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第19章 潜入の夜


 真希は薄暗い路地の奥に佇む特別養護老人ホーム「清祥会」の門をじっと見つめていた。外はまだ夜の闇が深く、わずかに霧が立ち込めている。彼女は深呼吸をしてから、施設の職員として潜入するための身分証を胸元に押し込んだ。


 この施設は一見、静かで平穏な場所に見えた。しかし最近、ここを拠点にした奇妙な動きが複数報告されている。知的障害者や身体障害者の間で不可解な感染症が蔓延し、原因不明の死亡例も散見された。警察の裏では、カストリの実験がここにも及んでいるのではないかという疑いがあった。


 真希は施設の裏口から静かに侵入し、すでに把握していた職員たちのシフト表を確認しながら、目当ての居室へと足を運んだ。彼女が探しているのは、知的障害を持つ青年、高坂だった。彼はこの施設の中でも特に扱いにくい患者で、最近体調が急激に悪化しているという。


 廊下の先から、かすかな歌声が聞こえた。高坂の部屋だ。真希はゆっくりと扉をノックし、中に入った。


 部屋の中は薄暗く、ベッドに横たわる高坂の顔は青白く、目はうつろだった。ベッドの隣には医療用の点滴が設置されており、管は彼の腕に繋がれている。


 「高坂さん……私、これからは味方です」

 真希は優しく声をかけたが、高坂の反応は鈍かった。彼はかすかに唇を動かし、何か言いたそうにしている。


 「カストリ……止めたい……」

 それが彼の口から絞り出された言葉だった。


 真希は背筋が凍った。彼が知っているのか。だが、彼の声は震え、続けることはできなかった。


 その時、遠くの廊下から足音が近づいてきた。職員の見回りだ。真希は慌てて部屋を出て、廊下の影に身を潜めた。


 施設の中は表面上の平穏を装いながらも、どこか異様な空気が漂っていた。医療記録は不自然に書き換えられ、患者同士の接触が厳しく制限されていた。だが、それは感染拡大を防ぐための措置ではなく、何かを隠すための壁だったのだ。


 数日後、真希は施設の地下に通じる秘密の通路を発見した。そこには薄暗い実験室があり、カストリの注射器や未使用の薬品が無造作に置かれていた。壁には不気味なスケッチが貼られ、人体の変異を示す図解もあった。


 「これが……」

 真希は吐き気を覚えながらも、証拠をスマホで撮影した。


 その直後、背後から低い声がした。

 「よく来たな、真希」


 振り返ると、そこには萩原医師が立っていた。

 「君には、我々の研究の意義がわかるだろう? 新しい時代の幕開けだ」


 真希は震えながらも、問いかけた。

 「何のために……こんなことを?」


 萩原は冷笑した。

 「進化だよ、人類の。犠牲は避けられない」


 その時、遠くで警報が鳴り響いた。施設の警備システムが侵入者を感知したのだ。


 「時間切れのようだ」萩原は言い残し、奥の扉へと姿を消した。


 真希は急いで証拠を握りしめ、秘密通路を駆け上がった。彼女の胸は激しく高鳴っていた。

 この夜、「清祥会」の闇が、さらに深まったのだった。



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