、明日は確実にやってくる。


どうしようもないのだ。


私は寝巻きに着替え、明日会社に遅れないように目覚まし時計をセットすると、ベッドに入り、いつものように「明日がいい一日でありますように」と一言つぶやくと、そのまま眠りについた。



        終

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