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北門夕薪は、晩餐会準備費へ振替済みではありません

「北門夕薪、王宮晩餐会準備費へ振替済み」


家令が読み上げた会計欄は、火より先に紙の上で燃えていた。


振替済み。準備費。晩餐会。


どれも整った言葉だった。けれど、そこには薪の匂いがなかった。雨を吸う前に軒下へ積み直したノラの手も、包帯を乾かすために一本だけ細く割ったテッサの斧跡も、夜番明けのカイルが帰院するまで残しておく最後の太い薪も、どこにも書かれていなかった。


「振替済みとは、何がどこへ到達した確認ですか」


私は母の料理帳を開いたまま、会計欄の横へ新しい白紙を置いた。


家令は少しだけ胸を張った。


「伯爵家が負担した北門施療院小竈の薪代を、王宮晩餐会準備費へ付け替えるという意味です。晩餐会で使われる火は、もともと伯爵家の――」


「火の話ではなく、薪の到達先の話です」


私の声は、思ったより静かだった。


「薪代という言葉を、燃える前に会計へ移すと、今夜どの椀が冷えるのか見えなくなります」


セレスティア様が、封蝋の箱を閉じずにこちらを見た。


「生活影響明細を」


「はい」


私は一つ目の欄に、細い薪二本、と書いた。


細い薪二本。ミラの夕薬前、半椀を弱火で戻す分。熱しすぎ不可。冷えすぎ不可。


「これは晩餐会準備費へ振り替えられますか」


家令は眉をひそめた。


「薪は代替可能です。王宮厨房にも十分な薪が――」


「王宮厨房の薪は、ミラの椀へ届きません」


私は母の料理帳の端を指で押さえた。


「この二本は、北門の小竈の横で、ノラが湯温を見ながら足す薪です。場所と手が違えば、同じ薪代ではありません」


ノラが湯冷まし壺を抱えたまま、こくりとうなずいた。


「ミラは、熱いと咳きこみます。冷たいと薬を吐きます。細い薪じゃないと、すぐ強くなりすぎます」


私はその言葉を欄外に書いた。


湯温確認者、ノラ本人。細薪二本、北門小竈横に残置。


二つ目の欄には、平たい薪三本、と書いた。


平たい薪三本。テッサの包帯三枚、煮沸後乾燥。雨前に半刻。


「これは準備費ですか」


「包帯乾燥まで伯爵家の会計で見る必要は――」


「では、伯爵家の会計で取る必要もありません」


言い切ると、王宮厨房の奥で誰かが小さく息をのんだ。


テッサは抱えていた浅鍋の縁を見つめた。


「濡れた包帯をしまうと、明日の朝、傷の子が震えます。乾いた包帯なら、泣かずに巻き替えられます」


包帯乾燥、雨前半刻。確認者、テッサ本人。


三つ目の欄には、太い薪一本、と書いた。


太い薪一本。カイル夜番粥。帰院後、門の鍵を返す前に一椀。


扉の外にいたカイルが、遠慮がちに声を出した。


「俺の分は、なくても我慢します」


私は顔を上げた。


「我慢を会計欄に入れると、次から毎晩、誰かの椀が消えます」


カイルの言葉が止まった。


「あなたの一椀は贅沢ではありません。門を閉め、鍵を返し、朝の薬運びを通す人が、倒れずに帰るための薪です」


セレスティア様が静かに言った。


「帰院確認まで含めるのですね」


「はい。薪は、燃えた時ではなく、食べた人が帰れるところまで数えます」


私は四つ目の欄に、灯り用の端薪一束、と書いた。


端薪一束。雨の帰院灯り。ノラ、テッサ、カイルが北門へ戻る道。


家令が紙をのぞきこんだ。


「灯りまで含めれば、きりがありません」


「帰れない人を出した時点で、火守り手順は完了しません」


私は会計欄の「振替済み」の字へ、青い保留線を一本引いた。


「北門夕薪は、晩餐会準備費へ振替済みではありません。細薪二本、平薪三本、太薪一本、端薪一束。夕薬、包帯乾燥、夜番粥、帰院灯り。それぞれの生活到達条件が終わるまで、会計上も未完了です」


書記が、私の白紙と家令の会計欄を見比べた。


「では、この振替通知は……薪の生活影響明細未添付」


「それだけでは足りません」


私は首を横に振った。


「誰の薪を、どの椀から、どの道から外すのか。そこまで書けない振替は、発令前保留です」


ノラが、湯冷まし壺の蓋を押さえた。


「細い薪、戻していいですか」


「戻します」


テッサが浅鍋を抱え直す。


「包帯も、北門で乾かしていいですか」


「乾くまで、ここでは完了にしません」


扉の外で、カイルが少し笑った。


「じゃあ俺は、太いの一本分、ちゃんと帰って食います」


その声で、会議室の中の火が少しだけ北門へ戻った気がした。


セレスティア様は赤い封蝋ではなく、青い保留印を取り出した。


「王宮厨房監督官名で保留。北門夕薪は、生活到達条件未完了。夕薬、包帯乾燥、夜番粥、帰院灯りが確認されるまで、晩餐会準備費へ振替不可」


印が落ちる。


紙の上の「振替済み」は、初めて薪の形を取り戻した。


大きな勝利ではない。


晩餐会の火はまだこちらを向いている。父エルンストは、母の料理帳を会計の言葉へ押し込めようとしている。マリベルの未読欄も、まだ本人の声へ戻っていない。


けれど、今夜のミラの椀は冷えない。


テッサの包帯は乾く。


カイルは鍵を返し、太い薪一本分の粥を食べてから眠れる。


私は母の料理帳の余白に、今日の規則を書いた。


薪は、燃える前に、届く椀の名で残す。


その時、家令の袖から、小さな黒い控え札が落ちた。


拾い上げた書記の顔色が変わる。


「……晩餐会当日臨時調理人名簿。北門火守り補助、マリベル・ヴェルナー。代筆確認、リディア・ヴェルナー」


私の名前の横には、父の印ではなく、母の料理帳と同じ古い火印が押されていた。


薪は守れた。


けれど今度は、火を見る人の名そのものが、晩餐会の名簿へ運ばれようとしていた。

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