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種を播く男

作者: 葛城 炯

 いつものバーで出逢った男の能力(?)は使えるのだが……もどかしかった。

 いつものバーで仕事の終わりの憂さを晴らすのは週末前の私の楽しみ。

 明日になれば『家族サービス』なる過酷な『労働』が義務として待っている。

 サラリーマンの真の休日は週末前の夜だけだろう。

 そのように思う『戦友』は数多いのでは無かろうか。


 そして……その夜の隣の席に居合わせた『戦友』は……少しだけ変わっていた。


 他愛もない……お互いの社内機密などを隠し、無視した会話は実に楽しく、上司の悪口はキャビアやフォアグラよりも実に酒に合う肴だった。

 そんな愉快な時間ときの後でおもむろに相手は……真剣な顔をして宣わった。

 

「実は……私は『真理』が解るのですよ」


 ……おいおい。

 こんな週末前前夜の貴重なる一時ひとときを電波な言葉で塗りまくられたくはない。

 早々に退散して河岸を変えようかと思った私にその男は真剣に、(かつ疑うには十分な)表情で……and同情に値する表情かおで先を続けた。

 elsoの用意として自分の伝票を引き寄せたのは否定しない。


「信じられないのは解ります。実は私にも理解できないのですから」


 私は自分の伝票を握ったまま、男の先の言葉を待った。


「気づいたのは……中学の数学のテストの時です。あの時、私は全く答えが解らなかった」


 それは三角関数の問題だったという。


「ですが、答えだけは解った。いや、書くことが出来た。 自然対数eの円周率と虚数の乗数が-1だという……e^(πi)=-1 それが私が書いた答えでした」


 それはオイラーの等式。

 数学界の至宝。いや究極の宝玉とも言われる有名な公式。

 とはいえ……それを中学の数学のテストで出すか?


 悪いが、その数学担当教師の頭の中を疑ってしまう。


「そして……正解でした。その時は解法がが全く解らなかった。ですが正解が全クラスで私だけだったという事実が皆の目を隠したのです」


 私は黙って……話の先を促した。


「それからが……異常でした。私は総てのテストで答えが解る。いえ、『答え』だけが解ってしまう。どんな難しい問題でも一見で正解が解る。解ってしまう。どんな意味かも解らずに。過程を一切理解できないのに『正解こたえ』が書けてしまう」


 それは……便利ですね。

 ……さぞかし良い成績でしたでしょう?


「ええ。数学や物理、そして化学以外ならば解法が問題になることはありません」


 つまり……それらでは疑われた?


「その通りです。解法が答えの1つ、いや、重要な要素となる教科では私の結果は疑いの根拠となってしまう」


 確かに。解法を書かずに答えだけを書いたのであれば……カンニングを疑われてしまう。


「結果として……私は数理方面とは決別せざるを得ませんでした」


 大学レベルでは人文社会でも疑われると思うのですが。


「ええ。結果として元に戻って今は医者をしています」


 おいおい。

 何処でどうやって戻った?


「年を経るごとに……色々と『鋭く』なっていきました。それこそ『正解』だけを書いても誰も何も言わなくなりました」


 えーと。

 ……それだけ?


 いやいや、呆れるよりも確認すべきコトがあるはずだ。


 ……そう。貴重ではないだろうか?

 一見で正解、つまり病気の種類が解ってしまう。

 名医として名を馳せてたとしても問題は無いだろう。


「いえ。私はただの初診専用として認められ、勤務しています」


 初診専用?


「ええ。私は『正解』として病名が解る。ですが、証明する手段がない。そこで難しい病状の患者が訪れてきたときは、それと解る種類の精密検査をするように指示する。それだけです。実際の病名はそれが判断できる名医が精密検査の結果を元に診断し結論する」


 なるほど。


「今では大きな病院に勤務し、看護師達や諸先輩の方々にも一目置かれてはいますが……どうにも居心地が悪い。わざと時間を掛けて誤魔化してもいるのですが……何とも言えない居心地が悪さが。いずれにしても私は『解る』だけなのですから」


 それはそれで凄い能力だと思うのだが……何が不満なのだろう。


「……問題なのは私が『正解』、つまり『真理』が解ってしまうというコトなのです」


 それは先程から伺ってますけど?


「いえいえ、違うのです。私が言いたいのは……」


 それから男は暫く沈黙した。

 言葉を慎重に選択している。そんな感じで。


「私は今……世界が『常識』としている事々の中で、『間違い』に気づいてしまうのですよ」


 ……ああ。そうか。『正解』が解ってしまうのであれば、今、現在で世界の常識となっている事柄でも本当は違うというコトが解って……


 ……え?


「いいですか? 私は……今、現在、世界の、総ての科学者達が信じている『常識』ですら間違いが多いというコトに気づいてしまうのです」


 ……それは凄い。

 すぐに間違いを指摘してノーベル賞とかフィールズ賞を……と言いかけて気づいた。


「ええ。お察しの通りです。私には『それ』を証明する手段がない。解法が解らない。証明方法が解らないのです」


 それは……残念ですね。


「ええ。一人だけ、世界の総ての人が信じている『常識』が間違いだというコトに気づいている。そして私には証明する手段がない。私の『答え』が本当に正解なのか、実はただの勘違いというか間違いなのかも。私には解らない。実に……実に悔しい」


 私は……沈黙せざるしかなかった。


 逆『裸の王様』だ。

 周りが解らないことが解ってしまう。そして証明する手段がない。


 実に……もどかしい状況ではないだろうか。


「ですから……私はアナタに総てを譲渡します」


 そう言って男は上着の内ポケットから手帳を取り出した。

 男の表情に押されて開いてみると……え? あんなコトやこんなコトが間違い?

 そして『正解』がこれ?


 特に目に焼き付いたのは101頁にあったNo.1729と記された行。

『光の到達距離が無限大と認識されれば宇宙は膨張していると認識される。しかし、有限であれば宇宙は静止し、有限とする距離によっては収縮していると認識される。この原理はリーマン幾何学などの『平行線の扱い』に従う。『平行線が0』ならば『無限』つまり『宇宙は膨張』、『平行線が1つ』ならば『宇宙は静止』、『平行線が無数』ならば『宇宙は収縮』する。そして光の到達距離が有限か無限かを認識する手段、つまりは実験方法は……私にも解らない』


 はあ……

 良かった。

 この男にも解らないことがあった。


 いや、いやいや。そんなことで安心する必要はないのだが。

 証明方法が解らないというのは散々聞いたことでもある。


 私は暫く様々な頁を眺めて……ふと、我に返った。

 コレは……私が受け取っていい『情報』ではない。


「気にしないで下さい。私は毎日のように新しい手帳に総てを記載し、いろんな人に渡しているのです」


 ああ、なるほど。……って、それでも受け取って良いのかどうか。


「気にせずに受け取って下さい。そして遠慮せずその『情報』を使って下さい。いかなる科学者といえど、現実に使われている……いわば『現場の理論』、つまり『世間一般の常識』が現在の『科学常識』と異なっていればいつかは間違いに気づくでしょうから」


 なるほど。つまりアナタは……

 ……種を播いているのですね?


「ええ。いつ実るのか解りませんが……私は種を播いています。知識の種を、つまりは真理の種を。1つぐらいは……私が生きているウチに実がなって欲しいのですけどね」


 私達は沈黙し、そして微笑み……沈黙のままに乾杯した。


 それから私達は……その話題を避けて他愛もない世間話で夜を過ごした。



 読んで下さりありがとうございます。

 感想などいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私は完全に文化系の人間ですが、「No.1729と記された行」以下の下りが実に分かり易く書かれていて驚きました。 反面、この様な説明をしてくれる人が周りにいたなら少しは数学的な思考が出来ただろ…
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