7-2
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「お前何言ってるんだ、地球が今どういう状況か分かってるんだろう!?」
「もちろん」
興奮して声を荒げるミルニアを前にしてもルエイユは冷静だった。一度は彼にかつての感情を呼び戻したその声も、もう心までは響かない。ディス・アークに戻ってから幾度も繰り返される問答にも、過去の仲間との再会にもルエイユは眉一つ動かさず受け答えていた。
「いいや、分かってない! 分かってたらそんな考えが浮かぶもんか」
ミルニアは怒鳴り調子で過去の地球と言う惑星についての説明を始める。その星がどれだけ命に満ち溢れていたか。その命が今どうなっているか。それが何を意味するか。
「あの星に行けばそれこそ天文学的な数の"眷属"と戦う事になる。VAが一騎向かったところでヤツ等に肥やしを与えるだけだ!」
「だからこそ、単騎で向かわなければならないんです」
端的な受け答えを繰り返していたルエイユだったが、ここで初めて自ら意見を述べる。尤も、それはジギアスの受け売りであったが。
「ヤツらはリアルタイムで数を増やす。物量で挑めばそれこそいたずらに数を増やすだけです。その為のカルマ、そしてデザイアンサーキュレーターですから」
言いながらルエイユはチラリと背後を見る。視線の先ではアスティルが、カルマの動力炉を開こうとしていた。そこにデザイアンサーキュレーターを組み込むのだ。それが終わるまではさしもの彼でも行動はできない。ミルニアの話に付き合っているのはそういった理由もあった。準備さえ整えば捨て置いても構わないが、余計な邪魔をされる可能性もある。ならば余暇がある内にそれを未然に防げるに越した事はないだろう。とは言え、ミルニアが納得するとも思えないルエイユだが。
「何故それをお前がやる必要がある! お前は人類代表でもなければヒーローでもない、ただの一エスキナ教徒だ。そんな義務はない」
「でも僕には意志がある。あの神体を操る力がある。僕が行く理由はそれで十分です」
ルエイユの声は静かで、しかし強硬な態度は崩れない。互いが互いを見合い、一瞬周囲の機材の音だけが格納庫を支配した。一拍おいて沈黙を破ったのは、ミルニアのため息だ。
「ルエイユ……お前、なんかおかしいぞ? なんでいきなりそんな人が変わってるんだよ、普通じゃない」
「……」
ミルニアの問いかけにルエイユ一瞬黙り込む。そして無言のままミルニアに背を向け、ただ一言だけを残してカルマへと近付いていった。
「……僕にとってはこれが普通になった、それだけの事です」
既に説得の余地なし。それが分かった時点でルエイユには話を続ける理由が無くなったのだ。ミルニアはそれを追いかけ肩を掴もうとするが、振り向きもしないままルエイユにかわされて虚空を薙いだ。よろけるミルニアを尻目に、ルエイユはアスティルへと声をかける。
「取り付けにはまだかかりますか?」
カルマはかなり大がかりに装甲を展開した状態で屹立している。アスティルも忙しなく手を動かしているが、とてもすぐに終わる状況には見えなかった。
「やー、これは少し時間が掛かりんすね」
煤と油まみれになった頭を掻きながらアスティルが振り向く。手に持ったレンチで軽く肩を叩くと、作業台から飛び降りてきた。カツン、という重力の軽さを感じさせる足音が安全靴から打ち鳴らされる。
「動力炉の保護フレームが固定用にぴったりはまっていんす。このままじゃ中にブラックボックスを組み込む事ができんせんから、内部の全パーツを小型化して場所を空けないと」
そう説明しながら、アスティルはカルマの胸付近に目をやった。機械に明るくないルエイユには彼が何をさしているのかは分からなかったが、彼の言う手法をとれば如何ほどの時間が掛かるかは想像に難くない。
「それでは遅すぎる。他に方法はないんですか?」
「そうは言われんしてもねぇ……下手に詰め込んだら起動すらままならなくなりんすよ。カルマはデリケートな神体ですからね」
アスティル曰く、カルマはVAのノウハウが完成する前の神体故に、極端に言えば無駄な回路接続が多い。現在の技術なら省略できる部分もそれが叶わないのだ。それがカルマが大型となった一因であり、強さ以外の理由で現在に至るまで現役を続けてきた由縁である。
「カルマは言わばこれで完成体です。どうしてもブラックボックスが使いたいなら既存の機体か、1からワンオフ機を作るしかありんせんよ」
そこまでを早口気味に言い切ってから「もっとも、それにどれだけのコストと時間が掛かるは分かりんせんがね」とため息混じりに付け足した。
ルエイユは考え込む。ここで慌てる事は愚行だ、それが分かっているから今の彼は存在している。だが、そこに考えて解決する要素が見当たらないのも事実だ。既存の神体ではDドライヴの出力すら活かしきれない。必要なのだ、カルマ、いやそれ以上の神体が。ジギアスにとってはそれがドゥキナだった。ではルエイユにとっては。そこには未だ当てはまる解答はない。
「無限のエネルギー媒体も、期待がなきゃただの箱か」
アスティルが横に置かれていたDサーキュレーターを片手で持ち上げる。大きさは彼が丸々一人入るほどだったが、低重力の中ではさしたる問題ではない。それによって壊れることもないだろうと思い気にしないでいたルエイユだったが、突如何かに気付いたように声を荒げる。
「っ! それから手を離せ!」
アスティルが言葉に反応するのと、Dサーキュレーターから黒い陽炎のような物が立ち上るのは、ほぼ同時だった。数秒の間を置いてその事に気付いたアスティルは慌ててそれを放り投げる。ゆるりと落下していく黒い箱。しかし、その半ばで落下は止まり、代わりに無数のコードが周囲へと伸びる。アスティルは無意識に無線に向かって走っていた。
「こちら格納庫、回収したブラックボックスから未知数のエネルギー発生! 警戒してください、何が起こるか分かりんせん!」
恐怖感、彼を突き動かした物を一言で例えるならそんなものだろう。Dサーキュレーターから滲み出ていたのは紛れもなく黒い思念だ。人からしてみれば恐怖以外の存在ではあり得まい。だが彼の咄嗟の行いは、唯一それを直視できる人間によって阻まれる。
「っ!? 何するんですか、ルエイユ君!?」
「大丈夫ですよ」
アスティルの動きを片手で制すルエイユ。空いた方の手がゆっくりとコードが伸びた先……カルマを指差す。
「おい、見ろ! カルマリーヴァが、取り込まれて行く……!?」
ミルニアがそう呼び掛けた。彼の見る先では、先ほどもモヤが凝縮したような何かがカルマを破壊、いや分解していた。パーツ一つ、ネジ一本に至るまでの徹底的な解体、そして……変質。闇の中であらゆるものがその存在意義すらねじ曲げられて行く。眼前で起こるおおよそ科学的とは思えないその現象を、3人は直視もできないまま目の当たりにし続けた。
「あれは……エネルギーを物質化して、中で何かを精製している!?」
漆黒の存在感を突風のように浴びながら、アスティルが中の様子を伺う。組み上げられる何かを見ながら彼が立てた仮説はそれだった。
「馬鹿な、そんな事できるわけが……」
「生き物は大抵やっていんすよ! 出産は要するに、遺伝子と言う設計図から母体のエネルギーを用いて、肉体と命を精製する事だ。同じ構造を作り出せば、不可能じゃない」
半ば悲鳴のようにミルニアに反論するアスティル。無論、人間はごく僅かな肉体を胎内で成長させて産み出される。それと比べればどれだけのエネルギーを使うことか。ルエイユはこれから造り出されるそれを思い浮かべながら漠然とそんな事を考えていた。黒の近くに置かれていたディスプレイ、そこには確かに映っている。設計図とおぼしき図面、そして美しく描かれた歪な人型が。
「ちょっと待て! もし、お前が言っていることが正しいとしたら……」
「そう、カルマはもう神体でも、増してや機動兵器でもない」
黒の風が、弱まる。全ての行程を終え、役目を終え、悪意がその顕現を失おうとしているのだ。やがて完全に闇が晴れたその向こうに、設計図通りの人型が姿を現す。
シルエットから見えるようになったソレは、一見カルマと大差ない存在に思えた。大型の胴体に肥大した脚部と肩部。両肩に無数の砲門らしき物も変わらず取り付けられている。唯一違うのは腕部だろうか。カルマのそれと比べると明らかに大型化し、ランスの代用としてか3本の鋭い爪が備わっていた。掌には眼球を思わせるオブジェクトもある。また、胸の大瞳を模した型ショットガンは複眼を思わせる形へと姿を変えた。
とは言え、僅かな差異はあれど外見の印象は大きく変わるものではない。それでも一同の中にソレから放たれる異質さを感じない者はいなかった。今までそこにあったモノとは明らかに違う。植物の幹を思わせる色合いとなったソレは、明らかに有機物で構成されていた。無論、行動原理となる意思や本能といった思考の類は持ち合わせておらず、今までと変わらず内部から操縦するモノなのだろう。言うなれば、
「生きたパーツを組み合わせたマシーン……化け物だ」
その存在感に完全に圧倒される二人。ルエイユも最初こそ同じく神体を見つめていたが、ふと自分に何かを呼びかけるような気配を横から感じ取った。先ほどの設計図が映ったディスプレイだ。変わらず映る二次元表記された神体、その上に文字が浮かび上がってくる。彼の知る言語ではない、そもそも実在する言語なのだろうか。だが、不思議と彼には読み取れる気がした。
『貴様に敗北は許されない』
ただの文字であるはずなのに感じる高圧的なニュアンス。冷たく、私欲に塗れながらもなお消える事のなかった世界を救う事を望み続けた感情が単純な羅列から流れ込んでくる。それを目にした瞬間、ルエイユは全てを悟った。歪んではいたけれど、それを受け入れる強さをもてなかったけれど。
「貴方もまた、救世を望む者だった……」
そう呟くと、ルエイユはVAへと近づいていく。危険は考えもしなかった。冷酷なまでの、目的の為に手段を選ばない思考は、ルエイユにも理解できる。その産物が今の自分に危害を加えるはずもない。ならばこれは、間違いなく自分の力になるものだ。
「救世主の誕生ですね」
「「!?」」
ルエイユのふとした一言に、アスティルとミルニアは驚愕の表情を見合わせた。問いかけてくるアスティルの態度はおずおず、という表現がよく似合っている。
「……君はこの化け物を救世主だと?」
「救世主ですよ」
アスティルとは逆に、ルエイユは変わらず恒常的だ。静かな歩調で神体へと近づく姿は、それが彼でなければどれだけ恐怖をやわらげてくれただろうか。アスティルからは既に、何か異質なモノを見る視線しかなかった。
「これはDサーキュレーターによって人々から集められた、救いを求める欲望の顕現。人類の救済だけを目的としたこの神体は、まさしく救世主と呼ぶべきでしょう」
神体へと少しずつ近づくルエイユは、やがてその足元までたどり着く。ドクン、と何かが脈打つ音が聞こえた。もっとも鼓動などと言うにはあまりに大きく、空気すら揺るがす程のものであったが。
「そう、これにもう"邪神"の名は相応しくない。これは既に世界を乱す役割を終え、今や世界を救う存在となった。あえて呼ぶならば救世主を体現した欲望、即ち……」
瞳に光が灯る。完全な覚醒を果たしたソレの起動音は咆哮によく似ていた……。
「……メサイア・デザイア」