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ミッドナイト・ラヴレター

作者: 林野雛子

雛子の単独暴走。林野は関係ありません。

 

 現在午前一時。明日の起床時間は、いつも通り午前四時四十分。縁起の悪そうな数字の並びを思い返し、苦笑いしながら壁掛け時計の針を睨む。睡眠時間は残り三時間四十分。それでも私は眠れない。

 重たい瞼を気力で持ち上げながら、ある話を思い出す。白いカラスの話だ。

 

 ある二人の目の前に、一羽のカラスが止まった。カラスの色は誰がどう見ても真っ黒で、不気味なくらい艶光りしている大きなカラスだった。そしてそのカラスを見て、二人のうちの一人がとんでもないことを言葉にした。

 「あのカラスは白いですね」

 そう問われた相手は一瞬、言葉を失った。しかし数秒も経たないうちに、当たり前のようにその問いに対してゆっくりした口調で返事をする。

 「ええ、本当に。珍しいものです」


 世の中にはこのようなことがあるのだと知ったのは、今の仕事に就いてからだった。

 こんな風に直接カラスの色を問われることではない。上司であり恩師でもある人物によって、このような絶対的に逆らえない状況下に置かれた私は、衝撃的な驚愕と、自分の性格からは信じられないくらいの、ある意味崇拝的な服従という姿勢を知ったのだ。

 自分の意見を思うが儘に通し、目一杯の我見で生きてきた私にとって、誰かに有無を言わず従うことなど、これまで考えたこともなかったし、無論、経験もなかった。

 そんな私が今、その上司の命令で退職願を認めているこの事実。

 一般的にみれば、上司の突然の命令に振り回される哀れな部下とも取れるかもしれないが、私は上司を微塵も恨んでいなかったし、己の身の上を思えば、今までよくぞ側に置いてくれたものだと感謝さえしていた。そのくらい、私は上司を尊敬し、敬服していた。

 しかし、私も人間である。感謝と尊敬の念の裏にひっそりと潜む、己の欲望を見過ごすことが出来ずにいたのも本当だ。

 上司に対しての不満は誓って存在しなかった。ただ、自分という人間は、一体何の為に存在し、何のためにこの先に向かって行くのか、解らなくなってしまった。

 灰色の靄の先にある未来が、実際明るいかなんて、到底想像も出来なかったのだ。

 自分は機械仕掛けなのかと錯覚もした。生身の人間であるのにも関わらず、心だけ失ってしまったような気がしていた。


 自分の名前を書き終えた手が止まる。酷い孤独感と絶望感に苛まれた。

 すっかり滅入ってしまった私は一旦ペンを置き、外の空気を吸おうと静かに玄関へ向かうことに決めて、ゆっくりと腰を上げた。


 こっそり自宅から抜け出た、深夜の空気は心地よい。

 温すぎない風がそよそよと行き交い、私の頬を、髪を、擽る。

 大きく深呼吸をして空を見上げる。都心に近いこの場所は、日中は光化学スモッグの発令がよく出ているが、夜空は意外に澄んでいた。

 煌めく星々は、少しだけ、私を癒してくれる。

 そして、こんな時、嫌でもあのひとのことを想い出してしまう。


 遠く離れた想い人。

 私のことは少しずつ忘れて、毎日愉しく過ごしているのだろうか。

 電話もメールも出来ないくらいお互い多忙になってしまった今日この頃では、近況を知る手段は専ら手書きの手紙のやりとりのみになってしまった。

 いつ返事が戻るかわからないその方法が、私は嫌いではなかった。それが二通出したうち、一通の返信だったとしても、あのひとの性格を思えば、上出来だとさえ思えた。

 それでもやっぱり、そのことが辛くて悲しくて、どうしようもない時があった。

 声が聴きたくとも、肌に触れたくとも、叶わないジレンマに身を焦がしていた。

 真っ暗な部屋で布団に蹲っては涙に暮れる自分を恋する乙女だなどと思えるほど、私はもう少女ではない。情緒不安定の、気違いすれすれのただの馬鹿女だととっくに承知していた。

あのひとなしでは生きていけないとか、そんなことは絶対にない筈なのに、そう思わずにはいられないほど好きで好きで、堪らなかった。自分の中の愛情が深ければ深いほど、どうしたら嫌いになれるかと考え倦ねていた。

 私の中に潜むあのひとの存在だけが、私という人間が存在している実証。

 例えあのひとにとって私がそうでなくとも、それだけが私を支えていたように思えてならなかった。


 星が一段と輝いたのは、目頭が熱くなった所為なのだろうか。

 胸が詰まって、息が吐けなくなる。

 全てにおいて、あやふやな状況に置かれていることに気付いて、不安で不安で堪らなくなる。

 

 好きでも嫌いでも、

 愛していてもそうでなくても、

 どっちでもいいから、はやく私に会いに来て


 届くはずのない願いは、夜空にも融けずに、私の喉元を焼いた。


 退職願いの続きを書こうと、気持ちを切り替えるように家に戻ろうと扉に手を掛けた時、ふと、ポストに目がいった。

 冷たい金属の小さな扉を開くと、取り忘れた郵便物が何通かそこにあった。

 全部ダイレクトメールだと思っていた私は、それらを無造作に掴んだまま、静かに家の中へ戻った。

 部屋に着き、封書を処分しようとひとつひとつ目を通す。ショップのイベント告知、投資信託の案内、次々とくずかごへ放り込んでゆく。

 「あ」

 声が漏れたのは、予想だにしないあのひとからの手紙が、その中に混じっていたからだった。

 ペン立てから急いでペーパーナイフを取り出し、封を切る。一刻も早く、あのひとに触れたい気持ちが、余計に動きを鈍らせた。

 やっとやっとで開いた手紙。内容は、本当に近況報告で、素っ気なさ過ぎて思わず笑みがこぼれた。

 気の利いた台詞など一切無い、あまりに飾らない文章。なのに何故か胸が高鳴った。

 三枚あった便箋を読み進めてゆくと、あっという間に最後の一枚になる。

 その最後の一枚に、私は不覚にも涙を流してしまう。

 

 甘い言葉を囁くことを苦手とするあのひとの、たったひとことの気持ち。

 好きとか嫌いとか、愛しているとかいないとか、やっぱりそんなことは記されてはいなかった。それ でも、ただひとこと、たったひとこと、一行だけ埋められた空白だらけの便箋には、あのひとの想いが詰まっているような気がした。


 はやく、君に会いたい。


 真夜中に届いたあのひとのラブレター。

 それは私を誰よりも幸福にして、呼吸をしている自分の存在を知らしめる。

 甦生した私は、少しだけ光の差した明日へ向けて、再びペンを走らせることにした。















   


久々の投稿!駄文読破感謝致します。

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