6-5
『グ……ッ!?』
通信が開かれたままだったスピーカーからジギアスの呻きが漏れる。低重力の祭壇でドゥキナの神体が浮かび上がった。受け身の様子がない神体に、ルエイユは殴打による追撃を命じる。カルマの拳が、ドゥキナの胸部を正確に捉えた。
『ガァッ!?』
神体が壁と衝突し、振動でジギアスが咳き込む。だがそのいとますら与えず、カルマは更なる高速で迫っていた。すかさずジギアスは回避行動に移ろうとする。しかし、
「無駄だ」
特別軌道を変えた訳でもないカルマの一撃は、出来の悪いブリキ人形のように蠢くドゥキナへと再び突き刺さる。そのまま壁に押し付けて、残った右腕だけでひたすら殴打を繰り返した。
『おのれ、私とドゥキナを愚弄するか!?』
そも、カルマは格闘用ではない。そのか細い腕で、白兵戦のみを用いるルエイユの行動は侮辱以外の何物でもない。無論、それが分かった上であえてルエイユは不得手な白兵戦を選択しているのだが。
「貴方相手なら、適切な戦力だ」
ジギアスのうなり声が響いて来る。彼も承知の上なのだろう、それだけ手を抜かれてなお、手も足もでない現実を。
「それが嫌なら力を見せれば良い、そのためのドゥキナでしょう」
『貴様ァ……!』
拳を受け続けながら、ドゥキナの右腕がギチギチと動く。杖の先端に輝きが走るのが、ルエイユの眼に映った。
『ならば見るが良い!』
ジギアスの叫びで一瞬杖の光が強まり、本日二度目の雷がルエイユを襲う。だが、一瞬早く動いたカルマには当たらない。逆に、僅かに横にずれながらカルマが腕を振るうと、ドゥキナの顔面にめり込んだ。顔の装甲が砕け散り、内部のフレームが露になる。
『くっ……何故だ! 何故動かぬ!? 調整は完璧のはずだ、このような蛮族に遅れをとるなど……』
「それが貴方と僕の違いだ」
壁を支えにドゥキナを起こしながら、ジギアスが叫ぶ。何らかの機材に拳を叩きつけたらしく、鈍い音がスピーカー越しに伝わった。そんな様子を悠然と見下ろしながら、ルエイユは答える。しかし視線の先にあるのはジギアスではない。もっと広く、ドゥキナ全体を見るようだった。
「強い欲望を持ち、欲望を糧としながら、その心は欲望を否定している。自らの欲望すら御せない貴方に、その神体を扱える由などありません」
彼には見えているのだ。ドゥキナの中にある力が。神体を不自由なく動かすに余りある熱量はあるはずなのに、それが神体を巡る事はない。まるで、力自体が利用されるのを拒むように。
『……ふざけるな! 私は純に人類の事を考えている、邪な私欲で戦う貴様らとは違う!!』
ドゥキナがぎこちなく杖を構える。今までのような輝きは見えなかったが、それでもカルマは腕を伸ばし、先端の球体を握り潰した。
「ならばハルコ・オリハラで良かったはずだ。彼女にはそれだけの力があった。なのに貴方は敢えて強さでは劣る自らが戦う道を選んだ、何故だ?」
カルマの右足が振り上げられる。既に歩行の目的を成さない鉄の塊が、今度は杖そのものをひしゃげさせた。そのままブースターが点火され、衝撃でドゥキナが吹き飛ばされる。
「答えは一つ、貴方は望んでいたんだ。自らがインベーダーを破り、世界を見返す事を」
『違ぁうっ!!』
ついに壁が耐えられなくなり、ドゥキナはその破片もろとも祭壇を追いやられた。直後、ドゥキナが初めて動きらしい動きを見せる。宙に浮いたまま前傾の姿勢を取り戻したのだ。ジギアスの怒りが一時的に欲望の代わりとなったのか、それとも神の座を追われた守護神の末路なのか。しかしそれも長くは保たず、直後に右腕が赤光と共に爆散する。カルマは動いていない。それは攻撃を受ける事による被害ではなかった。
「神体を降りるんだ、ジギアス・イェイス。もうその神体は力の内圧に耐えられない、このままでは暴発した欲望がどうなるか分からない、欲望に喰われるぞ」
『ほざくなあぁぁぁぁああああっ!!』
ジギアスの絶叫と、ドゥキナが瞳をギラつかせながら一瞬で間合いに入り込んだのは同時だった。そのあまりの速度に予測できてもルエイユ自体の動きが追いつかず、カルマは一撃を許してしまう。そこから立場が入れ替わったように、塗装が剥がれ怪物の形相となったドゥキナによる打撃の応酬が始まった。
『何が欲望に喰われるだ! 貴様らの力など所詮一過性の物に過ぎん。何かの拍子に満たされれば、たちどころに全てが失われるのだ! 私は力を振るう意思となる! 貴様らを制御し、その力をもって侵略者共を退ける! 喰らうのは私の方だ!!』
「その意思こそが欲望だと……何故分からない!」
ドゥキナの拳打を捌きながらルエイユが返す。その言葉を聞いた瞬間、ジギアスの瞳が一瞬ぶれたのを彼は見逃さなかった。同時に、ドゥキナの拳も速度を僅かながら鈍らせる。その隙にルエイユはその腕を掴み、荒れ狂う神体を押さえつける。
「貴方の言う事は確かに正しい。欲望は満たされればいずれ消えるだろう。だがそれなら貴方の意思はどうだ。侵略者を退けた時、貴方は世界の為に戦えますか?」
『……!?』
ジギアスは答えない。想像がつかないのだろう。彼は今まで、侵略者こそが敵であり彼らを倒す事が救いであると信じてきた。それは今も変わらない。だからこそ分からないのだ。平和になったその後、自分がどうしているのか。彼の救いの道は、そこで終わっているのだから。ジギアスの瞳に、焦燥と混乱の色が見えた。
「貴方もまたただの人間だ。世界を救って、自分を否定した人間を見返す事を欲望とした、人間に過ぎない。それで救世主など……片腹痛い!」
カルマの掌が出力を上げる。指がミシミシとドゥキナの腕へと食い込み、やがて腕をちぎり落とした。直後、二の腕までもが爆発を引き起こす。全ての戦う手段を失い力なくよろめいたドゥキナだったが、倒れる事はなかった。ジギアスが、その瞳に宿る執念が、ドゥキナの敗北を認めようとしない。
『違う……私は……欲望などと言う邪な意思に呑まれなどしていない……!』
一歩、また一歩とおぼろげに近づいて来るドゥキナ。その全身から煙のように黒い何かが漏れ出しているのに、ジギアスは気付いているだろうか。虚ろにカルマだけを見る瞳には、それ以外映っているようには見えない。ルエイユは漠然と、ドゥキナの限界を悟った。
『私は……私は、私はあぁぁぁぁぁあああっ!!』
ジギアスが叫ぶのと、周囲の黒が実体を得るのはほぼ同時だった。ほんの一瞬、漆黒のエネルギー体のようなものが膨張する。次の瞬間にはジギアスの声は聞こえなくなっていた。いや、ジギアス自体が消えている。ドゥキナも見当たらない。
「だから言ったのに……」
呆れを込めてルエイユは小さくため息をつく。ジギアスは欲望の力を拒絶し続けた、故に暴走した力に喰われたのだろう。再三忠告をしてなおも拒み続けた結果だ、ルエイユには同情の念すら沸かなかった。彼の視線は一点に集中している。ドゥキナが暴走した跡、そこに唯一残る物質。それにだけは傷ひとつ付いていない。言うなれば、欲望に唯一適合していた部分だ。
「デザイアンサーキュレーター」
ゴトリと床に落ちたそれを見ながらルエイユはその名を口にした。他者の欲望を集める装置、とジギアスは言っていたか。彼の言葉を聞いた時、ルエイユは確信した。ハルコが言っていた「必要な物」とはこの事なのだと。
「確かにこれはジギアスに過ぎたる物だ。意思を持つ者に制御できる代物じゃない」
救世主に意思は必要ない、ルエイユがたどり着いた結論だった。人の願いに応えるのが救世主、だが自らに意思があればジギアスのように反発し合うかもしれない。彼の言っていたように満たされれば容易く失われる事もだろう。他者から与えられる意思を受け入れる器となる、それが救世主のあるべき姿なのだ。意思を持たぬまま欲望を持つ。一見矛盾した状況だが、彼にとってはその範疇ではなかった。意思なき欲望、それを彼は既に知って、いや持っているのだから。
「意思なき救世主、それこそが僕の望む物、僕の欲望。その為なら何を失っても構わない、例えそれが意思や感情であっても……」
カルマがゆっくりとDサーキュレーターを拾い上げる。黒い箱のようなそれを、ルエイユはカメラ越しにただただ見つめていた……。
「そうだ、救世主には……僕こそがふさわしい!」
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「暇だな」
「そうですか、私は多忙です」
呟くように放ったアッドマンの一言に、リールは振り向きもしないままそう返した。手元は相も変わらずコンソールを操作し続けている。実際多忙なのだろう。現在ディス・アークは戦闘中である。艦の制御を担うリールには、休む暇すらないはずだ。
「むしろどうしてアンタが暇そうなんだ。確か船長だろう」
アッドマンがリールを見ながら不満げな顔をしていると、代わりに彼の相手をする者が現れた。表情は一変、新しい玩具を見付けた子供のような眼で振り返る。
「出来の良い艦の指揮ってのは暇なモンでな、臨機応変な対応が求められる前に話が片付いちまうのさ。オメェさんも今動いても邪魔なだけだからここにいるんだろう、ミルニアよぉ」
ニヤニヤと笑みを浮かべて返すアッドマンから、ミルニアは眼を逸らす。所在がないのだろう。彼は今、つい先程まで敵だった者達の母艦に厄介になりながら何一つ手伝いもできていないのである。
「そうかしこまンなよ。アスティルが勝手にやってる事だ、オメェさんは出番が来るまでドーンと構えてりゃあ良い」
縮こまるミルニアの肩を豪快に叩く。露骨に嫌な顔をするが気にするアッドマンでもなかった。
アスティルがブリッジへと彼を連れてきたのはほんの10分程前の事だ。両の腕を縛られた姿に、アッドマンは一瞬捕虜か何かと思ったものである。アスティルの話では、彼はルエイユの同僚で、彼を心配して一人アスティルに挑んだのだという。なんとも無謀な話だ。アスティルはVA操縦もさることながら、生身の戦闘でもネオグリード随一だと言うのに。だが、それ故にアスティルが彼を気にかけた理由もわかる。無謀は言わば欲望の暴走だ。ともすればミルニアにはネオグリードの才能があるかもしれない。その存在にはアッドマンも大きく興味を惹かれていた。
「ま、暇ならラジオでも聞いとくんだな。映像よりは邪魔にならねぇし、情報は意外なところで役に立ったりするからな」
そう言うとアッドマンは座席の肘掛についたスイッチを操作する。一見するとただの派手な椅子に見える彼の座席だが、船長だけあってそこからの操作範囲は広い。通信は勿論のこと座席からの艦の簡単な操舵や火器の制御、果てはこのようにラジオのスイッチまでが付いているのだ。電源を入れ、つまみでチューニングをする。微妙な操作で雑音を少しずつ減らしていくのが彼のこだわりだった。
『……ちら……リーヴァの……スキナ……』
「……あ?」
ふと、聞き覚えのある声が聞こえる。どこから、と問われれば答えるまでもない。その場に居た三者の視線がラジオに集まった。ミルニアから早くチューニングを合わせろという無言の圧力が伝わる。しかし、それすら必要としない程にアッドマンの手は自然と速められていた。
『……繰り返します。エスキナ教団教祖、ジギアス・イェイスはルエイユ・ゴードが討ち取りました。よって、現時刻をもってエスキナ教団は解散とします』
つまみが絶妙な位置で止まる。瞬間、示し合わせていたかのようにラジオから再び声がした。あまりにも、そうあまりにも身近な声。しかし、誰しもその現状を甘受できる状況ではない事が分かりきっていた。しばしの沈黙が続く。それを破ったのは、搾り出すように放たれたミルニアの一言だった……。
「……ルエイユ」