第14話 危機一髪
間に合わないのか。
いや、やはり間に合わない。
相手が腕を持ち上げる動作は決して速くはない。だがこれまでのゲーム経験からすれば、すでにアルカナ粒子の凝縮は完了している。掌の中で緑の光が完全にまとまった瞬間、《衰滅の光線》は即座に放たれる。
残された時間は、せいぜい二、三秒。
このわずかな時間で十数メートルの距離を詰めるなど、【敏捷】がわずか4しかない私にとっては不可能に近い。
回避することもできない。
この通りは広くはないが、住民たちによってきれいに整えられている。樽も荷車もなく、瓦礫一つ落ちていない。身を隠すものが何もない。
突っ込んでも死。避けても死。防具もない。天賦【無畏】も即死級の魔法には無力。
完全な詰みだった。
唯一の救いがあるとすれば――この魔法で死ねば、苦しまずに済むかもしれないということくらいだ。
惰性に任せてアンデッドプリーストへと突っ込んでいくその最中、聞き慣れた金属音が再び響いた。
ヒュッ――
隊長の矢だ!!
ゴブリンの圧迫が消えたことで、カッセの手は明らかに安定している。
矢は私の肩すれすれをかすめ、髪を数本巻き込みながら一直線に飛ぶ。その狙いは、無防備なアンデッドプリーストの胸部。
しかも私が前にいることで死角が生まれている。あの鈍い反応速度では、この一撃は避けられない。
一瞬、矢が胸を貫き、断末魔を上げながら灰と化す光景が頭に浮かんだ。
――だが次の瞬間、矢は突如現れた巨大な透明の障壁に弾かれた。
「やはり備えがあったか!」
予感は的中した。召喚したゾンビをすべて失ってなお逃げなかった理由は、この防御にあったのだ。
《抗拒光環》と呼ばれる防御魔法。効果は単純で威力も限定的だが、ゲーム序盤では物理攻撃に対して非常に有効な手段だった。
だが――おかしい。
アンデッドであるはずの相手が、なぜ無属性の魔法を使える?
「ハハ……これは人間どもの小細工だ」
かすれた声とともに、プリーストはもう一方の手に握った羊皮紙を掲げた。
次の瞬間、それは炎となって燃え尽きる。
同時に、透明な障壁も消えた。空中で止められていた矢が、ようやく地面に落ちる。
異なる性質のアルカナがぶつかり合ったことで、空間に乱れが生じたのだろう。
矢が地面に落ち、抗拒光環が消えたその瞬間、溢れたエネルギーがプリーストの掌の中の緑の光を激しく揺らした。
今にも放たれるはずだった衰滅の光線が、わずかに乱れる。
その一瞬の隙を、私は見逃さなかった。
「好機だ!」
加速する。
全身の力を絞り出す。
十メートルの距離が、一気に縮まる。
技も構えもない。ただ前へ突き出す一撃。
視界の端では、緑の光が今にも放たれようとしている。空気中で弾ける微細な電光が見える。プリーストの魂火が、焦りで一瞬強く揺らぐのも見えた。
だが、それ以上は見ていない。
次の瞬間、手に伝わったのは、刃が肉を貫くあの独特の感触。皮膚を裂き、筋肉を押し分け、筋膜を突き破る。一瞬の抵抗の後、すべてが滑るように貫通した。
勢いのまま、私はプリーストごと三メートル近く突き飛ばす。
歪んだ笑みがそのまま顔に貼り付いたまま、魂火は風船が破裂するように消えた。
緑の光も消える。
身体に走る亀裂。やがて全身が崩れ落ち、黒いローブだけを残して灰となった。
ガラン――
土埃とともに、剣が地面に落ちる。
私は剣を杖代わりにして、荒い呼吸を繰り返した。
強敵は、倒した。
張り詰めていた意識が緩んだ瞬間、疲労と痛みが一気に押し寄せる。
今ここでゴブリンの斥候でも現れたら、もう戦う力は残っていない。
胸に溜まっていた血を吐き出し、左腕を見る。袖は焼け焦げているが、幸いにも深い傷はない。
もし闇のアルカナに侵されていたら、浄化するには都市の教会へ行くしかない。クレリックに頼むか、司教に祝福された聖水を買う必要がある。
どちらにせよ、今の自分には払えない額だ。
「コ……コロン……」
弱々しい声が耳に届く。
ようやく、戦場に自分以外の生者が残っていることに気づいた。
カッセだ。
道端に寄りかかる彼の姿は、惨状そのものだった。顔は血の気を失い、切断された脚は布で巻かれ、その上から弓弦で強く縛られている。
わずかに動く眼球と、痛みに震える身体がなければ、死体と見分けがつかないほどだった。
「背……背嚢の中……赤い薬を……取ってくれ……」
私は急いで背嚢を探り、手のひらほどのガラス瓶を取り出す。中には半分ほどの赤い液体が残っている。
ゲームでは当たり前のように使っていたポーションを、初めて現実で手にする。
栓を抜き、彼の口元へ運ぶ。
念のため確認する。
「どれくらい飲みますか?」
「全部だ」
私はゆっくりと液体を流し込む。
その時、カッセの目に一瞬、惜しむような色が浮かんだ気がした。まるでこれが貴重品であるかのように。
次の瞬間――
彼の顔に血色が戻る。出血は止まり、荒かった呼吸が徐々に落ち着く。ぼやけていた瞳にも、再び焦点が戻った。
これがポーションの回復力か。
ゲームでは光が一瞬走るだけで全回復していたが、現実ではこうしてはっきりと変化が見て取れる。
だが、失われた脚は、戻らなかった。
「ありがとう……助かった……」
カッセは脚を見ようともせず、ただ深く息を吐いた。
「さっきの赤い光……魔法装備か?」
彼の視線が、私の指へ向けられる。
「はい……」
「強力な装備だな。最初から使わなかったのは、何か制限があるのか?」
「正直に言うと、この指輪の光線は一日に一度しか使えません。本当は最後の切り札として取っておくつもりでした」
「気にするな。責めているわけじゃない。あれがなければ、俺は確実に死んでいた」
「そんなことは……」
「少し休む……その間に戦利品を回収してくれ。それから……ルクとシモンズの武器も忘れるな。家族に返してやらないといけない」
「……分かりました」




