2-5
「少し遅くなっちゃったかな……」
格納庫とは違う、小奇麗な廊下をルエイユは駆け足で通り抜ける。後で来いと言われていたが、具体的にいつ頃なのかを聞いて置けば良かった。もしかしたら少し遅くなり過ぎたかもしれない。食堂でのミルニア達の「昼食をおごるか」のやり取りが面白くて、つい見入ってしまったのだ。思い出しながらルエイユは考える。それにしてもラスティも商売上手というか、調子が良い。彼は先程ミルニアの肩を持つ形で出した海賊の情報、アレを持ち出して「別に押し売りをする気はないが、参考までに俺は今日Aランチを食べるつもりだ」とだけ言った。ミルニアも最初は押し黙っていたが、最終的に観念したのか頭をうなだれながら「……奢ってやる」と答えていた辺り、律儀なものである。お互い一見正反対の性格をしている様に見えるが、案外良いコンビなのではないか、とルエイユは感じていた。
しばし時を忘れてふと時計を見ると、針は11時を指している。昔、人を訪ねる時は早過ぎない午前中、主に昼食前11時半前後が良いと聞いたのを思い出したルエイユは、教会内の客間に足を運んだ。この道の最奥にはハルコ様が言っていた第一客室がある。何故第一客室がそんな奥にあるのかと昔は思っていたが、この第一客室は客人の中でも特に位の高い人物を招くいわゆるVIPルームだ。相応の広い場所を確保する為に奥に作られたのだと、ラスティが言っていた。程なくして廊下の突き当たりに自動扉とは思えない程豪奢な扉が視界に入った。インターホンを押そうと手を伸ばす。と、その前に中から声が聞こえてきた。
『本当に貴様の代わりが務まるのだろうな、その小僧に』
「!」
驚きのあまりルエイユは思わず手を引っ込める。聞こえてきたのは男の声色で、明らかにハルコの声ではない。通信か何かをしているのだろうか。出直した方が良いか、それとも通信が終わるまで待つべきか、その場で少し考え込む。
「ええ、ルエイユ・ゴードなら問題ないでしょう」
「……え?」
男の声に別の声が答えた。今度は間違いなくハルコの声だ。しかしそれより、自分の名前が上がった事に驚きを隠す事が出来ない。なんの話をしているのか、だんだん気になってくる。考えた末ルエイユは「ここで通信が終わるのを待っているのだ」と自分に言い聞かせつつ、その場に残る事にした。
「白兵戦は不得手なようですが、射撃は申し分ありません。団長の話では、対G能力においても優秀だとか……あつらえた様な能力です」
『乗りこなせるかなど大した問題ではない。私は”動かせるのか”と聞いている』
通信の男が鼻で笑いながらハルコの言葉を一蹴する。その馬鹿にしたような態度にルエイユは内心少しの苛立ちを感じた。折角ハルコ様が僕に身に余る程の評価を下さったようなのに。そんな怒りと、一体この男は何者なのだろうかという疑問がルエイユの中を飛び交う。しかし、彼の疑問など彼らが知る由もなく、会話が止まる事もない。
「そちらも概ね確認出来ました。”邪神”との戦いの時、そして今日の模擬戦。そのどちらにおいても彼は共鳴反応を見せています。模擬戦の様子から察するに、恐らく覚醒も近いでしょう。十中八九、彼はプロトグリードです」
「プロ、ト……」
ハルコが何かの名前を口にした途端、ルエイユは胸を締め付けられるような感覚に見舞われた。反芻しようとしても、苦しさで口がうまく動かない。プロトグリード、初めて聞く名前のはずだ。それなのにどうして。自分がそうだからとでも言うのか。ならばプロトグリードとは、一体。
『欲望に取り憑かれた蛮族めが。よもや教団の中に生き残りが居るとはな』
男が腹立たしげに答える。蛮族という言葉が聞こえたが、その主観に満ちた口調からでは、本当にそういった種族か何かがいるのか、それともそう呼ばれる人々を蔑んでいるのか判断出来ない。ただ一つ、この男がプロトグリードという物を快く思っては居ないという事だけはひしひしと伝わって来た。
「……ともあれ、彼ならばカルマリーヴァを任せても大丈夫でしょう」
男の言葉にハルコは答えず、さりげなく話を逸らす。ただ、一瞬辛そうに息をのんだ気がした。まるで、自分自身が傷ついているかのように。声色だけでは判断出来ないが、もしかしたら彼女もプロトグリードとやらなのだろうか。
そしてルエイユには気になった事がもう一つ、カルマリーヴァを任せるという言葉。彼に”邪神”と戦えと言う意味か、とも思えるがなんとなく違う気がする。なぜそう思ったのかは分からない。だが感じるのだ、心がざわついているのを。そしてざわつきは彼に更なる直感を与える。恐らく、彼らは何か良からぬ事を考えている。
「……出直そう。今顔を出すのはまずい……うわっ!?」
部屋から引き返そうと後ろを向いた瞬間だった。思わずよろけてしまう程の揺れが身体を襲う。同時に聞こえて来る派手な爆音。その振動は、いつもコックピットで感じる物と良く似ている。ルエイユはすぐに悟った、エスキナは何者かの襲撃を受けているのだ。
「それにしてもこれ程の砲撃、一体どうやって……」
エスキナは一教団が所有する小型の物とは言え惑星だ。それを揺るがす攻撃など、戦艦でもない限りできはしない。だが、エスキナとて丸裸という訳ではないのだ。相応の防備はあるし、攻撃圏内に入ればレーダーが教えてくれるはず。
「まさか、レーダーに映らない?」
そこまで考えてルエイユはラスティの話していた海賊話を思い出す。レーダーの範囲外から砲撃を仕掛けてきた船に、存在を確認されなかった貨物室を切り離したなんらかの機体。噂が本当だとしたらこの芸当もできるかもしれない。
腕に付けた通信端末を見る。召集はまだ掛かっていないようだ。敵が見つかっていない、という事だろうか。しかし、それも時間の問題だ。戦闘準備を始めておいた方が良い。そう考え、ルエイユは廊下を先程とは逆方向へ走り出した。
「ルエイユ! 来ていたのですか」
間もなく背後から聞こえて来た声にドキリとする。先程まで聞いていた声だ、間違えるはずもない。
「ハルコ様!」
罪悪感に苛まれながらも、なんとかそれだけ口にする。盗み聞きをしていた事を気取られないように後ろめたさを心の奥に押し込んだ。
「申し訳ありません。部屋の近くまで行ったのですが、なにやらお取り込み中だった様なので引き返させて頂きました」
ルエイユはバレないようにそう説明する。全てが全て嘘という訳ではない、これならば怪しまれる事もないだろう。第一、今は妙な勘繰りをしている場合でもない。彼の予想通りハルコも特に気にした様子はなかった。
「この揺れは敵襲です。沢山の悪意が見える……大型艦だわ」
「分かるんですか?」
安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間、目を閉じながら静かに言うハルコに、ルエイユはそう尋ねる。この区画は本来戦闘要員にはあまり関係のない場所だ。戦術的な設備は何一つない。それなのに情報を知りえるのは、彼女に備わった聖女の力か何かなのだろうか。
「ある程度は。この様子では恐らく艦載機も出てくるはず。私は輸送艦に積んであるプラディナの所に向かいます、貴方もお急ぎなさい」
それだけ言うとハルコはすぐそこまで見えていた廊下の突き当たりを左……VA格納庫とは逆の方向に曲がった。あちら側にあるのはVIPの艦を停泊させておく専用ポートだ。当然の事ながらここからかなり近い。どうやらハルコは有事に備えてプラディナを、より近くにある輸送艦に搭載したままにしていたようだ。ルエイユがその機転に感服していると、ハルコは何かを思い出した様に角まで戻って来て、彼に何かを投げてよこした。片手でキャッチするなんて格好の良い真似はできず、彼は両手で何とかそれを受け取る。
「これは……カード?」
手元に収まったところで渡された物を改めて確認すると、カードというよりはカードキーに近い物だった。比較的硬質なプラスチック素材に、中心部に埋め込まれたチップ、角に書かれた三角のマークと「IN」の文字が機械に通す物だと言うことを表している。
「それはVAのマスターキー。エスキナに所属するVAは全てそれで起動する事が出来ます。貴方はそれでラグディアンを起動させて搭乗しなさい」
「ラグディアンを!?」
ルエイユは驚きの声を隠そうとしなかった。マスターキー、名前を聞くからに重要な役職しか持つ事の出来ない代物だという事が分かる。それを預けるというのだ、未だ配備も決まっていないラグディアンに彼を乗せる為に。
「緊急事態ですので特例で私が許可します。ラグディアンの基本性能はプラッテのそれを遥かに凌駕する物、格納庫にある壱番騎は機動確認用の基本装備ですが、貴方ならばそれを十分に活かす事が出来るでしょう」
何を根拠に、出かけた言葉が喉下で止まる。彼は見てしまったのだ、ハルコの確信に満ちた眼を。まるで自分を見透かすような、彼以上に彼の事を知っているような迷いのない瞳。その眼光の前では、彼に反論などという選択肢はあるはずもなかった。
「貴方は、強い」
有無を言わせぬ表情のまま、諭すようにハルコが言う。その声は清廉ながらも力強く、ルエイユは後頭部をかなづちで打たれたような、それでいて頭が冴え渡るような妙な感覚に襲われた。
「騎士としての才能はないかもしれない。でも人として……いえ、ただの人では持ちえない才能が、力が貴方にはある。私には分かります、私も貴方と同じだから」
「それが、プロトグリード」
思わず小さく呟いてしまうルエイユ。驚きを見せるハルコを見て、自分でも失言に気付き口元を押さえた。ハルコの口が小さく動く。声は聞こえなかったが「知っていたのですか」と言っているように見えた。
「……想いを強さに変える力、貴方はそれを持っています。できるならその力、ジギアス様の為に……」
そこまで言った所でハルコは、一瞬ハッとした表情をしたかと思うとルエイユに背を向ける。
「……先を急ぎましょう」
彼女は苦しげな声で搾り出すように呟くと、そのまま走り出し再び曲がり角に消えて行った。
立ち去るハルコを眺めながらルエイユは考える。彼女が何を思って自分にあんな事を言ったのか、そして何を思って途中で止めたのか、本当ならそんな事を考えるべきなのだろうが。彼にはそれ以上に気になる事があった。
「想いを強さに変える……」
それがプロトグリード。ならば自分の想いとは? そもそも想いの定義とは? 曖昧過ぎるハルコの言葉だけではプロトグリードの全容を窺う事はできない。自分の事すら知らないというのは何とも不安なものだ。だが、彼にはプロトグリードに関する情報があまりに少ない。あと一つ、ハルコが通信で話していた男の一言。
「欲望に取り憑かれた蛮族」
手が震えているのが分かる。怖いのだ、自分がそんな恐ろしい存在であると考える事が。人には理性がある。どんなに欲望を持っていても、それで押さえる事ができるからこその人なのだ。欲望に取り憑かれたのなら、それは既に獣である。もし男の言う事が本当なら、自分は今あるこの理性すら失ってしまうのか。
「……いや、今は考えるな」
気にならないと言ったら嘘になる。だが、プロトグリードが今の彼に力を与えてくれているのも事実だ。そして今の彼には力が必要だ、目の前の敵から人々を守る力が。幸い理性はまだ失われていない。力に清濁はなく、それを決めるのは使い手なのだ。今はこの力、間違わないように使おう。そう自分に言い聞かせ、ルエイユは格納庫へ向かった……。
「はぁ……はぁ……」
道のりにして半ば程であると思われる工業区。ルエイユは早くも息を切らせ始めていた。騎士というものは必ずしも体力が必要な物ではない。無論戦闘時に受ける衝撃に耐える程度には必要だが、逆に言えばそれさえあれば操縦自体は手先で行うので、別段運動が出来なくても十分操縦は務まるのである。ではルエイユはどうかと言えば、現状が示す通りの致命的な運動音痴だった。客間から格納庫までは約3km。成人男性なら15分前後で到着してもおかしくない距離だが、それすらも走破できないでいる。
一旦速度を緩め、息を整えようとしたその時、先程と似た振動が周囲を包んだ。また砲撃が仕掛けられたのだろう。着弾点が近いのか、随分揺れが大きい。その勢いは地を揺るがすだけに止まらず、上空から鉄塊が降り注ぐのが見えた。
「うわあぁぁぁぁああっ!」
思わず声を上げながらその場で頭を抱えてしゃがみ込む。そんなものが当たったらもはや頭を防いでも何の意味もないのだろうが、これはもう脊髄反射である。幸い瓦礫はルエイユの周囲にのみ落下し、中心部にいた彼は少し揺れで身体がよろめいたくらいで怪我一つなかった。安心して小さく息をつく。しかし頭を下に向けた瞬間に彼は見えてしまった。自分が立っている鉄製の床に、大きなヒビが入っているのが。
「……まずいっ!」
最早疲れていた事すら忘れる程慌てながら前方に向かってダイブする。無論着地など出来ず、無様にも地を舐める事となった。直後、狙ったかのように彼が立っていた場所めがけて瓦礫が落ちる。三度足元が大きく揺れ……る事はなかった。その揺れるはずだった床は、既に崩れ落ちてしまっていたのだから。
「そんな!?」
馬鹿な、という暇もなくルエイユの身体も落下していく。転倒した状態ではその場から逃げる事も叶わない。彼は奮戦むなしく破砕した床と運命を共にし、そのまま遥か床下まで落下する事になってしまった……。
「いたた……」
軋む様な痛みに耐えながらルエイユは身体を起こす。視界に広がったのは機械的な壁に囲まれた、そこそこの広さがある空間だった。騎士として通常進入が許可されない場所にもある程度入室できるルエイユでも、その部屋には入った事がない。エスキナがスペースを有効利用する為に地下室を多く有しているのは知っていたが、まさか工業区の地下にもあるとは。見たところそう深い位置にある訳でもないらしい。自分が落ちたと思われる穴も十分見える範囲にある。もっとも、よじ登るには高さがありすぎるが。
「まいったな……」
急いで出撃の準備に取り掛からなければいけないのに、とんだ足止めを喰らってしまった事にルエイユは悪態をつく。この見ず知らずの部屋から格納庫まではどれだけあるのだろうか? 見たところ壁などの材質は似ているようだが、この辺りではまだ格納庫まで距離があるため、地続きになっているとは考えにくい。まずは外に出て位置関係を確認しなくては、と思い周囲を見回した。しかし、
「……出口がない?」
四角い空間の内、一面は何らかの装置が立ち並んでいた為、残りの三面を見たが扉らしい物が見当たらない。馬鹿な、扉がないのなら一体どうやって出入りすれば良いのだ。部屋は薄暗い、おそらく見落としたのだろう。そう思い、改めて壁の一面一面を見直してみる。しかし、近くで見ても三面には出入り口は存在していないようだ。仕方なく、駄目元で残りの一面も確認した。すると、驚くべき事に装置の奥にはまだ空間が繋がっており、そこには人がくぐるにはあまりにも大きい扉があった。
「これは、ハッチ?」
ハッチ、いわゆるVAの出撃口だ。どうやらここはやはりVAの格納スペースであるらしい。その面には格納庫と同じような装置が数多く設置されていた。しかし、それでも疑問は残る。この構造ではVAを用いて外から入って来るしかないではないか。しかも、入ってきた所で中の人間はここから出られない。VAから降りたところで出口がないのだから。つまり、ここはVAを置く事しか出来ない場所なのである。まるで、見られたくない神体を隠すかのように。
「……まさかね」
隠すにしてもここではいざ使う時に一苦労だ。そんなはずはない、そう思っていても一度浮かんだ考えは止まらず、ついつい発進口にVAがないかを確認してしまう。しかし、そこには予想外と言うか、予想通りと言うか……そう、確かにあったのだ、VAが。
「ま、まさか本当に?」
ルエイユは動揺しつつも神体に近づいてみる。疑問は残るが、もし彼の予想が正しいならこれは隠さなくてはならない神体、例えば開発中の最新鋭騎などである可能性が高い。それを一度見ておきたいと思ったのだ。
考えた通り神体は未発表の物だった。ラグディアンに近いフォルムをしているが、武装は固定で重装甲。背部には巨大なブースターを積み、機動力を確保しようとしている。更に肩にはまるで針の様に取り付けられたレーザーキャノン、胸部には巨大な砲身が深紅の光沢を放っていた。そう、まるで怪物が眼をギラつかせているように。
「……え?」
ゾクリ、と背中に悪寒が走る。そして、脳裏に叩き付けられる強烈な既視感。そんなはずはない、自分はこんなVAは初めて見るのだ……そう言い聞かせようとして思いなおす。本当にそうだろうか? この邪悪な雰囲気すら漂う輝き、何処かで見た事がなかったか? あったとしたら何処で?
「……!!」
記憶を辿る内に、脳裏へと強力なイメージが叩き込まれる。そうだ、VAとしては確かに初めて見るだろう。あの時は、ヤツがVAなどとは思っていなかった。だが、黒いシルエット、赤い瞳、神速を思わせる機動力、全てがひとつの事実を浮かび上がらせている。間違いない、コイツは。ルエイユは無意識に、その名を口にしていた……。
「”邪神”……カルマリーヴァ……」