第12話 板挟み
月明かりの下、冷たい風がゼス村の広場南側の道を吹き抜け、地面に積もった黒い灰を空へと舞い上げた。
かつて皮肉ばかり言っていた、あの口うるさいドワーフは、こんな形でこの世界から完全に消えてしまったのだ。
「うあああああっ!!!」
人とは思えぬ咆哮が、突如として響き渡る。
半獣人のルクは激昂した獣のように、手にした両手斧を振り上げ、そのまま前方のローブの人物へ突進しようとした。
「ルク!止まれ!お前まで死にに行くつもりか!」
隊長カッセの怒声に、ルクははっと我に返る。脳裏にあの不気味で恐ろしい緑の光がよぎり、踏み出しかけた足を宙で止めた。
「ですが隊長、シ……シモンズが……!」
言い終える前に、彼の視界の端を一つの影が駆け抜けていく。
「コロン……」
「コロン、お前、正気か!?」
……
背後から聞こえるカッセとルクの叫び声、そして風を切る音が一緒になって耳に流れ込んでくる。
だが私はそれに応える余裕などなく、意識のすべてを十数メートル先のローブの人物へと集中させていた。
いや、正確には――“アンデッドプリースト”だ。
アンデッドの中でも下位に位置するメイジいであるアンデッドプリーストは、特に二つの術に長けている。ひとつは「死体操作」、もうひとつは「衰滅の光線」。どちらも“闇”のアルカナ粒子を媒介として発動する黒魔法だ。
死体操作はその名の通り、死体を蘇らせ、命令に従うゾンビとして使役する術。
そして衰滅の光線――その恐ろしさは、すでに全員が目の当たりにしている。大量の闇のアルカナ粒子を圧縮し、一気に放出する攻撃魔法だ。
ゲーム序盤、レベル5未満で魔法防御装備も整っていない新規プレイヤーにとって、これはまさに悪夢だった。野外では、この緑の光に一瞬で消し飛ばされる光景など珍しくもなかった。
だが同時に、この術は膨大な闇の粒子を集める必要があるため、詠唱には長い時間を要する。
――その隙こそが、私に与えられた唯一の攻撃機会だ。
「隊長!今のうちに弓で攻撃してください!アンデッドプリーストは、皆さんが思っているほど無敵ではありません!」
走りながら、私は弱点を叫ぶ。
「胸部が弱点です!ローブで隠れていますが、そこに魂の核があります!そこを狙えば――」
その言葉を聞いた瞬間、アンデッドプリーストがこちらを見上げた。空洞の眼窩に揺れる蒼い炎が激しく脈動する。距離はあるはずなのに、喉元を締め付けられるような感覚が走った。
――狙われた。
直後、アンデッドプリーストは不気味に笑い、干からびた腕を私の背後へ向けて指し示した。
次の瞬間、背後からカッセの苦悶の叫びが響く。
振り返ると、隊長カッセは地面に倒れ込み、両手で太腿の付け根を押さえてのたうち回っていた。すぐ傍には切断された脚が転がり、滑らかな断面から血が溢れ続けている。
その背後では、先ほど広場に並べていたゴブリン精鋭ウォーリアの死体が、大剣を杖代わりにしてゆっくりと立ち上がっていた。
焼け焦げた皮膚は裂け、無数の傷口から黄褐色の体液がにじみ出ている。
「隊長!」
ルクが叫ぶ。彼はカッセのすぐ近くにいたにもかかわらず、足元の死体に全く注意を払っていなかった。その隙を突かれ、奇襲を許したのだ。
怒りに駆られたルクは両手斧を握りしめ、自分よりも頭一つ分大きいゴブリンゾンビへと突進する。
だがその背後では、さらに四体のゴブリン兵の死体がゆっくりと起き上がっていた。狙いは、すでに戦闘不能となったカッセだ。
「くそっ!」
一瞬で状況の危険性を理解する。
このままアンデッドプリーストを攻撃すれば、カッセもルクも確実に死ぬ。
だが引き返せば、奴の詠唱が完成し、さらに犠牲者が出る。
どうするべきか。無数の可能性が脳裏を駆け巡る。
――そして私は、振り返った。
理由は単純だ。詠唱にどれほど時間が残されているかは分からない。だが今戻らなければ、二人が確実に死ぬことだけは分かっていた。
木屋での逃走とは違う。今回は四体のゴブリンゾンビを正面から相手にしなければならない。逃げ場も、回避の余地もない。
ただ斬り倒すしかない。
幸い、ゼス村に入った時点で私の「虚弱」状態はすでに解除されていた。まだ全身に痛みは残っているが、能力値はLv3相当まで回復している。
さらに先ほど、残っていたスキルポイントをすべて使い切り、《基礎剣術》を一気にLv3まで引き上げていた。かつて使い慣れた技も、今なら辛うじて再現できる。
武器を拾い上げた四体のゴブリンゾンビを見据えた瞬間、閃きが走る。
――正面からでは効率が悪い。一体ずつ仕留めるしかない。
迷いはない。Lv3の剣術に後押しされるように、走りながら自然と力を溜める。
――嗡ッ!
一閃。
最も近かった一体が、横一文字に断ち切られる。緑の光を残して、その体は黒い灰となって消えた。
すぐさま残り三体が短剣を掲げ、並んで突進してくる。
その瞬間、私は奇妙な感覚に包まれた。
まるで、再びゲームの中に戻ったかのように。
かつて私は、無数の敵に囲まれても一歩も退かなかった。長年の戦闘経験と学習の積み重ねにより、ほとんどすべての剣技を理解していた。
どこが弱点か。
どう繋げるか。
どう反撃するか。
そして、どう勝つか。
二歩踏み込み、片手剣を鋭く突き出す。刃は一直線に、先頭のゾンビの眼窩を貫いた。
そのまま体をひねり、横からの斬撃を回避する。
剣は抜かない。刺し貫いたまま、両手に力を込める。
「――はぁっ!」
骨ごと引き裂く一撃。無防備な身体は容易く裂け、その勢いのまま体を回転させて薙ぎ払う。三体目も同時に断ち切られた。
一見すればただの力任せの三撃。
だが、角度、力の流れ、技の連携――いずれもLv3の枠を明らかに超えていた。
「はぁ……っ、はぁ……」
極限まで集中した代償として、わずか十数秒で体力の大半を消耗する。肩には鈍い痛みが走り、巻かれた包帯からは再び血が滲み出していた。
それでも、少なくとも、隊長の命は繋いだ。
私は振り返り、ルクの方へ視線を向ける。
「今、援護に――お前……!」




