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第10章 影の取引


 大阪・西成の裏路地は、夜になると別世界のように息を潜める。昼間の喧騒は消え、街灯がところどころ切れた暗がりの中を、闇の気配だけが這っていた。

 黒いフードを深く被った高坂は、膝の古傷をかばいながらゆっくりと歩いていた。ここに来るのは危険だと分かっていた。それでも、来なければならなかった。


 「遅かったな、高坂」

 待ち合わせ場所の廃ビルの中で、背中に龍の刺青を浮かび上がらせた男が煙草をふかしていた。中道会若頭補佐、鬼塚亮二。

 鬼塚の右腕には、包帯がまだ新しい傷を隠している。数日前の抗争で負ったらしい。

 「例の件、持ってきたか?」

 低く押し殺した声。その背後では二人の構成員が無言で立ち、こちらを睨んでいる。


 高坂は小さく頷き、ボストンバッグを置いた。中には現金がぎっしり詰まっている。銀行口座を経由せず、現金で動くしかない額だった。

 鬼塚は袋を開け、一瞥すると口元をわずかに歪めた。

 「……まあ、これだけありゃ、向こうも黙るやろ」

 しかしその笑みには安堵よりも別の色が混じっていた。


 「で、例の“処理”は?」

 高坂の声はかすれ、わずかに震えていた。

 鬼塚は灰を床に落とし、ゆっくりと吐き出した煙が暗闇に溶けていく。

 「簡単や。火にくべるんは古いやり方や。最近はな、薬液で骨まで溶かす。残るんは白濁した水とちょっとの沈殿物だけや」

 耳の奥にざらつくような声が残る。薬液処理の方法は高坂も噂では聞いていたが、現実として突きつけられると吐き気を覚えた。


 「心配すんな。遺体の歯科記録も指紋も全部消える。DNAだって検出不能や」

 鬼塚の瞳が光る。そこには人間の情けなど一片もない。

 高坂は目を逸らし、口を閉ざした。これ以上聞けば、自分が戻れないところまで堕ちるのは分かっていた。


 外に出ると、湿った夜気が肌を撫でた。遠くで救急車のサイレンが鳴る。

 路地を抜けたところで、ふと背後に視線を感じた。振り返ると、街灯の陰にひとりの女が立っている。

 短く刈った髪、ジーンズに革ジャン。細身の体格だが、その眼差しには鋭い光が宿っていた。

 「……刑事か?」

 高坂の心臓が一瞬跳ねた。


 女は歩み寄り、かすかに口角を上げた。

 「高坂さん。ちょっと話、いいですか」

 彼女は城戸美咲、府警の捜査一課に所属する刑事。だがその私服姿は刑事というより夜のスカウトに近かった。

 「こんな時間に、こんな場所で何をしてたんです?」

 声色は柔らかいが、瞳は一点も動かない。


 高坂はとっさに笑いを作った。「ちょっとした用事だ」

 「用事、ねえ……」

 美咲はポケットからスマートフォンを取り出し、画面をこちらに見せた。そこには、数時間前に高坂が廃ビルに入っていく様子が映っている。

 「監視カメラって、便利ですよね」

 言葉の裏に隠された圧力が、喉を締めつける。


 「……で?俺をどうしたい」

 高坂が低く問い返すと、美咲は唇を湿らせ、囁くように答えた。

 「情報が欲しいんです。あなたが今、どこまで“あの連中”と深く関わってるのか」

 高坂は沈黙を選んだ。しかしその瞬間、美咲の瞳が一層鋭く光った。

 「黙るなら、証拠を積み上げるだけです」


 遠くの街の灯りが滲み、路地裏の影が一層濃くなる。高坂は無意識にポケットの中で拳を握った。

 ――この女は危険だ。だが、利用できるかもしれない。

 そんな思考が、暗闇の奥で静かに芽を出していた。



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