貧乏子爵令嬢が麗しの侯爵令息の婚約者になった理由
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「晴れてくれて、よかったぁ」
雨が止まなかったら、また校舎裏の非常用外階段の下に潜り込んでご飯を食べることになってしまうところだった。
見上げた空はどんよりと曇っていたけれど。でもまぁ多分きっと昼食を食べ終わるまでは持つだろう。その後ならいくらでも振ってきてくれて構わない。
嘘だ。下校時間にはまた止んでて欲しい。
一番安い寮は当たり前だけれど校舎から遠いので、走って帰るのも大変なのだ。
木の葉に守られてあまり雨に濡れずに済んだベンチの端っこを選んで、タオルで拭いてからそこに陣取り、持ってきた昼食の包みを広げる。雨は止んでてもベンチがビショビショだったら移動しなくてはいけないところだった。良かったと息をついた。
「非常階段の下のあの場所、よく蜘蛛の巣はってるし。誰かが上り下りしたり、扉を開け閉めするだけで埃が降ってきちゃうんだもんなぁ」
蜘蛛さえいなければ、屋根がある方が安心できるのに。いや、頭から降ってくる埃も嫌だわ。
早く、雨が降っていても安心してお弁当を広げられるような場所を見つけなくてはいけない。けれど、それはまぁ今は置いておく。
今日は久しぶりにこうして校庭の奥に隠れるように設置されている古いベンチが使えるのだ。植栽の陰になっているので、校舎からどころか校庭を歩いている時でさえ、ここにあるベンチは見えないのがいい。空気が黴臭くないのは最高だ。
「お腹すいちゃったなー」
校舎からそれなりに距離があるので、急いで食べないと午後の授業に間に合わなくなる。
ヒルダは、白い包みを広げて箱の中身を取り出した。ふわりとパンのいい香りが広がった。
「んんっ。我ながら、良い香り」
くんくんと鼻をうごかし利かせる。子爵令嬢として、はしたない行動だと分かっているけれど、広がるおいしそうな香りの誘惑にヒルダが勝てたことはない。
「暖かくなってきたから、そろそろ腐りにくい食材だけにしないといけないかも。でも今日はまだ大丈夫よね。……うん、大丈夫」
中に練り込んだハーブの効果だってある。挟んである冷製肉は軽く燻製もしておいた。水分をできるだけ少なくして腐りにくいように工夫もしている。令嬢とはいえ育ち盛りだ。働き手でもあるヒルダとしては、他の令嬢たちのように野菜サラダだけで済ませるのは厳しいのだ。
パンに挟んだ肉は夕食の残りだ。けれど冷めてもハーブのお陰でしっとりと柔らかく仕上がって、とてもジューシー。端っこなので、ちょっと分厚い。しかも真ん中より味が濃い。パンに挟んで食べるなら、それがいい。マスタードもたっぷり塗ってきたそれを前に、ヒルダは喉を鳴らした。
「いっただきまーす」
あむっと豪快に頬張ろうとしたところに、人が豪快に転がり込んできて、ヒルダの動きが止まる。
「くっ。人がいるなんて。しかも女生徒とはツイてない。だが、……頼む。匿ってくれ」
「え、あ?」
目を白黒とさせている間に、その人が、ベンチの後ろにある植栽へと飛び込んだ。
がさっと飛び込んだ後には、まるで音がしない。
「今のは? な、なんだったのかしら」
目の前のパンに注視していたので、どんな人だったのかもまるで分からなかった。後ろを振り向いてみたけれど、もう葉っぱ一枚動いていない。
「……え、幻? 私、そんなに疲れていたかしら」
首を傾げつつも、ヒルダの独り言に答える声もない。
豪快すぎる白昼夢なのかとヒルダは思うことにした。
だってお腹空いてたし。午後の授業に間に合わなくなっちゃうし。
「……食べよ」
今度こそ、と思って大きく口を開けたところに、また声が響いた。
「バーナード様はどこよ?!」
「え、ばーなー?」
いかにも高位貴族といった風の、ご令嬢が立っていた。
手入れの行き届いた金髪は綺麗に巻かれており、眩しいほどだ。
視線を動かし制服を確認すれば高等部の生徒だ。しかも胸のリボンは、最上級生であることを示す赤色のものだった。
まごうことなき、高位貴族のご令嬢に違いない。
ヒルダを睨みつける目は吊り上がっていて、声もかなり居丈高だ。正直、怖い。
「バーナード様よ! どこに行かれたか、教えなさい」
「え、あの……わかん、ないです」
もしかしたら先ほど誰かが走り込んできたような気がしたアレは、白昼夢なんかじゃなかったのかもしれない。
そうは思うけれど、どんな顔をしていたのかも判別できなかったし名前も名乗られていないので当然知らない。
そもそも、今どこにいるのかなんてヒルダにはまるで分からないままだ。
だから動揺はあっても、不自然に視線が定まったりすることはなかった。
それが功を奏したのだろう。
「そう。バーナード様、どちらへ行かれたのかしら。こっちの方へ駆けていかれたはずなのに」
あっさりと引き下がったご令嬢に、ほっと息を大きくはき出した。
「まさか。あなた、あのお方とここで待ち合わせしていたりしないでしょうね」「めめめめ滅相もないです! 私はここでランチを食べようとしていたところでして」
あまりにも酷いヒルダの言い掛かりに、震えあがる。両手だけでなく首をせわしなく横に振って懸命に否定した。
顔を蒼白にして否定するヒルダの様子を頭のてっぺんからつま先までじっと観察したご令嬢は、最後にちらりとベンチの上に広げた弁当へと視線を動かすと冷たい笑いを浮かべた。
「こんな所で隠れて、まるで平民のような食事。……あぁ。ご実家が。大変ねぇ?」
「……」
くすくすと笑って告げられたあざけりを籠めた言葉に、ヒルダの頬に朱が走った。視線が下がる。
「ご実家が貧乏だと、食堂で食べられないんでしたわね。ふふっ。こんな陽気でも家から持ってきたものを食べなくてはいけないなんて。ぷっ。腐っていないといいわね。あぁでも、少し食事を減らすくらいがよろしいと思うわ。その体形では殿方から選んでもらえなくてよ? ふふふっ」
令嬢は、言いたい放題勝手に言い終えると、勝手に去っていく。
「……」
パンを持つ手が震えた。それでもここで逆らうことはヒルダにはできない。
ただ黙っていることしかできなかった。
分かっている。ヒルダの指は、子爵家の令嬢として相応しくないほど太く荒れている。
身体だって、貴族の令嬢としての基準としては太い。
分かっている。分かってた。分かっていたことを指摘されただけだ。そう思いはしたけれど、じんわりと視界が滲んだ。
パンを持っていない方の手で目尻を擦って涙を散らした。
「だって、……ちゃんと食べないと働けないもの」
ご令嬢の姿がすっかり見えなくなった頃、ようやくヒルダは口を開いた。
「仕方がないじゃない。お野菜だけじゃ、身体が持たないんだもの」
噛みしめる度に、パンに挟んだ冷製肉の旨味が口に広がっていく。
「マスタードが効いていて、本当においしい! こんなにおいしいものを食べられないなんて。高位貴族の令嬢なんてなるもんじゃないわね。つまらないわ」
自分が一番分かっている。ヒルダの言葉は、負け惜しみだ。
「そもそも。私は太ってなんていませんよーだっ。細くはないけれど。貴族令嬢としては失格かもしれませんけれどねっ」
細くはない。知ってる。けれど、そう口に出してでもいなければ、悔しすぎて大きな声を上げて泣いてしまいそうだった。
本当はヒルダだって学園の食堂できらびやかなランチのコース料理とやらを食べてみたかった。
けれど、学費とほぼ同額になるというランチ代を年額ポーンと払えるような甲斐性は、ロイス子爵家にはない。
二年後には弟も学園に入る予定なのだ。
遠い領地から通える訳もなく、寮費もかかる。貧乏な子爵家には、子供二人を貴族学園へ送ることは重い負担となる。
貴族学園は基礎的な講座を受ける初等部の二年間の後に、専門的な知識を得るための中等部、そうして高度な教育を修めるための高等部からなっている。
最終学年となる高等部卒業まで残る下位貴族の子弟は少ない。ましてや令嬢であるならば基礎的な学問や礼儀を教わる2年間だけ就学して、その後は嫁にいくなり勤め先を探すなりする。
この春に入学したばかりのヒルダも、中等部に進むことなく貴族令嬢として最低限の教育を修めた時点で就職するつもりだった。
学費どころか持参金を用意することもできないのだ。貴族家への嫁入りはまず無理だ。とりあえず就職して弟が中等部を卒業するまでは稼ぎの中から仕送りをして家計を支え、その後はきっと裕福な平民の商家にでも嫁いで実家への援助を継続できれば万々歳だ。
自分の未来を考えると眉間に皺が寄ってしまう。そうならない為にも、ヒルダは目の前のパンのおいしさに集中した。
「うんうん。今日も最高においしい!」
一つ目のパンを食べ終わり、二個目を手に取った。
早く食べ終えて教室に向かわないと、本当に午後の授業に間に合わなくなってしまう。
怒りに任せて食べるのはダメだ。ちゃんと美味しく食べないといけない。これだってタダじゃないんだし、ご飯に申し訳ない。
なのに、包みを開いて口へ入れようとしたところで、またしても邪魔が入った。
ぐっきゅうっきゅうくるるるるるぅぅぅ。
腹の虫が盛大になったのだ。勿論、ヒルダのものではない。
「あ」
いつの間にヒルダの横に立っていたのか。まるで美術館にならぶ彫像のように麗しい顔が、すぐ目の前にあった。
「す、すまない」
きゅるるるるうぅぅ。
その美しい顔が朱に染まる。情けないほど大きな腹の虫を抑え込もうとお腹を押さえている手すらスラリとしていて美しい。ヒルダの指とはまるで違う。同じ人間という種であるとは思えないほど白くて長くてすべすべしている。
けれど、美味しい物を前にしてお腹を空かせている姿に、ホッとした。
「食べますか?」
つい、そう言葉が口からこぼれ出た。
「え?」
そうして、顔を上げた相手と、初めて目が合った。
優美なラインを描く眉の下にある大きな瞳は切れ長で、透明度の高い宝石のような水色をしている。鼻筋はすらりとしていて薄めの唇は形がいい。額の形も、頬から続く顎のシュッとしたラインも。なんというか、白皙というのはこういう顔を言うのだなぁとヒルダは感心してしまった。まるで美術品を見ているようだと。
それはそれとして、パンを差し出したものの、一向に手を伸ばす様子がない。見るからに高位貴族のご令息だ。こんなお綺麗な方は、片手で持って齧るようなパンなんかいくらお腹が減っていようとも食べたりしないものなのかもしれない。それなのに申し出たりして恥ずかしいな、と思ったヒルダはあっさりと申し出を取り下げることにした。
「食べないなら、私、食べちゃいますね」
引っ込めようとした手首を、捕まれた。
ぐぐーっ。もう一度、美麗なご令息様のお腹が、鳴った。
「ご、ちそうに、なろう」
「うまい!」
「ありがとうございます」
屈託のない率直な誉め言葉を貰って、ヒルダはニコニコした。
「肉もうまいが、このパンに使ってあるハーブがまたいいな」
ぺろりと食べきったご令息さまが満足げに呟いた。
「わかりますか! それはベランダで育てているハーブなんです。パンを捏ねる前に摘んで混ぜ込んでいるんですよ」
「ベランダで? それはすごいな」
「えへへ。それほどでも」
単純だとは思うものの、手放しに褒められて頬が緩んだ。
一人悶えていると、視線を感じた。
しかし、いくら期待を込めた視線を向けられようとも、ヒルダ一人分の昼食として持ってきていたのは、パン2つだけ。
先ほどヒルダが2つ食べているのでもう無い。
見るからに体の大きな上級生には物足りないかもしれないが、無いものは無い。我慢してくださいね、と心の中で苦笑して解散を促した。
「食べ終わったなら、行きましょうか。先輩も、午後の授業に間に合わなくなってしまいますよ」
この場所は、どちらかといえばヒルダの通う初等科の校舎に近い。
高等部のある校舎は中等部の校舎の更に奥となる。
ヒルダの足であったならどれだけ頑張って走ろうとももう間に合わないかもしれない。
「キミは毎日、ここで昼食を?」
「いえ、毎日ではないです。雨の日はさすがにここでは無理ですし」
当たり前だ。屋根もない唯のベンチなのだ。植栽の陰になっている分、枝葉から落ちてくる水滴も多い。
「……そう、なのか」
しょんぼりとしてしまった様子の上級生に、首を傾げる。
なんだろう。もしかしたらあのご令嬢が怖いとか?
そんなことを言われたとしても私だって怖い。守って上げられるわけがない。ここは早々に逃げるが勝ちだ。
「はい。では失礼しま、……え?」
頭を下げて校舎へ戻ろうとしたヒルダだったが、腕を、大きなあの綺麗な手に掴まれていた。
「あの?」
上級生が名乗らなかったのでヒルダも名乗っていない。
なのでこの場限りなのだと思っているのだが、いったいどんな話があるというのだろうか。
なかなか話し出さない上級生に諦め半分で、ため息をついた。身体を向ける。
「頼みがある。貴家の料理人に頼んで、私の分の朝食も作って貰えないだろうか」
「は?」
「勿論、金なら払う。材料費だけでなく、人件費もだ」
ヒルダは顎が外れたように大きく口を開けたまま、目を見開いた。
ヒルダはただの令嬢だ。いわば素人の作った家庭料理だ。いいや料理とすら言えないかもしれない。一般的にはおやつの部類だろう。だってパンを焼いてそこに夕べの残り物を挟んだだけなのだから対価を払ってもらうほどのものではない。勿論、材料費自体は掛かっているから無料で提供することなどできない。
けれど、高位貴族のご令息に食べさせられるようなものではない。断じて。
「頼む。貴家への謝礼も弾む。正式な要請が必要ならば、我がオルソン侯爵家から書状も出そう」
……。
オ ル ソ ン 侯 爵 家 って、イイマシタカ?
この国の宰相を代々勤めている? 単なる高位貴族というだけではない。この国でも有数の名家のひとつの?
「ふぇっ?! ムムムムムリです!」
吃驚しすぎて否定する声がひっくり返った。もうすこしで息の根が止まる所だったが、声を出したことで呼吸を復活させることができた。慌てて顔の前で手を高速で横に振った。必死だった。
「何故だ?!」
なのに。あっさりと、振っていた両の手を掴まれて顔を覗き込まれながら、無理な理由を聞かれて悲鳴を上げた。
「ひゃぁっ。む、無理だからですぅっ」
綺麗な手に手を掴まれて、ヒルダは混乱の極みに達した。
水仕事で荒れた自分の手と、美しく手入れの行き届いたご子息の手が並んで目に入って、じわっと涙が目尻にたまる。
悲しいというか情けないというか。なんだか分からないけれど、これまでどんな時だって感じたことのなかった重苦しさが胃の辺りにずんとくる。
それだけでもダメージとして十分すぎるというのに。あばた一つない完璧すぎるお顔が。ヒルダのすぐ目の前に迫っている。
綺麗な水色の瞳に極至近距離から覗きこまれて、ヒルダはこのままでは目が潰れると思った。離して貰いたい一心で叫んだ。
「だってあれを作ったのは私なので!」
そう。このパンは、ヒルダが焼いたものだ。
パンだけではない。冷製肉だってマスタードだって、ヒルダが仕込んだものなのだ。
寮の厨房を借りてである。使った材料代はノートに記入して後精算となる。
できるだけ安く上げたいので夕食用として多めに作った食事を朝食と昼食に廻すやりくりをしている。つまり、先ほどのパンもヒルダの昨夜の残りと言えなくもない。よくそれを差し出したと言われれば反省するしかない。オルソン侯爵令息に残り物を食べさせたなどとバレたらと想像して、罪に問われてしまうかもしれないとヒルダは震え出した。
だってこんなに綺麗な、まるで物語から飛び出してきたような美しい人なのだ。
今は大丈夫そうに見えるけれど、頑丈なヒルダの胃袋と違って、お腹を下してしまうかもしれない。
絶対にそこは白状しないようにしようと震える。
──あぁ、神様。もう二度と、腐りそうかもしれないと思った食べ物を誰かに差し出したりしません! それがたとえ善意であったとしても!!
「なんと、これを作ったのは君なのか! すばらしい!!」
「え……」
ガッと両手で肩を強く掴まれた。
「何かを食べて、こんなに感動したのは初めてなんだ。私よりずっと年下なのに、こんなにおいしい物を作れるなんて。すばらしいな、君は」
水色の瞳がキラキラと輝き、そこにヒルダだけが映り込んでいる。
美しいけれど陰鬱だった顔が、今はまるで発光しているようだ。
ううん、発光しているように美しかったのは最初からだけど。
でも今は、全然違う人みたいだ。声も弾んで、艶やかで陶器のようだった白い頬がほんのりと色づいたことで生き生きとして見えるし、瞳の輝きが全然違って見える。
なんて、きれいな人だろう。見惚れずにはいられない。
「すごいな。その歳でこんなに美味しい物を自分で作れるなんて。すばらしい才能だ」
叱られるどころか、ふわっとほころぶように微笑んだご令息から褒められて、言葉を失う。
「え、あの……どうも」
「それで、なぜ君が作っていると駄目なのだろうか……あぁ、そうか。そうだな。婚約者がいるなら、異性である私の食事を作ることは、許されないか」
しょんぼりと肩を落としたご令息が、ひとり納得した様子で慌てた様子で手を離すと、一歩下がって遠ざかる。
すこし離れて貰ったお陰で息ができるようにはなったけれど、あまりに辛そうな声と表情が先ほどの笑顔との差が凄すぎて、ぎょっとしてしまう。
ヒルダには婚約者などいない。
実家であるロイス子爵家は貧乏すぎて、持参金を用意する余裕さえないのだ。
ヒルダは学園の基礎コースとなる二学年時が終了したら進級せずに、就職先を探して実家に仕送りするつもりでいた。
「こ、婚約者なんて、いません!」
「では、恋人か?」
「こっ、こい!? いません!!」
ふるふると力いっぱい顔を横に振って否定する。
「では……片思いの相手がいて、誤解されたくない?」
「そんな相手もいませんってば!」
問い詰められて再び顔がずずずいっと近づいてくる。
「なら、問題ないではないか」
「うっ」
しまった、とヒルダは後悔した。
婚約者や恋人がいるという嘘は調べられたらすぐにバレてしまうが、『片思いの相手がいるので』と言っておけばバレようがなかったのに、と。
「あのあのっ、私は寮暮らしでして、その……寮の厨房をお借りして端っこで、一番安い食材を使って作っているんです。なのでその、そんな粗末な食事を、侯爵家のご令息に食べさせるなどですね」
食材は後精算だ。寮の食事とはいえ貴族家の子息令嬢が食べるモノなので、食材は高級なものが揃えられている。ヒルダは賢明に予算内に収まるように計算して食事を作っていた。つまり、予算が先にあって、その中で一番腹持ちが良くておいしいと思えるものを作っている状態だ。とても高位貴族のご令息に食べさせられる訳がない。なのに。
「粗末などではない。おいしいか、おいしくないかだ。そうしてこのパンは、私にとって最上級だ」
断りの言葉を探して迷うヒルダの言葉を遮って、熱く語られて胸の奥がギュッとする。ロイス子爵家には、富も栄光もない。けれど、ヒルダ自身が努力して得たものを褒めて貰えて、嬉しかった。胸の奥がじんわりと温かくなる。笑顔がきらきらしているのも、とても困る。ヒルダは、この笑顔を曇らせる言葉しか返せないのだから。
「それにしても寮の厨房の端を借りて一番安い材料を使って作って、このクオリティならば……うむ」
胸が高鳴りすぎて、何か考え事をしていた様子のオルソン侯爵令息がぶつぶつと呟いている言葉はよく聞き取れなかった。
けれど、なにより大切なことを思い出して声を上げた。
「午後の授業に遅刻しちゃう!」
「よし! では、私と婚約してくれ、ご令嬢!」
今度こそ、吃驚しすぎた私はそのまま気を失って、麗しのオルソン侯爵令息様と二人、午後の授業どころでは無くなってしまったのだった。




