第7章 路地裏の影
梅田の繁華街を抜けた先、飲み屋のネオンが途切れるあたりに、女たちが立ち尽くす細い路地がある。街灯は黄色く濁り、道路の隅には空き缶とコンビニ袋が散乱している。夜風はぬるく、排水溝からは酸っぱい臭気が漂ってきた。
佐伯はタバコをくわえたまま、壁にもたれて通りを眺めていた。視線の先には、若い女――いや、まだ十七か十八にしか見えない少女が、スカートの裾を直しながら行き交う車を探っている。小さなバッグの口が半開きで、中にはスマホと安物の香水、そして折りたたまれた千円札が数枚。
「おっちゃん、遊んでかない?」
擦れた声が背後から飛んできた。振り向くと、年齢不詳の立ちんぼ女が、赤い口紅を塗り直しながら佐伯を見上げていた。皮膚は厚塗りのファンデーションで覆われ、その下に潜む吹き出物や荒れた肌がかすかに透けている。
「用はねぇ」佐伯は吐き捨てるように言ったが、足は動かなかった。
この界隈は、ただの売春スポットではない。ここで立つ女たちは、みな何らかの借金を抱え、誰かに所有されている。ヤクザ、半グレ、あるいは外国人のブローカー。誰の縄張りに立つかで、料金も扱いも変わる。
その時、路地の奥から二人組の男が現れた。
ひとりはジャージ姿の小柄な男で、目がぎらついている。もうひとりは長身で無表情、革ジャンの袖口から刺青がのぞく。二人は少女の肩を無造作につかみ、路地の奥へ引きずっていった。少女の小さな悲鳴が、ビルの壁に反響して短く消える。
佐伯は動こうとしたが、直感が「今は関わるな」と囁いた。
この街では、正義感は命取りだ。助けた少女が、翌日には自分を売るために誰かに差し出す――そんなことも珍しくない。
だが、佐伯の胸にわずかな苛立ちが残った。
――あれは、放っておいていい種類の声じゃなかった。
数分後、路地の奥から男たちだけが戻ってきた。二人は何事もなかったように立ちんぼ女たちと軽口を交わし、次の客を物色し始める。少女の姿はどこにもない。
その夜遅く、佐伯は知り合いの情報屋・加東の事務所を訪れた。
「立ちんぼのガキが消えた」
「そんなの、この界隈じゃ日常茶飯事やろ」加東は煙草の煙を吐きながら肩をすくめる。
「でも、あの連中は……」
「革ジャンの刺青男と、小柄なジャージ男やろ? あれ、"西天満会"の下っ端や。今、あいつらが妙な仕事回されとるって噂や」
加東は机の引き出しから、擦り切れた地図を取り出す。
「ここや」
指さしたのは、淀川沿いの廃倉庫群。そこは以前、麻薬の取引場所として使われていたが、最近は別の用途で使われているらしい。加東の目が一瞬、険しくなる。
「女の死体処理や」
佐伯はしばらく黙って地図を見つめた。夜の路地裏で聞いた少女の声が耳にこびりつく。
「俺が行く」
「やめとけ。あそこは警察も簡単に踏み込めん」
「俺は警察じゃない」
外に出ると、空気はさらに湿り、川の匂いが強くなっていた。遠くでパトカーのサイレンが一瞬鳴り、すぐに消える。佐伯は革靴の音を響かせながら、淀川方面へと歩き出した。
彼の頭の中では、ひとつの疑問が膨らんでいた。
――あの少女は、まだ生きているのか。
そして、もし見つけたとして、その後どうするつもりなのか。
闇の底へ向かう足は、もう止められなかった。