第13章 仄暗い水底の声
翌朝、梅田の繁華街は雨に濡れたアスファルトが鈍く光り、昨夜の吐瀉物や紙くずが側溝へと流れ込んでいた。
早朝にもかかわらず、立ちんぼの女たちはビニール傘を差し、化粧のにじんだ顔で獲物を探すように通りを見渡している。皮膚には隠しきれない梅毒の発疹、咳き込むたびに肺の奥から痰が絡む音。男たちはそれを気にも留めず、値段を確かめるような視線を向けては、足早に交渉を終えていった。
その一角、ビル裏の暗がりで、ヤクザの片桐が立っていた。雨粒が肩口から背中へ流れ落ちても動じず、タバコをゆっくり吸い込む。その視線の先には、昨夜のトラブルで倒れた若い構成員――健司の遺体があった。
腹部には鋭い刃物の痕。血はすでに黒く固まり、雨水がその周りを淡く薄めていく。表情は驚きのまま凍りついており、まるで最期の瞬間に何か信じがたいものを見たかのようだった。
「……こいつ、最後に誰を見た?」
片桐は足元の水溜まりに煙を吐き、背後の部下に問いかけた。
「現場の監視カメラは、例の路地の奥で止まってました。電源を切られた形跡があるっす」
「電源? そんな器用な真似、あの辺のガキにはできねえな」
片桐は唇を歪め、傘も差さずに健司の顔を覗き込む。雨粒が頬を叩き、死後硬直した首がわずかに揺れた。
その頃、刑事の神谷は別の現場で報告を受けていた。淀川の河川敷で発見された女性の遺体。身元はまだ不明だが、体内から複数の性病菌が検出され、薬物の反応もあった。
司法解剖の医師は、殺害方法を「窒息」と断定した。口腔内には乾燥した泥と植物の繊維が詰まっており、押さえつけられたまま呼吸を奪われたと考えられる。
その死体の右腕には、小さな包帯。剥がすと、点滴針の痕が三つ、まだ新しい。
「こいつ、どこかで治療受けてたな……」
神谷は記録用のノートに走り書きする。雨音が車両の屋根を叩き、かすかにエンジンの熱が漂う。
脳裏に浮かぶのは、最近相次ぐ「不自然な死」。ヤクザ絡みの若い男、立ちんぼの女、そして路地裏での薬物中毒死。線はまだ繋がらないが、どれも何者かの意図が見え隠れしていた。
夜。片桐は、事務所の奥で一枚の写真を眺めていた。そこには笑顔の健司と、見覚えのない中年男が並んで写っている。背景は古びた診療所のようで、窓越しに見える看板には「○○クリニック」とかすれた文字。
片桐は無言でタバコをもみ消し、机の引き出しから古い地図を取り出した。梅田から離れた工業地帯、そのさらに奥に小さく印が付いている。
同じ頃、神谷もまた、そのクリニックの名前を捜査資料の端に見つけていた。
――偶然か、それとも必然か。
雨は夜半になっても止まず、街灯の下にできた水溜まりが揺れ、仄暗い水底で何かが蠢いているように見えた。




