4-2
「ここが機関室、ディス・アークの駆動を司る中枢です。脱走する時はここを破壊すれば追撃できません」
延々と回り続ける歯車を指差しながらリールが物騒な説明をする。まるで仮面でもかぶっているかのように表情を見せない彼女の感情を読む事はできない。これはもしや場を和ませる冗談でも言っているのだろうか。それにしては母艦の泣き所を知らせるのは不自然だが。
「良いんですか? こんな大事な場所を教えて」
「私達なりの信頼表現です」
ルエイユの疑問に彼女は当然のようにそう答えた。案内をし始めたから今に至るまでずっとそうだ。ルエイユさんはきっとこの艦を気に入るはずだ、だから裏切らないと確信を持って語る。何を買いかぶられているのかは知らないが、そこまで言われると悪い気はしない。
「それに、本当に脱走する事になった時、泣き所だけを正確に壊してくれた方が被害は少なくて済みますし」
持ち上げられた気持ちは一瞬にして今まで以下の高度まで落下した。これはわざとやっているのだろうか。相も変わらない表情からは、意識的にも無意識にも見えた。
「……ところで次が最後の食堂になりますが、質問はありますか?」
ルエイユの事を気にするつもりはないのか、なおも一方的に話を進めるリール。ルエイユはもうそれほどに案内が進んでいたのかと一瞬驚いた。時計を見れば確かにもう30分は経過している。しかし、今の今までルエイユの疑問に対する説明は一切行われていなかった。
「あの、まだ僕の聞きたい事について一つも説明されてないんですけど」
「質問されてませんから。聞きたいことがあるなら早くしてください」
彼女には罪悪感というものはないのだろうか? まるで質問をしなかったルエイユが悪いと言いたげな傲慢な口調で言う。そのあまりに自然な態度は、本当に自分が悪かったのだと錯覚してしまう程だ。いや、むしろこの艦の中ではそれこそが真実なのかもしれない。
「……じゃあ、一つ目の質問。プロトグリードとは何ですか?」
ならばせいぜいわがままに振舞おうと、最初の質問をする。最初は勿論最も気になっている、自分の事。当然の事と言うべきか、ルエイユは彼らを信用していない、いつ答えてもらえなくなるか分からないのだから、重要な事から順に聞く事にしたのだ。リールもそれに気付かずにか、それとも気付いてなお気にしていないのか、全く変わらぬ調子で答え始めた。
「プロトグリード、地球の一部地域で見られた人類の変異種。外見は一般的な人類と変わりはないが、人にはない特殊な能力を保有する。総じて強い執着心にも似た欲望を持ち、その強さに応じて能力も強力になる」
辞書の引用を思わせる説明的な口調。無論、そんな説明が書かれた辞書などルエイユは見た事がない。彼女がまとめた物なのだろう。まるで、彼女自身が辞書であるかのような錯覚を彼は覚えた。だが、その分正確でもある。彼女の説明は、的確に情報だけをルエイユに与えてくれた。
「つまり強い欲望を満たす為に、強い力を持った種族、と言う事か。なるほど、蛮族って言うのは言いえて妙だな……」
これでジギアスの言っていた蛮族の意味には合点がいった。強欲と言うのは七つ大罪に数えられる人間の悪徳である。それを良しとしない旨はルエイユにも理解ができた。自分がそれの一人だと言う事が信じられない程に。そして、ジギアスと言えば気になる事がもう一つ。
「では、そのプロトグリードの能力と言うのは、”眷属”とは何か関係が?」
「ないでしょう」
二つ目の問いに、リールは初めてその表情を変えた。その瞳には侮蔑や、呆れと言った色が見て取れる。彼女の表情にルエイユは嫌な汗が首筋を伝うのを感じた。
「貴方達の言う”眷属”と言うのはインベーダーの事ですね。今申し上げた通り、プロトグリードは地球発祥の種族です。外宇宙から襲来したと推測されるインベーダーとの関わりなど考えられません」
「外宇宙、ですか……」
あまり聞く機会のない単語に、ルエイユはオウム返しで問い返す。リールは「当たり前です」と、変わらず冷ややかな視線と言葉をルエイユに浴びせ続けた。
「地球圏で生息が確認できない、人類が生み出した物ではないのならば、外宇宙から来たと考えるのが自然でしょう」
リールの説明にルエイユは妙に納得する。教団にいた時はそういうものなのだと刷り込まれていたので考えもしなかったが、それを抜きにして考えれば確かに妥当な考え方だ。”邪神”が作り物と分かった以上、生物であるヤツらは”邪神”とは無関係と考えるべきである。
「……いや、ちょっと待ってください! 前の戦いで”眷属”は、カルマに反応して集まって来たんです。彼らとカルマ、もしくは僕……プロトグリードのいずれかとの関係は間違いなくあるはず」
ルエイユがそう反論すると、リールは口元に手を当てて少し黙り込んだ。しばし考え込んだあと「だとしたら……」と切り出す。再び向けられた瞳からは、先程の冷ややかな雰囲気は消えていた。
「反応したとしたらカルマにでしょう。インベーダーには高いエネルギーに集まる習性があります。あの時のカルマはかなり高い出力を発揮していましたから、それに惹かれて来たのだと推測できます」
この説明も、ルエイユを納得させるに十分足るものだった。確かに、あのレールガンをはるかに凌ぐ高火力の乱射と、プラッテの倍近い神体を超高速で動かすブースターの乱用だ。下手をすれば核エンジン並みの出力を使っていたかもしれない。それだけの大出力ならば、エネルギーを欲する物にとっては格好の餌となるだろう。ひとしきり納得してルエイユは小さくため息をつく。かの化け物達と自分が無関係だと分かっただけでも大きな安堵感があった。
「……それじゃあ次の質問、貴方達は何者ですか? 何故ネオグリードと名乗るんです?」
久方ぶりの精神的なゆとりを取り戻し、ルエイユは自分とは関係のない質問を聞き始める。次に気になるのは彼ら海賊の事。教団への襲撃は明らかにカルマリーヴァに狙いを定めてのものだった。ただの強奪行為にしては騎士団のあるエスキナを狙う事はリスクが高すぎる。そこでしか手に入らない物が目当てでなければわざわざ攻め込む意味は少ないだろう。だが、それならば何故そうまでしてカルマが必要だったのか。そして、何故ルエイユを未だ処分せず、その上艦の案内までしているのか。彼らの行動はルエイユに量れないものばかりだった。
「何者と言われても、ただの海賊です。名前だってプロトグリードを後天的に目指しているからネオグリード、そのままじゃないですか」
当然のように答えるリールは、むしろ何故そんな事を聞くのか理解できない様子だ。ルエイユにはそれこそが分からない。プロトグリードの話を聞いていて、彼は嫌悪感をおぼえるばかりだった。そんな欲望の塊に、彼らは自らなりたいと言っているのだ、ルエイユに理解できるはずもない。
「目指すって……なんでそんな事するんですか。今聞いていたって、ただの獣じゃないですか、欲望のままに力を振るうなんて」
「人間だって獣の一種に過ぎませんよ」
両手を軽く広げるリール。明確に呆れた様子を見せながら、彼女はルエイユから数歩離れて正面に回った。器用にも後ろ向きのまま歩き、ルエイユの眼を凝視しながら話そうとしているようだった。
「知性を持っているから人が霊長などと考えているなら、それは思い上がりです。他の動物だって人間に無い物を持っていますし、そもそも人間だって三大欲求に縛られている」
開いた右手で指を三本突き立てて見せる。それが三大欲求を指しているのは言うまでもない。人と言えど食欲を欠けば餓死、睡眠欲を欠けば衰弱死、性欲を欠けば種としての滅亡は免れない。そういった意味では欲望に支配されていると言ってもあながち間違いではないだろう。無論獣のそれとは性質が違うものではあるが。
「獣はそれらがDNAレベルで刷り込まれている。だからこそその欲求に忠実で、その為に優れた身体能力を発揮します。ですが、逆に言えば彼らにはそれしかない。我々人類のような多種多様な欲望には恵まれていません。それらの欲望に人類が忠実になれば、一体何が起こるでしょうか」
問いとして掛けられた言葉だったが、ルエイユにとっては考えるまでもない事である。彼は言わばその事象の体現者だ。先の戦いで自分がどうなったかなど、自分が一番良く分かっている。自分とは思えない程の操縦技術、そして身体能力の域を越えた超能力まで発揮した。事前に未来を映像としてみる事ができる一種の予知能力、それが戦場においてどれだけのアドバンテージになるかは言うまでもない。
「欲望が、力を生み出す……」
「自覚があるようですね。なら分かるでしょう、欲望に従う事と理性をなくす事は必ずしも一致しない」
続くリールの言葉に、戦いの記憶が鮮明に蘇る。あの時ルエイユが理性を失うなどという事はなかった。むしろ、冴え渡った感覚は思考をより精密な物にしていたと記憶している。この時点でもうリールの言いたい事は察しがついていた。知性という獣とヒトの間に決定的な差を生む物を失わなくても、人間は欲望に忠実に生きる事ができる。それによって力を得る事も。ならば力あるプロトグリードこそ優れた存在と言えるのではないか、そういう事だ。
だが、それでも釈然としない物はあった。今までの人生で自分が培ってきた物の全てが、欲望に従う事の愚かさを説いているのだ。
「……でも! 誰もが欲望に従ったら秩序が成り立たなくなります!」
全員が欲望で求めるだけになれば必ず需要と供給のバランスが噛み合わなくなる。そうなれば欲望は法の壁すら乗り越えて暴走する事になるだろう。欲するもの同士の戦いは避けられない。容易に想像がつく混沌を思い浮かべ、ルエイユは何とか否定の意思を取り戻す。だが、彼がやっとの思いで出した反論にも、リールは小さく笑みを漏らすだけだった。
「本当にそうでしょうか?」
初めて見せるリールの笑顔。しかし決して温かみを感じるものではなく、むしろ仕組まれたような不安感に襲われる。まるでこの問答を予知していたかのようだった。そして、それがルエイユの勘違いではなかった事はすぐに思い知らされた。リールは無言のまま壁にはまった窓ガラスを指差す。歩みは進み、現在食堂付近。窓ガラスから中の様子を窺う事ができた。
「これは……」
少し曇ったガラスの奥に広がる光景に、ルエイユは一瞬息を飲む。人は数える程しかいないが、料理が大量に用意されていた。その数は中にいる人間と明らかに合わない。まるで貴族の屋敷にあるような長テーブルに所狭しと並ぶ様は、立食形式のビュッフェを彷彿とさせた。宴席か、とルエイユは漠然と考える。だが、それにしては既に食事をしている人間がいるのが気になった。中の者達は、各々何種類かの料理を長テーブルから取り、周囲にあるテーブルで食べている。
「ディス・アークでは一般的な食事風景です」
首を傾げているところでやっとリールが説明をしてくれた。しかし、結果としてルエイユは更に疑問符を浮かべる事になる。
「一般的な……って、いつもこうなってるって事ですか?」
ルエイユは急いで袖を少し捲り、腕時計を見た。時間は5時35分、お世辞にも食事時とは言いがたい時間である。だと言うのにこの量と言うのは少々異常だ。とてもではないが、全てが捌けきるとは思えない。納得していないルエイユだが、リールはそれを無視して食堂へと入って行った。置いて行かれてはたまらないと、仕方なくルエイユも後に続く。
リールは長テーブルに近づくと、料理の中からマカロニサラダを取って適当な席に腰掛けた。ルエイユもそれを真似て、比較的軽そうなフライドポテトを取る。本当は少し空腹気味だったのだが、話をするのにあまり口に物を含むのははばかられたのだ。
「ご覧の通り、ディス・アークには定時的な食事の時間はありません」
「そのようですね」
持ってきたポテトをかじりながら、ルエイユはリールの説明に相槌を打つ。最初こそ異様な光景に驚きを隠せなかったが、周囲の様子を見て悟った。彼らはあまりに日常としてそれを受け入れている。部外者であるルエイユにとっては異常であっても、ここ……ネオグリード海賊団の中ではそれが普通なのだ。最早口を出せるような事でもない、受け入れる他ないだろう。
「コックさんはさぞ大変なんでしょうね」
「ご心配なく。コックが自主的にやっている事です」
自主的、という言葉がルエイユの頭に引っ掛かる。その単語を口にした瞬間だけ、リールがまた嫌な表情を浮かべた気がしたのだ。もっとも先程のように露骨な変化ではなく、直感に頼るより他ない程度のものだったが。それでも彼女が言わんとしている事は何となく分かった。
「……つまり、それがここのコックが持つデザイアだと?」
「察しが良いですね。そう、彼もまたネオグリードの一人。とにかく料理を作るのが好きなんだそうです」
なるほど、とルエイユは思う。確かにそれは人間でしか持ちえない欲望だ。そしてこれ程の量を作るまで調理を続けていると言うのに、厨房から出てきた喜色満面のコックは汗一つかいていなかった。疲れが見えないのは料理も同じで、ルエイユの食べているポテトですら、こだわりを感じるしっかりとした出来だった。しかし、それだけに勿体無い。如何に出来の良い料理でも、これだけの量があっては食べきれる物ではないだろう。表情からルエイユの考えを察したのか、彼が様子を眺める間黙っていたリールが再び口を開く。
「話を戻しましょう。本当に欲望に従ったら秩序が乱れるか、この食堂を例に考えてみます」
「この食堂で、ですか?」
平静を装ってはいたものの、ルエイユは少し驚いていた。こんなやり方が成立するはずがないと思っていたからだ。だが、彼女が自分に不利な事を言うとも思えない。彼女が説明に使うからには、この食堂はしっかりと成立していると言う事に他ならないだろう。
「まずはそこを見てください」
リールが対角線上のテーブルを指差す。その先にいたのはかなり大柄な太った男性だ。先程から一心不乱に料理を貪り続けている。果たして味わっているのか疑問に思う。しかし、それ以上に驚くべきはその周囲に重ねられた皿だ。パーティー用と思われる大皿が10枚前後重なっている。それが三山。ルエイユのポテトが相当の山盛りとなっている様子からも、かなりの量を食べていた事は想像に難くない。少なくとも、常識的な観点で言えば一人で食べきれる量ではないだろう。と、いう事は。
「あの、もしかしてあの人も」
「勿論、食欲のデザイアを持ったネオグリードです」
「……」
あきれ返る程のネオグリード率に、ルエイユは返す言葉すら思いつかない。ただただ言葉にならない感情をため息に乗せた。
「ちなみに材料の調達は――」
「もう良いです」
もはや食傷気味になりつつあるルエイユは、リールの説明を切り上げた。どうせ物を奪うのが好きなネオグリードでもいるのだろう。あまりにも分かりきっていて、いちいち聞く気にもならない。
「ここまで来ると、ただわがままな人にそれっぽい名前をつけただけみたいですね」
「ただ名前をつけただけで能力が身につけば苦労はしません」
リールの返答にルエイユは少しムッとした。そんな事は彼自身も分かっているのだ。現に眼前には常識では考えられない人間達がいて、特殊な能力でもない限りは成立しえない状況が成立している。最早疑う余地もあるまい。ただ、あまりに特殊な人間が多過ぎて逆に胡散臭く思えてしまう。
「言いたい事は分かります。都合が良すぎる、そういう事でしょう。だとしたらルエイユさんは、考え方を間違えているんです。つまり、都合の良い能力が集まったのではなく、彼ら自身が都合の良いように進化した」
進化、その言葉はルエイユの頭に強く残った。考え方としては自然だ、あつらえたような者達がたまたま集まるよりは、集まった者達がそのようになる方があり得る。必要に応じた能力を特化する、それはまさに進化と呼ぶに相応しい。人は進化によって知性を手にし、知性によって秩序を生んだ。それとなんら変わる事はない。しかし、それは。
「気付きましたか? 欲に囚われて、秩序を失うなんて有り得ないんですよ」
それは自分が培ってきた常識を覆される事に他ならない。今話されている事は、自分が学んで来た事、取り分け教団の教えとまるで違っていた。自らを歯車と捉え、己が主張は最小限としながら自らが動かす世界と言う名の巨大な機械を動かすべくあるべし。エスキナ教団の教えはこのように唱えられていた。今にして見ればルエイユにもその理由は分かる。ジギアスは欲望の権化であるプロトグリードを嫌悪していた。恐らく彼の欲望に対する憎悪が色濃く出ての結果だったのだろう。そう考えればなんと安い教義な事か、ルエイユは心の中で教えが何とも軽い音を立てて崩れて行くのを感じた。
「そもそも、秩序自体が支配欲の産物なんです。例えば――」
「あーっ! またこんなに散らかして!」
「ああ、アレですね」
言葉を遮られたようだったが、リールは気にする事なく声の主を見る。ルエイユが視線を追うと、どうやら方角は先程と同じく太った男の方だ。だが、その光景には新たなる登場人物が加わっていた。甲高い声の少女だ。年の頃なら12歳前後、リールより少し下程度に見える。幼いながら何かの制服をきっちりと着こなし、黒い艶やかなロングヘアが印象的だった。少女は太った男に向かって、金切り声にも近い声色で何かを怒鳴りつけている。
「なんでいつも言ってるのに分からないの? 食べたらキチンと食器を戻しなさいって言ってるでしょ!? そうしないと厨房のお皿が足りなくなって……」
ルエイユが耳を澄まして聞こえたのはこのような内容だった。男は煩わしそうな表情をしつつも食べるのを止めず、少女の声が始終食堂を木霊していた。
「ルールの尊守のデザイアです」
「ネオグリードの大安売りですね」
リールの注釈を受けても、最早そんな皮肉しか出てこなかった。それにすらも「そういう風になる環境にしてありますから」と当然のように答えられる。途方もない話ではあるが、なにせこの艦は船長からしてアレである。なにがどう仕組まれていても不思議ではないとルエイユは思いなおした。
「彼女もルエイユさんの好きな秩序の産物です。分かりますか、つまりどんな奇麗事を並べ立てても、それだって『そうありたい』という欲望に過ぎない。人の意思とは全て欲望で説明できるんです。それでもまだ、欲望を否定しますか?」
畳み掛けるようにリールの言葉が続く。しかし、ルエイユは既にそんな言葉は必要としていなかった。彼女の追い討ちなど受けるまでもなく、既にルエイユの秩序という物に対する執着は崩れ去っている。いや、あるいはとうに壊れ始めていたのかもしれない。ジギアスとハルコ、信仰する彼らに裏切られたその時から。
「……なるほど、僕がこの艦を気に入ると言った意味がやっと分かりました」
人間の行動原理は全て欲望、それが正しいのならば確かにこの艦ほど清々しい場所は他にない。だからこそリールは正しい事を証明して見せたのだろう。彼女のお陰でルエイユは今、なんの迷いもなく欲望に従う事ができる。憑き物が落ちたような晴れやかさを感じていた。
「良い眼になりましたね、では本題といきましょう。貴方のデザイアはなんなのか、それを考えて見てください」
「考えろ、と言われても」
唐突にそれだけ言われても、本人には見当もつかない。ルエイユは今の今まで普通の人間として暮らしてきたのだ。人並みに三大欲求もあるし、物欲や名誉欲で行動する時もあった。その中から一つを選んで「これが自分の最も望んでいた物だ」などとどうして言えるだろう。今までの行い全てが欲望に起因すると言うのだから、それこそ星の数ほどある。
「基礎的な欲求や趣味の範疇を考える事はありませんよ。重要になるのは起源です」
人が現状の立場にいるのには必ず理由がある。自分が何故現在の状態でいるのかを考えて行った場合、その理由がデザイアに起因している可能性が高いのだとリールは言う。随分と漠然とした助言だとルエイユは頭を悩ませたが、それ以外に取っ掛かりがある訳でもない。試しにその方向で考えていく事にしてみた。
ルエイユの立場とは何かと問われれば、エスキナ教会騎士団の騎士というのが最も適当な答えだろう。騎士団修練生として一年間の訓練を経て入団し、半年前に正式配属。騎士暦は半年となるだろうか。訓練期間は白兵戦の技術が致命的に乏しい事から才能がないと言われていたが、それ以外……取り分け射撃戦の高い能力を買われての異例な採用だったという。あまりに主流から外れた技術から何度も「考え直した方が良い」と周囲から薦められたが、それでも諦める事はなかった。彼にはある種ドゥキナやジギアスより崇めるものがあったのだ。フォボスが”邪神”の襲撃を受けた時、何もできなかった自分を救ってくれたあの神体……プラディナ。その姿に、彼は確かに見た。
「……!」
そこまで考えた瞬間、ルエイユは眼を見開いた。自分の中に何かが入り込むような感覚に襲われる。ビクン、と背筋を伸ばす瞬間をリールは見逃さなかった。
「どうです、なにか思い……付いたみたいですね」
答えを待つまでもない、とでも良いた気な反応だった。無理もない。ルエイユは数秒前と比べても、纏っている空気からして変わっている。強い意志の感じられる眼光に、口元から漏れる余裕の笑み。その自身に満ちた表情からはかつて小心者と称されたルエイユの面影はない。まるで人格だけをすげ替えた別人のような変貌である。今この瞬間、確かに進化は起こった。
「救世主……そうだ、救世主ですよ」
いつもよりも気持ち強い語調でルエイユが呟く。そう言った変化を見せる者も見慣れているのか、リールはやはり表情を変えない。ただ彼の呟きにオウム返しで「救世主?」と問い返した。ルエイユは力強く頷く。自らの欲望を知った彼は歪みと言って良い程に、どうしようもなく笑っていた……。
「僕はずっと、救世主を求めていた!」