第14章 虚ろな白衣の微笑み
梅田の工業地帯にひっそりと佇む「萩原クリニック」は、外見こそ普通の診療所だったが、その内部は闇に染まっていた。
古びた看板の文字は色褪せ、窓には白いレースのカーテンが揺れている。だが、扉を開けると消毒液の匂いとともに、冷たい空気が室内を支配していた。
受付の女性は無表情で、来院者の名前を淡々とノートに書き込む。待合室の椅子は古び、壁には健康に関するポスターが貼られているが、どこか違和感を覚える。目を凝らすと、ポスターの端に細かく書かれた英語のメッセージがあった。
「Do not trust what you see.」
(見えるものを信じるな)
診察室のドアをノックすると、中から声が返ってきた。
「どうぞ」
中に入ると、白衣を纏った中年の男が、机の向こうに座っていた。黒縁の眼鏡の奥の目は鋭く、だがどこか虚ろな光を宿している。
萩原医師だった。
「ようこそ、藤森さん。お待ちしていましたよ」
男は不気味な笑みを浮かべた。藤森はその微笑みに背筋を凍らせながらも、冷静に言った。
「今日は、あんたの研究について聞きに来た」
萩原は椅子に深く腰掛け、指を組んで話し始めた。
「私は医学を、そして人体を科学する者です。病気だけでなく、人間の精神も体も、全ては実験の対象。私の研究は常に未来を見据えています」
藤森は眉をひそめた。
「未来? あんたの“患者”たちは、次々と死んでいる。薬物の実験台にされて、命を奪われていることを知っているのか?」
萩原は笑みを消さず、答えた。
「犠牲は必要です。大切なのは、結果。私の開発した新薬“カストリ”は、その犠牲の上に立っている」
藤森の心臓が強く脈打った。
「カストリ……それは合成麻薬か?」
「はい。しかし従来の薬物とは違います。脳の神経伝達を再構築し、使用者の感覚と意識を変える。結果として、依存性も強く、人体の耐久性を向上させる可能性があると期待されています」
藤森は拳を握りしめた。
「そんなものを、どうして市井の立ちんぼや知的障害者に使うんだ? 彼らは実験台じゃない!」
萩原はゆっくり立ち上がり、窓の外を見た。
「被験者は選ばれているのです。社会の底辺に生きる者たち――彼らは社会の闇であり、光でもある。犠牲となることで、新たな未来を切り開く鍵になるのです」
藤森の目は冷たく光った。
「お前は狂っている」
萩原は微笑んだまま、机の引き出しから小さなビニール袋を取り出した。中には、虹色に輝くカプセルがいくつも入っていた。
「これがカストリ。私の手で生み出された“奇跡”です」
藤森は袋を一瞥し、力なくその場を後にした。
だが、彼の中には確かな決意が芽生えていた。
――この闇を暴き、終わらせる。




