第9章 路地裏の証言者
梅田の繁華街を少し外れると、昼でも薄暗い路地が広がる。割れたアスファルト、錆びたシャッター、湿ったゴミ袋の匂い。
隆司はその路地の奥、場末の喫茶店の二階にある安アパートの一室を訪れていた。
そこには、かつて“たちんぼ”をしていた女、ミキが住んでいた。まだ二十代半ばだが、梅毒とB型肝炎で体は弱り、肌の色も黄ばんでいる。隆司は、彼女が今回の事件の重要な証言者になる可能性があると踏んでいた。
「……で、あんた、何の用なん?」
ガラガラ声でミキが言う。彼女の指は震えており、爪の間は黒ずんでいた。
「お前が見たんだろ? 例の女が男を車に押し込むところを」
隆司が低く問いかけると、ミキは一瞬だけ視線を逸らし、カップの中の薄いコーヒーをすすった。
「……見たけど。言ったら、あたし殺される」
「守ってやる。俺はヤクザだが、お前に借りを作る気はねぇ。証言してくれれば、それなりの礼はする」
ミキはため息をつき、煙草に火をつける。紫煙が狭い部屋に充満する中、ようやく彼女は口を開いた。
「……あれは三日前の夜。あたし、あの路地の角に立ってた。そしたら、黒いワゴンがゆっくり止まって、運転席から女が降りてきたの。細くて背が高くて、顔はマスク。けど、目が……なんか、氷みたいに冷たかった」
隆司の脳裏に、以前情報屋から聞いた“整形外科医の女”の噂がよぎる。闇医者であり、殺しの依頼も請け負うという女だ。
「その女、後ろのドアを開けて、酔った男を引きずり出そうとしてた。でも男が暴れたから、いきなり……」
ミキは手で首を絞める仕草をした。
「……ぐったりした男を車に放り込んで、走り去った。あたし、見なかったことにしようと思った。でも、あの男、数時間後に路地のゴミ置き場で見つかったんだよ……。バラバラになって」
隆司の背筋が冷たくなる。
「バラバラ……?」
「うん。しかも、切断面がめちゃくちゃ綺麗だった。ニュースじゃ“事故死”とか言ってたけど、あれ、素人じゃ無理」
彼女の証言は、殺し方や遺体処理の手口と一致していた。解体後の遺体はドラム缶で燃やされるか、薬品で溶かされることが多いが、このケースは違う。まるで解剖台の上で切られたような正確さ――外科の技術を持つ者の仕業だ。
隆司は立ち上がった。
「……お前、しばらくここから出るな。俺がなんとかする」
「無理だよ。あの女に目ぇつけられたら、終わり」
「終わらせねぇために、動くんだよ」
部屋を出た瞬間、隆司は路地の向こうから視線を感じた。
街灯の下、黒いコートの女が立っていた。
その目は――ミキの言う通り、氷のように冷たい。
次の瞬間、女は静かに路地の奥へ消えた。
隆司は、これがただのヤクザ同士の抗争ではなく、もっと深く入り組んだ闇の渦だと確信した。