第22話 トーヴェ(Tove)
あまりにも疲れていたせいで、私は横になった途端、深い眠りに落ちた。
夢の中で、ルクとシモンズ、それに隊長のカッセが現れた。
三人は焚き火を囲んで座り、何かを楽しそうに話している。それぞれの手には、一枚ずつ金貨が握られていた。
火の明かりに照らされた彼らの笑顔は、ひどく穏やかで、あたたかく見えた。
けれど妙だった。
私が彼らの前まで歩み寄ると、三人はまるで示し合わせたように同時に立ち上がり、そのまま燃え盛る焚き火の中へ向かって歩き出したのだ。
私は必死に声を張り上げて止めようとした。だが誰一人として振り返らない。
そのまま一人、また一人と、火の中へ消えていく。
炎が一気に吹き上がり、熱い風が正面から顔を打った。焼けつくような熱が頬を舐める。
あまりの熱さに耐えられなくなった瞬間、私ははっと目を覚ました。
……
目を開けると、宿舎の外はすでにただならぬ様子だった。
カーテンの隙間から、ちらちらと揺れる赤い火の光が入り込み、顔の上で踊っている。扉の隙間からは濃い煙が絶えず流れ込み、空気には焦げた臭いが満ちていた。
胸の奥が一気に冷たくなる。
――火事か?
そう思った次の瞬間、自分でその考えを打ち消した。
違う。
これは――
「ゴブリン軍が、もうチカ町に攻め込んできたのか……!」
正直、ここまで早いとは思っていなかった。昼間に侵攻の情報を伝えたばかりだというのに、その夜のうちに敵が到達するなど。
早すぎる。
しかも攻勢が激しすぎる。たった一晩で、町の中心部にある冒険者ギルドのあたりまで押し込んできている。
ケンは無事に情報を回せただろうか。住民たちに警告は届いただろうか。
そんな不安を抱きながら、私は荷物をまとめ、外の様子を見に行こうとした。
だがその時、不意に窓の方から小さな物音がした。
私は即座に身構える。
ゴブリンかもしれない。いや、そうでなくても、夜更けに他人の窓から近づいてくるような相手がまともなはずはない。
私は荷物を放り出し、壁に背をつける。短剣を抜き、息を殺した。
やがて、窓の外から一つの影が身を乗り出し、そのまま室内へとよじ登ってきた。
長めのスカートを履いた、若い娘だった。両手で麺棒をぎゅっと握りしめ、恐る恐る窓枠をまたいで入ってくる。
動きはひどくぎこちなく、ひとつ身を乗り入れるたびに「うっ」とか「よいしょ」とか、小さな声が漏れている。
どうにか全身が部屋の中に収まったところで、ようやく辺りを見回そうとして、彼女は私の存在に気づいた。
少女の顔から、さっと血の気が引く。
そのおかげで、私ははっきりと彼女の顔を見ることができた。
栗色の髪を後ろでまとめ上げており、全体の印象はきちんとしている。だが、すらりとした目元にはどこか人懐っこい色気があり、通った鼻筋と滑らかな肌、小さく引き結ばれた唇が、少女らしさと大人びた雰囲気を同居させていた。
そして一番目を引いたのは、腰に提げた小さな茶色の革鞄だった。ファスナーの端には、小ぶりな竹筒がひとつ揺れている。
その姿には、整った上品さと、どこか愛嬌のある可愛らしさが、不思議なほど自然に同居していた。
私は彼女を知っていた。
そして、向こうもまた私を知っていた。
彼女はほっとしたように大きく息をつき、胸に手を当てて笑った。
「なんだ、コロンだったの。びっくりしたよ」
「トーヴェさん……どうしてここに?」
私は思わず頭を抱えたくなった。
目の前の少女こそ、この身体にとっての“幼なじみ”だった。パン職人の修業をするため、今はチカ町に住む叔母の家へ身を寄せている。
記憶の中の彼女は、昔から活発で、少し変わった夢ばかり語る子だった。
外の世界へ一緒に冒険に出たい。
行商人になって、あちこち旅をしてみたい。
そういう突拍子もないことを、いつも目を輝かせながら語っていた。
その後、私は冒険者になるために故郷を離れ、彼女もまたしばらくして別の土地へ移った。
少し前にチカ町で偶然再会し、そこからまた交流が始まったばかりだった。
本当は明日にでもこちらから顔を出そうと思っていたのだ。それがまさか、向こうからこんな時間にやって来るとは。
「冒険者ギルドの裏口から忍び込んできたの。あとね、コロンの部屋、探すのすっごく大変だった。危うく迷うところだったんだから」
トーヴェはそう言いながら、乱れたスカートの裾を直し始めた。
……誰も来てくれなんて頼んでないんだけどな。
そんな言葉は胸の内に押し込める。
「いや、そういうことじゃなくて。どうしてここにいるって分かったんですか? それに、どうして真夜中にわざわざ……」
「うーん、私、毎日の仕事が終わったあとに冒険者ギルドへ寄って、コロンのこと聞いてたの。今日ちょうど、帰ってきたって聞いて。でも会いに来たら、部屋にいなかったから」
そこで少し首を傾げ、当たり前のように続ける。
「来た理由? そりゃ、心配だったからに決まってるでしょ」
そう言いながら、彼女は私のまとめかけていた荷物へ興味津々といった顔を向けた。
「そうだ、コロン。外にいたあれ、見た? 背が低くて、緑色で、あんまり賢そうじゃないやつら」
「……やっぱり、ゴブリン軍か」
彼女の言葉で、私の予想は確信に変わった。
あの緑色の小鬼どもで間違いない。
状況は、思っていた以上に深刻だ。
ゲームで知っている歴史の流れ通りなら、チカ町が陥落したあと、わずか三日で双流城も落ちる。
高い城壁と十分な兵力を持つあの城が、たった三日でだ。
誰も、ゴブリンがこれほどの勢いで押し寄せるとは思っていなかった。
誰も、ロニクス王国の軍権を握る貴族たちが、これほど脆弱だったとは想像していなかった。
「コロン? コロン?」
考え込んでいた私の腹を、トーヴェが指先で軽くつついた。我に返ると、彼女は私の背後へ回り込み、耳元に近い声で囁く。
「ねえ、外の音、聞こえてる?」
私はうなずいた。
宿舎の廊下には、複数の足音が慌ただしく行き来している。数は少なくない。しかも、その足取りは軽い。
重さのなさからして、相手はゴブリン兵に違いない。
私は口元に指を当て、静かにするようトーヴェへ合図した。そのまま手を引き、窓際まで下がる。
今の私の力なら、数匹のゴブリン兵程度なら問題なく倒せる。だがここで戦闘音を立てれば、本隊に気づかれる危険がある。より上位の個体まで引き寄せてしまえば、今度こそ包囲されかねない。
しかも今回は、戦えない少女まで一緒だ。
「どうやら、あなたが入ってきた道をそのまま使うしかなさそうですね」
「うん、任せて。案内する~」
そう言うと、トーヴェは私より先に窓枠へ足をかけた。
さっき一度よじ登った経験があるせいか、今度は動きがだいぶ滑らかだ。
私もその後に続いて窓から外へ出る。
そして初めて、チカ町の夜空がすっかり橙色に染まっていることに気づいた。
遠くからは武器のぶつかり合う音。
泣き叫ぶ人々の声。
燃え上がる火が、空の半分を赤く照らしている。
「ねえ、コロン」
隣に立つトーヴェが、少し震える声で尋ねた。
けれどその震えの奥にあるのは、恐怖よりも、むしろ知りたいという気持ちだった。
「なんでゴブリンが、私たちを襲ってるの? コロンは知ってるんでしょ?」
私は深く息を吸い込み、火の海に変わりつつあるチカ町を見つめた。
「これは、ゴブリンの軍隊です」
そう言って、私は静かに続けた。
「……戦争が、始まったんです」




