5-2
「救世主? なんだ、そりゃあ」
聞き慣れない単語にアッドマンは訝しげな声で返した。ブリッジに戻ってきたリールが放ったその第一声はあまりに不可解で、彼女の意図を全く汲み取る事ができない。確か、ルエイユ・ゴードのデザイアを特定する為に彼を連れて行ったとアッドマンは記憶していたのだが。
「文字通り、混迷の世に現れる救い主の事です。宗教や人によって認識に差異はありますが、有名どころでいえばイエス・キリストなどが当てはまります」
「んなこたぁ分かってんだよ。その救世主が、一体ルエイユのデザイアと何の関係があるんだって聞いてんだ」
ため息交じりにそう返すリールに、アッドマンは念押しした。彼女の事だ、どう考えてもわかってやっている。アッドマンにはそれが容易に想像できた。彼女は無表情ではあるが、決して無感情の境地に居るわけではないのだ。
「それがルエイユさんのデザイアです。救世主が欲しい、彼はそう言っていました」
即答だった。まるで、その答えを最初から用意していたかのような反応速度である。その事からもアッドマンは、彼女が自分をからかっていたのだと確信した。とは言え、それにいちいち目くじらを立てる程気が短くもない。ただ言われただけを受け取り、考える。救世主が欲しいという言葉の意味とは。
「過去の”邪神”襲撃の折にプラディナに助けられ、その時の姿に救世主を重ねたのだそうです。もっとも、それも結局は八百長だった訳ですが」
リールの説明に小さく頷く。身の危険とは良くも悪くもその人間の心に深く残るものだ。その絶望から自らを救い出してくれたとなれば、助けてくれたものを神と崇め、無条件に信仰したところでなんら不思議はない。さながらマインドコントロールのように。そんな環境に追い込まれたプロトグリードが求めたのが、救世主という存在という事か。
「プラディナのパイロットは災難だな。プロトグリードに眼ぇ付けられたんだ、何がなんでも仕立て上げられるぞ、その救世主ってヤツに」
聞けばルエイユは目的が分かるやいなやふらふらと格納庫へ向かったらしい。恐らくはカルマリーヴァの調整具合を確認しに行ったのだろう。もはや彼の頭には救世主の事以外あるまい。出撃も時間の問題と思えた。
「まったくですね。ハルコ・オリハラはこれからどうなるのやら……ん?」
不意に、何処からともなく重苦しい音が聞こえてくる。かなり遠いが二人にはすぐに分かった、爆発音だ。僅かに遅れて艦も多少揺れた。戦闘によるものにしては規模が小さすぎるのが気になったが、念の為にリールが艦体の確認を行う。中空に一点だけ赤く塗りつぶされた、艦の内部図が現れた。
「……格納庫で爆発が起こったようですね。損傷軽微、航行に支障ありません」
「格納庫? アスティルとルエイユか。よし、ちょっと通信繋げ」
アッドマンがそう言うとリールは滑るようにコントロールパネルの上で指を躍らせる。間もなく現れた新しい画面には三つの影が映った。二人の男と、一機のVA。VAは何故か煙を上げている。それは言うまでもなく、カルマリーヴァだった。前の二人……ルエイユとアスティルは何かを言い争っている。第一印象で気が弱そうと思っていたルエイユが言い争い、という時点でもアッドマンにとっては意外な出来事。しかしそれどころか、彼にはむしろルエイユが一方的に何かを言っているように見えた。
「おい、オメェさんら何やってんだ? こっちまで聞こえて来てるぞ」
『ああ、船長。すいんせん、ちょっとしたイレギュラーがあったもんで……』
アッドマンの呼びかけに気付いたアスティルが答える。どうやら原因は彼で間違いはないらしく、彼の手元にはスパナが見えた。だが、不思議と表情は笑っている。そこへ横から不機嫌そうに割り込んできたのは、ルエイユだ。
『ちょっと、僕が悪いって言うんですか』
「……ルエイユ。オメェさん、随分印象が変わったな」
刺々しい声色でアスティルに詰め寄る様子に、アッドマンは思わず呟いた。自己主張のない好青年としての姿はすでになく、そのさまはさながら獲物を前に瞳をギラつかせる獣である。良い眼だ、とアッドマンは感心した。
『いやいや、製作者側としては嬉しい誤算です。まさかDドライヴがこれだけの出力を発揮するなんて』
『Dドライヴ?』
ずずいと近付くルエイユを両手で制止しながら、アスティルが答える。ルエイユは初耳の単語に一瞬苛立ちを忘れたのか、キョトンとした表情で聞き返した。Dドライヴ、アッドマンも耳馴染みのない言葉である。むしろ、直感に頼りがちな彼は機械の類には詳しくない。そういったものは、全てアスティルやリールに任せていた。
『デザイアンドライヴ。カルマに搭載されたジェネレーターですよ。コイツは人間の意志の力、取り分け欲望に呼応してエネルギーを生み出す、一種の永久機関です。まぁ、最低でもネオグリードくらいの欲望がないと起動すらしんせんがね』
カルマのボディがバンバンと叩きながらアスティルが説明する。ルエイユはやけに得心した表情で『どおりで……』と呟いた。どうやら彼自身も知らないまま使っていたらしい。いや、どちらかと言えば疑わしくは思っていたが、原因が分からなかったといったところか。彼の表情から、アッドマンはそんな予想を立てていた。
『この機体、遠隔操作で動くように改造されていんしたでしょ? 外部からDドライヴを動かす為のユニットにエネルギーが逆流して、オーバーヒートを引き起こした……ってところですかね』
カルマの煙を噴出した部分に近づくアスティル。その部品は存外簡単に外れ、外付けで追加したのであろうと容易に想像させた。アンテナとらしき突起の付いた箱のような部品だ。遠隔操作用の命令を受信する為の装置との事だが、それにしても簡易である。アッドマンですら、それで複雑な操作ができるとは思えなかった。送信側に余程特殊な処置が施されていなければ。
『ならこれでハルコ・オリハラの妨害を受けなくてすむんですね。むしろいい事じゃないですか』
『もちろん。ただ、過負荷が掛かるのは間違いないんで、その辺りを再調整しんす。だからもう少しまって下さいね』
アスティルの返答に、ルエイユが再び騒ぎ出す。その言い争いが始まったところで、アッドマンは無言のまま通信を切った。あまり今の彼が展開する暴論についていったら身が保たなくなってしまう。そんな予感にかられたのだ。
「敬愛する上司を呼び捨てか……こりゃ完全に化けたな。でかしたぞ、MS.リール」
「いえ、まだ八割と言った所でしょう」
アッドマンの賛辞にも全く喜ぶ様子もなくリールは答える。アッドマンもこれには素直に驚いた。喜んでいないのがルエイユを完全に覚醒できなかったからなのか、褒めたのがアッドマンだったからなのかは考えないようにする。
「アレでまだ八割か……」
プロトグリードにおける欲望は細部まで追求される。大まかに分かっているだけではその力を完全に引き出すには至らないのだと言う。今、ルエイユが自覚したのは救世主という一点のみ。それだけでもかなり近付いたようだが、まだ救世主の意味する物や、救世主に何を求めるかが分かっていないのかもしれない。今のままでは理解が足りないのだ。
「完全に力を引き出したら、どうなるかも分かりませんね。どうです、船長の物欲は満たされそうですか?」
もはや答えるまでもなかった。アッドマンはただ、力強く頷く。不敵な笑みを浮かべたまま……。
「ああ、アイツは最高の価値を持ったお宝になるぜ」
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「手際、良いですね」
ひとしきり騒ぎたて、落ち着きを取り戻したルエイユはアスティルを見ながら呟いた。騎士団では騎士一人一人が神体に責任を持ち、軽微な損傷ならば自分で整備をしなければならない。その為ルエイユも調整や修理に立ち会う事は少なくなかったが、その彼から見てもアスティルの作業は鮮やかの一言に尽きた。教団の整備班にも、彼ほどの手際の持ち主はいまい。
「VAは直接製作に携わりんしたからね。もっとも、わっちらの所に来た時にはもう設計図は完成していんしたが」
「ああ、それで一族滅ぼされたんでしたっけ?」
思い出したようにルエイユが呟く。先ほどまでは憤りを感じたはずなのに、今は特別な感慨は沸かない。しかし怒気がないのはアスティルも同じで「ああ、聞きんした?」などとまるで他人事のような反応を返した。
「外部からの進入が困難で秘密裏に製造が可能、加えて技術力は高くて秘密主義と来た。彼にとってはさぞ良いカモだったでしょうね、わっちら木星人は」
笑い話のでも語るような口調でアスティル。しばしして、襲撃に使われたのはプラディナだったと付け加える。プラディナは完全にジギアスの手製で、彼が初めて木星に現れた時もプラディナに乗っていたらしい。ルエイユも言われてから納得した。プロトグリードではない彼に、カルマを使う事などできはしないのだから。
「正直Dドライヴのないプラディナの一機程度、木星人の技術ならどうとでもなりんした。わっちらにはVA製造技術がありんしたからね、物量で挑めば全滅なんて事はなかったでしょう」
口調が自嘲的な雰囲気を帯びる。手を休める事なく、カルマを見つめるアスティルの眼に宿っていたのは怒りでも憎しみでもなく、哀れみだった。
「わっちら木星人には掟がありんしてね。仕事で得た技術は決して私情で用いない、そんな物は盗人と同じだ……ってね。馬鹿らしいでしょ?」
ルエイユは否定する事ができない。いや、する気もなかった。詰まるところ、彼らは自らを守る為にVAを造る事もできたのに、掟にとらわれてそれをしなかったという事だろう。だから滅んだ。ルエイユはそこに同情の余地を感じなかった。そんな下らない誇りで命を失うくらいなら、盗人にでも何にでもなって生き残った方が余程清々しい。盗人猛々しい事かもしれないが、生存を望むのは生命を受けた者にとっては当然の事のはずだ。
「そうですね、馬鹿らしくて反吐が出る」
「全くです。でも、わっちは気付くのが遅かった。気付いた時には集落は壊滅し、生き残りはわっち一人。初めて考えんしたよ、人から奪って生きる事について」
語られるアスティルの過去に、ルエイユはふとリールの話を思い出す。食堂での話の中で飽き飽きした彼は適当に切り上げてしまったが、確かに彼女は言っていた。食材の調達は強奪を専門としているネオグリードがいるのだと。
「じゃあ、貴方が強奪の……」
「おや、今日のMS.リールはお喋りですね」
アスティルは否定しない。問いの答えとしてはそれだけで十分だろう。これで彼の高い技術についても説明がつく。彼は他者の優れたモノを根こそぎ奪って行くのだから。
「奪う物は情報、物品問いんせんしたからね。重要そうな物はとりあえず奪う。船長はそうして手に入れたわっちの宝に興味があるようで」
宝に関してはどうでもよさげに付け加えた。彼の様子でルエイユも悟る。アスティルは既に奪う事が目的となっており、奪った物に興味がないのだ。情報など自分の役に立つものならともかく、金品に関してはなに一つ必要としない。宝に固執するアッドマンとはさぞ相性が良いだろうとルエイユは思った。
「もっともそのデザイアが災いして、わっちは一に固執する事ができんせん。情報を奪っては自分の技術に応用し、部品を奪っては機械を作る……そういう事も止められない、ネオグリードとしては半端者ですわ」
自虐的なアスティルの言葉だったが、嫌味は感じなかった。そういう自分に誇りを持っているのだろう。そして、それも一つの道なのだとルエイユは感じた。欲望を得る為に欲望を捨てては本末転倒である。
「わっちのもう一つの欲望の為にも、ジギアスの科学力は重要でしてね。君には期待していんすよ、ルエイユ君……よし、これでOKです!」
言いながらカルマの機械部分をバタンと閉める。それと同時に送られた視線に促され、ルエイユはコクピットに入り込む。ディス・アークの格納庫は重力が弱く設定してあるらしく、一飛びで胸部にあるコクピットまでたどり着いた。シートについてハッチを閉じると周囲に明かりが灯り、いつの間にか掃除の行き届いていた内部が鮮明に見えるようになる。
『腕を動かしてみてください』
外部にいるアスティルの声がスピーカー越しに聞こえてきた。指示に従い、右腕を軽く前後に振ったり、指を曲げたりと試験的な動きをする。
「前よりも動きが良くなってる」
『エネルギーバイパスを解放しんした。エネルギー伝達が良くなったからその分スムーズに動きんす。オーバーヒートもそうそう起こらないでしょう』
調整の内容を細かに説明するアスティル。細かい部品などに関しても述べられていたが、ルエイユに理解できたのは、動きやすくなりオーバーヒートの心配がない事、そして重力制御装置を外付けで搭載したという事だけだった。しかしこれでGによって意識を奪われる事はないだろう。騎士としてはそれだけ分かっていれば十分と言える。
「十分です。感謝しますよ、アスティルさん……まぁ期待に応えられるとは思えませんがね」
呟きながらルエイユは、カルマの腕で壁についていた大型のレバーを引いた。同時にカルマが軽く浮かびあがり、発進用のカタパルトへと運ばれていく。カルマの発進シークエンスが始まったのだ。
『え、ちょっと! もう出撃するんですか!?』
慌てて周辺の手すりに掴まりながらアスティル。カルマの背から噴き出すジェット噴射が、格納庫内に暴風を巻き起こしたのだ。どうやら運動神経はかなり良いらしく、かなり軽くなっているとは言え片手で吹き飛びそうになる自重を支えている。もっとも、仮に支え切れていなかったとしても今のルエイユは気にも留めなかっただろうが。
「本当ならそのまま出たいくらいだったんです。待っていた分感謝して欲しいくらいですよ」
ブースターの出力が上がる。間もなく艦から飛び出す事になるだろう。ごおごおと言う音でもはや声が聞こえるかは分からないがルエイユは一つだけ言い残そうとする。
「そうだ、少しでも何か得たいなら急いだ方が良いですよ。僕は……」
最後の一言を言い終わるか否かというタイミングで神体が動きだす。そこからは一瞬だ。その圧倒的な加速に目では追いつく事ができない。カルマの姿は消え、ブースターが放った熱、そしてその言葉の余韻だけが、僅かに残った……。
「多分ジギアスを、殺してしまうから」