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「こちらになりんす……そんな硬くなることありんせんよ、皆良い人です」
奇妙な方言の青年は自動ドアの前で朗らかに笑った。褐色の肌にかかったグレーの髪が小さく揺れる。端整な顔立ちにスラリとした長身、細身だがしっかりとした身体つき、お世辞抜きでも美形に部類されるであろう彼の笑顔はとても絵になるもので、普段ならとても心が休まるものだっただろう。だが後ろ手に手錠をかけられ、縄で繋がれているルエイユが素直に安心できるはずもなかった。
「誘拐犯に言われても、説得力ありません」
目を背けながら彼を横切って扉をくぐる。青年は自嘲気味にため息をつきながら、肩をすくめた。少し何かされるのでは、とも思ったルエイユだがその様子はない。先程から言動をうかがっていると、このアスティルと名乗る青年が何故海賊などに与しているのか見当もつかないほど、彼は穏やかな気性の持ち主だった。
アスティルはルエイユをカルマごと気絶させた張本人、つまり先程現れたグレーのVAのパイロットなのだという。彼は今回エスキナを襲撃した宇宙海賊「ネオグリード海賊団」の幹部で、独自の情報網にてカルマリーヴァがエスキナ保有のVAであると知り、強奪の作戦に参加したのだそうだ。つまり今、ルエイユは捕虜としてここに捕らわれているのである。
「いやいや、誘拐じゃありんせんよ。たまたま盗ってきた機体に君が乗ってたってだけで」
「カルマリーヴァは神体です」
ルエイユは反射的に彼の言い間違いを指摘した。エスキナ教会騎士における教義の一に「騎士は聖像の秘匿を口外してはならない」とある。VAが世間一般に言うロボットであることは公然の秘密ではあったが、教団の情報開示拒否はそれを理由に成り立っているからだ。あれだけの現実を見せられた後でも、長い月日を経て染み付いた騎士としての習慣はなかなか抜けるものではないらしい。
「職業病ですね。でも、あれはもうわっちらのモンですから、どっちでも変わりんせんよ……あ、そこの扉です」
彼の心情を察したのか、アスティルは扉へと近づきながらそう答えた。それにしても随分な理屈だ、とルエイユは呆れる。強奪した物の所有権を堂々と主張しているのだ。無論、カルマをあのまま教団に使わせる事に疑問がない訳ではない。ここにあった方がエスキナは安全なのではないかとも思う。だが、それにしても彼らが持ち主としてふさわしいかは甚だ疑問だ。もっとも、仮にふさわしくなかったとして、彼が何かをする事などできないのだけれど。現状におけるルエイユの立場は弱い。生殺与奪を握られているに等しい状況、何かの交渉の材料にされれば弱いどころかただの足手まといだ。そうなるくらいならここで死んだ方が潔い、早くそうしてくれれば良いものを。手錠に結び付けられた縄を持つ彼から離れられないルエイユは、追いかけながら抗議する。
「目的がカルマなら、僕はどうでもいいでしょう? 捨てるなり殺すなり、したらどうですか」
「いや、予想外だったがオメェさんもお宝だ。帰す訳にはいかねぇな」
答えは予想外の方向から聞こえた。アスティルに気を取られて気付かなかったが、どうやら既に扉が開けられていたらしい。扉の向こうは管制室かなにからしく、沢山のコンピューターやモニターが色とりどりの光を放っている。それを数名の構成員が操作する中心で、椅子にふんぞり返って座る一人の男がいた。
最初に目に付いたのは全身に身につけられた装飾品。純金のネックレスと見るからに高級そうな腕時計、指には一本一本に大きな宝石があしらわれた指輪を嵌め、ニヤリと笑う口元には所々金歯が見える。白いシャツの上から羽織った赤いマントが、色とりどりの貴金属のコントラストが目に痛い。しかしクラシックな成金とは少し違い、体格はかなりしっかりとしている様子で、彫りの深い顔立ちから言っても30代後半程に見えるものの、世間一般に言う、年老いたという印象はなかった。髪はメッシュの入った黒髪だ。下ろせば長いのかも知れないが、大量の銀細工と思われる髪留めで滅茶苦茶に纏め上げられている。
「船長! アスティル・イーゼン、只今戻りんした。言われた通り、カルマのパイロットも連れて来んしたよ」
「おお、遅かったじゃねぇか、アスティル」
どうやらこの男が海賊団のリーダーに当たる人物らしい。船長という事は、ここは先程エスキナに接近していた戦艦の中なのだろうか。随分と落ち着いているが、騎士団や”眷属”は今どうなっているのかも気になる。なにせルエイユは目を覚ましたら既に拘束されていて、ここに来るまでどのくらい気絶していたかも分からないのだ。だが、それを聞こうにも二人の会話はなかなか止まらない。
「船長が『カルマは惑星の中に隠されてる』なんていうからずっと探してたんです。見つからないから外に出てみたら、強奪部隊は半壊してるわ、インベーダーが暴れてるわで意味不明でしたよ」
「それは流石に仕方ねぇだろう。誰が秘匿のVAを出して海賊の迎撃なんてすると思うんだよ。コイツが勝手に持ち出さなきゃ今でもどっかしらの格納庫に置かれてたはずだ……なぁ?」
しばらく様子見か、と思っていたところで思いがけず呼びかけられ、ルエイユはビクリと船長の顔を見た。気付けば二人揃ってこちらを見ている。何も反応ができないでいると、やがて「ほどいてやれ」と船長がアスティルに指示を出した。
「よろしいんで?」
「コイツは大事なお宝だ、捕虜じゃねぇ」
そう言われたアスティルは、素直に縄から手を離してポケットから鍵を取り出す。手錠の鍵穴に差し込むと、カチリという音と共に手錠が僕の手から離れて床に落ちた。今度は少し大きな金属音を放つ。ルエイユはその光景を見つめながら、手首を少しさすった。お宝という言葉は気になるが、どうやらこの男は今すぐ自分をどうこうしようというつもりはないらしい。その様子を満足げに見ていた船長は、立ち上がって両手を横に広げるポーズを取って見せた。
「自己紹介がまだだったな。オレはアッドマン・タイト、このネオグリード海賊団の船長だ。ようこそ、オレ達の海賊船にして欲望の方舟『ディス・アーク』へ! 歓迎するぜ、ルエイユ・ゴード」
「!?」
そう長いという程でもない、アッドマンと名乗る男の挨拶。しかしその中にすら多くの気になる単語が散りばめられている。ネオグリード、欲望の方舟、いや、まずはなによりも。
「どうして、僕の名前を……」
「名前だけじゃありません」
ルエイユの問いに答えたのは、また新しく聞こえた声だった。少し小さめの、淡々とした少女の声。周囲を見回すと、振り向いてこそいないがそれらしい外見の少女が一人だけ居た。色素が薄く、一見白髪にも見える水色のセミロング。その髪と同じような色の服を上下合わせ、まるで病院服のように着ている。色彩感覚が弱いのか、そもそもファッションに疎いのか、何となくだが後者のように思えた。
少女が手元のマニュピレータを操作すると、アッドマンのそばにモニターが浮かび上がる。何かのデータベース……形状としては、履歴書のそれに近いだろうか。無論、誰のものか、などは聞くまでもない。
「ルエイユ・ゴード、フォボス出身。A型の16歳。身長161cm、体重48kg。血縁者は父、イング・ゴードと母、旧姓シオリ・ヤマブキの二名のみ。両名とも二年前の”邪神”によるフォボス居住区襲撃で死亡、以降はエスキナに移住し、教会騎士修練生として保護を受ける。現在の階級は司祭。フォボス人特有の赤錆色の髪を持つが、母親共々プロトグリードの可能性がある……」
「随分と詳しいですね……」
少女がすらすらと並べ立てる個人情報に、驚きや怒りを通り越して呆れてしまう。教団のコンピュータにハッキングでもしたのだろうか、経歴は何一つとて間違っていなかった。ここに連れてこられてからそう時間も経っていないだろうに、仕事の速いことである。
「MS.リール、挨拶もなく人の話に入り込むモンじゃないぜ?」
「失礼しました。二人に任せていたらいつまでも話が進まないと思いまして」
アッドマンの叱咤にリールと呼ばれた少女はしれっと皮肉を込めて返す。その様子から全く反省はしていないだろうという事が明確に伝わってきた。アッドマンはしばらく釈然としないといった風にリールを睨んでいたが、まるでそよ風にでも当たっているように涼しげな表情で仕事に戻る彼女に、それ以上何を言う事もできない。
「……まぁ、なんだ。プロトグリードであるお前を手に入れた以上、むざむざ返す手はないって話だ」
「やっぱり何か知っているんですね、プロトグリードについて」
ついにアッドマンが核心に触れてくる。先程の情報からも分かっていた事だ。いくらデータベースを調べたところで、何処にも申告をしていない、実際にそうなのかも定かではないプロトグリードに関する記述など出てくるはずがない。つまり、彼らはプロトグリードという物を知っていて、意図的にその情報を調べたという事になる。だから彼らが自分を捕らえたままにする理由に、プロトグリードという単語が出てきても別段驚くことではなかった。
「当たり前だろう。オレ達はプロトグリードを称え、目標とするネオグリードだからな」
再び挙がるネオグリードという名前。プロトに対してネオ、言われてみれば単純な話だ。もっとも、蛮族を称えるというのはなんとも納得がいかない話ではあるが。そんな考えを表情から読み取ったのか、アッドマンは若干表情を歪める。
「分からないんだったらアスティルにでも聞いてくれ、オレは長ったらしい説明が嫌いなんだよ」
「わっちも困りんす。これからカルマの調整をしに行くんですから」
アッドマンの指名をあっさりと拒否したアスティルは、既に扉の前に立っていた。話を振らなければ黙って出て行くつもりだったのかも知れない。それに気付いたルエイユは慌ててアスティルを呼び止める。
「ちょっと、勝手に調整って……」
「大丈夫大丈夫、ちょちょーっとコックピット周りをいじるだけですから。君もあんな”動く棺桶”のままじゃ困りんしょ?」
「棺桶?」
彼は一瞬止める事も忘れて首を傾げた。アスティルは隙を突くかのように扉を開いて部屋を出る。
「カルマの製造過程で技術者が付けたあだ名です。こんなものGに耐えられる筈がない、よしんば耐えてもまともに操縦出来ない、死にに行くようなものだってね」
アスティルは扉が閉まる直前にそれだけ答えた。ルエイユの中には新たな疑問だけが残る。なぜ、製造過程のことを彼が知っているのか? 当然の事ながらVAはエスキナで製造される。彼もエスキナ出身という事か。それにしては聞いた事のないなまりがあるが。
「あの、アスティル……さんのご出身は?」
「ジュピターの工芸民族です。彼のなまりは木星人特有のものですから」
さん付けに戸惑いながらのルエイユに答えたのはやはりリールだ。先程同様、こちらに顔は向けず、手元では別の作業に没頭しているように見える。それでも話をしっかり聞いている辺り大したものだが。そして、彼女の言葉を信用すると腑に落ちない点があった。ジュピターという惑星は、確かその質量の大半がガスだったのではなかっただろうか? とても人の住む環境とは言い難い。その答えは続けられたリールの説明で明かされる。
「彼の部族は非常に高い技術力を有し、木星の内部に隠れるようにして暮らしていました。外部からの依頼であらゆる機械の製造を請け負い、VAの製作にも携わったそうです。もっとも、その口封じで全員ジギアスに殺害されてしまいましたが。彼はその生き残りだそうです」
リールはあくまで淡々とした、まるで報告書を読み上げるような口調を変えない。アッドマンも特に気にした様子もなく「安心したか?」とルエイユに問い掛けてくる。対するルエイユはそれどころではなく、内心かなり動揺していた。
言われて見れば”邪神”の出現はエスキナの自治が始まるより先だったのだ。それまでは一体どこで、どうやって秘匿となる神体を作っていたのか。その答えが今明らかになった訳だが、ルエイユにとっては異常としか言いようがない事に変わりはない。騎士達だけでなく、自分が利用しただけの者達すら切り捨てるとは、ジギアスはエスキナ教団の為にどれだけの血を流せば気が済むのか。彼の中に、カルマを見つけた時に感じた怒りが再び蘇ってくる。しかし、今度は我を忘れるような感覚はない。むしろ感覚が澄み渡っていくような、妙な気分を感じていた。
「怒ってるな、ルエイユ。その怒りでオメェさんは今何を考えた? 何がしたい?」
不意に、アッドマンがそう問い掛ける。そう言われてルエイユ思いついたのは、ジギアスを殺す事だ。あの男は危険だ、それに許せない。彼を野放しにしておけば、また救いとやらの為に多くを犠牲にするだろう。そんな事が許されるはずはない。そう、これは義憤だ。恥ずべきものではない。そう思いながら、アッドマンに答えた。
「ジギアスを止めないと。あの男の悪事を放っておく訳にはいかない」
ルエイユにはある予想があった。ずばり、アッドマンはジギアスと戦おうとしているのではないか。故にジギアスに恨みがあると思われるアスティルを連れ、最強と言われていたVA、カルマリーヴァを強奪した。この艦には他にも相当数のVAが搭載されている。中でもアスティルとその専用機の手際は実に鮮やかだった。そして立派な戦艦に優秀な指揮官、戦う準備としては万全と言って良いだろう。もしそう彼らと戦うのならば自分も参加したい、そう言うつもりだった。しかし、彼の予想はあっさりと否定されてしまう。
「くっだらねぇ」
「なっ!?」
力いっぱいといった風に吐き捨てるアッドマンに、ルエイユは思わず懐疑の目を向けた。何もおかしな事は言っていない、むしろ道徳にかなった考え方だと自負していた。少なくともこんな風に言われる理由はないはずだ。だが彼に向けられる目は失望や退屈に満ち溢れていた。
「確かめるまでもないぜ、今のお前さんからは欠片程の欲望も感じねぇ。プロトグリードが一体どんな欲望を見せてくれるのかと思えば、とんだ拍子抜けだぜ」
すっかり興味が失せてしまったのか、アッドマンは伸びをしたまま椅子を180度回転させて背を向けた。と、今度は先程までこちらを見ようともしなかったリールがこちらに向かって来る。彼女は立ち止まる事無くどんどんルエイユに接近し、自分の顔を彼の間近まで寄せてきた。ガラス球のような瞳がルエイユの顔を覗きこむ。少し気恥ずかしく感じたルエイユたが、目を背けてはいけない気がしていた。
「……デザイアは既に確定しています。ただ、本人にその自覚がなく意図的にそれを求める事ができないんでしょう。それに、教団の禁欲的な戒律が無意識にデザイアを引き出す事を抑制していたようです」
やっとリールが顔を離したと思うと、感想のようにそう呟いた。なんの事を言っているのかルエイユには見当もつかなったが、アッドマンは後ろを向いたまま小さくうなり声をあげながら何かを考え込む。腕でも組んでいるのか、肩が少し横に開いた。
「敬虔なのも考えモンだな……なら、ソイツの価値を引き出すにはデザイアを自覚させ、且つ欲望にもっと貪欲にさせないといけないって訳か」
「どちらか一つで十分です。デザイアが分かればプロトグリードはそれを求めずにいられませんし、欲に忠実になれば本能でデザイアに近づくはず」
ルエイユを蚊帳の外にしたまま二人だけで話が進んでいく。彼にはあまりに分からない言葉が多すぎる、なんの説明もなしに理解などできるはずもなかった。漠然とでも分かる事があるとしたら、この二人は普通ではないという事だけだ。
具体的な事は分からないが、どうやらこの二人はルエイユの価値を引き出したいらしい。アッドマンは彼に「お宝」としての価値を見出しているのだから、不思議なことではない。が、それでも納得できるものではなかった。義憤を鼻で笑い、蛮族の欲望を尊ぶ。それはまともな感性と言えるだろうか。
「……分かった、お前さんに任せるぜ」
「はい……では行きましょう、ルエイユさん」
考え事をしている間になにか話がまとまったらしい。それに気付かなかったルエイユは思わず間の抜けた声で返事をしてしまう。それを気にする事もなく、リールは部屋から出ようとする。状況の掴めないルエイユは訳も分からないまま彼女を追いかけた。
「行くって、何処へ?」
「ディス・アークの中を少しご案内します」
「案内……ですか?」
訳が分からない。先程の流れからどうして自分がこの戦艦を案内してもらう事になるというのだ。未だ彼らの事を信用した訳ではないし、利害の一致も望めなかったのに、彼らの言葉に従うべきなのだろうか。少し迷ったルエイユだったが、次にリールから放たれた一言が、そんな疑問など軽がると吹き飛ばしてしまった……。
「聞きたい事があるならその時にどうぞ。知識のデザイアを持つ私の知り得る限りでお答えしましょう」